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小中校生平和の会第21回平和教室
熱意こもる戦争体験者の話
            平和のための行動を期待     2004年2月5日付
 
 小中高生平和の会(代表 今田一恵/中高生代表 南香世・小林さつき)は1日、第21回平和教室を下関市のからと会館でおこなった。今年はじめてとなった平和教室には、山口県内を中心に下関、宇部、萩、防府、大津と北九州から小・中・高校生が58人、教師をふくめ計72人が参加。午前中は大縄やリレーをして体を動かし、午後からは下関市内に住む7人の戦争体験者や被爆者の自宅を訪問し体験を学んだ。これまで戦争体験を語ったことのない戦争体験者や被爆者が、現在の日本の自衛隊のイラク派遣と戦中・戦後の体験を重ね「絶対に戦争をくり返してはならない」と子どもたちに語りかける思いには一段と力がこもっていた。
 午前10時から名池小学校に集合して、はじめて参加した子や久しぶりに参加した子もふくめて八班に分かれて大縄で8の字飛びや全員でジャンプなどをするなかで、はじめはまったく飛べなかった子も徐徐にできるようになり、班のなかで大きい子が小さい子に気を配りながら、一致団結していった。スポーツの最後には、「ふじ山」の歌を全員で合唱した。
 昼食後、班ごとに分かれて被爆者や戦争体験者の自宅へむかった。7人の体験者のうち6人は、このたびはじめて子どもたちのために戦争体験を語る人で、子どもたちにしっかり語りつぎたいという強い思いで歓待した。
   
 南方での経験語る 元日赤看護婦
 長府に住む今年81歳になる弘中ユウ子氏は、昭和18年8月に日赤の看護婦として南方のトラック島に送られ兵隊の看護をしたあと、昭和20年8月9日には原爆が投下された長崎に入り負傷者の看護にあたった経験を持つ。今回、「家族にも話したことがない」という体験を子どもたちに伝えるために、当時の日赤看護婦時代の写真や、看護婦の帽子などを見せながら、「何度も死ぬ思いをした」という南方での壮絶な経験を当時記していた日記をもとにしながら語った。
 子どもたちがわかりやすいようにと卓上に世界地図を広げて、当時ひんぱんに爆撃されていたサイパン島への途中にあるトラック島には、余った爆弾がよく落とされていたこと、1つの病棟が爆撃され、椰子の木すれすれを飛ぶ米軍の機銃掃射のなかを患者の兵隊をおぶってバナナの葉を頭にのせ見つからないように逃げ、何度も死ぬ目にあったこと、機銃掃射で気が狂ってしまった兵隊を木にくくりつけて暴れないようにしたことなど、壮絶な南方での体験を身振り手振りで子どもたちに語っていた。サイパン島が玉砕したあと、婦長が「もはやこれまでです。みなさん爆弾を持っていっしょに死にましょう」といい、月光の下で親に遺書を書いたこともあったという。マラリアや伝染病で何人も友人を亡くしたという経験を終始笑顔で語る弘中氏の話に耳を傾けながら、小・中・高校生は真剣にメモをとり、日赤看護婦当時の写真や帽子を見せられると驚いて、質問もしていた。
 弘中氏は、「いまの学校の教育は、戦後アメリカが入ってきて勝手にまぜくってやろうとしたのがねらいだったと思う。若い人は言葉遣いが悪い。戦後60年もたって日本にアメリカがいるのが長すぎる。このたびのイラク派遣はだれが見てもおかしい話だ。アメリカは金を出せ、出せといっているが、日本がいま首をつりそうな状態なのに」と語った。「看護婦のなかでは上級生もきびしく、涙が出ることもあったががまんした。苦しいときも自分の頭で考えて人に頼ったらいけない」とつらい経験を乗りこえていまがあることを話した。強く生きてきた弘中氏の姿に子どもたちも心を動かされ、「想像もつかないつらい経験を笑顔で語ってくれ、弘中さんは強いと思った」と中学生の女子はのべていた。
 
 殺された友の話も 海軍や陸軍経験者
 梶栗町に住む農民の池田節夫氏(80歳)は、この日のために当時の地図や表彰状、教育勅語などのコピー、手榴弾、鉄砲の弾、写真など多くの資料を準備し、訪れた小・中・高校生を迎えた。近所に住む婦人2人も子どもたちといっしょに話を聞いた。
 「わたしはいつ死ぬかわからない。有形文化財だ」といい、20歳で軍隊に入って中国に行き行軍で歩きつづけたこと、戦争というのは、自分が相手を殺さなければ殺されるものだと痛切な思いを語った。戦友が死んでも遺体は持ち帰られないので日本刀で腕を切り落として焼いて遺骨を持ち帰ったり、多くの戦友を亡くした経験を語った。また池田氏は、アメリカ軍による空襲で街を一晩で焼き払われたことに怒りをこめて語り、「戦後の教育は戦前のいいところを全部否定して親をたいせつにすること、国を愛するということがなくなった。戦後の教育は、“人権”のことばかりいう」と戦後59年たった日本の現状を憂うとともに、「負けずにがんばろう!」と子どもたちに期待を託していた。最後には、「歌をうたわせてほしい」と戦時中、野宿をし戦友と故郷を思った「ああ草枕」という歌を思いをこめてうたった。
 海軍経験者の宮崎宗夫氏(86歳)は、海軍の通信兵として中国、フィリピン、ボルネオ島、ジャワ島、ミッドウェーの海戦などたくさんの海戦に参加した経験とともに、ガダルカナル島の作戦でみな飢餓状態だったことや、強制連行した朝鮮人を飛行場をつくるために連れてきて、その後鉄板の上に寝かせその上をアメリカの戦車がとおって全員が殺されたことなど、これまで語ってこなかった経験も語った。「アメリカは善悪がなにかもわかっていなかった。1銭5厘で人の命を奪う戦争は絶対にしてはいけない。戦争に正義はない」と戦争への怒りを語った。そしてアメリカのイラクへの戦争が「石油のための侵略戦争」だということと、「日本の自衛隊の派遣に反対する運動は、みんなで協力してやってほしい。バラバラではいけない。大東亜戦争の教訓をまったく失っている」と戦争をふたたびくり返そうとするものへ悔しさをにじませ、この思いを子どもたちに受けついでほしいという強い願いをこめた。

