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日本変える統一戦線の力に確信
8・6原水禁運動の総括座談会
                教育・文化戦線が役割発揮     2011年8月26日付

 峠三吉の時期の私心のない平和運動の再建を目指してとりくまれた、今年の8・6広島行動は、東日本大震災と原発事故によって被爆地をはじめ全国的な意識の急激な転換のなかで飛躍的な発展を遂げた。広島、長崎市民を基盤として、原爆展運動10年を演劇として描いた『原爆展物語』公演、広島・長崎での原爆と戦争展、広島に学ぶ小中高生平和の旅、平和公園における原爆展全国キャラバン隊の街頭展示、全国交流会、そして8・6広島集会と重層的なとりくみがおこなわれた。それは日本を原水爆戦争の戦場になることを押しとどめ、独立と平和を目指す全国的な運動の発展を指し示す、まさに全広島市民を代表する運動となった。本紙は、とりくみにかかわった本紙記者、劇団はぐるま座団員、人民教育同盟の教師による座談会を開きその到達点と教訓、今後の展望について論議した。
 
 全広島市民代表する運動に

 司会 今年の8・6広島集会の反響から見てみたい。
 (記者) 集会後、下関へ帰るバスのなかでは熱っぽい感想交流になった。共通して語られたのは、小中高生平和の旅の子どもたちの構成詩だ。被爆者の思いを受け継ぐという目的にそって小学生から高校生までが一つになっている姿に、「あのように子どもを育てている」という驚きと併せて、旅に参加していた婦人被爆者も「子どもが持っている力がすごい。旅のなかであのように成長するのか」と感動していた。
 また、若い世代が運動の前面に出てきたことへの喜びが大きく、長崎の大学生の発言や、最後の集会宣言を読んだ女子学生をはじめ、下関からも大学生が集団で参加したことに期待が集まっていた。
 被爆者の発言も、非常に熱がこもっていたと話された。広島の会の婦人被爆者の10年の運動を振り返った深い思いや、長崎の会の婦人被爆者の力強い発言につづいて、下関原爆被害者の会もこれまで表に出ることのなかった被爆者が堂堂と壇上で意見を語り、それがみんなの確信になっている。
 また、長崎から来た若い先生が、ともに長崎でやってきた学生が見違えるように成長していることを喜び、「こんな集会に案内してもらったことに感謝する」といわれたことに、「自分たちと同じだ。こういう運動だったらもっと広げていける」と共感が強かった。
 B(記者) 広島の参加者のなかでも、今年の集会への確信は強い。発言の一つ一つが、だれかにいわされているとか、決まりきった定義を並べるというものではなく、それぞれが人生をくぐった思いや各地で実践してきた経験からくる真実性のある内容ばかりだったから感動が大きかった。
 ある婦人は、「だれでも安心して参加できる集会だった。個人の自己主張ではなく、広島、長崎、沖縄など、その地の大多数の人たちの思いを代表してきているし、だれでも理解できる内容だ。初めて参加する人も含めて納得できるし、自分が参加していることを誇りに思えた」と喜んでいた。自己主張をわめき立てるデモや、エラい人の主張を延延と聞かされたり、市民の生活実感から離れた既存の集会とは違い、市民が安心してだれでも参加できるものだったというのが共通した感想だった。
 市民交流プラザでおこなわれた原爆と戦争展の閉幕式でも、その空気を引き継いで広島の女子学生が「本当は語りたくない体験を身を削って語ってくれる被爆者の思いに応えて、若い人たちが手助けをしていかないといけない。そこに自分たちの使命がある」と堂堂と発言したり、新しく参加した被爆者が「この運動のスケールの大きさに驚き、うれしかった」と深い感動が共有されていた。長崎の被爆者たちも「広島のような勢いを長崎でも作りたい」と意欲を燃やしている。長崎から大学生が広島の活動にスタッフとして参加したり、教師たちが意欲的に発言している姿に展望を感じていた。

