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肉弾作り願う小泉靖国参拝
靖国容認する殺人者米国
               不戦の追悼が遺族の悲願     2006年8月18日付

 小泉首相が敗戦記念日の15日、靖国神社参拝を強行したことは、国内外の強い憤激を呼び起こしている。それは、第2次世界大戦で無念の死を遂げた多くの魂、その遺族の思いを踏みにじり、アメリカのための戦争に再び日本国民の生命を差し出そうとしてきた首相ら日本の支配層の欺まん的な行為にたいする抗議の意志を反映している。こうしたことはまた、これまで覆いかくされてきた第2次世界大戦と日本の戦後社会の真実を浮き彫りにしつつある。

 「平和願う」といい行動は派兵
 小泉首相はこのたびの参拝でも、日本をめぐる現実の諸関係を歴史的に見据えた議論を避けて、「心の問題」などとワンフレーズですりぬけ、「戦争で祖国や家族のために命をなげ出さなければらならなかった犠牲者に心から敬意と感謝の念を持って参拝している」といって欺まんを決め込み、居直っている。
 第2次世界大戦で、日本の国民は軍人・軍属、民間あわせて320万人もの空前の犠牲を強いられた。戦没者は戦地であれ、原爆や空襲であれ、若者であれ、年寄りであれ、戦争でなぜ命を投げ出さねばならぬのか、なぜこんな姿で殺されねばならぬのかと無念の思いで、日本の真の平和と繁栄を願いつつ次次に息絶えていった。
 戦争で亡くなった人人に心から追悼の意をあらわし、2度と忌まわしい戦争が引き起こされることのないよう、平和で豊かな日本を建設するために奮斗する決意をその魂に誓うことは、後世に残された国民の自然な感情であり、そのような態度なしに真に平和をたたかいとる力を結集することはできないことは当然である。
 だが、小泉首相の靖国神社参拝は、そのような国民の戦没者への深い哀悼の気持ち、堅い反戦と平和への誓いとは似ても似つかぬものであるばかりか、それを真向から踏みにじるものである。
 小泉首相がどのような言葉を弄しても、首相として登場して以後の5年間で、日本社会は段階を画して荒廃し、戦争の危機が現実のものとして迫ったことを覆いかくすことはできない。小泉政府が実際にやったことは、インド洋への自衛隊艦隊派遣、イラクへの自衛隊派遣などアメリカの戦争政策にポチのように付き従い、中国、朝鮮、ロシアを仮想敵国視して戦争挑発を煽り、北朝鮮の「ミサイル発射」を騒いで日本全土をアメリカの核攻撃基地にする策動に拍車をかけ、自衛隊をアメリカの傭兵にする米軍再編に犬馬の労をとったことである。これが「平和を願う」「戦争は絶対にしない」という言葉の内実であった。
 小泉首相がアジア近隣諸国との緊張を高めて、靖国神社参拝に固執するのは、戦没者遺族の気持ちを逆手にとって利用し、今度はアメリカの戦争のために若者を戦地に送るためであることは明らかである。それは小泉政府のもとで、イラクでの自衛隊員の戦死を想定した靖国神社への合祀計画が進められてきた事実が暴露されていることにもはっきり示されている。

 戦争動員が歴史的役割・靖国神社の歴史
 靖国神社は明治維新後の1869年、戊辰戦争で犠牲になった者を追悼・顕彰するために設立された東京招魂社を前身としている。その後、日清・日露、第1次大戦とつづく日本の軍隊がおこなった戦争での戦死者を「英霊」として祀るようになった。現在までの合祀者250万人のうち大半の220万人が、第2次世界大戦での戦死者であることに、靖国神社が果たした歴史的役割が示されている。
 靖国神社は一般の神社とは異なって、陸海軍省の管轄下にある半ば軍事施設であった。「天皇のために死んで靖国神社に英霊として祀られる」ことを理想とする教育・宣伝が、学校教育はもとよりラジオ、新聞、雑誌をつうじて大大的にやられ、「靖国でまた会おう」「あとに続け」という言葉が喧伝されるようになったのは、1937(昭和12)年を境とする日中全面戦争以後のことである。この頃から靖国神社は「祀られる」ことを想定して死地におもむく精神的支柱としての機能を明確に持つようになった。
 商業マスコミや各政党・政派は、「A級戦犯の合祀・分祀」「別の追悼施設の建設」などが問題の中心のように騒いでいる。だが、第2次世界大戦で、なぜあれほどの若者がみずからの命を無念の思いで捧げねばならなかったのか、天皇制軍国主義のもとで靖国神社がどのような役割を果たしたのか、いままた靖国神社が戦争のために利用されていることについて明確にすることだけは、注意深く避けている。
 戦後、GHQは民間教育情報局(CIE)の「神道指令」のもとで、靖国神社を廃止するのではなく、民間の1宗教法人として残した。こうして、「天皇のために死んだものが英霊として祀られる」という教義をそのまま存続させることを容認したのである。それは、天皇を免罪してアメリカによる間接支配に利用する方針と連動した対日心理作戦の一環であった。
 こうして戦後、国(厚生省)が合祀者の名簿を作成、提出したものを靖国神社が祀るという「政教一致」の形態が恒常化し、78年10月17日には東京裁判で「A級戦犯」として処刑された東条英機ら14人が非公然のうちに合祀されるに至った。これが、明るみに出て、赤紙1枚で戦争にかり出された戦没者遺族や中国など国外から強い抗議が示されたのは当然のことであった。

 意図的なメディア宣伝 「平和主義天皇」演出
 こうしたなかで現在、マスメディアによって「平和主義天皇」が意図的に宣伝され、「A級戦犯が合祀されているから天皇が参拝できなかった」「天皇陛下が安心して参拝できるような環境を」などという論がふりまかれている。
 天皇制軍国主義は「八紘一宇」「大東亜共栄圏」の美名のもとで財閥と地主階級の利益のための戦争に、「天皇のために死ぬことが国のため、家族のためである」といってだまし、「大元帥」である天皇の命令のもとで、多くの若者を戦場に駆り立てていった。しかも中国の抗日統一戦線によって決定的敗北をなめたあと、アメリカとの戦争で「国体護持」だけを願い、無防備のままアメリカの攻撃にさらし、中国や南方で飢えと病気で死んで行くにまかせた。その最大の責任が昭和天皇にあることは明白である。
 一方、アメリカは中国をはじめとするアジアでの日本の植民地権益を奪い取るために日本本土の単独占領支配を早くから計画し、その途上から野蛮な攻撃を仕かけ、アジア人民とともに日本の若者の命を次次に奪っていった。そして、天皇をはじめとする日本の支配層を目下の同盟者に従え、戦後日本での植民地支配を実現した。それはいまや、日本の国土と人員をアメリカの国益のための戦争に動員するところまで来ている。
 アメリカのブッシュ政府は「靖国問題」をめぐる騒ぎを「日本の国内問題」として静観する態度をとっており、小泉首相の参拝とともに「天皇平和主義者」のキャンペーンを事実上、認めている。それは、第二次世界大戦におけるアメリカの犯罪を隠ぺいし、戦後「民主主義」の名で日本国民をだまして占領、支配してきた真実にベールをかぶせ、新たな戦争に従わせるうえで都合がよいからである。

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