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日本潰す教育の意図的破壊
人民教育同盟教師座談会
               劣等民族にする教育改革     2009年5月6日付

 新年度が始まって学校現場で問題が山積している。新学習指導要領の先どり実施が始まっているし、小学校からの英語教育、そして学力テストにかなり強い批判が渦巻いている。本紙では山口県と福岡県の人民教育同盟の教師たちに集まってもらい子どもと親の実際状況や教師の問題意識を出しあってもらった。そして89年告示の「興味・関心第1」の新学力観から20年、「個性重視」でやってきた教育改革が完全に破産するなかで、これを打開する新しい力はどう流れているか、何と何が対立しているか、今からの日本の教育運動の方向などを論議してもらった。
 会 まず今学校現場で切実になっている問題から出してもらいたい。
  4月になって、「今年から勤務時間は4時45分まで(昨年より15分短縮)」「時間外業務を記録し、残業が月100時間をこえた者は医者の面接を受けられる」と報告があった。あまりに学校現場の実情からかけ離れていることに、みんなが腹を立てて発言した。4月は夜7時、8時まで学年のうちあわせなどがあるし、この前は子どもが交通事故にあいつき添った教師が帰ってきたのが12時だった。教師が子どものために奮斗している実情にまったくそぐわない。そのため職員会議の時間も短くなった。教師たちは「教師の人的配置などをやらず、給料を3%減らしたからと勤務時間を短くし、つじつま合わせをしてどうするのか」「1学級の子どもの数を少なくして、施設も整備し、子どもたちがのびのびと学べるようにすべきだ」といっている。ただたんに市教委に対してだけでなく、教育改革全体に対しての怒りが噴き出ていると思う。
 4月に全国一斉学力テストがあったが、6年生を受け持つ教師のなかから「国語の問題は大人でもわからない」「順位を出して県教委がハッパをかける指導をやるだけではないか」「テスト自体をやめるべきだ」という意見が出た。翌日には「子どもの答案用紙をコピーして自分たちで採点し、学校の傾向を見る」(答案は業者に送ることになっている)という。これに対しても6年の教師全体が「学力調査自体、子どもも問題も毎年違うのに、信憑(ぴょう)性がない。学校の分析をするというが、テストの点数だけでは評価できない。私たちは子どもの様子を朝から放課後まで見ている」といって拒否した。
 いったいどういう子どもを育てていくのか。子どもを駒のように動かして、差別・選別してエリートをつくり、落ちこぼれた子どもは戦争の肉弾にしてしまうというやり方だと、かなり矛盾が激化している。昨年うちの学校では、「やまぐち学習支援プログラム」(学力テストのために県教委がつくった模擬テスト)を、全教職員の意志で2度、拒否している。今年から始まった教員免許更新制度に対する怒りもあり上から矢継ぎ早にやってくる教育改革に教師たちは黙っていない。
  うちでも4月は学力テストが実施され、免許更新の該当者が校長から指示されるし、新学習指導要領の先どり実施が「本格実施」という雰囲気で始まっている。とくに北九州では英語教育が先どり実施されて、すごい締めつけになっている。
 算数や理科の授業時数が増え、時間割をつくるのに経験豊かな教師も迷う。1コマに3教科(家庭科、算数、社会)が入っている学年もある。移行措置で、たとえば5年生は電磁石の授業が6年生から下りてきたが、それによって教材費が上がっている。「義務教育はこれを無償とするというのはどうなったのか」とみんないっている。子どもたちは張り切っているが、水曜日以外は毎日六時間授業で疲れている。
 そして「外国語活動」という英語の授業。去年までは外国人講師(ALT)が主でやっていたのが、今年からは担任が主で授業をするという。したがって担任がおこなう授業は完全に1教科増えた。私も実感しているが「先生、やってください!」といわれても、本当に頭が真白になる。
