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「日本変わる」と若い力前面に
              8・6広島集会参加者の感想    2013年8月12日付

 今年の原水爆禁止広島集会は、戦後の対米従属構造を欺瞞的に支えてきた「革新勢力」の崩壊があらわになるなかで、1950年8・6平和集会を契機に全国に広がった私心のない運動が、平和運動の本流として装いを新たに前面に登場する画期的な集会となった。その後、集会に初めて参加した若い世代を中心に、被爆者の体験や願いを受け継いで、戦争を押しとどめ独立した平和な日本をつくる決意が寄せられている。

 初めて体験した新鮮なデモ 長崎市 男子学生

 広島と長崎の原爆展に参加させていただき、今まで広島でも長崎でも、この時期にいたことがなかったので、貴重な体験となりました。
 広島へは到着が遅れてしまい、はぐるま座の公演を見ることができなかったのが残念でしたが、原爆展に参加することができてよかったです。
 2日目は朝の五時半から平和公園でビラ配りをしましたが、そのときに受けとってくれる人があまりいないのが印象的でした。自分の国が六八年前に被爆しているというのに、そして、なんの罪もない、自分たちと時代こそ違えど何ら変わらない、普通の人人が大勢亡くなったというのに、どうしてこんなに無関心なのか理解ができません。かえって外国人の方がよく受けとってくれるのが、皮肉に思えてきました。それは長崎でも同じでした。
 平和式典の後の原水爆禁止集会では、様様な方のお話を聞きました。皆さんに共通しているのは、戦争を二度と起こしたくないと心から願っていることでした。その思いが再確認され、広がっていった、大変意義のある集会だったと思います。そのあとは、デモ行進です。今まで全く経験したことがない、新鮮な感覚でした。普段はここまで自分の意見をはっきりと、そして不特定多数の人人に発信することがないので(ツイッターやFacebookもやっていないので)、最初は戸惑いました。ですが、デモが進むにつれて、自分の意見をはっきりといえることはとてもかっこいいんだ、誇れることなんだ、みんなあまり自分の意見をいわない、いえないこの時代だからこそ大切なんだと思いました。これは自分にとって大いなる進歩だと確信しております。大変貴重で、革命的な経験となりました。
 長崎では住吉商店街で写真展に参加しましたが、炎天下ということもあり日中はあまり来ませんでした。ですが、暑い中でも熱心にパネルを見てくださった方を見ていると、やはりみんな戦争を起こしたくないという思いは一緒なんだと感じました。とにかく暑かったですが、それでも参加した甲斐がありました。
 二つの街で活動をしてみてわかったことは、自分の意見をはっきりといえる大切さ、そして戦争を憎む気持ちを多くの人人が持っているということです。近頃の政治情勢を見ていると大変不安になりますが、今回の運動でまだまだ状況は変えられる、そして自分たちの手で戦争への道筋を断ち切らなければいけないと決意しました。ビラを配っていると、頑張ってね、応援してるよ、といってくださる方もいて、とても励みになりました。戦争で被害を受けた人たち、そして応援してくださった方方の思いを背負ってこれからも頑張ろうと思います。貴重な体験をさせていただき、本当にありがとうございました。またなにか活動があったら、ぜひ紹介してください。

 世界変える上で行動が必要 広島市 男子学生

 集会に参加したのは今回が初めてで、多くのことが学べた。とくに、若い世代から年配の方まで幅広い年代の層が集まっており、実際に原爆の被害に遭われた方からの体験談や思いを私たち若い世代へと伝えることができる貴重で意義のある会だと感じた。
 今まではこのような集会が開かれていたことすら知らなかったが、今回参加し、大学生の代表として平和に対する意見をのべさせて頂いたことで、今まで以上に戦争と平和について考えるようになったと思う。
 そして、一番強く思ったことは、考えたり、思ったりすることは大事なのだが、それ以上にそれらを実行、行動に移すことが、世界を変えるうえで必要な要素だということだ。パネルの展示や、スピーチの発表、デモなどに参加し、自分の体を使って思いを行動に移したことでそれを感じることができたこと、それが私の大きな収穫だった。

