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日本変える力大結集へ
長周創刊60周年実行委
             読者による総括論議を開始    2015年3月2日付

 長周新聞創刊60周年記念祝賀集会の第1回実行委員会が1日、下関市の福田正義記念館で開かれた。実行委員会には56人の実行委員のなかから、下関市や山口県内各地、また神奈川、京都、大阪、岡山、広島、福岡、沖縄から約30人が参加した。参加者は、長周新聞60年の歴史と重ねて戦後70年を振り返り、長周新聞への期待とともに各戦線分野から新しい運動を起こす決意を語り、今回のとりくみを戦争を阻止して平和で豊かな日本社会をつくる出発点にしようと、終始熱のこもった論議をおこなった。記念祝賀集会を5月17日午後1時から、下関市の海峡メッセ下関でおこなうこと、集会に向けて本紙紙上で長周新聞60年、戦後70年の総括論議を巻き起こすことが確認された。
 はじめに長周新聞社を代表して森谷建大編集長が挨拶をおこなった。森谷氏は、「長周新聞は敗戦後10年目の1955年に、いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関として創刊され、この4月で60周年を迎える。福田主幹が亡くなって十数年来、創刊路線について学び直すことが新聞活動を発展させる大きな原動力になってきた。今後5年、10年、20年を見据えて福田主幹の事業を継承していくために、昨年から若手中心に編集・発行に全責任を持つ体制をつくる努力を進めてきた」とのべるとともに、「創刊60周年の運動において、直接には55周年以後の5年間の長周新聞の活動、さらに創刊以来60年の活動、とりわけ米ソ二極構造崩壊以後の25年の活動について、読者・支持者のみなさんに忌憚のない総括論議をおこなっていただきたい。その意見に学んで今後五年間の活動方向を導き出したい」とのべた。
 そして「第2次大戦から70年を迎えた世界は、恐慌と戦争という大激動の情勢を迎えている。アメリカは90年前後の社会主義転覆、91年湾岸戦争、2000年代のイラク・アフガン戦争と乱暴な侵略戦争をくり返してきたが、いまやそれが通用しないまでに衰退が深まっている。そのなかで、日本の軍事力を動員するために集団的自衛権の行使容認を迫っており、自衛隊が米軍の鉄砲玉になって地球の裏側にまで出撃し、日本列島がミサイルの標的にされる危険すら迫っている。このなかで大衆世論は、戦後の欺瞞をとり払って歴史的な転換を始めている。メディアが支配層の忠実な代弁者として大衆世論を封殺し、ねじ曲げているなかで、真実の報道を使命とする人民言論の役割はきわめて大きい。60周年運動において、独立・民主・平和・繁栄の日本をつくる力を強め、日本社会の様相を一変させなければならない」とのべた。
 続いて実行委員会を準備してきた七人の呼びかけ人会より、「実行委員会活動への提案」がおこなわれた。
 「提案」は、「戦後日本人民は、戦争の痛手のなかから立ち上がり、平和で豊かな日本社会をつくるために努力してきた。しかし敗戦から70年たった今日の日本社会は対米従属の植民地状態におかれ、失業と貧困は深刻化し、アメリカが引き起こす戦争の矢面に立たされる危険さえ高まっている」とし、「創刊60周年の読者運動は、私たちが長周新聞とともに歩んできた戦後70年の歴史を振り返り、肉親が320万人も殺されたあの大戦と戦後の社会はいかなるものであったか、とりわけ米ソ二極構造の崩壊と市場原理主義改革のこの20年で日本社会はどのようになったか、このなかで長周新聞の活動はどうであったかを総括し、日本人民の進撃方向と長周新聞が果たすべき役割について明確にしたい」「記念祝賀集会を、戦争を阻止して平和で豊かな日本社会を建設する、新しい歴史の出発点にするために、多くの仲間たちに参加を呼びかけ、読者による読者拡大を呼びかける」と訴えている。
 また、実行委員会の体制について、実行委員長を佐藤公治氏(人民教育同盟中央本部委員長)、事務局長を斎藤さやか氏(劇団はぐるま座)とする。記念祝賀集会は5月17日(日)午後1時から5時まで、下関市の海峡メッセ下関で開催する。会場には長周新聞の創刊前後から現在までの写真パネルやバックナンバー、書家・道岡香雲氏の書の展示をおこなう。集会は第1部を記念集会とし、実行委員長挨拶や長周新聞60周年の総括報告をおこない、第2部を祝賀集会とし、各界代表の挨拶やテーブルスピーチなどで読者が交流する場とする   などを提案した。
 次に佐藤実行委員長より、「安倍暴走内閣が対米従属で戦争への道を突っ走っている現在、戦争を阻止し日本社会を立て直すために立ち上がろうという世論は沸騰しており、今日ほど長周新聞が果たす役割の重要性が増しているときはない。今回の記念集会を、60周年を祝賀するだけにとどまらず、各戦線で長周新聞とともに新たな運動をつくっていく出発点にしたい」と挨拶があり、論議に移った。

