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狙い定め焼殺した東京空襲
『原爆展物語』東京公演実行委
               体験者の訴えに響く若者    2011年2月28日付

 劇団はぐるま座の『峠三吉・原爆展物語』東京公演(3月8日・墨田区、9日・江東区)に向けた第3回実行委員会が27日午後2時から江東区亀戸の亀戸文化センターで開かれた。東京空襲、学童疎開、少年航空隊の体験者をはじめとして、医療、福祉関係者、そして大学生が参加して戦争体験を語り継ぐ意欲に満ちた大交流の場となった。
 はじめに事務局からとりくみの現状が報告された。江東区では122町会、墨田区では135町会、台東区では40町会で掲示板にポスターが掲示され、総計3200枚のポスターが貼り出されている。紙芝居は老人会をはじめ、児童館、武道関係、大学、職場でもおこなわれ、とりくみが各階各層へと広がりを見せていること、また、これからの日本をどう立て直していくのか真剣に論議され、東京公演への期待が高まっていることが報告された。
 清掃の職場で働く50代の男性は「原爆や沖縄戦にしても、あれだけのことをされながら日本人はなぜアメリカに怒らないのか、アメリカを批判する者はみんな排除される。おかしな話だ。現場では新規採用がないから労働者は8年前の半分になっている。委託で入っている20代、30代の労働者はエジプトのことなど関心を持っている。かれらにも観劇をぜひすすめてみようと思う。自分たちが頑張らねば日本の未来はない」と語った。
 ある大学では紙芝居会をおこなったところ、学生たちが真剣に見入り、終了後も活発な意見が交流された。広島出身の男子学生は「小学校から原爆のこと、戦争のことを学んできたが、戦争はなぜ起こり、どこまで続くのか、戦争を止めるためになにができるのか考えていきたい」と決意を語った。『原爆と大戦の真実』が買い求められ、今後学内で「原爆展」を開催することなど活発な意見が続いた。
 児童館での紙芝居会では小学生、中学生、そして若い母親から積極的な意見が寄せられている。ある中学1年生の男子生徒は「第二次世界大戦の真実を描いた紙芝居」という呼びかけに「これは見なければいけない」と友人を誘って参加。「日本がアメリカの属国になっているというのは本当にそうだと思う。学校の先生がいつもそういっている」と語った。また「自分の父親は中卒で新潟から集団就職で東京に出てきて、今65歳。現役で働いている。82歳になる祖母に新潟空襲の体験も聞いています」と語る母親や、「小学2年生の子どももしっかり受け止めたと思います。私も感銘しました」という母親たちと出会ったことが報告された。

 日本の現状重ねて論議

 実行委員会では舞台の内容を紹介した紙芝居をおこない、参加者から活発な論議が出された。
 東京空襲の時が17歳だったという男性は「爆弾が次から次へと落とされ、清澄庭園に逃げた。公園の入り口の塀のところで人間が無傷でぶら下がっているのを見た。風速20bから30bのものすごい風が地べたをはい、酸素不足で窒息死していたのだ」と語った。「私もそういう状態を見た」と、卒業式を控え疎開先から帰って空襲にあった男性は「浅草の松屋ははじめは燃えていなかったが、熱風をはらんだ強風で10日間蒸し焼きになっていた。その前で無傷のまま転がって死んでいる人が40人くらいいた。やはり窒息死だ。一方、言問橋では黒こげのマネキンのような遺体が転がっていた。足の踏み場もないくらいだった。消防車がサイレンを鳴らしながら橋の上まで来たが、ごった返した人の波で動けなくなり、消防士はハンドルを握ったまま白骨になっていた。そんな姿を見ると人間狂ってしまいますよ」と語った。
 15歳で戦災孤児になった男性は「9日の夜は警戒警報が出て、道路の50bごとに掘ってある防空壕に避難していたが、いったん解除になった。家に帰り横になった途端、どんどん焼夷弾が落ちてきて真っ赤な炎が上がった。家の中に戻ると母も姉も弟もいない。怖くなりリュックを担いで、藤倉電線のところまで逃げた。米軍は周りを囲って逃げられないようにしていたのだ。木の橋も全部焼けおち、川に飛び込んで亡くなった。川には木材がたくさん浮かべてあった。川に飛び込んだ人は木につかまっていたが、その木まで燃えだした。その下にもぐって木と一緒に焼かれた人、川の水が熱湯になって亡くなった人、空襲を逃れ川から上がったが、明け方のものすごい寒さと風で、凍え死んだ人など、それは悲惨なものだった」と続けた。
 東京空襲にあい、その後富山空襲も体験した男性は「アメリカは照明弾を落とし、真昼のような明るさのなかで用水路に逃れた人めがけ、焼夷弾を落とした。奴らは面白がってやっていたんだ」と怒りをぶつけるように語った。参加者は「その通りだ、アメリカは無差別爆撃ではなかった。東京空襲のときも照明弾を落とし、狙いを定めて焼夷弾を落としていった。広島、長崎をはじめ日本全国がそのように計画的に焼き払われていった。これを若い世代に語り継いでいかなくてはならない」と口口に語った。
 体験者の話を黙って聞いていた福祉関係で働く青年は「今まで実行委員会に参加して体験を聞いても非現実的なものとしか受け止められなかったが、今回は一気に壁が崩れ身震いし、体の芯(しん)が震えるような思いがした。若い者が体験者の思いに迫るくらい学ばなければいけない」と高揚した表情で語った。初めて参加した大学生は「広島県出身者として将来教師となり、子どもたちに戦争体験を語っていきたいが、体験者の本当の声が代弁できるよう皆さんに学んでいきたい」と決意を語った。
 そして日本の現状をどう見るかという論議に発展し「今の日本はアメリカの金魚のフンとみられている。戦争で亡くなった人たちは悲しんでいることだろう。アメリカは欲で日本を使っている。平和で豊かな日本をつくるためには独立し、アジアの国国とも尊敬しあう関係をつくり上げなくてはならない」と大いに語り合われた。
 最後に空襲体験者の男性から「いよいよ公演は迫ってきたが、公演で終わることなくこの会を継続し、今後もこの純粋な運動を東京に広げていくために今後も皆様の力をいただきたい」とあいさつして閉会した。
 次回の第4回実行委員会は3月6日(日)午後2時から墨田区緑町、みどりコミュニティセンターでおこなわれ、公演終了後3月12日(土)午後6時30分から同会場でまとめの会がおこなわれる。

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