 原爆展通じて考え変わった 広島市 男子学生

 自分は、このような集会に参加するのは初めてで、そして当初この集会に参加することには抵抗がありました。
 なぜなら、自分は明確に原発に対しての危機感を持っておらず、原水爆の禁止集会、デモ行進など、核に対する規制をそこまでする必要があるのかと感じていたからです。
 そして、電力を従来のようにまかなっていくには、安全の確認できた原発から再稼働していくしかないと思っていました。
 しかし、この原爆展のボランティアを通して、展示されているパネルや、被爆者の方に話を聞いて、放射線の人体への影響の恐ろしさを知っていくうちに原発は動かしてはならないという気持ちに変わりました。
 なのでこれからも、原爆の恐ろしさを少しでも多くの人に伝えるために、ボランティアに積極的に参加していこうと思いました。
 
 体験語る被爆者の姿に感銘 広島県庄原市 女子学生

 各地から参加されたいろいろな人の発言を聞き、さまざまな体験を持つ人が集まり語り合っている場がある……とはなんとなく知っていましたが、わざわざ広島に足を運んでまで参加することはなく、今まで知らなかった真実や、原爆投下は本当にしなくて良かったむだなことだったと知り衝撃でした。
 とくに、長崎の会の男性の方の話が印象に残りました。自分以外の家族全員が原爆で亡くなったと聞き、自分がもし同じ境遇に立たされたとしたら、生きることも嫌になり死のうと考えるかもしれないと思いました。もしかしたらそう考えられたこともあったかもしれないけれど、それを乗り越えて今、若い人に伝えていきたいと壇上に立たれている姿を見て、現在自分が抱えている悩みや死にたいと考えたことなどがとてもちっぽけな悩みだと思わされました。そして今生かされている命を大切にしなければいけないと思いました。
 デモ行進は初めてのことで、最初は戸惑いがありましたが、やっていくうちに「そんなことはいってはおられないな」と思いはじめ、最後にはやろう! という思いで叫んでいました。デモに参加するなかで自分の意識が変わっていきました。やりきったときには「伝えたぞ!」という思いと達成感で一杯になりました。はぐるま座の研修として参加でき本当に良い経験になりました。

 日本が変わっていくと実感 広島市 男子高校生

 僕は、この集会とデモ行進に参加してとても良かったと思いました。なぜなら、被爆者の話を聞けたり、初のデモ行進に参加できたからです。被爆者の話は、長崎や下関の方も来られていたので新しい発見もありました。このデモ行進があるからこそ、日本が変わっていくような気持ちになりました。
 集会では、長崎の原爆の話を初めて聞くことができました。今まで学校では広島の話しか聞いていませんでした。下関の被爆者の話を聞いて、戦争によってご家族が亡くなったことへの悲しい気持ちがあり、一番話された「安倍総理が核をなくすことに関心がない。総理は一度被爆したらいいじゃないか」という意見に納得できます。
 今の若い世代が、原爆のことや、平和のこと、核のことなど、戦争も含めて関心を持つことが一番大切なことだと思います。次の世代に伝えることをしなければ、被爆者の方方がいっておられたように、また戦争が起きるかもしれない。若い人たちが積極的にこういう集会に参加するべきだと思います。

 若者が育っている事に喜び 東広島市 本谷秀通

 初めて集会に参加し、若い人の参加が多く、子どもたちが全国から集まっていることに感動した。デモに参加していた大学生も中学生のときからずっと来ていると聞き、そういう若い人が育っていることにも感動した。暑い中のデモ行進だったので、途中で小さな子どもたちが挫折するのではないかと心配したが、みんな最後まで立派に歩き通した。
 被爆者の方方の体験を聞いて、当時の情景を思い浮かべた。あと四、五年で被爆者の体験は聞けなくなる。原爆の生生しい悲惨な実態を、今からもっと語り継ぎ、風化させてはならないという思いを強くした。
 峠三吉の「ちちをかえせ ははをかえせ」の詩の真の意味を、原爆展などで世界にも広めていかないといけない。とくに、集会に参加していた高校生、大学生のような若者を育てていくことが私たちの役割だと思う。今の政治家には国を任せられないが、若い人たちに、広島、長崎や第二次大戦の歴史認識を正しく伝え、核による平和ではなく、他の国国とも協力しあい、文化の交流をしながら世界に出ていく若者を増やしていこう。(ボランティアグループ代表)

