トップページへ戻る

<論壇>「グローバル」市政をマヒさせた全国に対する貢献  2005年3月29日付

 豊関合併にともなう下関市長選挙は、3期10年市長を務めた江島氏が、かろうじて当選したとはいえ、事実上の不信任となった。当選した江島氏が記者会見で顔をゆがめて敗北者のようにしていたのはそのためである。江島氏の得票は、4万数千票にとどまり、24万人の有権者のなかで、得票率は19%という惨憺(たん)たる結果となった。古賀、亀田氏と争った2期目でも、磯部氏と争った3期目も7万票台あったが、合併にともなう増加分を加味して比較すると、半分以下に激減し、支持基盤が崩壊したことを証明するものとなった。4期目の江島市政は、出発から「死に体」となった。
 今回の江島選挙は、「総理候補」といわれる自民党幹事長代理の安倍晋三氏のメンツがかかった選挙といわれた。そして安倍事務所が丸抱え選挙をやった結果が、得票率19%で、安倍氏のメンツは丸つぶれになった。それ以上に、つぎの衆議院選挙は大波乱を避けることができない情勢となった。
 一方中尾氏は、陣営の熱のこもったとりくみにもかかわらず、得票をのばすことができず僅差の落選となった。多くの人人は、江島氏にたいして劇的なほどの不信任をぶつけたが、対する中尾、松原氏にも、期待にこたえるとまでみなさなかったことが、かつてない棄権となってあらわれた。自民党中枢側からいえば、まずは松原氏を出して江島批判票を二分し、そして中尾氏を自民党にとりこんで江島批判者の期待を裏切らせ、中尾氏をつぶすという作戦であった。それに幻想を持ちすぎたことが欠陥であった。
 水産業界に関係しながら、郡部の漁村部などでも「ひとつもあらわれない」といわれるように、いつまでも自民党内をかけ回るだけで、市民そのもののなかで確かな支持を広げる努力があまりにも手遅れであった。なによりも、江島市政を批判して、政府のグローバル化路線による地方自治体圧迫のなかで、自分は下関をこう発展させるという政策がとぼしかったことが、支持が広がらないものとなった。これらは次回以後への重要な教訓である。
 江島選挙は、自民党の安倍、林派が、各業界組織から連合、公明党をも抱きこんで、あらゆる支配機構を総動員して支えてきたものであった。多くの市民は長年、いまいましく思いつつ、この支配構造に押さえつけられてきた。しかし、あきらめを乗りこえ、市民の運動と世論が一つに結びつき、難攻不落とも思われたこの支配構造を揺り動かす力を結集した。
 選挙では、自民党市政と市民の対立点が鮮明になっていった。突破口を切り開いたのは婦人たちがゴミ袋の値下げを要求する署名運動に立ち上がり、10万人をこえる署名が寄せられたことであった。それは市政を変える力を市民のなかで確信させる契機となった。そして、大手企業との関係では官制談合による地元業者のピンハネを思うままにする一方で、ダンピング入札による地元業者切り捨てというような、業者をつぶし、労働者を食えないようにすることへの、深い怒りが表面にあらわれた。さらに、市の埋め立て地に大型店を誘致し、地元商店をしめ殺し、生産者にたいする買いたたきを促進することへの怒りが噴き上がった。ゴミ袋運動の発展のなかから、学校のトイレは壊れたまま放置し、給食食器はアルマイト製の犬猫以下のあつかいにしたまま、というような、非教育的な行政を改めさせる運動が広がった。
 江島市政が登場したのは1995年で、同じ時期に安倍晋三、林芳正代議士も登場した。その若手トリオで実行した市政は、政府がグローバル化と称してアメリカが要求する構造改革、規制緩和、市場原理、自由競争というものであった。このグローバル化というものが地方の市政において実行されたならばどうなるかを、もっとも典型的に示したのが江島市政であった。
 それは、中小業者にはダンピング入札の自由といいながら、大手の方は官制談合の自由をやるというインチキであり、一部のものがさんざんにピンハネをして働くものに首をつるかホームレスのような生活をせよというものであった。そして「もうかるかどうか」が唯一の正義で、教育も医療も福祉も社会的な保障を切って捨てることが時代の進歩であるかのようにふるまうものであった。それは英語やコンピューターという新しいものを使って、実際を貫く精神は徳川時代の悪代官や悪徳商人と変わらぬ時代遅れにほかならない。時代の進歩を代表しているのは、人に寄生してピンハネする側ではなく、生産する勤労人民であり、労働者の側である。
 このデタラメ市政にたいして市民の批判はうっ積しているのに、市民を代表して対抗する政治勢力が崩壊し、のきなみ翼賛化してきたことが、市民に聞く耳のない、まれに見る市政を10年もつづかせる要因となった。それは大きくは、戦後世界を形成してきた米ソ二極対立構造が90年代に入って崩壊したのちの、アメリカの一極支配の波が押し寄せて、社会党やニセ「共産党」集団が「安保」や天皇や原発などを認め、体制内利権派になっていく時期のあだ花であったといえる。このような「グローバル」市政をマヒさせたことは、下関市民の全国への貢献である。
 選挙は市民の力が津波のような力となって、下関を食いつぶす支配構造を揺さぶったことが最大の特徴となった。それは支配勢力の心胆を寒からしめるものとなったし、江島市政をしていままでと同じようなことはできないところに追いこんだ。市民の側はこれを確信にすることができるし、この力はいっそう強いものになることは疑いない。市政を市民の手にとりもどす原動力は市民自身の世論と運動である。
 四期目の江島市政は、はじめから市民に縛られた状態にある。この間の市民要求の問題をはじめ、選挙まえのデタラメな博物館入札問題を改めさせる問題など、江島市政を追及して下関のためをはかる市民の運動を強める条件は大きくなった。さらにデタラメな江島市政を支えてきた腐った市議会を刷新することが不可欠の課題である。また警察も、江島市政をめぐる数かぎりない疑惑について、見て見ぬふりをしてきた。大手を振る悪にたいして摘発してウミを出させ、「下関にも警察はいたのだ」と市民に思い出させてほしいものである。これも市民の圧力を強めることが不可欠である。

トップページへ戻る