 戦争阻止に向け各界から飛躍への期待

 論議のなかでは、原爆展を成功させる広島の会の会長代行・高橋匡氏のメッセージが代読された。高橋氏はメッセージを通じて「『長周新聞の歴史的経験と根本精神』を感動をもって読んだ。財政的人的に不自由ななかから、確固たる編集綱領を築き上げ、今日まで発展させてこられたこと、本当に感動している。私がはじめて長周新聞と出会ったとき、ここまで表現できるのかと新鮮な驚きをもった。それから13年、一貫した編集方針で私たちの活動を導いてもらっている。今日の日本は限りなく右傾化し、戦争ができる状態に近づいており、戦争を体験した者として危機感を抱いている。長周新聞には引き続きペンの力で、平和への世論の醸成に尽力されることを切望している」と訴えた。
 続けて広島の会の上田満子氏は、「私が長周新聞に出会ったのは、広島の会に参加した2008年だ。私は9歳のとき、原爆で3歳の弟と母親を亡くした。戦後は生きるのに大変だった。そして2008年、やっとこの世に生かされている意味のある仕事を見つけることができた。それは広島の会に入り、広く深く、原爆のむごたらしさ、戦争がいかに残酷なことかの話をみなさんに聞いていただき、次の世代に受け継いでいくことだ。安倍政府はろくなことをしていない。被爆70年、できるだけの力を振り絞って、命をかけてやっていきたい」と力強くのべた。
 下関の被爆被害者の会の被爆者からも、あいついで発言があった。大松氏は、「私たち被爆者は苦しい思いを胸に秘めてきたが、佐藤先生から“被爆体験を学ぶことは教育の一環です。頑張ってください”といわれ、勇気をもらっている。小中高生平和の会、人民教育同盟、市民の会とめぐりあえて幸せだ。今では下関から広島、長崎、沖縄と発展していることを喜んでいる。90歳になるが、これからもできるだけ頑張りたい」とのべた。
 同じく平野氏は「行きつけの病院の看護婦さんから“平野さんたちが学校に行って小さい子に体験を語るのはものすごく大事。日本がきな臭くなってきたから頑張って下さい”といわれた。これからも一生懸命頑張っていく」と決意を語った。
 戦争体験世代である下関市の藤井日正氏は、「アメリカはなぜ原爆を落としたか。原爆で何十万人の日本人を殺して、それでも勝ったといっていいのか。父は硫黄島で玉砕したなかの1人だ。私ももう3年戦争が続いたら、特攻隊に行って死んでいただろう。敗戦というが、日本人は負けていない。負けていないから、私たちの先輩は一生懸命頑張って日本を復興させた。そして本当の戦争犯罪人が裁かれていない。これから先戦争がないように、長周新聞には真実を伝えてほしい」と気持ちを込めて発言した。
 山口市の平田智氏は長周新聞創刊に向けてもたれた会議にかかわった経験をのべながら、「創刊した1955年と今がよく似ている。あのときは憲法を無視して再軍備に進んだが、今は憲法を踏みにじって国外に侵略の軍隊を派遣するという。最近、陸軍幼年学校の同期会に参加したが、軍隊経験者を使って自衛隊後援会をつくる動きがあった。しかし、そんなことができるか、平和を守れという声が圧倒して、それはできなかった。今こそ戦争を阻止するために、人民とともにたたかっていきたい」と語った。
 医療界からは川崎市の開業医・柳田氏が、「福祉分野も戦争状態だ。四月の介護報酬引き下げで、特別養護老人ホームは3割がつぶれてもいい、小規模な施設は効率が悪いから大手に吸収されて結構、ということを安倍政府は平気でおこなっている。商店街はシャッター通りの状態がひどくなり、近所で少年の殺害事件も起こっている。この状態の打開方向を示すバックボーンとして、長周新聞が広がっていくべき時代に来ている。地域を支える力を発揮してもらいたい」と発言した。