 若い人の熱心な姿勢に感動 長崎市 永田良幸

 数年ぶりに参加した原水爆禁止広島集会は、数年前とは比較にならないほどの集中力と熱気を感じた。私は5日に広島に行き、平和の旅の子どもたちに被爆体験を話したが、子どもたちの姿勢はすばらしく、原爆で親兄弟6人を失ったことを話すと、小さい子からも「どうやって生きてきたの」「なにを食べてきたの」「悲しくなかった?」など質問攻めにあうほどよく聞いてくれて、集会での発表を見ていて涙が出るほどうれしかった。
 このような子どもたちを二度と悲しい目に遭わせてはいけない。子どもの教育の大切さが身にしみ、先生たちの熱心な指導が実を結んだものではないかと思った。暑さをしのぐために私たちにまで霧吹きで水をかけてくれたり、感謝することばかり。広島に行って本当によかったと心から感じている。
 今年の集会ではとくに若い人たちが熱心に活動していることに感心した。
 長崎でも高校生1万人署名などの活動があるが、真面目に市民の被爆体験を聞こうという姿勢は見られず、国連やアメリカに行ってパフォーマンスをしてそれをマスコミが持ち上げている。あれではウソがはびこるばかりで真実は伝わらない。「官」がかかわる団体は肝心なことにはいつもチャックをする。
 被爆者が本当のことを語り、全国と交流する場は他にない。この広島での交流は、とても貴重な場だし、私たちにとってはこの場に参加することが真実を語る最後のチャンスだ。広島の熱気をぜひ長崎にも届けていただき、ウソで塗り固められたこの社会に風穴を開けてほしい。あの子どもたちがどのように成長してくれるか、また広島に行く日を楽しみにしている。

 真実発する集会は他にない 広島市 末政サダ子

 8月6日の集会は、参加者の熱気がすごく、私もこのままではいけない、動かなければという気持ちがすごく沸いてくるものでした。世代的にも若返ってきたような印象を受けました。
 6日に原爆展会場で体験を語っていても、子連れの母親が握手を求めてこられたり、これからの日本がどうあるべきかについて参加者と思いを共有することができました。若い人がとくに多く、なかには「震えるような思いです」と私に語りかけてくる若者もおられました。
 広島にはいろんな団体や集会もありますが、このように腹の底をえぐるような真実を発する集会は他にありません。広島市民が経験した真実そのものを濁らせることなく語っているからだと思います。
 先の戦争で私たちはマスコミや政府にだまされて戦争に引きずり込まれましたが、最近の情勢を見ていると「二度とだまされてなるものか」という思いを強くすることが多いです。日本政府はいいかげんな政治家ばかりになり、原爆を投下したアメリカが好き放題に米軍基地を置いて日本人を骨抜きにしてエサをぶら下げて戦争に導こうとしているのです。私たち被爆者は先頭にたってこれに反対しなければいけないと思います。
 これからの日本の進路についてみなさんがすごく関心を持っていると思いますが、私たちも命の続く限り、戦争を二度と繰り返させないために一致団結して頑張っていこうと思っています。

