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熱気帯びる東京公演の取組
劇団はぐるま座『原爆展物語』
             「真実伝える劇」と体験者   2011年1月21日付

 劇団はぐるま座の『峠三吉・原爆展物語』東京公演(主催/実行委員会)に向けたとりくみが進んでいる。これまでに約1000枚のポスターが江東区、墨田区、台東区の飲食店や理美容院、衣料品店、薬局や花屋などの各種商店や企業、寺院、町会掲示板などに貼られ、東京空襲の凄惨な体験やうっ積した思いが語り合われ、現代の戦争のきな臭さと重ねて強い反響を呼んでいる。また、広島、長崎、沖縄での公演を経て東京公演が東京空襲の慰霊の時期に開催されることへの共感も多く寄せられ、「ぜひ見に行く」「お客さんに声をかけよう」と親近感を持って呼びかけが広げられている。
 東陽町の園芸店主(60歳代)は、「実家が深川の材木屋で家も材木もすべて焼けて逃げたが、辛うじて家族全員が別別に逃げまくり、境というすでに焼け跡になっていた地域に辿り着いて助かった。日本はあの戦争がどうだったのかという戦後総括がされていない。勝てば官軍、負ければ賊軍で結局日本が全部悪くて勝ったアメリカが正しいというのでずっときている。沖縄が非常にいい例だ。本当におかしな戦争だった。敗戦はわかっていたのに引き延ばして原爆まで落とされた。東京空襲でも一家全滅は多い。原爆もひどいが東京空襲もひどい」と語り、チケットを預かった。
 小名木川地蔵尊維持会で毎年3月10日に慰霊祭をおこなっているという扇町商店街の男性は、「福島県の郡山に疎開していて大空襲にはあっていないが、同級生から聞いていた。現代が世知辛くなっているが、世のため人のための考え方が必要だ。広島や長崎はあちこちに慰霊碑があって語られているのに、東京はなぜないのか。こういうことはとても大事だ」と語った。
 江東区の深川資料館通り商店街の70代の婦人は、「自分は小さかったが、永代橋の辺りは死体がたくさん浮いていた。女の人の死体は上を向き、男性の死体は下を向いていた。子どもを背負ったまま必死で逃げていた母親のことなども聞いている。近くの寺にも遺体がたくさん集められて焼かれた。協力させてもらう」と語りチケットを預かった。
 4歳のとき東京空襲を体験したという台東区の書店の婦人は、「被爆体験や戦争体験の風化もあるが、日本の政治家がこういうことを背骨に入れておかないといけない。すべてアメリカのいいなりになっている。本当のことを伝えていかないといけないし、教育を立て直さないといけない。これは大切なこと」と話した。
 また、空襲体験や戦争体験が口口に語り合われ、店頭へのポスター掲示やチラシを置いて呼びかけようとの反応があいついでいる。
 台東区の佃煮屋の男性(85歳)は、東京空襲で妹が頭に焼夷弾の直撃を受けて亡くなったことを明かし、「妹のように骨もなく亡くなった人たちは、素焼きで真ん中に菊の紋章の入った小皿が1枚、紙の箱に入れて渡されただけ。みんな天皇陛下のためといって戦争に行かされたが自分の妹は犬死ではないか。2月25日(午後から夜7時頃まで)に三越を中心とした空襲があり、3月10日の空襲と合わせて当時電車通りだった春日通りには死体がいっぱいあった。深川の遺体は夜中に谷中の寺に集められた」と語った。
 また、「身体が弱かったので疎開に行けず小学4年のとき大空襲にあった。言問通りに火が走り、裏から出て花やしき通りにあった大きな防空壕に逃げて助かった。だが、言問通りの表側(浅草)にあった見番の子どもたちは言問通りが渡れず逃げ遅れて亡くなった。アメリカいいなりで日本人の心が寂れていく」(浅草、足袋屋男性)、「東京空襲で芸子さんがたくさん亡くなった」(浅草、見番)、「自分は疎開していたが、空襲にあった家族4人が亡くなり、おじの家は全滅だった。浅草寺も五重塔も鐘つき堂も、浅草1丁目から6丁目まで全部焼けた。浅草の銭湯という銭湯はすべて焼かれたので、戦後は橋を渡って墨田区まで歩いて行っていた」(浅草、文具店主)、「母親が隅田川に飛び込んで亡くなった。自分は海軍で浜松に行っていたが乗る船がなく、浜松で空襲に何度もあい機銃掃射も受けた。帰ってみると母は亡くなり一帯焼け野原だった」(今戸、糸専門店男性)など、語り合われている。
 言問橋の慰霊碑に毎日花を持ってお参りしているという花屋を営む70代の婦人(浅草)は、「地域の人たちと一緒に慰霊碑を守ってきた。体験者が高齢になってきて、演劇にして伝えることはとても大事。見に行きます」とチケットを預かった。
 化粧品店の85歳の男性は、「学徒出陣で召集されて入隊したとき、銃もなければ軍服も軍靴もなく、普段着のままの入隊で完全に丸腰だった。その実態から見てもとんでもない戦争だったというのは十分いえる。家には母と祖母が残っていて空襲にあい、祖母が言問橋の方に逃れて行方不明になった」と語り始め、「現代は戦争が起こりそうな状況になっている。戦地体験が描かれているものはほとんどないので、こういう演劇ならぜひ行きたい。戦争を知らない世代が真剣にやっていることは素晴らしい。なにか協力したい。夫婦で見に行く」と話して協力を申し出た。
 宮古島出身の沖縄料理店の男性は、「あの戦争はアメリカが全世界を支配するためにやった戦争で、日本の戦争もその一部。アメリカがアジアや世界を視野に入れたときちょうど扇の中心地になるところが沖縄。簡単に手放すわけがない。沖縄も日本もどうやったら発展するか、長期的視野で真剣に考えないといけないときにきている」と語り、沖縄県出身者の集まる会合で宣伝ができないか相談しようと話した。
 また、各地の町会が掲示板へのポスター掲示や地域の人たちへ呼びかけをしようとチラシやチケットを預かるなどの動きも活発化している。
 墨田区の硝子食器屋の70代の店主は、「大田区の大森出身だが空襲がとてもひどかった。いすゞなどの軍需工場があり、実家の屋敷には動員学徒が寝泊りしていた。しかしそこも焼かれて学徒たちが大勢犠牲になった。大森海岸が見えるくらい建物が全部焼け尽くされた。店は神田にあり、かろうじて残ったので戦後再建でき、実家跡に掘っ立て小屋を立てて軍需工場の焼け跡からくず鉄を集めて売って生計を立てた」と話し、町会掲示板用にポスターを預かった。
 立川のある町会長は、「空襲のとき、火を逃れようと中和小学校に避難する人が殺到した。しかし、あまりに多くて入りきれないので門を閉め、校舎内にいた人は助かったが、外にいた人たちはみんな焼け死んだ。自分は3歳で母とトイレのなかに隠れて助かった。東京空襲はアメリカが計画的にやった。この近くは親を空襲で亡くした人や体験者が多い。日本全体がアメリカによってたくさんの人が殺されたというのがくやしい」と吐露し、「回覧を回しましょう」と語った。
 江東区のある町会長の男性は、とりくみの反響を伝えたチラシを見て共感を示し、「今直接住民のなかに一軒一軒入ってやるところはない。革新も保守もわれわれのところに来て直接話を聞くところはなく、どこもマスコミの話だけでいろいろやっている。国民の声を正しく一つにまとめていくというのが本当の政治家だが、今は個人主義ばかり。だが、みんながバラバラで好き勝手やるのでは地域も国もよくならない。こういう運動は貴重だ」と語り、掲示板へのポスター掲示と、各地区の会長にメールでチラシととりくみの反響を伝えたニュースを流すと申し出た。

