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肉弾作り意図した政治介入
教育委員会制度抜本見直し
              戦後の「教育の独立」覆す    2014年1月31日付

 安倍晋三首相が28日の衆院本会議で、「現行の教育委員会制度を抜本的に見直す」と表明し、自治体の教育行政のトップである教育長を教育委員会が教育委員から選出する従来の方式を変え、首長が任命できるようにする関連法改正案を3月にも国会に提出する構えを見せている。秘密保護法、安保基本法などで戦時国家づくりを押し進める安倍政府が、「尖閣諸島は日本の固有の領土」であることを教科書に書き込むなど近隣諸国との対立をことさら激化させながら、同時に教育の国家統制をあからさまにし、政治介入を深める動きを見せている。それに対して、子どもたちを再び戦火に投げ込んでいくことを許してはならないという世論が、教育界はもとより全国で噴出している。子どもを平和の担い手に育てる教育運動を急速に発展させることが迫られている。
 日本の教育行政は、第2次世界大戦の反省から、国や自治体首長の下請機関になってはならず、「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」として、独立した組織と定められてきた。現行の制度では、首長は予算編成や教育委員選任などで教育行政にかかわるが、実務は教育長がおこなっている。自治体の首長に任命された原則五人の教育委員が、使用する教科書や教員人事、学校での教育内容や方針を合議で決めるとされている。
 安倍教育改革ではこの根本原則を覆し、「教育委員会を首長の付属機関」すなわち政治の直接支配下において、教育を時の政権の意のままにできるようにする体制作りを目指したものになっている。近年、教育現場では自由、民主、人権を掲げたイデオロギーが浸透するなかで散散な崩壊状況がもたらされてきた。その状況を批判する格好をして身を乗り出しているのが安倍グループで、「教育再生」の仮面をかぶり、やろうとしていることは教育への政治介入という、戦後こえられなかった一線を踏みこえ、為政者の側が指図する関係に切り換えることを意図したものになっている。
 安倍政府の教育行政の抜本的見直しは、昨年末政府の中央教育審議会に地方教育行政の最終責任を教育委員会から首長に移すべきだという改革案を答申させて遂行する形をとった。その内容は@首長が教育行政の大綱的な方針を策定、A首長が任命・罷免する教育長が日常事務を執行、B教委は大綱的方針などを審議――というもので、あくまで首長、つまり国と行政が教育を統制するよう求めるものである。
 現状の教育委員会が学校現場の実情に深く学び、子どもに愛情を注ぐ現場の教師と一体となって、父母や地域とともに臨機応変に、次代を担う子どもの教育環境を整えるために機能していると感じる者はいない。それは、教育委員会が学校現場を無視した文科省の指示をそのまま持ち込み監視し、締め付けるための機関となっているからにほかならない。教育の崩壊状況についても、だれもが認めるものとなっている。
 ところが、それを「責任の所在があいまいな教育行政システム」の問題にすり替え、教育勅語によって子どもたちを「お国のため」といって戦争に駆り立てた時代を美化する勢力が批判者になって、今度は武道を必修にしたり、「首長が任命する教育長が責任者」で「教育委員会はその諮問機関」とすることで、思うがままに動かそうとする動きとなっている。