 青少年の新しい動き始まる 時代意識を反映

 (劇団) 劇団はぐるま座は、原爆展運動10年の記録を描いた『峠三吉・原爆展物語』を1年間とりくみ、昨年に引き続いて8月4日に広島市内で再演した。とりくみの過程から、10年目を迎えた原爆と戦争展と一体のものとして受け止められ、「今年もやるのか」「今度は家族や知人を連れて行くぞ」と昨年以上に親しみ深く受け止められ、自治会や商店など市内全域にポスター2000枚が掲示されるなど全市民的な協力を得た。
 去年に引き続いて高校演劇部をはじめ、今年初めて中学校の演劇部が先生が生徒たちを引き連れて来た。生徒たちは「来年もぜひ来たい」といい、教師も「この方向で教育していきたい」と反響が大きかった。「昨年からポスターを見て行きたかった」という市内の銀行員が集団研修で観劇にきたり、私たちの知らないところで現役世代の新しい動きが生まれていた。
 (劇団) 名古屋から来た特攻隊経験者は、8・6に参加するために、5月からトレーニングをして体調管理をしていたとはりきっていた。前日から全国交流会に参加し、デモでは体調が悪いのに、汗だくになりながら最後まで歩ききった。「他にない感動があるんだ」と語っていた。ものすごい気迫だった。
 集会宣言を読んだ広島の女子学生は、去年は高校生として『原爆展物語』公演をとりくんだ。今回は、集会直前に集会宣言を読む係になったが、「意味を自分の物にしたい」という思いがあって短時間で一生懸命練習していた。宣言を読み上げながら自分の中で熱い思いが湧き上がるのを感じたという。「ここに書かれている内容で自分たちが頑張らないといけない」と語っていた。
 E(教師) 第12回の広島に学ぶ小中高生平和の旅をとりくんだが、その後、職員室で長周新聞の八・六集会特集号を配ると「デモの前面に子どもたちが出ている」「若い人たちが垂れ幕を持って元気よくやっている」「こんなデモがあるのか」と大話題になった。「峠三吉の8月6日や序を読みながら行進したんだ」というと「こんなの見たことがない」と驚いている。広島市民の圧倒的な支持があり、それに支えられながら子どもたちも被爆者に学んで行動していくことに支持が集まる。
 また、8月6日の原爆の子の像前での平和集会で、高校生リーダーの「自分たちは世のため人のために平和の担い手として頑張っていくんだ」という決意がみんなを励ました。3・11の大震災以後、地域や親からも「今の時期だからこそ広島に行って来い」と送り出されているから、例年に増して意気込みが高かった。集会後の市中行進でも、小学校1年生が炎天下で5`の道のりを歩き通す。そして、「市中行進してよかった。楽しかった」というし、帰ってそれを聞いた親たちが大歓迎して「子どもがそこで変わっている。来年も行かせる」となっている。生き生きとした沸き立つような集会、時代意識を反映した集会だったと思う。

