トップページへ戻る

『原爆と戦争展』パネル一覧紹介ページへ



「原爆と峠三吉の詩」原爆展全国キャラバン隊報告
沖縄戦の真実    千人の沖縄県民に聞いた本当の声 
    
     1,ルポ・沖縄戦の真実/2,沖縄キャラバン一次行動座談会/
     3,長周新聞号外・沖縄戦はせずとも戦争は終わっていた/
     4,沖縄キャラバン二次行動座談会/5,ルポ・怒りの島は訴える
     6,長周新聞新年座談会・なぜ320万人も殺されたか
                                       
                発行 長周新聞社 A5判 86頁 定価500円

 長周新聞社は、『沖縄戦の真実−千人の沖縄県民に聞いた本当の声』と題するパンフレットを、「原爆と峠三吉の詩」原爆展全国キャラバン隊報告として2月1日に発行した。
 パンフレットは、原爆展キャラバン隊として参加した劇団はぐるま座・富田浩史の2編のルポルタージュ「沖縄戦の真実」と「怒りの島は訴える」、沖縄キャラバン隊の第一次、第二次行動を報告する二つの座談会、長周新聞号外「沖縄戦はせずとも戦争は終わっていた」、長周新聞新年座談会「なぜ320万人も殺されたか(抜粋)」の6編で構成している。また、47枚の写真や米軍の沖縄侵略の地図を使い、沖縄戦の真実に視覚をとおしても迫っている。
 これまで沖縄戦といえば、「日本軍が住民を壕から追い出したり、スパイ容疑で殺害したり、あるいは凄惨な集団自決にすら追いこんで“本土決戦”を準備するための“捨て石”にした」という一つの面が強調され、他方では「アメリカの対日戦争の目的はあたかも戦争を早く終わらせる人道的なものであり、アメリカは平和と民主主義を代表する“解放者”である」かのようなあつかましい欺まんがまかりとおってきた。
「住民を集団自決に追いこんだ責任は日本軍のデマ宣伝や皇民化教育にある」「亡くなった人人は戦争の犠牲でもあるが、被害ばかりをいうべきではない。それは県民が“天皇の赤子”としてアジア侵略に加担したことへの“報い”でもある」とすらいわれ、沖縄県民が沖縄戦の真実を語ろうにも、語れないように抑えつけてきた。それは広島の人人の口に鉄をかませた抑圧構造とまったく同じものだった。
 約二カ月間をかけて沖縄県内各地で展示した峠三吉の原爆展パネルの参観者は「沖縄も同じだ!」「アメリカは絶対に許せない!」と熱烈な共感と支持を寄せた。「欺まんのベールは剥がさねばならぬ!」――大多数の沖縄県民にとって、沖縄戦は過ぎ去った過去のことではない。戦後60年たつ今日、ふたたび近づく戦争を阻止するために、その真実はどうしても伝えなければならないという思いで、思い出すのもつらく苦しい沖縄戦の体験をあふれるように語った。
 「わたしも艦砲の食い残しだよ」「家族6人のうち4人がいっぺんに艦砲で殺された」「避難する途中、目の前で父親がヤンキーに撃ち殺された」「姉の友人が米兵に乱暴されて惨殺された」等等、60年間抑えつけられ、語ることができなかった沖縄戦の体験が、堰(せき)を切ったように語られた。約1000人の県民が直接に体験した、動かしがたい壮絶な事実を総合して描き出された沖縄戦の全体像は、これまでの欺まんのベールを木端みじんに突き破って、衝撃的な真実を歴史の表舞台に引き出している。
 なぜアメリカはすでに日本の敗戦が決定的になっていた1945年3月の段階で、人口60万人の沖縄に約55万の軍隊、1500隻の戦艦を送りこみ、県民の4分の1にあたる約15万人もの住民を無差別に虐殺し、11万人の日本軍もわずか7000人の捕虜を残して皆殺しにしたのか。なぜ天皇をはじめとする日本の支配中枢は、負けるとわかりきっていた日米戦争に突きすすみ、320万人もの犠牲を出すまで戦争終結をひきのばしたのか。なぜもっと早く降伏しなかったのか。「鬼畜米英」「一億玉砕」と人人をかりたてた天皇と支配層が、なぜ戦後はアメリカべったりになり、いまや自衛隊をイラクに送り、いっしょに戦争をやろうとしているのか。
 「アイスバーグ作戦」と名づけられた米軍の沖縄上陸作戦の任務は、「沖縄を奪いとって、米軍の基地として整備し、沖縄諸島における制空、制海権を確保」「中国大陸への道筋とした、ロシアの拡張主義に対抗する拠点として、沖縄を保護領その他の名目で排他的に支配することが不可欠」であった。戦争を終結させるためでも、日本の人民を軍国主義から解放するためのものでもなかった。
 そして、アメリカは1941年すでに「天皇を平和の象徴として利用する」戦略を持ち、単独占領後は「ヒロヒトを中心とした傀儡(かいらい)政権」を提言した。他方天皇側近の近衛文麿元首相は米軍の沖縄上陸直前の1945年2月、「英米の世論は国体の変革にはすすみ居らず、もっとも憂うべきは敗戦にともなって起きることあるべき共産革命にござ候」と天皇に上奏している。天皇と支配層中枢は、なによりも人民が立ち上がって革命を起こすことを恐れていた。他方で、英米が天皇制を廃止する考えを持っていないことをすでにつかんでいた。天皇が生きのびていくためには、いかにも「アメリカに敗北した」かのようにみせかけなければならなかった。国内のいっさいの反抗の芽を摘んでおくためには、力のある若い兵士がアメリカによって殺されるだけ殺され、広島と長崎が原爆によって焼き尽くされ、国民全体が都市空襲の炎の雨を浴び放題に浴び、絶望と飢餓のどん底に突き落とされていくことは、かえって好都合なことでさえあった。
 天皇と支配層中枢は、やすやすと国を売り渡し、侵略者の手下となってみずからの地位を守った。そしていまではアメリカの国益の下請として日本の若者をふたたび戦争にかりたて、日本全土を原水爆戦争の戦場にしてはばからないという売国、亡国のきわみにまで行き着いている。
 戦後60年を迎える今年、戦争の痛手のなかから立ち上がり、平和で豊かな社会を築くために努力してきた日本人民は、戦後の日本社会がなぜこんなでたらめな社会になったのか、320万人もの肉親が殺された第二次世界大戦はなんだったのか、どうしたら、戦争を押しとどめ、平和で豊かな日本をつくることができるのかといった戦後総括の問題意識を高めている。 パンフレット『沖縄戦の真実』は、こうした問題意識に正面からこたえ、戦争を阻止する迫力ある人民運動をまき起こす力強い武器になる。

トップページへ戻る