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<論壇> 上関原発撤回、町再建へ9月町長選が最大の焦点
                                     2011年6月29日付

 二井関成山口県知事は、最後の新規立地といわれてきた中国電力の上関原発計画について、来年10月を完工の期限とする埋め立て免許の延長申請を認めないことを明らかにした。福島原発事故によって、定期点検で止めた原発の再稼働すらできないなかで、新規立地のめどがないという現状を追認したものである。そして国の原子力政策の方向が出たなら協力するという、あいかわらずの人のせいにする姿勢をあらわした。
 二井知事が出した埋め立て免許は、祝島をのぞく七漁協との間で漁業権変更の合意ができたので祝島の漁業権もなくなったと欺いて、祝島をあきらめさせ、補償金を受け取らせて、のちに漁業権変更を認めさせてつじつまを合わせるというペテンの手口を使ったが、祝島がそれを断固拒否し、「先走りの無効」が暴露されていた。二井知事が埋め立て許可にこだわるのは、自分がやったこのドジを、この機会に責任回避する思惑をうかがわせている。
 上関原発はもはや建設のめどはなくなった。福島原発は4カ月近くになるのに未だ収束のめどは立たない。新規原発をやろうにも、事故の検証も安全審査の基準も立てようがない。アメリカにいわれるまま地震列島に54基もの原発を建て、巨大津波の証拠を見せられても聞く耳がなく、事故が起これば手も足も出ない。事故が起きたときの避難の準備はなにもなく、爆発によって放射能を大量放出しているときにその事実も風向きも住民には知らせなかった。かれらには住民の生命、安全を守る意志は全然なかった。事故は、東電や東芝、日立そして保安院など政府、原子力学者、メディアなどが、原子力を制御する意志も力もないことを証明した。
 そして周辺20`圏内のすべて、40`圏の飯舘村、50`圏の伊達市などまで強権的な立ち退きを強いた。放射能汚染は200`離れた東京、300`離れた静岡の茶葉まで影響をうけた。上関原発でいえば、上関町はもちろん平生町、柳井市なども強制立ち退きで、50`圏なら山口県東部の周南市から岩国市まで、100`以内なら広島市から愛媛県松山市、100`を超えた範囲の下関市から北九州市、大分市、別府市に影響がおよぶ。海洋汚染でいえば、周防灘、伊予灘はもちろん閉鎖水域である全瀬戸内の漁業に壊滅的な打撃となる。瀬戸内海のど真ん中という上関は日本全国で見てもっとも無謀な立地である。
 福島事故は、原発建設の手続きも、立地町と隣接町、地先の漁業権者と県知事の合意だけでは済まず、周辺の各県全域の住民、自治体、漁協の合意が必須であることを示した。中電は事故が起きたら収束する力も賠償金を支払う力もないが、上関原発の推進合意を得るために、これらの五県にわたる全地域を買収する力もない。上関の対岸にある四国電力の伊方原発も同じで、愛媛県のみならず山口、広島、大分、福岡各県の全自治体、全漁協の同意なしに稼働を継続することはできない。
 上関原発をめぐっては、「凍結」なる様子見ではなく、この機会に断念、撤回させなければならない。最大の焦点は九月の上関町長選挙となる。それは全国の原発の動向とも結びついて全国的に大きな影響力を持つことになる。上関町では30年つづいた原発問題のなかで、町はまるで津波がきた東北のような寂れ方となってしまった。町は中電町となり、政治的、経済的、社会的に甚大な「原発災害」を受けてきた。いま、原発建設のめどのないまま今後10年、20年をズルズルと過ごして廃村に導くのか、めどがなくなった現実に即して町民の意志で原発計画をきっぱりと断念させ、新しい復興の方向にカジを切るのかが迫られている。
 中電の30年に及ぶ介入のなかで、町は売町政治が支配して一部のものだけがいいことをし、町の固有の産業と町民生活が破壊されてきた。中電支配のもとで町民はバラバラに分断され、お互いが疑心暗鬼を強いられ、共同して生産し生活するという歴史的に形成されてきた地域共同体としての人情が破壊されてきた。若者は嫌になって町を出てゆき、年寄りは死んでいく。そして人口は30年前の半分に減った。
 上関町の全歴史は漁業を中心に発展してきたし、今から先も同じである。縄文、弥生遺跡も豊富だが、古来豊かな海と山が住みやすい条件を与えてきた。上関に限らず日本の農漁業はきわめて困難ななかにある。経営が成り立たないようにしているのである。しかし世界中でヘッジファンドなどというイカサマ金融が暴利をむさぼって、都会で人人が食べていけなくなり、また世界的な食料危機が大問題になるなかで、食料自給は民族存亡の課題として迫られざるを得ない。それは敗戦後の都市の荒廃のなかで、上関の海と山が人人を立ち上がらせていったことがよく教えている。
 上関町の立て直しはいかなる事態にあっても漁業が中心である。海運業、漁業と結びついて造船、鉄工業などがあり、商業と地域社会が形成されてきた。上関は幕末に長州藩有数の商業都市として発達した歴史があるが、戦後は工業崇拝、都市崇拝で漁業蔑視の敗北主義の流れがあって、漁業は不断に見下される位置に置かれた。その頂点が原発を持ち込んだ中電の支配であり、働かずに金を求める投機的な売町政治の培養であった。町民のなかでは、売町的な投機主義か生産による振興か、中電主導で廃虚になる町か、町民主導で生産振興による町の発展かが迫られている。
上関の漁業は未開発部分が多い。被災した岩手県では、船外機付きの一トン未満の船でワカメやひじき、ホヤ、ホタテなどの漁で年間1000万円をあげていた。その漁協は浜の共同体の結束が強いところであった。長い海岸線の上関では、大きな船でたくさんの油を焚かずとも、磯の近くでワカメ、ヒジキなどの海草の採取、養殖、それにつくアワビやサザエ、ウニなどが増やせる余地は大きい。加工して付加価値をつけたり、広島市場で最高の評価を受けている上関の活魚の出荷の工夫をするとか、余地がある。さまざまな漁業の盛んな地域を視察し研究するなら、いくらでもやることがある。それを可能にするのは、推進の道具となった個人バラバラの競争関係ではなくて、漁協を中心に漁業振興による町づくりという共通目標で結びついた共同体としての結束の回復である。
 9月の上関町長選は、30年におよぶ推進派、反対派で分断された町民の大団結を回復し、中電支配の売町政治を転換させて、町民主導の町づくりに転換するたたかいとなる。それは原発を抱える全国を大いに激励することになる。
 
 
 

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