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原爆展全国キャラバン隊
岡山県を皮切りに全国展開
                   展示手伝う高校生も       2004年2月10日付

 長周新聞社が後援し、はぐるま座の劇団員による原爆展全国キャラバン隊は6日、岡山県内での街頭原爆展を皮切りに年間かけた全国展開を開始した。ときおり小雪がちらつき、強い寒風が吹きつけるなかで、多くの市民がオーバーの襟を立てて足を止めた。また熱心にパネル展示を見たあとで「これはだれかがやらなければならないことだ。このままでは原爆や戦争で亡くなった方方が浮かばれない」「ぜひ日本中に広げてください」と、キャラバン隊の行動が開始されたことに、熱烈な共感と支持、激励を寄せた。
  
 初日はJR倉敷駅前で展示
 初日はJR倉敷駅正面出口前で開始。70代の婦人は「イラクに行った自衛隊の人たちは無事に帰ってこられるだろうか。なんとか無事に帰ってほしい」と、大粒の涙を流していた。「奥さんや子どもたちが泣く姿をテレビで見て、胸が裂けそうです。日本はなんでもアメリカのいいなりになっている。小泉さんはアメリカの前でいい格好をすればよいかも知れんが、行けといわれた自衛隊の人らはかわいそう。わたしら国民がどんな思いをして税金を納めているか。血の出るような税金が変なふうに使われることに腹が立ってたまらない」と語り、「恐ろしい世の中になってしまったが、まだまだ日本人の人情はすたれておらん。わたしも応援するから日本全国にどんどん行きなさい」と、つつましい年金生活のなかからカンパを寄せた。
 生き別れになっていた母親を捜すため、10歳のとき、原爆投下から一年後の広島へ一人で行ったという60代の男性は「原爆で石段に焼きついた人の影がまだ残っていた。しかし苦しいなかでもみんな助けあって生きていて、温かかった。わたしは広島の人たちに助けられて育てられた。それと比べていまの世の中はすさみきっている。政治家がとくにけしからん。原爆を落としたアメリカには絶対謝罪させんといかん」と、アメリカに謝罪を求める広島アピール署名をしてパネル冊子を買い求めた。
満州から引き揚げてきた70代の婦人は「中国に残された孤児たちを思い出し、たまらない気持ちだ。戦争で悲惨な目にあうのはいつでも庶民ばかり。夫も“自衛隊員はイラクには行かんといえばいい。なにかあったら一番先にいる人が犠牲になる。小泉は年金でも医療でも年寄りを切り捨てる政治をやっている。これは五公五民だ。へたしたら六公四民にされる”と腹を立てている。これからの日本はどうなっていくのかほんとうに不安に思います。ぜひがんばって」とカンパを寄せ、冊子と詩集を買い求めた。
「ぼくのお婆ちゃんは長崎の爆心直下の浦上で、家も家族もすべてを失い、たった一人で生きてきた」という高校3年の男子生徒は「原爆がどんなものかを知りたいと思っていた。いまのぼくらだったら生きていけない。爺ちゃんや婆ちゃんたちは、たいへんな苦労をしてきたがすごく人間味があるし、力強い。もっともっと、こういうことを伝えてほしい」と若い瞳を輝かせた。また通信制の高校にかよっている青年は「ぼくにもなにかやらせてください」と積極的にチラシ配りを買って出て、原爆展運動の協力者になった。