 感動の連続だった平和の旅 福岡県小学校教師 栗原秋子

 平和の旅は、感動の連続でした。平和の会の子どもたち、被爆者の方方、旅を支えてくださったスタッフのみなさん、原爆展会場や原水爆禁止広島集会で力を尽くしてくださった方方に出会えたからです。
 旅に参加した子どもたちに感動させられたのは、その素直さ、頑張る力です。初めて会った子は一人もいないと思えるくらい、すぐに仲良くなりました。班での活動も、いろんな学年の子がお互いに助けあってそれぞれの役割を進んでおこないました。「いや」とか「できない」とかだれもいわず、いわれたことはあたりまえというように行動するのです。被爆者の方の話を聞く態度も、びっくりするほど集中していました。メモはとらないで頭で覚えておきなさいの約束をみなきっちりと守り、宿舎では無言で鉛筆を走らせ一気に感想を書き、その後交流しあいました。途中、急な雨でずぶぬれになり、夕食時間も短く、あわただしく指示を出されても、何事もなかったかのように動けるこの子どもたちは、本当にすごいというしかありませんでした。
 構成詩では、自分たちが頑張ってきたことや伝えたいことを心を一つにして呼びかけました。声をからしながらみんなを引っ張るリーダー、それを支え休みもせず練習を続ける子どもたち。けっして、発表が得意な子どもばかりではないのですが、どんどんみんなの気持ちが熱くなっていきました。
 発表の内容が、これまで実際に自分たちが頑張ってきたことなので、生き生きと言葉にすることができました。一人一人がみんなのために自分の役目を果たす。一つの事に向かう。みなが同じところに進んでいるので、もう、なにも迷いがありません。
 子どもたちの声に、私は、必死で涙をこらえました。こんなに子どもたちが頑張るのだから、自分も負けてはいられないと身の引き締まる思いでした。そして、この旅を支えてくれているスタッフの方方の力に心から感謝したいと思いました。もう、大人も子どもも、団結しています。子どもたちを中心に、被爆者の思いが、参加したすべての人の思いが、構成詩や市中後進で、広島の街と、全国に向かって響いたと思います。大人にとっても子どもにとっても、けっして楽な旅ではありませんでしたが、これほど充実したときを感じたことはありません。すべて団結の力です。その団結の内側に立っているのだという実感でもありました。
 また、今回も被爆者の方方から体験を聞かせていただきました。ご高齢になってこられた被爆者の方の命をかけた思いを感じています。実際の話を、自分たちの口で伝えなくてはいけないと必死です。今、世の中がどんな流れに進んでいこうとしているのか、どれだけ危険が迫っているのか、だれよりも強く感じておられます。
 このことを、絶対に受けとめ引き継ぎ、立ち向かっていかなくてはなりません。
 広島では、大学生をはじめ、若い人たちが平和運動に立ち上がっている姿を見ました。この姿のように「自分がやらなければ」と、もっと多くの人が気付いていかなければならないと思います。日本中の人人が他人事ではなく、自分のこととして考え、団結の力を広げていきたいものです。踏み込まなければ真実は見えてこないし、前進はありません。被爆者の方が命をかけてくださっているように、自分の行動で伝える、また、子どもを育てその姿で伝える、それが今の自分の課題だろうと思います。
 平和の会の子どもたちは、「友だちができた」「また来年も来たい」「今度はスタッフとして」「来れなかった友だちに伝えたい」……と、小さい子も、大きい子も、それぞれにみんなで団結して頑張った喜びと、さらに前進する気持ちを持って旅を終えました。
 帰りのバスの中でも、疲れた表情も見せず、友だちと過ごす残りの時間を楽しみ、笑顔いっぱいでした。全員が最後までやり遂げたことが自信になっていました。たった2日間で、一人一人がとても大きく成長して見えました。
 そんな姿を見ながら、この子たちと、もっともっと明るい未来を築きたい、この子たちとならできるぞ、もっとたくさんの子どもたちに広げていきたいと、2日間の平和の旅を終え、その感動と新たな決意を、今胸にしています。
 
