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  <論壇>  下関変える市民の力大結集が市議選の最大注目点   
                                         2010年10月20日付

 「下関は寂れきってしまった。このままではつぶれる」「下関を変えなければならない」という市民の世論が熱気を帯びている。自民党政府からつづく民主党政府の市場原理、新自由主義改革の政治は、地方自治体で具体的に実行された。それは生産を破壊し、働く人たちの生活を破壊し、社会のまとまりを破壊する略奪政治であった。安倍晋三元首相、林芳正代議士の代理市政をつづけてきた江島、中尾市政がその先端を行って、全国先端の寂れ方をしたのが下関の現在の姿である。
 地域を活性化させるのは金融機関などではなく、産業であり体を使って働く者である。下関では周辺に広がる農林業、沿岸漁業と、水産業、造船、鉄工などの産業が基幹となって、経済全体に金が回って街を栄えさせてきた。近年の市場原理政治は、これらの産業を「競争力を無くした時代遅れ」とみなし、つぶれるのは当然といって切り捨ててきた。そしてやったのは、教育や医療、介護、社会福祉など公的な責任の放棄であり、大型ハコモノ利権の市外発注や新幹線駅や在来線駅の駅前開発、それにともなうマンションなどの銀行主導の不動産バブル奨励であった。また商店をなぎ倒し、生産者を買いたたき、無責任に撤退して買い物難民をつくる反社会的な大型店乱立の奨励であった。そのような人為的な略奪政治によって下関は寂れてきた。市民経済が寂れた結果、山口銀行は北九州や広島に殴り込みをかける羽目となり、市役所は税金収入が減って倒産の道をすすんでいる。
 来年1月の市議選は、この略奪政治をこのまま継続させて下関をつぶしてしまうか、それを規制して産業振興、雇用確保を中心とする下関立て直しへの道を切り開くかが、まったなしの大きな争点となっている。この選挙において市民の一人一人の世論を下から結びつけ、強いものにすることこそが転換を成し遂げる最大の力となる。選挙は立候補者が主人公ではなく、市民が主人公である。
 現有議会は、オール与党となり略奪政治の応援団となっており、自分の損得ばかり考えて、市民の生活とか下関の将来など考える議員はいないことに市民は怒っている。そして議会政治は万事利権政治であり、それに照応して選挙の構図は企業などいろんな組織、各地域などの、個別利害関係の上に乗っかったものである。そういう小さな利害に縛られている間に、略奪政治という大きな政治がまかりとおり、すべての市民が困難にさらされる結果となった。市民全体の共通利益をはかることを優先しなければ、市民個人個人はよくならない。
 今度の市議選で、民主主義と生活を守る下関市民の会が、ゴミ袋値下げ10万人署名、学校給食食器改善運動、満珠荘再開要求10万人署名運動など、新しい形の大きな市民運動を裏方の事務局要員として取り組んできた本池妙子氏を推している。これが放っておけば「しらけ選挙」になるところを活性化させている。
 この市民運動派の選挙は、下関をどうするかの大きな争点をめぐって、全市民的な利益をはかる私心のない性格を持つ。市民運動派としての純粋さを貫くためには、既存の組織に依存し、その個別利害に縛られるわけにはいかない。それは乗っかる組織がなく、選挙常識でいえば信じられない困難さをあらわす。宣伝戦と市民世論において優位に立つことが必要であるが、それだけでは選挙にはならない。市民が一人また一人と結びついて3000人を超える具体的な結集を実現しなければならない。それは多数の市民の大きな行動力を必要とする。
 市民の会では前回、「江島市政を打倒して市民の生活を守れ」という市民の運動によって兵頭氏を推し、3000票もの支持を得た。しかし議員になったとたん、議会に取り込まれて役に立たなかった。市民の会はこの四年の経験をへて、与党願望的な人たちが去り、婦人たちを中心とした私心のない純粋な運動の体質に純化してきた。それによって表向きの人員は減ったが、もっと広範な市民が結集できる可能性ができた。その可能性を現実のものにするには労力がいるのは当然である。
 市民の力を下から結びつけ、オール与党議会に風穴をあけ、略奪政治勢力が度肝を抜くような市民の力を見せることができるかどうか、下関の将来と関わって大きな注目点である。そこでできあがった市民の結集体は、選挙を勝利させる原動力になるだけではなく、選挙後は新議員と連携して市政と市議会を監視し、動かしていく力となる。


 

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