  戦後の苦難伝える 被爆者や夫を奪われた夫人
 被爆者の森千恵子氏は、これまでみずからの体験を語ったことはなく、この日は子どもたちが待つからと会館まで足を運んで体験を語った。自分の夫が3度も徴用され、いつも月を見て「夫も同じ月を見ているだろう」と思いながら泣いていたこと、いまでも月は見ることはできないという戦後59年間ひきずってきたつらい思いを語った。夫とともに墓参りに行ったときに2人の見知らぬ男の子が「おとうちゃん、おとうちゃん」といって追いかけてきた。その男の子の父親はすでに戦死していたこと、夫は最後は機雷にあたって戦死し、戦後は女1人で子どもを育てるため、60`の米俵を担いで働き生きぬいてきたことを涙を流しながら語る姿が、子どもたちには印象に残っていた。話を聞いた小学2年の女子は、「60`もある大きな米俵を、船から陸にあげるのは、男の人の仕事なのに、女の人が運んで、こけて海に落ちたこともあったそうです。すごいと思いました」と感想を書いていた。
 彦島の福川務氏(70歳)は、イラク派遣撤回を求める署名運動のなかで知りあった戦争体験者で、みずからの戦争体験とともに、戦時中強制連行で働かされる朝鮮人の姿を見て、「拉致問題をさわいでいるがそれ以上のことを日本がやってきた」「戦争をしてどこがよかったという国があるだろう。平和憲法があり、日本は世界の鏡でないといけないのに、イラク派遣は日本にとって屈辱だ」と憤りをこめて語った。子どもたちのために戦時中のおじやを再現して食べさせるなど、夫婦でものがなくて不自由した戦時中の経験と、「人と人とのつながりや人の気持ちをたいせつにして日本を愛する人になってほしい」と子どもたちを温かく見送った。
 そのほか戦争体験者の婦人、被爆者の天野資子氏も体験を語った。下関空襲の経験や、長崎での被爆体験とアメリカのいいなりで戦争にむかう自衛隊のイラク派遣について「小泉総理やその子どもは1回でも戦場に行った方がいい」という怒りを共通して語っていた。戦争体験者の婦人が、子どもたちに「いまの戦争はどう思いますか」と質問する場面もあった。7人の戦争体験者や被爆者は、平和のために戦争体験に学んで行動する子どもたちに惜しみない期待を寄せ、小・中・高校生も、「人が助けられる人になりたい」(小学3年男子)、「昔の生活に比べていまの生活がぜいたく過ぎると思った」「同じ中学生でもぜんぜん勉強できなかったことを知った」(中学1年)など、戦争体験者の体験とその生き方について、真剣に受けとめた。

   体験学び感想交流 心で受けとめる子どもたち
 体験を学んでからと会館に帰った小・中・高校生は、すぐに感想文を書き班ごとに1言ずつ感想発表会をおこなった。弘中氏の体験を聞いた防府市の小学3年の男子は、「戦争体験者の人たちは平和のため、命のためにがんばったと思いました。知らない人と知らない島や国に旅しに行って、地雷や爆弾のかずかずを乗りこえていま、この時代にいるんだと思います。ぼくたちがいまここにいるのは、そんな人がいるからだと思います。でも戦争がまた起きるとせっかくがんばった意味がないので、ぼくは許せません」と感想を書いていた。
 また「アメリカ軍も朝鮮の人にひどいことをしたということをはじめて知った」という中学2年生男子や、「わたしは戦争を体験して、苦しい思いをしている人がたくさんいることを知り、その人たちの役に立つことを少しでもやりたい。もっと戦争反対の運動をしていきたい」と中学2年女子は記していた。また「天野さんの話を聞いていると、戦争がとてもつらく、起こしてはいけないことがわかった。いまイラク派遣の問題があるけど、戦争反対をいいつづけたい」(中学1年男子)と記している子もいた。
 第21回平和教室は、「小中高生平和の会」の原点である「被爆者や戦争体験者の体験や思いに学び、受けつぎ、平和のために行動しよう!」という目的のもとでおこなわれた。戦争体験者や被爆者が自衛隊のイラク派遣反対で「2度とくり返してはいけない」という思いを一段と強めているなかで、小・中・高校生もその思いをしっかりと学んで、自分たちのこととしてしっかりと受けとめていた。

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