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   <論壇> 原発断念か延長か得票数が勝負の上関町議選    2010年2月3日付

 原発建設問題を最大争点とする上関町議選挙が、9日告示、14日投開票と迫っている。今回の町議選挙は、祝島が補償金受けとり拒否を決議して最後的に祝島との漁業権交渉が決裂し、二井知事の埋め立て許可は無効が確定し、中電の原子炉設置許可申請も条件を満たすことができず、28年に及ぶ原発騒動が終わるところへきたなかで行われる。
 町議選は、祝島のこのたたかいに連動して、原発建設にとどめを刺す全町の力をいかに示すかが最大の焦点となる。原発を終結させ、中電を撤退させて、町政を町民の手に取り戻し、町民の団結、協力関係を回復し、漁業を中心とした町の地道な発展の道を開くという課題が、願望ではなく現実課題となっている。このなかで、祝島島民のたたかいが孤立したものではなく全町が呼応しており、原発終結は全町民の意志であることを示す選挙戦となる。
 選挙戦自体は立候補者の顔ぶれが出ているが、まことに低調である。その顔ぶれを見て「引っかき回し屋が増えた」という印象はあるが、「これで町が変わる」という印象はまるでない。選挙といえば、立候補者が主人公で、地縁血縁が勝負の分かれ目で、あとは人気投票の如く票をかき集めた方が勝ちというのが常識。そして議員ポストを得たものは、自分の損得ばかりが関心で、町民の心配などしたことがないという経験を長年やってきた。
 また選挙は、推進派と反対派の議席数が勝負というのが慣習としてある。議席数の配分は権力、金力の操作が及ぶ範囲にあり、それだけを期待していたら落胆するだけという経験も嫌というほどしてきた。実際上考えてみて、議席数が7対5になろうと9対3になろうと、町政にはなんの変化も起こらないと人は思う。また仮に選挙で六対六になったとしても、反対派から推進派に看板がえする「(元社民党)外村勉現象」が起きて容易に七対五になると見るのは常識の範囲である。
 選挙は立候補者が主人公で、有権者はその応援団であり、町民を見下して主人顔をするのが上関町の議員という評価は定説となっている。候補者が選挙の主人公であり、議席の数が勝敗の分かれ目だと思ったら疑いなく落胆することになる。上関町の選挙を動かしている原動力は、一方に権力、金力の中電や県とその代理人がおり、他方に全県、全国民と連携した素手の町民大衆がいて、その間で鋭い対立と斗争になってあらわれるという関係である。
 今度の選挙で最も注目点は、議席数ではなく得票数である。原発撤回が現実課題になっているいま、祝島に呼応して全町があらためて立ち上がり、反対票が推進票を圧倒することが可能な情勢になっている。祝島のたたかいと連動する全町の力を示すこと、それは同時に来年の町長選では逆転するという証しを示すことになる。それが中電、二井県政にとって強烈なダメージとなるし、祝島のたたかいが孤立したものではなく、その力をさらに強大なものにすることになる。
 町議選挙は、原発を断念させるか、ズルズル今後何十年もしがみつくかの賛否を問う住民投票としての意義が最も大きい。選挙は候補者の人気投票などではなく、町民の意志を示す場である。反対派候補のなかでも、町民から不適格と見なされるものはふるい落とされて当然である。町民から見て、役に立つか害が少ないと思われる候補を「原発断念」を意味する「反対札」として活用して、町民の原発断念要求の意志を示すことである。
 今度の町議選は、原発を断念させるのかどうかという争点を全町民の世論として鮮明にさせることが第一に必要である。この町の進路の重大な転換点に当たり、地縁血縁の個別利害を優先させている場合ではないという世論を強める必要がある。そしてそれを、町民が文字通り主人公となって大論議を強め、大衆主導の選挙にし、ある候補者を「反対札」として使い、推進票を上回る反対票を結集することである。
 それぞれの立候補者は、反省すべきは反省し、町民に認められるように頑張るほかはない。

 

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