 広島における最大勢力に 市民が心から共感

 (記者) 全広島を代表しているし、全国的な勤労人民を代表した質の平和運動という評価だ。この運動は集会参加者だけの参加ではない。原爆と戦争展には2000人が参加し、ポスター掲示には数千人の市民が協力している。7月からはじめた平和公園での街頭展示は数万人が見ている。8・6に向けた宣伝カーは数十万人が聞いている。そして各地の大多数の市民が心から共感し支持している。広島8・6における最大勢力だ。「日共」系、旧社会党系、その他の既存のさまざまな原水禁の政治勢力は、集会人数はいくらいても全広島市民のなかで孤立しており片隅勢力だ。峠三吉の時期の1950年8・6平和斗争の路線を受け継ぐ運動が巨大な力になっていることを軽視してはならない。
  デモ行進のときに、太鼓を叩いて騒いだり、「原発いやだ!」「動物守れ!」などの主張をしているデモ隊ともすれ違った。市民はこれを非常に嫌っている。こちらのデモ隊は、遠くにいても「父を返せ! 母を返せ!」という峠三吉の詩が聞こえてくる。すると自転車に乗った子どもやおばさんなんかがそれに合わせて一緒に声を出している。デモ隊が近づいてきたらジッと見ている。深いところで感情を共有しているし、市民との一体感があるところが根本的な違いだ。
  デモ隊の子どもたちと一緒に歩く地元の中学生もいた。見たことがない子だなと思っていたら一緒に入ってきて歩いていた。
  駐車していたタクシーの運転手が、警察から「デモ隊がなにをするかわからないからよけろ」といわれたが、「このデモはよく知っている」といって断固としてよけなかった。市民が支持し共感しているのだ。本通りなどの商店街もおなじみだから、店から出てきてチラシを受けとったりみんなが親しみをもっている。
 D 8・6に向けた宣伝カーは、市民の反応が熱かった。とくに今年は原発事故があり、日本への原発建設はアイゼンハワーが提唱した「原子力の平和利用」を正力松太郎や中曽根などが旗を振って進め、日本における「核アレルギー」をなくすこと、つまり、1950年、朝鮮戦争下の広島からはじまった原爆反対の反米世論を押しつぶすという目的をもっていたことや、そのもとで被爆体験を語るさまざまな障害が作られて「福島の放射能被害を問題にするときも、チェルノブイリと比較するが、広島、長崎の体験を無視している」こと、広島、長崎がはるかに強烈な放射線被曝のなかから立ちあがって復興させてきたのに福島が復興できないわけがないという内容だった。
 それを聞いて、チラシ配りのスタッフに「わしも爆心地付近に家があり、生き残った家族でそこから復興させてきたんだ。だから福島も大丈夫だ」と声をかけてくる市民もいたり、市民の本音を堂堂とやってくれたという印象だ。「広島でもオバマジョリティーなどというバカ騒ぎがあった」というくだりに笑いながら聞いている人が多かった。昼休みにご飯を食べに出るサラリーマンが聞いていたり、年配の人や若い人も声をかけていく人がいた。宣伝カーが止まっているのにタクシー運転手やバス運転手が協力してくれ、文句をいう人はいなかった。

 全国や世界にも衝撃与える 平和公園街頭原爆展

 C 7月の土日、8月に入って6日まで毎日やった原爆展キャラバンの平和公園での街頭「原爆と戦争展」は、早い時期から若い人が全国から集まってきた。7月は例年なら外国人が大半だが、今年は日本人の若い20代、30代が人垣を作ってとり囲んで見ている。原発事故の影響もあって関東や東北から来ている人が多かった。共通して「原発事故があったから、被爆の原点としての広島に行って学びたい」という意識が強かった。原発震災の報道への疑問や隠されている事実、「危険だ」とだけいわれるなかで広島・長崎が復興していったことへの共感が語られた。「自分の目で真実を見極めて判断していかないといけない。国やマスコミのいうことばかりを鵜呑みにしていたらだまされる。それが前の戦争とつながっているし、今がそうなっているんだ」と口口に語られた。
 平和公園での展示は10年以上になる。市内からも「この展示が始まったら夏が来たと感じる」という人や、旅行会社の人や観光ガイド、外国人などもお客や家族を連れてくる。「本国では原爆について一切教えられないから、日本に行くなら平和公園の原爆展を絶対に見せなさい」と主人にいわれて奥さんと子どもが見に来たというアメリカ人もいた。
 B 「広島市民の行動によってのみ真実が網羅される」とか「人人を引きつけるだけではなく、客観性をもった内容であり、アメリカでは示されてこなかった観点に出会えた」というアメリカ人、ドイツ、スウェーデンなどのヨーロッパ人も「自分たちが習ってきたこととまるで違う真実がある」「戦争が起こる過程から原爆投下までの流れがわかった。学校では学ぶことのできないことが広島では学べる」と反応が強かった。「原爆投下が正当化されているが、今回の基地問題も含めて、日本はアメリカに利用されて苦しみを押しつけられている。日本人はアメリカは出て行け!といわなければならない」というメキシコ人や、「もっとやってくれ」と書いているマレーシア人など非常に熱かった。口をそろえて「広島の本音に出会えたのが光栄だ」という。翻訳を担当した学生たちも訳しながら衝撃を受け、通訳にも気持ちが入っていた。
  台湾の大学生が平和公園キャラバンを見て、原爆と戦争展にも行き、『原爆展物語』も見て、最後は八・六集会に参加してデモまでやった。すごく興奮して「子どもたちから被爆者までが一体になってやる運動があることに感動した」と気持ちを高ぶらせていた。広島に来ていたアメリカ人作家が8・6集会に最後まで参加していたが、他に広島の本音を聞ける場がないという印象のようだ。
 