 力ある運動全国へ爆発的に広がる可能性

 京都の看護師・竹下氏は、「介護の現場は本当に戦争状態だ。地域に高齢者がどんどん放り出されているし、施設の人員が足りない問題がもっと深刻になっており、重労働ですさまじい状況になっている。そんななかでどうしていいか悩んできたが、『根本精神』を読んで、“資本主義的なやり方を使うが、それに絶対に食われない。何のために、誰のためにやるのかを隅隅まで貫くこと”と書いてあった。常にそこに戻っていくことが重要だとわかり、自分たちもこの方向で実践したい」と発言した。
 下関市民の会からは、柿田氏が「私が長周新聞を読み出したのは、ゴミ袋値下げ運動にかかわり始めた12年前だ。最初は自分のかかわっている記事だけを読むというものだったが、その後周囲で子どもの教育の問題、年金の引き下げ、商店の閉店が起こり、新聞を通じてそうしたことが起こる原因がだんだんわかってきた。風力も原発も、戦争の問題も、自分から離れていることではなく、みんな自分に関係のあることだし、新聞を良く読んでみんなと一緒に日本を変えていきたい」と発言した。同じく市民の会の堅山氏は「今の政治にはカンカンに怒っている。憲法を解釈を変えて自衛隊を海外に出すようなことをしていたら、食べ物がなくなり、たくさんの人が死ぬ、本当に辛い思いをしてきたあの戦中・戦後に戻ることになる。長周新聞を全国津津浦浦に届けてほしい」とのべた。
 退職教師の古田氏は、「今、教育同盟が逆上がり全員達成の教育実践を始め、この運動が全国に広がっている。その原点は、小中高生が広島に行って被爆者の話を聞き、そこから鉄棒逆上がりもみんなが教えあってやるようになった。戦争を阻止するためにはみんなが一緒になって行動しないとダメだということを身体で覚えていった。今集団的自衛権といって、憲法の下でも戦争ができるようにする時代になってきたが、長周新聞が仲介になって、原爆と戦争展、逆上がりの教育実践、市民の会の運動やはぐるま座の運動などみんなが力をあわせれば、この運動は爆発的に広がり、安倍内閣は戦争ができなくなると思う」と期待をのべた。
 人民教育同盟の教師からも、次次と発言があった。北九州市の小学校教師は「最近、“人を殺してみたかった”といって殺人をする10代の事件が続いており、それは今の個性重視・興味関心第一の教育のなかで、戦争にかり出すのに好都合なイデオロギーが生まれているからだと思う。しかしそれと真反対に、みんなで力をあわせて戦争を止めるんだという子どもが上宇部実践を通じて育っており、多くの父母が支持を寄せている。戦争を阻止する力を持った子どもたちを育てていくために、みなさんと一緒に頑張りたい」とのべた。
 名古屋工業大学名誉教授の牧氏は「下関は歴史を誇る町だが、下関が発展できないのは、明治維新後の国策によって進められてきた近現代史の暗闇の部分に焦点を当てた論考が少ないことも関係している。最近盛んにグローバリズムといわれるが、私は地域に根ざすべきで、下関を大事に考えないといけないと思っており、国策による利益誘導はこれまでと同じ轍を踏むことになると思う。世界と地域はつながっており、下関を考えることは世界を考えることになるのだから、下関から人間が本当に生きがいを持てる社会をどうつくりあげていくのかという方向性の提起を、長周新聞に望みたい。私もその力になっていきたい」とのべた。
 各地で「原爆と戦争展」のとりくみをやってきた活動家からも、この間の運動でつかんだ教訓や今後の決意が出しあわれた。
 岡山の中井氏は、「戦争を必ず阻止し、独立した平和な日本をつくっていく勝負をかけた60周年のとりくみになる。私は戦後世代だが、そういう気持ちになってきたのは、戦争体験者や被爆者に学び、叱咤激励を受けてきたからだ。そのなかで戦後民主主義というものがいかに日本人の魂を抜くものかがわかり、心情的に戦争体験を理解することができるようになって、やっと日本人になれたと思った」「去年の原爆と戦争展のとりくみを通じて、少人数の人間が戦争に反対してるのではなく、日本国中に戦争や原爆を憎み、なんとかして日本を立て直さないといけないという気持ちが町の隅隅に存在していることをつかみ、それを代表して束ねていけば必ず勝てるのだということがわかった。私心なく人民に奉仕するという立場を貫く側に、自分が変わりさえすればいい。全国でこの方向でやれば必ず勝てる。気持ちを新たにする、背筋の伸びる記念集会にしていきたい」と抱負をのべた。
 沖縄の源河氏は、「2004年の長周新聞の“沖縄戦せずとも戦争は終わっていた”という論壇と原爆展で、はじめて沖縄戦と原爆がつながり、自分自身の歴史観が大きく転換した。昨年の沖縄知事選では辺野古の新基地建設反対を掲げた候補が10万票の大差で勝利したが、安倍内閣は基地建設を強行している。だが、県民のなかでは“戦争につながる新基地反対”の世論が圧倒している。そして、“今のマスコミは信用できない。大本営報道だ。頼れるのは長周新聞だけ”という声が多い。全国に戦争反対斗争を広げる時期にきている。そのために奮斗したい」と決意を語った。
 各界の熱のこもった発言が続くなか、呼びかけ人である下関市の海原氏から「最近川崎の中学生殺人事件があり、福田さんの教育論を読み直したが、その内容はいまだに生命力を持っている。60周年を一つの通過点として、長周新聞が真実を伝え、本当に読者に愛される新聞になるよう、私たちも頑張っていきたい。4月にもう1度実行委員会を開く。記念集会を有意義なものにしたい」と発言があった。
 記念集会への提案が全体の拍手で承認された後、佐藤実行委員長が「実行委員のみなさんの熱い思いやこれからの運動の決意が出しあわれ、中身の濃い実行委員会になった。60周年記念集会を大きく成功させることで、みんなで力をあわせて戦争を阻止し社会を立て直す運動を発展させていこう」と呼びかけられ、散会した。参加者はそれぞれの持ち場で運動を広げ、仲間を誘って記念集会を大成功させようと意欲を高めている。


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