 北九州は派遣会社からALTとともに指導員がくる。通訳ではなくALTを指導する英語会社の人で、その人に権限があり、英語が話せるから威張っている。「先生、CDが足りません」「先生今です。押してください」などと高飛車にいわれる。1時間終わったあと、教師たちは「あの人が歯がゆい」と怒っていた。授業で使うCDがまた腹が立つ内容で昔のように「ディスイズアペン」でなく、「ハ〜イ!」というくだけた感じで、まるでアメリカ人になりきったようにして会話をいわされ、余計歯がゆい。普通、教師が「今から勉強を始めます」ときちんというところを、「ハ〜イ!」で始まるから、その時間がすごく変な時間になる。大げさだが、英語の時間が終わると本当に日本に帰ってきたという気になる。5、6年の教師のなかで1番問題になっている。
 算数と理科も内容が増え、すごく難しくなっている印象だ。「わからない子が増えるのではないか」という思いが強い。学力テストの方向に、教育内容をそろえていっている気がする。塾に行っている子はついていくだろうが、ほとんどの子どもはわからなくなる。英語でもついていける子はほんの一部で、ほとんどの子が手遊びしたり、わからないというサインを出しまくっている。
  最初は会話だけかと思っていたら、子どもに配られた「英語ノート」を見ると、小学校段階でスペルを書かせるようになっている。大きな行事が入っても、英語だけは絶対にはずさないとされている。運動会の練習がもうじき始まるが、どうなるのだろうかと思う。先日も学年集会の時間がとれなくて困った。
 教師のなかからは共通して「子どもは嫌がっている」という意見が出た。教師も嫌がっている。英語の歌で踊ったりして、高学年ではしらけている。そして「国語もよくできないのに、なぜ英語をするのか」「国語の勉強に力を入れないといけない」という話になった。国語は図書の時間を含めて週5時間で、去年から1時間減っている。

 算数や理科も内容改悪
 算数と理科の時間が増え、補助教材が配られた。勉強内容が変わってきている。6年の内容が5年、5年の内容が4年におりてきている。以前6年生であったホウセンカの勉強が復活したが、知らないうちに師管・道管の模型が買ってあった。本来はホウセンカを育て、茎を切って顕微鏡で見るものだが、それを準備された模型を見てすませようとしている。時間数は増えたが、子どもたちに自然を観察する力をつける方向ではないと思う。時間的な余裕がない状況のなかで新しい内容がどんどん入ってくるので、その準備に追われてゆとりがなくなり、「早くやらないと勉強が終わらない」と追いつめられている。
 授業時数が増え、2年生に6時間目の授業があり、1年生も5時間授業が増えている。6年生は、子どもたちが楽しみにしているクラブの時間が月4時間から2時間に減った。自由に使える時間が減らされ、学級指導・学年指導の時間がとれない。4月は学級で係りを決めたりするために話しあいの時間をとるが、それもとれない。
  英語の授業をやってみて、教師のなかで「おもしろくもなんともない。嫌な気分」と話されている。その他の授業では「きちんとしなさい!」と子どもにビシッとするよう指導しているのに、英語の時間になったら人が変わったようになって、ニッコリ笑って「ハ〜イ!」とはできないという。一発で信用をなくして先生のいうことは効き目ナシになる。前任校で英語活動の指定を受けたとき、2列に並んで英語の教室に行くが、行きはビシッと並んでいるのに、帰りは他のクラスが授業をしているのに、子どもたちは飛び跳ねてALTにまとわりついたりして大騒ぎしながら帰る。授業にとどまらず、子どもの学校生活にとって影響が大きい。ある教師が「自分でも自分が変。なぜこんなことをしないといけないのか」といったが、英語活動は日本の教師が築いてきた教育と肌があわない。
 算数と理科の問題だが、今年2年生を担任しているが、算数の最初の単元は3年からおりてきた「とけい」の勉強だ。昔は1年で「何時」と「何時半」だけは勉強して2年に上がったが、今年の2年は初めて時計を算数セットから出して「何時」から出発し、3年生が勉強していた時刻と時間、午前と午後もしなければいけない。「何分間たったでしょう」「何時間たったでしょう」「1時間あとは何時何分か」「20分あとは何時何分か」をしなければならず、単元がいつまでたっても終わらない。授業時間増というのが、内容をただ右から左に動かすだけというやり方で、子どものことも教育のこともわからない人間が教育課程を決めたに違いないと思う。本当にいい加減だ。2年の補助教材もあけてびっくり。3年の教科書の丸写しコピーで、2年で習っていない漢字が出ている。あまりにもいい加減で、教師はみな腹を立てている。