 根本変革の力結集 戦後社会見直す論議と結び 

  8・6に向けたとりくみの過程からみると、ちょうど3月11日の東日本大震災が起こった直後に全国実行委員会を開いた。原爆展運動10年の教訓を描いた『原爆展物語』が広島、長崎に続いて、今年は東京や二次にわたる沖縄公演で大反響を呼び、日本の平和都市を席巻する運動へと発展してきた。これに確信をもち、震災後の急激な人人の意識の発展のなかで、この普及を大胆にやっていくことが決定的だという論議をした。どこも『原爆展物語』公演が基軸になり、原爆展運動がもう一段高められた形で全国を組織してきた。
 D 沖縄二次公演では、沖縄の戦後の復帰斗争の歴史を代表する人たちが登場してきた。「日本社会の根本問題を解決しないと本当の解決にはならない」という意識だった。直面する基地問題も第二次大戦から続く戦後のアメリカ支配が根幹であり、そのなかでたたかわれた祖国復帰斗争や島ぐるみ斗争などの誇りとともに、今の組合主義で形骸化し、目先の要求しかいわなくなった運動ではなく、『原爆展物語』を通じて「これが本当の平和運動なんだ!」と、断ち切られていた歴史がつながっていった。現実に基地問題や尖閣諸島の緊張など戦争の接近をひしひしと感じるなかで、「これをくい止める力がここにある」と熱を込めてとりくまれたし、それが現役世代を巻き込んでいった。120カ所でおこなわれた舞台の内容を紹介する紙芝居も含めると、沖縄で『原爆展物語』公演を見た人は8500人を超えた。広島集会には台風で参加できなかったことが大変残念がられていたが、広島・長崎・沖縄と全国がつながっていくことの重要性が再認識されている。
  これまで沖縄と本土との分断が作られていた。『原爆展物語』の内容が、地域や組織の利害でやる運動ではなく、第二次大戦はなんだったか、なぜこんな戦後社会になっているのかというもので、原爆も沖縄戦も戦争終結には必要なく、アメリカによる日本の単独占領と戦後支配のためだったという根源の問題を真正面から描いているからストレートに団結が進んだ。このアメリカ支配の枠のなかで「騒音を減らそう」とか「地位協定を見直そう」などという部分改良では結局、なにも変わらない。原爆投下、沖縄戦から続くアメリカの支配のなかで、民族の独立と抜き差しならない関係で全国共通の平和の問題があるんだという内容を真正面から描いたら、沖縄の本流がどっと登場してきた。高校生など若い世代もそこで発動していった。
  東京公演でも東京大空襲の経験者たちが「これまで東京では空襲の記憶が抹殺されてきたのだ」と堰を切ったように語りはじめ日本の現状に対する思いから熱を込めてとりくまれた。第二次大戦の経験から出発しているから全国共通の運動になる。震災と原発事故まできた日本社会の現実に向きあって、第二次大戦から続く日本社会の66年を根本的に見直す意識が高まっているし、その原点に立ち返って日本社会を根本から立て直すという迫力のある全国的な運動になっている。高校生や学生も含めて、広範な大衆の意識はそこに向かって大きく動いている。