 大原美術館の近くでも展示
 7日には大原美術館近くの旧倉敷村役場(現観光案内所)前とJR倉敷駅前の倉敷センター街入口で、街頭原爆展をおこなった。
 この地域の清掃や管理をしている男性は「すばらしいことをやってますね」と心から歓迎し、「最近の若いものはめだちたがり屋になっている。戦争で犠牲になった人たちがいまの日本を見たらなんと思うか。親が子を殺したり、子どもが親を殺したり……」といいかけて絶句した。町内の子ども会の役員をしている飲食店の主人や、路上で土産物を販売している露天商、観光用の人力車の車引きをしている人たちも集まってきて、岡山空襲の体験や自衛隊のイラク派遣の問題、昨今の乱れた世相などについて大きな声で語りあっていた。
 広島から観光に来た2人連れの婦人は「わたしたちは広島から来たんですよ」と満面の笑みでかけ寄ってきた。「語り継ぐ我も生きなん原爆忌」という自作の句を読みあげ「ぜひ全国でがんばってください」と多額のカンパを寄せた。年配者の観光客の一団も全員が足を止め、パネルに釘づけとなって「言葉がないのう」とうなずきあっていた。
 地元の70代の夫婦は「これまで自民党を支持してきたが、小泉はなにを考えているのかといいたい。自衛隊をイラクに行かせるのはまちがっている。犠牲者が出たら三億円出すというが、お金の問題ではないだろう。政府は2人の外交官が亡くなったことをもう忘れている。忘れるのが早すぎる!」と怒りを語った。
 倉敷センター街入口では、同じ日に開催されていたイラク戦争や湾岸戦争の写真展会場で「署名をして」と頼まれたが「どうしても納得できないので断ってきた」という婦人が、熱心に原爆展パネルを見たあとで「アメリカにいくら多額のお金を出しても、日本を守ってくれるわけがない。日本人の命は日本人が守るしかないと思う。だからイラクへの自衛隊派遣をどう考えたらよいかわからなかった。この原爆展の内容はすばらしいと思う」といい、「この署名なら喜んでやらせてもらいます」とペンを握った。「北海道出身の主人の父は、沖縄に行った部隊の衛生兵だった。父は結核のため、内地に送り返されて無事だったが、所属していた部隊は沖縄戦で全滅した。だから、戦争のことは一言も話そうとしなかったが、戦後30年たって、どうにも身体が悪くなったとき、どうしても沖縄へ行かせてくれと命がけで慰霊の旅に出た。そういう人たちの気持ちがわからないような平和運動は大嫌いです」と、パネル冊子と詩集を購入して帰った。

 若い世代の熱い反応際立つ
 8日の日曜日、JR岡山駅中央口でおこなわれた原爆展では、中・高生や大学生、専門学校生などの若い世代の熱烈な反応が際立った。
 一度社会に出て働いた後に専門学校にかよっている若い婦人は「親のスネをかじれば楽だろうけど」と、学費などの金銭面での苦労や心の葛藤を語りながら、「原爆ドームを見に行ったが、帰ったら忘れてしまっていた自分がくやしい」と、積極的に署名に応じた。
 高校三年の男子は「このような純粋な運動こそたいせつだと思う」と真剣な表情で語りかけた。「ぼくはなにも勉強していないが、党利党略に原爆を利用している勢力がいることは知っている。戦前の日本が真暗のようにいいながら、原爆反対をいうのは矛盾している。戦後社会がよくなったという人たちは、原爆を落としたアメリカに感謝していると思う。この展示は日本人としてとても大事なものだ」と署名に応じた。
 その高校生を見ていた専門学校生は「ぼくらも負けてはいられない。広島の資料館に行ったことがあるが、このパネルはすごい。いままでかくされていた、だれかが表沙汰にしなかった残虐な実相と、なんのためにアメリカが原爆を落としたのかが、はじめてわかった。その醜い戦略にいまの日本は完全に乗せられている。政治に興味のなかった若者の一人として、こんなことではいけないと思った。これからの生き方を考えるきっかけになりました」と、さわやかな笑顔でうなずいた。
 また岡山大学の修士課程で政治学を専攻している学生は「友だちに防衛大学の学生がいるが、かれは侵略戦争をやるために入ったのではない。郷土愛からだといっている。いまにイラク国民が激怒して、自衛隊に銃をむけるときがくるのではないかと不安でならない。犠牲になるのは、友だちのような日本の青年だ。一党一派の利害ではなく、いまこそ力のある国民的な運動を下からつくっていくべきだ」と熱く語り、キャラバン隊を激励した。

 今後の日程
 なお今後の行動予定は9日に玉野市、10日に笠岡市、11日に岡山市で展示した後、12日から16日までは大阪市内で展示する。その後17日から22日まではふたたび岡山県内の北部を中心に展示する。

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