 若い世代も真剣な反応

 さらに若い世代からも積極的な反応が寄せられている。
 30代の写真店の男性(台東区)は、「今の日本は戦争になるのではないかと経済を見ていて思う。日本が政治面でも経済面でもアメリカになにもいえないというのを解決しないといけない。戦争の構造的なものも描いている劇はいい」と語り、チケットを預かった。
 40代のコンビニの男性(台東区)は、「この地域は日雇い労働者が多く、昔は1万2000人くらいいた。今は5000人くらいだが、仕事が少なくなって隅田川の青テントに行っていたが、都が撤去して多摩川に大きな施設をつくって生活保護を受けさせている。この地域も生活保護で生活している人たちが半分以上。仕事ができない高齢者も多く、毎日亡くなっている」と話し、店頭にポスターを掲示した。
 江東区深川の美容院では、20〜30代の美容師が、「この地域はとくに東京空襲のひどかった地域なので、お客さんにも体験者がたくさんおり、よく話を聞く。これは興味がある。なぜ今がこんなに先が見えなくなっているのか」「日本はGHQによって間違った歪んだ歴史が教え込まれてきて、とくに第二次大戦については嘘ばかり。これは体験者の真実というのがすごい」「どちらかの会場に見に行きたい」と語った。
 『峠三吉・原爆展物語』東京公演は、3月8日(火)墨田区・曳舟文化センター(開演午後6時30分)、9日(水)江東区文化センター(開演午後2時と6時30分)でおこなわれる。

 

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