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捏造報道で戦争の片棒担ぐ
日米開戦時の大新聞の犯罪
                 今は米国発の大本営発表      2015年3月27日付

 戦後70年を迎えるなかで、憲法解釈変更、安保法制の改定など安倍政府による戦時体制づくりが着着と進められている。かつての戦争で320万人の親兄弟を無残に殺され、焦土のなかから二度と戦争をくり返させぬことを誓って郷土を復興してきた国民にとって看過できない事態を迎えている。だが、それを正面から批判するメディアは見当たらない。戦後、あの戦争を「愚かで無謀な戦争」といい、「軍部の横暴によって言論を弾圧された」というものが、今度はアメリカの鉄砲玉となって日本が戦争に突っ込むという愚かさや無謀さを問題にしないのである。大本営発表をくり返して国民を戦争に動員した反省などどこ吹く風で、アメリカの戦争協力者になっている姿が暴露されている。前回、日中戦争に突入する過程で大手新聞が何をしたか特集したのに続いて、今回は日中戦争から太平洋戦争へと至る過程で報道機関はどう振る舞ったのか見てみた。
 満州事変に始まった日中戦争が行きづまるなかで、1941年12月8日、日本の支配層は真珠湾攻撃へと踏み切った。日中戦争に動員された100万人もの日本軍の主力は抗日戦争の高まりのなかで中国に釘付けになり、すでに戦死者は18万5000人を数え、中国の植民地化という野望を実現する見込みは完全に断ち切られていた。一方、日本への経済制裁を強めながら対日参戦の機会をうかがっていたアメリカは「日本に最初の一発を撃たせる」(スティムソン米陸軍長官)ことによって、日本との植民地争奪戦に乗り出す口実を得ることになった。
 「帝国陸海軍は今8日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」。1941(昭和16)年12月8日午前6時、ラジオから流れた大本営発表第1号は太平洋戦争の開戦を告げた。以降、破滅的な敗戦を迎えるまでに合計846回くり返され、国民を戦争に組織していった。
 大本営発表に代表される政府中枢と報道機関が一体となった言論統制は、太平洋戦争に突入すると満州事変の時期とは比較にならないほど徹底したものとなった。負けることはわかりきった戦争に政府も報道機関も口を揃えて「鬼畜米英を殺せ」と叫び、反論するものには血なまぐさい弾圧を加えた。実際に殺されたのは国民の側であり、邦人保護を叫んで突っ込んだ日中戦争、そしてその後の太平洋戦争で320万人の命が失われた。とくに敗戦までの1年間で死者は著しく増大することになった。
 開戦翌日の『東京朝日』には昭和天皇の「宣戦ノ大詔」が掲載され、社説「帝国の対米英宣戦」では、「いま宣戦の大詔を拝し、恐やく感激に堪えざるとともに、粛然として満身の血のふるえるを禁じ得ないのである。一億同胞、戦線に立つものも、銃後を守るものも、一身一命を捧げて、決死報国の大義に殉じ、もって身襟(天皇の心)を安んじ奉るとともに、光輝ある歴史の前に恥じることなきを期さねばならない」とし、天皇のもとに国民に総力戦を訴えた。全身全霊で対米戦に備えよという扇動的な言葉が紙面全体を覆った。言論統制から検閲に至るすべての実権を持つ内閣情報局は全報道機関に「気象管制」に入ることを命じ、天気予報をはじめとするいっさいの日常報道が中止された。
 このとき情報局は「記事差し止め事項」を発し、「一般世論の指導方針」として、@今回の対英米戦は帝国の生存と権威の確保のため、まことにやむをえず起ち上った戦争であることを強調すること。A敵国の利己的世界制覇の野望が戦争勃発の真因であるというように立論すること。B世界新秩序は「八紘一宇」の理想に立ち、その目的とするゆえんを強調すること、を全報道や出版関係者に通達した。
 また、「具体的指導方針」としては、@わが国にとって戦況が好転することはもちろん、戦略的にも、わが国は絶対優位にあることを鼓吹すること。A国力なかんずくわが経済力に対する国民の自信を強めるよう立論すること。B敵国の政治経済的ならびに軍事的弱点の暴露に努め、これを宣伝して彼らの自信を弱め、第三国よりの信頼を失わしめるよう努力を集中すること。Cことに国民の中に英米に対する敵愾心を執拗に植えつけること。同時に英米への国民の依存心を徹底的に払拭するよう努力すること、などとした。
 さらに、「厳重に警戒すべき事項として」、@戦争に対する真意を曲解し、帝国の公明な態度を誹諾する言説。A開戦の経緯を曲解して、政府および統帥府の措置を誹謗する言説。B開戦にさいし、独伊の援助を期待したとなす言説。C政府、軍部との間に意見の対立があったとなす論調。D国民は政府の指示に対して服従せず、国論においても不統一あるかのごとき言説。E中満その他外地関係に不安動揺ありたりとなす論調。F国民の間に反戦、厭戦気運を助長せしむるごとき論調に対しては、一段の注意を必要とする。G反軍的思想を助長させる傾向ある論調。H和平気運を助長し、国民の士気を沮喪せしむるごとき論調(対英米妥協、戦争中止を示唆する論調は、当局の最も忌み嫌うところである)。I銃後治安を撹乱しむるごとき論調一切、とし反政府的反戦的な論調を禁じた。