 学力テストも大問題に
 学力テストでいうと、ある学校の6年生は4月21日の学力テストまでは5年の復習ばかりやっていたという。教師はだれもそれがいいとは思っていないが、上から学力テスト対策が強烈にいわれるなかで、教師のなかでも「とうとうこんなことをしてしまった」と話されている。教師も苦しめている。やがて不正が出るのは明らかだ。今年度の人事異動では、「あそこの学校は学力テストの結果が悪かったから校長も教頭も飛ばされた」といううわさになった。学力テストの成績が悪く、校長から指導を受けた担任が転勤しているとか。学力テストで人事までめちゃくちゃになっている。そうして、教師自身が気力も失わされるという現状も出ている。本当に子どもがどうなるのかと考えていかないといけない。
  ある父親との話だが、春休み前に「おばあちゃんのところに行ってしっかり遊んでこよう」といっていた子どもが、いきなり分厚い宿題を持ち帰った。それが「やまぐち学習支援プログラム」の問題集で、県教委のホームページから校長がダウンロードして、担任が全部印刷して子どもに持ち帰らせた。親は「これだけのものを、それも春休みにやらせるのは無責任ではないか」といっていた。ある母親は「宿題は塾で全部やるように指導してもらった」という。それでは塾に行けない子はほったらかしになって、だれも見てやらないことになる。うちの学校では1学期の初めからその宿題の指導をやらせている。それが中心になり、学校の授業が、学力テスト対策になっている。いったいなんのための勉強なのか。

 非正規教員増え矛盾に
 もう1つ、前任校に臨時採用の教師が一気に増えた。子どもの担任が「臨採だ」と何気なくいうと、その父親はすごく驚いて「担任を持っている先生でも臨採がいるのか。1年しかいないのか? そしたらその先生は次がないかも知れないから、ものもいえないし、自分の思うような教育はできないだろう。それは教育に対して無責任ではないか」と怒っていた。実際にクラスの数が減るわけではなく、担任が必要なのに、それを欠員補充の臨採でまかなっている。山口県では今年、新規採用122人に対し、欠員補充423人で、実際に必要な先生を臨採にし、若い先生たちを1年ごとにかえていく。その学校は、長くいる教師はみな転勤して、残っている教師で1番長い人が4年目、3人が2年目、あとは臨採という状況で「1年ごとにかわって、本当に地域に根ざした教育ができるのか」と親が怒っている。こうした状況は振り返ってみると5年くらい前からだと思う。小泉内閣ぐらいから安上がりに教育を進めていこうという方向が格段に強まっている。
 そして「学力向上」といって非常勤講師を増やしている。非常勤は、「1日に4コマ」といわれたら4時間、授業にだけ入る。そのクラスに行っても、子どもの様子はほとんどわからないという状態の非常勤を、たくさん雇っている。学校をかけ持ちして生計をたてている状況もある。臨時にも非常勤にも「学力向上」など肩書きがたくさんあるが、安上がりにしながら学力は向上させろというむちゃくちゃなことをして、教育をかえって破壊していると思う。
  勤務時間変更によって、うちの学校では授業時間を15分ほど前に持ってきて、8時25分から1時間目が始まるようになり、職員朝礼をなくした。つまり全校の教師がうちあわせなしでその日をスタートする。ホワイトボードに連絡事項を書いておき、それを見て終わり。職員会議以外に連絡会を火曜日の夕方に開いている。今のところ大きな問題は起こっていないが、いつか必ず徹底ミスなどが起こるだろうし教師が集団で教育をしていくことをできなくさせるものだ。そうでなくても多忙で大変なのに、こんなことをしていると、必ず大変なことになると思う。