 F 時代の転換期をみんなが実感している。古い時代が消滅し、新しい時代が始まろうとしている。被爆者も今年は語るときの気合いの入れようが違っていた。原発事故まできて怒りがあるし、80歳を超えているがわが身を省みずにやっている。学生などの若い世代もその気合いに響いて炎天下の呼び込み係を熱を込めてやる。ひところの屁理屈学生ではない。「被爆者に学んで自分たちがこれからの日本を変えるんだ」「広島に生まれた者の使命だ」という高い志を持っている。被爆者との間でそのような深い響きあいがあり、堅実な学生が集団をなして登場し始めている。年寄りから若い者、とくに労働者、勤労生産者が新しい時代を代表しているという実感がある。
 一方で、政府をはじめ権力を持っている側は、東北被災地を見ても復興させる力がない。復興させてはいけないというショック・ビジネスも動いているが、マネーゲームしか頭にない連中にあれほどの地域を復興させることはできない。まさに滅亡に向かう流れだ。
  活動家のなかにある路線の違いが浮き彫りになった。実務・実践が一向に前に進まないとか、原爆展に感動した学生を官製運動に追いやるという流れもあった。人民大衆が主人公であり、それにどう役立つか、奉仕するかではなく、自分の願望に人人を従わせたいという流れだ。大衆のなかからではなく自分の頭から出発するインテリ主義だし、空中遊泳潮流だ。大衆の力を確信できないことが、日和見主義となって、宣伝カーの音量も小さくするということにもあらわれた。この点を鮮明にしたらもっと発展する。
  原発災害が起きて「破局的事態だ」と大騒ぎになるが、広島や長崎の被爆者たちの受け止め方は、「自分たちはもっとひどい惨状のなかを、放射能入りの水を飲み、野菜を食べて立て直してきた」という。自分たちの経験から理屈抜きに確固としているし、じたばたと動揺していない。「3発目の原爆が落とされたようなものだ」と激しい怒りを持っているが、それに負けずに立ち向かってきた誇りがある。この社会を担っているという勤労市民の誇りだ。「大変なことになった」と大騒ぎして「福島から逃げろ、逃げろ」とやる潮流はその人民性の欠落が最大問題だ。人民はひ弱な被害者ではなく、たくましい建設者なのだ。その対比は鮮明だし大きな分かれ道だった。
 放射能は恐ろしいものだが、それにどう立ち向かうかと人民は考える。八・六まできて、これは広島の圧倒的世論になった。絶対に復興できるし、日本を立て直す力は人民のなかにある。その力を信じることができず、この大きな支配の枠の中で永遠に文句ばかりいう体質は被爆地では絶対に受け入れられない。
 F 歴史を創造する主体としての人民であり、負けていない。被爆地の声を「福島が復興できないわけがない」という号外にして福島で8000部配ったら大歓迎された。生産し、地域を担って復興するんだというのが福島だし、広島や長崎とものすごく響き合う。「なぜ戻らせないのか」と頭に来ているし、生産を担っている人民は全国どこも同じだ。
 人民大衆が歴史を発展させる主人公だし、その人民を手助けして、団結させて共通の課題でたたかっていけば日本は変わる。その路線でいけばだれも押しとどめることはできない。あの基地だらけの沖縄でも、あれほどの公演をやって、だれも妨害できない強力な運動になっている。
 
