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<評論>日本人民の根本利益として
            イラク戦争阻止の斗いを! 
2003年4月5日付

 アメリカはイラクへの乱暴きわまる戦争をつづけている。開戦以来10日余りで、トマホークミサイルを1000発、精密爆弾と称するものを1万発近くイラク人民の上に投げつけた。それは日本がかつて受けた空襲、原爆と同じ光景であり、そのもとで無惨に死んでいるのはなんの罪もない子ども、女、年寄り、市民である。
 アメリカのイラク戦争は、「テロ撲滅のため」とか「大規模破壊兵器をなくすため」といい、「フセイン政府の独裁からイラクを解放し自由にするためだ」などといっている。イラクの政治体制に問題があるにせよ、それはイラクの国民が決めることであって、それを口実にアメリカが強盗をしてよいという理屈はとおらない。アメリカのほんとうの意図は、イラク・中東を「民主化」と称してアメリカの単独支配下におき、石油資源を自由に略奪するためであることは明らかである。しかもこの強盗戦争は、アフガニスタン攻撃につづくものであり、今後朝鮮、イランなどにつづけ、アメリカの野蛮な支配を広げるという意図を公言している。
 日本の小泉政府は、「日米同盟を守ることが国益」などといって、日本の米軍基地を出撃基地にするだけでなく、イージス艦を派遣し、イラク占領後の治安・復興支援で自衛隊を派遣するといっている。さらに「北朝鮮の侵略から日本を守ってもらうために日米同盟が頼り」というのである。経済困難にある北朝鮮が日本を侵略占領するなどという意志も力もないことはだれが見てもわかりきったことである。そして朝鮮海域にイージス艦を派遣し、軍事衛星を飛ばし、朝鮮のミサイル攻撃に対応するといって朝鮮への戦争挑発姿勢を強めている。朝鮮やアジアと平和・友好の関係を結ぶことが日本の利益であるのに、それを踏みにじってひたすらアメリカの要求に従って、日本の外交の自主性を投げ出した姿をさらしている。
 小泉政府のイラク戦争への加担、朝鮮への戦争挑発は、たんにイラク人民、朝鮮人民に迷惑をかけるというものではなく、アメリカの国益のために日本人民をふたたび悲劇的な戦争にたたきこむものであり、日本人民の死活的な利害がかかった問題である。イラク戦争への恥知らずな加担にともなって、アフガンでは「日の丸」が焼かれ、イラク・アラブでは日本批判が高まり、日本の基地や原発は厳戒態勢に入っている。それは日本を世界の孤児にするだけでなく、アメリカの国益のために日本を各民族と敵対関係におき、攻撃対象としている。
 われわれはこのようなイラクへの犯罪的な戦争、それへの日本政府の恥知らずな加担を即時やめさせなければならない。そのためには日本人民の平和の力を強いものにしなければならない。そのためには、かつての戦争とりわけアメリカの原爆投下と対日単独占領の歴史的な体験、そして「民主化」と称した戦後改革のペテンについて明らかにすることがきわめて重要である。
 かつての戦争は日本人民にとって痛ましい体験であった。戦地にかり出された人人は1000万人をこえ、320万人が戦死した。人人は戦後、平和で豊かな社会の建設をめざして、荒廃のなかから立ち上がり努力してきた。しかしそれはことごとく踏みにじられてきた。58年たって、軍事も政治も、経済も、文化・教育もすっかりアメリカの植民地状況となってしまった。日本に原爆を投げつけ、日本中を空襲で焼き払って日本を占領したアメリカは、それが平和と民主主義と繁栄のためであったなどという顔をして、日本を基地にして朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東湾岸戦争など、戦争につぐ戦争をくり返してきたが、いまや日本をさんざんに破壊して下請戦争で命を奪うところまできたのである。
 アメリカは現在の戦争をすすめるにあたって、「パールハーバーを忘れるな」と叫び、原爆投下もありうるといい、戦後の日本占領をモデルにするといっている。そして、かつての日本占領のように、好戦的な日本の軍国主義を懲らしめて、平和と民主義と繁栄の日本をつくる解放軍のように装っている。このインチキをあばくことは、現在の日本人民の解放の道筋を明らかにするために重要であるが、それだけではなくイラクをはじめ世界の人民の根本的な利益にとっても重要である。
 アフガニスタンにつづいてイラクの人民が、まるで犬か猫のように殺されている現実は、かつての戦争で日本人民が受けたのと同じ境遇である。そればかりが、戦後のアメリカによる「自由と民主」というもとで受けた苦難、そして現在の「グローバル化・自由競争・自己責任」などといって倒産と失業、無慈悲な福祉の切り捨てなどをすすめ、親が子を殺し子が親を殺す殺伐とした世相、年間3万人をこえる自殺者など、まさに日日しめ殺されている日本人民の現実と同じものである。
 アメリカのいう自由は、アメリカだけが自由にふるまい、他は自由をじゅうりんされてもかまわぬというものである。日本でも、個人の自由、しかも目前の拝金主義的、せつな的、享楽的な自由をあおり、人民同士をはてしもなく争わせ、気づいたときには戦争に引きこまれ命を失うというものである。それは民族の自由、社会的な解放を否定し、したがって社会のなかの個人の自由も失うというインチキである。「自由、民主、人権」といって、規制緩和・自由化といって、社会的規制をとり払って金もうけの自由だけがはびこり、教育も医療も営利競争、学問も文化も社会的な役割を否定して商業主義がまんえんし、労働運動が瓦解しているのも個人的、職業的な経済利益を第一にして平和や民主主義といった全人民的な政治斗争を放棄してきた結果である。
 アメリカのイラク強盗戦争を中止させるには、小泉政府の戦争加担をやめさせなければならず、なによりも独立、民主、平和、繁栄の日本を求める日本人民のみずからの問題として、真に力のある平和運動を建設しなければならない。そのためには「日米安保条約」の破棄、在日米軍基地の撤去の課題を正面からかかげること、そして共通の敵にたいしてたたかうイラク、朝鮮をはじめ全世界の人民との国際的連帯を求めるのでなければ力のある平和斗争にはならない。
 戦争体験者、被爆者がその体験を若い世代に語りつぐこと、そのなかでとくに労働者が階級全体の共通利益に立ってグローバル化による搾取と戦争に反対する政治斗争をたたかう力を結集すること、さらに青少年の運動、婦人、教師、文化・知識人、宗教者など各層人民の共同のたたかいを起こさなければならない。

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