 英語活動についてだが、今年度は文科省から12時間、英語研修をしろといわれている。来年度は15時間だ。しかし年間で教師の研修時間は20時間あるかないかなので、これでは本当にその学校の課題に対する研修時間が割けないという矛盾になっている。英語だけが特別であり、上からの押しつけの1つの象徴ではないかと思う。英語活動は指導案も英語で書かされる。
  非常勤講師の問題だが、中学校では運動会や文化祭などの行事にも参加できないし、部活の顧問にもなれない。とくに荒れた学校で、なにもクラスのことを知らずに、ぽっと授業に行かれたら、それまで担任が一生懸命抑えているのに元に戻したりして、それが1番弱るという。
  全校の1枚岩の結束が、そうした条件でものすごく勝ち取りにくい状況になっている。教師同士が一緒に話す時間も奪われる。
  私は補助教員だが、教材研究をする時間もなく、担任と話す時間もなく、ただ授業時間に行って担任の補助をする。なんのための補助かわからない。せめてと思い給食や昼休みも残ろうとすると「全部ボランティアですよ。それでもいいですか」といわれる。「担任と2人で子どもを見るのだから、どんな子どもがいるのか知らないで補助できない。教育にならない」といい、工夫して担任と話す時間をとったりしている。そういう状態の人がたくさん非常勤で雇われている。教員だが教員でない。

 教育壊す意図露呈 米国の植民地化の一環・国力衰退させる
 編集部 あらわれているのは上から意図的政策的に教育の破壊がやられていると見るべきではないか。小学校の英語教育がその典型だが、算数や理科から教員採用に至るまで、日本人の教育そのものをぶっ壊してしまおうとしている。植民地属国の劣等民族にしてしまう、日本人民の中にある健全な精神を破壊するというものが意図的にやられてきているということではないか。学力テスト、授業時数増とか教員免許法というがそれらは規制改革会議会長のオリックス・宮内や安倍晋三など教育のまったくわからない連中が、教育の外側から好き勝手につくってきたものだ。その結果、世界的に見ても高いといわれた日本の教育がガタガタになっている。
 ハーバード大に行っていたある大学の教員の話では、日本からも厚労省や文科省、財務省などから30歳前後のキャリアが来ていたが、世界各国から来ている優秀な面面と比べて日本のキャリアがひじょうに劣化しているといっている。各国人とのつきあいもバカにされることを恐れてできず、教師からもバカにされ、部屋にひきこもって英語の本を読んではレポートを書いたという。「こんな連中がアメリカのいう断片的なことをやみくもに実行していく」といっていた。
  学力テストは「学力向上のため」という建前だが、「あそこは塾に行く子どもが80%以上だから、成績のいいのは当たり前だ」とよくいわれる。要するに金持ちの多い学校は成績がいいし貧乏人の多い学校は低い。はっきりした話だ。生活調査で「早寝・早起き・朝ご飯」というが、金持ちの子どもはできても、うちの学校のように経済的に苦しく、朝ご飯が食べられず、給食だけでつないでいる状況では難しい。
 司会 今は国立大学に行くのにも、授業料が年間53万5800円かかる。初年度は入学金その他で100万円近くにもなり、息子が山大に入学した母親が驚いていた。日本政府の小学校から大学までへの公的支出は先進国中最低レベルだ。他方、欧米諸国は、大学の学費は無料、生活費や教科書代の貸与制度もあり、独立国として国の将来のために次の世代に金をかけるということがはっきりしている。日本では、学力は高くても貧乏人は大学に行けず、金持ちの限られた人間しか高等教育を受けられないとすれば、国力は衰退するのは明らかだ。
 編集部 教育の現状も大きなところから見てみないといけないのではないか。敗戦後のアメリカの占領で大きな変化があり、84年に中曽根内閣の臨時教育審議会が発足して「教育の機会均等主義」を取り払い、「個性重視」の新自由主義を打ち出してから教育はガタガタになってきた。89年の指導要領で「興味関心第1」の新学力観を打ち出し、その後の「ゆとり教育」で授業内容の3割削減、学校は完全5日制にして、そして今また「改革だ」「学力だ」といって、もっとひどくなっている。アメリカが日本を植民地化し、奴隷的にカネを巻き上げていくとともに、戦争に駆り立てていくコースにあった愚かな日本民族にしてしまうという意図が働いている。