 日中戦争以上の統制 敗戦必至の戦争に導く

 日中戦争下とは比較にならないほど厳重な言論統制がおこなわれた背景には、日中戦争の敗北を覆い隠し、物量的にも比較にならない米英軍を相手にして負けることがわかっている戦争に突入したからにほかならない。大新聞は大本営報道部の職員の指示を受けながら一体となって紙面を作成していった。
 転機となった1942(昭和17)年6月のミッドウェー海戦では、赤城、加賀、蒼龍、飛龍という主力空母が失われる大敗北となったが、大本営は「米空母2隻撃沈、わが2空母、1巡艦に損害」と発表。新聞もそれに準じ、「米航空母艦エンタープライズ型一隻、ホーネット型一隻撃沈、撃墜せる飛行機約百二十機、重要軍事施設爆砕」とありもしない「大戦果」をねつ造した。
 完全に主導権を失った日本軍は、翌1943(昭和18)年に入ると、日本軍最南端の基地があったガダルカナル戦で大敗。大本営は、2月1日の日本軍撤退開始にさいしても敗北を覆い隠すため「転進」と発表した。現実には武器も食料も送られず約2万人の兵士が餓死していた。
 1944年(昭和19年6月のマリアナ沖海戦以降になると、ありもしない戦果に損害のひた隠しが加わる。なかでも台湾沖航空戦、ルソン島戦、比島沖海戦、マリアナ沖海戦、九州沖海戦、ギルバート航空戦、ソロモン海戦、ブーゲンビル島沖海戦、レンネル島、そして沖縄戦まで続いた敗戦に次ぐ敗戦は、いずれも被害は過小に戦果は過大に報道された。
 レイテ沖海戦では、大本営は「台湾を目指している米艦隊を攻撃して、米空母四隻の撃沈を含む大戦果をあげた」とし、「戦果」は敵空母19隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦1隻を撃沈、空母8隻、戦艦2隻、巡洋艦4隻、その他14隻を撃破、敵機120機を撃墜とし、これに対し「我が方の損害は航空機312機のみ」とした。だが実際には、米軍側の損害は巡洋艦2隻の大破だけで、日本軍は空母4隻、戦艦3隻、重巡洋艦6隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦11隻、潜水艦5隻の計33隻を失う大敗北であった。戦争の全期間を通じ、「戦果」は誇大に見積もられ、戦艦、巡洋艦は10・3倍、空母6・5倍、戦闘艦艇では5・3倍、補助艦艇では約6倍、飛行機約7倍、輸送船は約8倍も水増しして発表されていた。
 終戦の年に入ると米軍による日本全土への空襲が始まったが、この空襲については「国民の士気を損ねる」としてまともな報道はされなかった。「敵襲時ニ於ケル報道措置要領」(大本営陸海軍部、情報局協定、昭和17年)では、1、被害地点明示、町村以下の地名。2、人畜の被害状況、死傷者数。3、家屋の他、建造物の被害状況。被害戸数、建造物の名称。4、電信、電話施設の被害状況、地点。5、鉄道、軌道の被害状況。6、道路、橋梁、港湾の被害状況はいっさい報道不可としている。
 それにより、すべて「市街家屋に多少の火災発生せるも市民の敢闘によって未明までに概ね鎮火せり」と当局の紋切り型の発表となり、日付さえ変えれば、どこの空襲にも通用するワンパターン報道となった。このほか、食料品、生活必需品の不足は書いてはダメ、天気予報はもとより、気圧、風向、風速、雲形、潮の干満を伝えることも禁じられ、コウモリガサ一本さしている写真さえ掲載は控えられた。
 昭和19年から始まった学徒出陣は、「征くも送るも決意新たに」の見出しに「胸も潰れるような感激」(『朝日』)と報じ、女子挺身隊は「乙女につづけ」「ここにも女の戦場」「勤労生活にひらく新生命」(同)と美化され、若者を死地に赴かせた政策は最大限に称賛された。
 連合軍が提示したポツダム宣言に対しては、「帝国政府としては米、英、重慶三国の共同声明に関しては何ら重大な価値あるものに非ずとしてこれを黙殺すると共に、断乎戦争完遂に邁進するのみとの決意を更に固めている」として国民には徹底抗戦を主張した。8月6日に広島、9日に長崎に原子爆弾を投下されることで、天皇は敗戦の口実を得ることになる。

