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<論壇> 大型店が増えなければ困る市民は一人もいない  2006年2月23日付

 市民に嫌われながら安倍代議士事務所丸抱えでかろうじて当選した江島下関市長は、下関の切り売りに突っ走っている。関門海峡に面する下関の一等地である唐戸の埋め立て地「あるかぽーと」を二束三文で売り払い、なにがなんでも大型店を引っぱってこようとしている。
 下関市民は大型店がふえなければ買い物に困るなどと思っているものは一人もいない。むしろ年寄りなどは、大型店がたくさんできすぎて近所で買うところがなくなって困っているし、商店街が寂れて地域の祭りすら困っている。それ以上に市民全体が困っているのは、買おうにも買う金がないことである。下関で仕事がなくなり、賃金はへり、食えるような収入がない。下関の経済全体でいえば市民の購買力がへっていることが問題なのであり、大型店を必要とするほど下関は繁盛していないのが問題なのである。
 さらに大型店があまりにもふえすぎて、小さな小売商店は少なくなり、農水産物をはじめ食料、衣料その他の生活物資の生産者は、市場占有率を高めた大型店にさんざんに買いたたかれ、これら生産者の購買力をますますなくしている。そしてもうけも税金も下関に回すのではなくみなよそへ持って逃げ、下関の貧乏状態はますますひどくなっている。江島市長は、市民が困ること、市民以外のだれかだけが喜ぶことばかり、執念のようにしてやっている。
 購買力がへっている一番の目安は人口がへっていることである。10年、20年まえと比べると、とくに就業人口がへって、小・中学校にかよう子どもの数が激減している。若い夫婦が子どもを産める収入がないのである。大昔の「間引き、逃散の時代」が再来した状態で、市民は食いぶちをへらす羽目となっている。だれが見ても、生産し富をつくり出すことが、現金収入の源泉である。それが発展するなら、商店はわざわざ誘致する手間をとらずとも集まってくる。
 戦後の下関は水産業を基本にして発展してきた町である。下関の水産業は衰退したとはいえ、これらの周辺産業をふくめた技術や人材などの蓄積はなお豊富である。江島市長になると、歴史を持った唐戸市場などは利権の道具にして80億円もの建築費を押しつけ、今度は代議士どもの顔を立てるために漁港側に引っ越しさせるなど、水産業、製造業などはワザとでもつぶそうという市政をやってきた。
 市民のだれ一人つくってくれと願っていないのに、江島市長が執念を燃やす「あるかぽーと」開発は、だれもがいかがわしい連中がまとわりついた汚い利権だといっている。「改革の旗手」・ホリエモンは個人投資家から数千億円をだましとって紙切れに変えたが、「市場原理主義」市長の原理は、商売原理主義、市民の財産の略奪原理主義というほかはない。総理大臣になろうかという安倍晋三氏はどうしてこんなことをやらせるのか。「あるかぽーと」の埋め立ては税金でつくったものであり、一部のものの利権や商売のためではなく公共のために、下関の発展のために使わなければならない。
 「あるかぽーと」問題は直接には商業者の死活問題である。それだけではなく、仕事を求め、食える賃金を求めるすべての市民の死活問題である。このようなデタラメ計画を撤回させ、下関のまともな発展をめざす商業者、各産業の業者、労働者、全市民の力を結集することが求められている。

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