  学年が上がるにつれて友だちをいじめたり、嫌なことをしたりと、今の教育が個人主義の子どもを増やしているなかで、親と「片親で遅く帰る仕事をしているから子どもが悪いことをするのか」「そんなことはない。一生懸命育てているではないか」と話になった。親は今の教育に怒りを持っているし、このままではまともな子どもが育たないと思っている。翌朝その子は顔が変形するくらいたたかれて学校に来た。英語教育で子どもたちの心に星条旗をうち立てようというような教育をして自分勝手な子どもが増えるなかで、親は敵に売り渡したらいけないと必死だ。

 国どうするか巡る激突
 編集部 20年前、ベルリンの壁の崩壊で「社会主義は崩壊した」と宣伝したが、その結果あらわれているのは資本主義の崩壊だ。国際金融がパンクして経済恐慌となり、レーガン以来の新自由主義、また戦後から続く対米従属の社会のなかではもはや食っていけない、社会が維持できない、支配階級の統治能力がないという現状に直面して世論の大転換が始まっている。この日本社会がダメになるという問題意識の大きな要素として教育がダメにされていることをみながあげている。被爆者や戦争体験者は、教育の問題を日本社会の将来という視点で見ている。教師も目前だけでなくそういう視点がいるのではないか。
 教育現場の問題が、大きく日本社会をどうするのかという激突だ。大きく日本社会の発展方向とあわさって教育をどうしていくのかという見方で親とも団結し、全国的な教師の団結も展望しないと、部分だけを見てもどうにもならない。現実の教育現場はメチャクチャになって、これではいけないという力が親たち祖父母たちのなかでかつてなく強いものになっている。教師集団が、大きな教育破壊の方向に反対して、この大衆のなかにあるたたかう力に依拠してどういう教育をするのかとやっていったら展望が出てくるのではないか。
  やはり日本をどうするか、子どもを未来の担い手として育てないといけないという大きな戦略観点がないと馬力は出ない。目先、目先だけで見ていくと、あれもやられた、これもやられたとなり、この1つの問題をどうしようか、時間割をどうしようかとすごく小さくなっていると思う。でも人人は大きな社会の発展というところに意識が向いている。はぐるま座の『動けば雷電の如く』があれほどの反響を呼んでいるのを見てもそれがわかる。大きなところからみると展望が開けてくる気がする。被爆者や戦争体験者があれだけ教育に対して厳しくいわれる意味がそういうことではないか。
  「お母さんにいいたい」「先生たちもなんとかしなさい」と被爆者の人たちはいつもいう。教育のこの現状で日本はどうなるか、と。だから、世のため、人のため、日本の未来のため、先生たちもその立場に立ちなさいといっている。
  小学校で原爆と戦争展を開いたが、「子どもと日本の未来のためにどうするか」という世論が校区の親から寄せられてくる。そして地域と学校で育てないといけないという意識が動いている。このままでいったら本当に日本はつぶれるとみな考えている。
  そうでないと部分に押し込められ、教師が精神的に弱って追い込められて、定年前にやめたり、若年退職がすごく増えている。親の介護の問題もあるが、展望があれば子どもの教育を頑張っていこうという気持ちになるのに、展望が持てなくなっている。そりゃあ、日本を壊されてなるものかとやらないといけない。
  戦争体験者で足をくじいてでも原爆展に来て「話します」という人がいる。その教育に対する気持ちがやっとわかってきた。今の日本はこのままではダメだとひしひし感じているから、あれだけの迫力を持っていわれる。被爆者、戦争体験者の教育に対する要求と私たちがずれている。そこを共有すれば展望がでる。
 編集部 社会全体を見ても小手先の改良ではどうにもならない、根本的変革をどうすればできるかという意識になっている。労働者も首を切られて食べていかれず、教育も医療も介護も破壊、日本社会全体をぶっつぶしているという実感だ。そして教育現場にあらわれている問題が、日本人を劣等民族にし、安上がりな商品にする、アメリカの戦争の安上がりな肉弾にする、そういうものに対置して平和で独立した国の担い手にするという対立としてあらわれていると見るべきだ。