 峠三吉詩集そのものの集会 下関市民の会 堅山キヌ子

 今年の8月6日は、広島に原子爆弾が投下されてから68年。暑いなか、子どもさん、青年、私たちと同年配の方方、核兵器廃絶の願いを込めて広島に集いました。国内はじめ戦地での犠牲者をしのび、戦争・原爆はけっして忘れてはならない、次世代に語り継がねばなりません。
 広島の「原爆と戦争展」会場では、13歳で被爆された女性の悲しみ、苦しみを聞かせていただくことができました。
 「8月6日朝、家の中に光がパーッと入ってきた。なにかと思った。その瞬間、家の中の物が飛び散った。びっくりして外に出た。黒い物がこちらに来る。それは被爆した人だった。どうしたのと聞いても、なにもいわない。そして、倒れ死ぬ人。それはたくさんの人たち。地面を掘って魚を埋めるように、ただ並べて埋める、そして焼く。おれはまだ生きているといっている人までも」。そのとき13歳の女性の証言、この方がどんな気持ちを持って生きてこられたかと思うと、胸が痛みます。
 戦争を知らない、安倍総理をはじめとする今の政治家たちに息をひそめ聞いてほしいです。戦争とは人間も街も子どもたちの学校までも焼き捨て殺してしまうのです。私も戦中・戦後を生きてきましたが、知らないことが多く申し訳ないと思った1日でした。
 東日本大震災。この世の出来事とは思われない津波、亡くなられた方、被災されたみなさんも、3度目の夏を迎えました。復興とは名ばかり、なにも収束はしていません。そんななかで原発再稼働。また海外に原発をセールスしている安倍総理は、日本をどう導くのですか。
 核兵器のない世界、平和を願う、けっしてくり返さない、これが戦争を知っている者の願いです。
 後になりましたけど、「広島に学ぶ小中高生平和の旅」の子どもさんたちの構成詩は感動しました。平和の担い手として、先生方に見守られ、逆上がりや九九の全員達成を通してみなで頑張ればできることを教えられています。平和を願い、国を守り、世界をも守る大人になってもらえると信じます。
 この度の広島集会は、“原爆詩人・峠三吉詩集”そのものでした。そんな思いで広島をあとにしました。


 被爆者の本物の声にふれた 下関 小学校教師

 原爆の被爆体験を直接聞く機会が減ってきている。そんななか、小学校2年生から高校3年生までのさまざまな年齢の子どもたちと、被爆体験を聞くことができた。何度も参加している生徒がリーダーシップを発揮し、子どもたちの主体性を主軸として開催されている「平和の旅」だ。
 参加する子どもたちの年齢によって、やはり感じ方が違ってくる。活動自体は、年齢に関係なく、共通でおこなわれているが、役割が発展段階に応じて設定してある。そのおかげで全員が所属感と使命感を味わいながら堂堂と活動していた。
 一番下の小学校2年生と話をした。兄と一緒だったからか慣れた感じですぐになじんでいた。沖縄の児童だったこともあり、戦争についての知識は平和教育のおかげか、しっかり身についていた。イベントとして、お泊まりが楽しくて参加している感じだったが、このような会に接するだけでも、いい経験になり、その後の意識改革に多少なりともいい影響を与えることと思う。
 また被爆体験を話す方方も、子どもたちが戦争について興味を持っていることが支えとなっているからか、また、語り継ぐ者としての使命感からか本当に熱心に詳細に教えて下さった。とくに、戦争の間の生活については、なかなか実体験を聞くことも調べることも少ないので、時代や情景をイメージすることができてわかりやすかった。
 また、広島市中心地に投下された原爆の直接的被害は、五日市にいた家族にはなかったことは、私も知らず、とても驚いた。爆風での被害と、その後の放射能についての被害とが、実体験を聞くことで影響の違いをわけて感じることができた。
 さらには、「やけどには油を塗るように」といわれたということが、被爆体験を聞いた後に見た原爆展での資料と合致した。資料だけはたくさん見てきたが、やはり「語られた」ことを通して資料が活きてくると感じた。
 「原爆と戦争展」でも、被爆者の方方が書いた詩や手紙を読むことで、様子や気持ちがダイレクトに伝わってきて、いいようのないやるせなさを感じ、当たり前のように「戦争はダメ」ではなく、心から戦争について考えられるようになった気がした。
 戦後に生まれた私たちは、祖父母や戦争経験者や、被爆体験、平和教育を通して、あらましの内容は知っている。だが、やはり本物の声を直に届けてもらうことが、本当の意味で語り継がれていくべきものだと感じた。
 そして、このような会をたくさん設け、それに参加した子どもたちによって、大切な「生の声」がまた拡散されていくべきものだと感じた。初めて少しだけ参加させていただいたが、今後の教育活動に活かしていきたいと思った。

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