 先行する文化や教育の運動 生産人民を代表

  教育運動でも「仲間内で文科省の愚痴をいいあうだけの被害者同盟ではなく、だれがなんといおうと子どものためにやるんだという気迫を持って建設同盟の側に立つべきだ」と論議になり、それを一年やってきたら様変わりになった。教育集会でも若い先生たちが前面に登場してきた。文科省の権威がないだけに「なにがなんでも子どものために一生懸命頑張るんだ」という方向でいけば恐れるものはないし、教師間の団結も強まる。むしろ、「活動家」を自称している古い人の方がなかなかそこで一つになれない。
  教育集会に参加した広島の被爆者が「熱の塊を感じた」といっていた。八・六集会に参加した教師や現役労働者からも、「一人だから無力だと思うのではなく、一人一人の情熱が集まって大きな力になっている」「今教師が頑張ることが20年後の子どもたちに残っていくんだ」と確信を持って語られていた。ここまで世論が高揚するなかで、片隅で文句をいうだけか、大衆とともに情熱を持って建設していくのかという違いが鮮明になっている。
  労働者、生産人民は未来を代表する側だし、新しい時代を担う側だ。文科省、その背後の支配勢力は日本の子どもたちを成長させることができない。滅亡する側なのだ。一見強そうに見える支配権力の側に滅亡を見て取り、抑圧のなかから立ち向かっていく人民大衆のなかに発展的な未来を見て取るかどうかの違いだ。とくに、教育とか文化とかは建設する側であり、文句ばかりいっているのではなにもはじまらない。大衆のなかに流れている発展的なイデオロギーを形象化して力にし、みんなを高めていくのが芸術だ。
 だから、はぐるま座の文化芸術運動、人民教育同盟の教育運動などイデオロギー戦線が先行して発展し始めたことは非常に大きい意義がある。教育運動や平和の旅に親たちが熱心にかかわっているが、親の多くは労働者だ。バラバラで競争する個人主義ではなく、共同で労働をし生産をして社会のために働いている労働者の本質的な意識が発揚されている。自分たちの子どもをどう育てるかという問題は、労働者が社会の主人公としてどうよりよい社会をつくっていくかという意識と結びつく。それは戦争を阻止し、新しい明るい社会をつくり出す運動につながっていく。
  今年は、広島でも長崎でも原爆と戦争展には現役労働者が圧倒的に多かった。問題意識が非常に鋭いし、第二次大戦から現代社会までつながったものとして見ていくし、「もう政治の文句いっているだけではだめだ。命がけでみんなのために日本を変えていく人間を育てなければいけない」と語られていた。スタッフとして参加した男子学生も家が漁業なので、第一次産業がどれだけ苦しい状況におかれているかを生活を通じてびんびん感じている。原爆展で林業者や農業者に出会うと第一次産業としての誇りを熱く語り合っていた。最後には「大衆とともに団結してやれば、相手がどんな大国であろうと負けることはないということがわかった」といっていた。

 全国で活動家登場する流れ 運動の骨幹組織へ

 D 『原爆展物語』の反応も、最近はスタッフの活動に対する共感が多いのも特徴だ。大衆のなかに入って初めは怒鳴られたり、相手にされなかったりしても、へこたれずに自分たちの意識を変えて粘り強く人人と結びついていく姿勢に「そのような活動を誇りに思う」とか「自分もあのようになりたい」という若い人たちの反応がある。第二次大戦の真実を実践的に明らかにしていった活動家集団に展望を感じているし、実際にそこから活動に参加していく流れが始まっている。そのような集団が各地にできてきたら急速に運動が広がっていくと思う。
 F 占領期の50年8・6斗争を皮切りにした原爆反対のたたかいが戦後の運動の起点になっている。アメリカの支配とたたかわなければ日本はどうにもならない。そのたたかいの火蓋を切ったんだ。それは50年代の基地斗争、沖縄では復帰斗争につながり、六〇60年安保斗争につながっていった。原爆反対の運動は戦争反対の運動に発展するし、文化、教育運動、労働運動の強力な力になっていった。今年の八・六の到達はその再現が始まっていると思う。
 原爆展運動と『原爆展物語』の運動で運動主体が全国的に登場するすう勢になっている。各地で運動の骨幹になる人たちを登場させること、それを全国的に結びつけていくことが重要だ。教育運動でも、一つの学校で様相を一変させる教育実践がやられたが、子どもの成長に心からの愛情を注ぎ献身的に奉仕する、さまざまな抑圧をはねのけて、そういう教師集団をつくり、勤労父母と団結していく核になる教師集団がいる。そういう核になる集団をあらゆる学校につくっていったら日本の教育を変えることができる。
 口先でいくら正しいことをいっていてもだめだ。実践で運動の実態をつくることが重要であり、組織を広げていくことが最大課題だ。その組織が小集団の利益のためではなく、全大衆の要求に応えるための組織であることはいうまでもない。日本の独立と平和をめざす運動が大発展する情勢に来ていると思う。



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