 たとえば英語教育は現場で鋭い矛盾となっている。英語をしゃべるかどうか以上に、英語をしゃべれない教師は劣等で、教育のわからない英語派遣社員は優秀という教育の姿になっている。国語を軽視して英語がしゃべれるようになったといっても、日本における日常生活で日本語をつかって相手を理解し会話することが下手くそなものが、いかなる外国人といかなる意志疎通をし何をしゃべるのだろうと思う。しゃべる中身がないだろう。
 言語は実際生活のなかで相手と意志疎通をして、人人と協力して何事かをやるという所から生まれてきた。そういう人と人との関係を結ぶための言語は、日本人は日本語を使った日常生活の土台の上で、相手の微妙な気分、感情、機微にもふれた理解と会話を覚えていくものだ。英語を覚えて年寄りと会話ができないのでは大損害だ。英語はしゃべるが漢字を読めない麻生首相だが、人の空気を読めないのが特徴で、外国要人としゃべっていてもびっくりするようなアホなことをいう。それで英語をしゃべるから優秀なのかだ。英語教育には日本民族の誇りを失わせ、劣等民族にするという意図的なものが働いている。

 植民地化と斗う運動へ
  最近どこの学校でも校内研修は国語だ。みんな国語の危機を感じている。「しっかり読みとれる」「語彙(い)力をつける」など、国語を大事にしないといけないということでやっている。そこへ英語の研修が12時間も入るとすごい矛盾だ。「英語の研修と国語の研修、どっちが大事なのか」「英語の研修だけ12時間も入れろというのか。私たちが決めた国語の研修はどうなるのか」と、去年も相当論議した。先生たちはみんな国語を大事にしたいという思いで研修をやっている。その力を大きくすれば、強い力になると思う。
  子どもたちのあいだで日本語ができないからケンカも起こる。口で伝えたらいいのに「なぜケンカをしたのか」と聞くと「なんといっていいかわからなかった」という。自分が思っていることを言葉にしてあらわしきれない。それを「ハ〜イ!」とかいっても全然心は伝わらない。「おはようございます」「さようなら」もいいきらない子どもに「ハ〜イ」という英語の形だけをやらせようとする。ますます子ども同士の意志疎通ができなくなる。バラバラになってイジメも増えてくるのではないかと思う。人と人との関係の分断だ。
  最近、算数の文章題がわからないという子どもが増えて驚いている。筋道を立てて日本語で考えるということができなくなっている。子どもたちは文章題が出されると初めから「わからない」という。「学力向上」といいながら、逆にものを考えないような人間をつくっている。これも相当な破壊だ。
 みんな危機感を感じているから、どこの学校に行っても「読書タイム」をきちんととって、子どもに本を読ませようとしている。実際には先生たちの教育活動は、子どもに力をつけてやりたいということで、一生懸命読書活動をやったり、詩をたくさん読ませたり、地道に努力が続けられている。それが、教育破壊の植民地政策からきているのだ、上から意図的に破壊しているのだということがはっきりすれば、「もっとこっちの方を自信を持ってやっていこう」というふうになるのではないか。
  その他の教育内容を見ても、現実の生産活動や実生活と切り離してしまう観念的なものが増えている。ホウセンカでも種をまいて育てて実験するのではなく模型を見て「こうなります」と教える。理科など労働に結びつくものが多いが糸電話や音叉、てこや滑車の勉強もなくなっている。
  看護学校に通っている娘が、物理の先生から「あんたらが高校まで習ってきたのは本当の物理じゃない。今から本当の物理を教える」といわれたそうだ。学校で今まで習ってきたのは医学の世界では全然役に立たないという。
 司会 教育全体にわたる意図的な破壊だ。学校現場のぎりぎりした矛盾を大きな社会の発展方向のところからとらえて方向を持ってやっていけば、新しい運動を起こしていけるのではないか。それでは今日はこのへんで。

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