 首相人脈の人物が采配 下関の教育行政

 首長が任命して意のままに動かす教育行政というものを具体的に想像したとき、安倍首相のお膝元である下関では、わざわざ法制化されなくても、早くから教育行政に対する政治介入が実行されてきた。江島市政のもとで、文科省の「モデル事業」として全国最大規模の教科教室型校舎の建設が持ち込まれ、おかげで学校崩壊状況がもたらされたり、安倍首相人脈で教育長に天下った文科省キャリア官僚が、「アジアへの植民地支配はなかった」と主張して大騒ぎを引き起こしたり、全国でも前例がない大規模な学校統廃合計画をぶち上げたり、その都度問題になってきた。
 文科省キャリア・嶋倉剛(前教育長)の任命権者はだれの目から見ても安倍首相で、教育委員たちが互選によって選んだと思う者などいない。郷土下関に縁もゆかりもない男が、政治家に見込まれて教育行政のトップに君臨し、やったことといえば、勉強についていけず、暴れている中学生たちを端から警察送りにしたり、解決能力のないことばかりで、最終的には混乱をもたらして収拾がつかない状況にしたあげく、文科省にのしをつけて送り返された。
 下関では教育委員どころか首長にも任命権はなく、親分の国会議員が任命権を持っている関係であること、40代の若手官僚に60歳近い校長クラスまで含めた人生の先輩たちが平身低頭となり、子どもたちにはとても見せられない光景となった。
 あるいは現在の波佐間教育長を見ても、中尾市長との蜜月を恥ずかしげもなく県の校長会で自慢したり、中尾市長の主催で、みずからの自費出版本の出版記念会に現場の校長を集めて総スカンを食らったり、しまいには、学校に中尾市長を招いて子どもたちに授業をするまで、安倍教育改革を先取りした「政治介入」を実践している。中尾市長が魚のさばき方教室をするくらいならまだしもいったい授業をして何を教えるのか想像しただけでゾッとするような状況がある。「学力コンプレックスが昂じて先生の真似をしたくてやれないのだ」と水産関係者のなかでいわれている。
 中尾友昭や安倍晋三、あるいは岩国の福田市長、上関の柏原町長など、彼らの知能レベルや価値観にもとづいて子どもたちが成長してよいか、あちこちで周囲にケンカばかりふっかけて回るような大人になってよいか、広く有権者に問う機会を設けてみてもおかしくない。石原慎太郎であったり、橋下徹であったり、あのような大人たちが教育の見本として采配を振るい、いったいどんな子どもたちが育っていくのかは考えないわけにはいかない。
 また、「教育再生」なら、政治資金を使って怪しげなパブに入り浸る秘書とか、箱物をする度に利権疑惑を抱えたり、調子付いて一夫多妻制をやる首長とか、歓楽街で婦女暴行沙汰を起こしてカネで解決する議員とか、他を押しのけてでも行政の発注業務を独り占めして破綻するブレーン企業とか、まずは安倍事務所のまわりから再教育すべき者が山ほどいることについても、同時に問題にされなければならない。
 大阪市では、橋下徹が桜宮高校のバスケット部の生徒の自殺に際し、「教育委員会には任せておけない。首長が陣頭指揮をとる。そういう条例をつくる」と公言してきた。そうして、市長が実質的に任命した教育長と組んで学力テストの公表、民間人校長の導入などを強行したが、川下りで生徒をボートから突き落としたり、母親に対するセクハラをやったり、ろくでもない実態が暴露されてきた。およそ教育理念など縁遠い者たちが、首長に気に入られただけで配置され、子どもの成長や機微など把握できるようなレベルではないこと、政治家に気に入られた者が実行する教育ほどいい加減なものはないことが実証された。

 「皆の為」の教育に活路 子供達の未来かけ

 「軍事と教育は譲れない」というのは、国民を欺いて戦争にかり出す支配者の合言葉である。「お国のため」「天皇のため」といって多くの若者を肉弾にし、国土を焦土と化した痛苦の体験は、そのうえで教育が重要な役割を果たしたことを消し去ることはできない。為政者の側は、教育、つまり人間作りに直接介入して、皇国史観を教えたり、「進め、進め、兵隊進め」といって戦争に人人を動員していった。批判力を奪い、科学的なものの見方を奪い、320万人が殺されたかつての大戦は実行された。
 その反省のうえに戦後は教育基本法ができた。政治権力のもとに教育を置いてはならず、直接に国民に責任を負う。従って戦後は教育委員は公選制で選挙で選ばれていた。それが再軍備が叫ばれる朝鮮戦争時期の1956年に任命制になるなど変遷をたどり、今日に至っている。
 84年に中曽根内閣の臨時教育審議会が発足して「教育の機会均等主義」をとり払い、「個性重視」の新自由主義を打ち出してから教育はガタガタになってきた。その後、興味関心第一の新学力観や「ゆとり教育」で授業内容を3割削減し、学校は五日制にして低学力を招き、今度は「改革だ」「学力だ」といって、軍国主義者の亡霊のような連中が正義面して、政治介入を深めるところへきている。戦争動員というが、その戦争たるや奴隷的に日本社会のカネを巻き上げられたうえに、米国本土防衛の盾になって地球の裏側まで出かけ、その権益を守る戦争であり肉弾になることを意味している。
 子どもを腐敗した社会に負けるのではなく、たくましい次代の担い手として成長させる教育運動は、教育行政の反動化、教育環境の荒廃とたたかうことと結びつけて発展してきた。自己中心的で敗北的な生き方や、平気で人殺しができる排他的で動物的な生き方を否定し、みなと団結して未来を切り開いていく力を持った子どもに育てていくことを、教育にかかわる者はみな切望し、戦後69年、反動的な政治とたたかってきた。
 戦争政治が再び教育に手を突っ込んできた状況のなかで、全国的な運動と世論を強め、教育現場から子どもたちの未来をかけたたたかいを広げていくことが求められている。

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