 国民に一億総ざんげ 敗戦になれば被害者面

 そして、戦後、『朝日新聞』は、「言論機関の責任は極めて重いものがあるといわねばなるまい」といいながら、「(敗戦の責任は)決して特定の人人に帰すべきでなく、1億国民の偕(とも)に負うべきものであらねばならぬ」(8月23日付社説)と主張。
 東久邇宮首相が「一億総懺悔論」を発してその責任を全国民に押しつけると同時に、『朝日』は「国民とともに起たん」とする社告で、「開戦より戦時中を通じ、幾多の制約があったとはいえ、真実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果たし得ず、またこの制約打破に微力、ついに敗戦にいたり、国民をして事態の進展に無知なるまま今日の窮境に陥らしめた罪を天下に謝せん」とのべた。散々戦争に協力してきた者が被害者面をして戦後出発したのである。
 読売新聞の正力松太郎、朝日新聞の緒方竹虎など大本営発表に加担していた張本人たちが、戦後はCIAのエージェントとして言論界、政界で幅を利かし、今度はアメリカに隷属しながら対日占領の協力者となり、今日の大新聞にその遺伝子は脈々と引き継がれている。
 現在、安倍政府が戦争の反省を覆して戦時法制の改定を急ぐなかで、NHK会長が「政府が右といえば左とはいえない」「正式に政府のスタンスというのがよくまだ見えないうちは慎重に報道する」とのべて物議を醸している。報道機関が権力の監視という任務を投げ捨てて提灯持ちになり、再び大本営発表をくり返すことを何ら悪びれていない。安倍ブレーンが送り込まれたNHKに限らず、どの報道機関もおしなべて口をつむり、選挙になると期間中から「自民党圧勝!」と書き立てて低投票率を仕組んだり、悪質極まりない報道をくり返している。「郵政劇場」しかりである。大本営発表が米国発になっただけで、ジャーナリズム精神など早くから喪失していることを暴露している。

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