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<論壇>候補者の為でなく町民の為の
          上関原発撤回めぐる選挙
    2003年3月1日付

 中国電力の上関原発計画を最大の争点とする六度目の上関町長選挙は、あと二カ月を切ったなかで、町民の論議が強まっている。
 町長候補は、推進派が片山町長と浅海氏があいついで事務所開きをして町内を回っているほか、反対派は山戸氏が表明したが町内を動く気配はない。推進派は漁協、町連協などの従来の推進派二軍族が浅海氏で動いている。浅海陣営は「片山がバカだからできない」と中電にあおられて鼻息を荒くしている。古手になる片山派は中電や国、県にほうり出されたとの恨みを強めながら二軍の反乱には意地をはるという形。しかしいずれ一本化することは疑いない。
 中電が片山町長をほうり出すことは、浅海氏が出ても原発の見こみはないという意味である。この二〇年余り、片山町長は推進の頭ではなく、みな中電がお膳立てをし背後で国や県が動いて推進がすすんできたからである。行きづまった環境調査を打開したのは山戸氏らが共同漁業権を放棄したからであり、そこには平井前知事、県水産部などが動いたからである。神社地問題も、地元にはどうしようもなく、神社本庁、中電、県や自民党、裁判所などがどうするかしかない。
 反対派候補は、人物としてはもっとも町民に嫌われている山戸氏で、反対派にもっとも票が集まらない形である。負けるつもりの山戸氏で、票差が接近するなら中電の敗北であり、もしも過半数を得る町民の力を示すなら大勝利となる。もっとも嫌われた反対派候補によってかつがつ推進派が勝てば、原発の見こみはないまま中電の原発利権だけを今後もつづけることになる。推進派が負ければ、現地の「バカな推進派」の責任といって中電が逃げる口実にするという形になっている。
 反対の意志を強める町民のなかでは、「人格的に信頼のない山戸さんをお願いしますとはとてもいえない」「原発を撤回するためにお願いしますといわなければならない」と語られている。そこで語られているのは豊北町の選挙である。候補は推進派の頭目の自民党安倍派に属する藤井氏であるが、選挙は町民の命運をかけた町民自身の選挙となり、海側からのべ数千人が山側を歩き反対を訴えて回り、原発を葬り去った。選挙は候補者のための人気投票などではなかったのである。そしてそのような町民の大衆的な原発反対の力があることが、藤井氏をして原発の撤回を貫かせるものとなった。
 上関町民はこの間の選挙で、どんな人物が立とうと、反対のために投票してきた。しかし立候補する側の反対派議員どもは、町民のための選挙ではなく、自分のための選挙にしてきた。そして町民の反対の力を自分の利益のために利用するだけで、年間報酬三〇〇万円の世界に充足し、腐りはてて推進派となれ合ってしまった。かれら自身がそれをよく知っているので、いま町民のなかに入ることもできない。
 山戸氏がいかがわしい人物であることは全町の評価である。山戸氏は町内を訪ねてお願いすることもせず、祝島の住民が長島側を訪れて心を割って話しあうこともさせないが、それは負けるつもりで出馬しているといわざるをえない。しかし選挙は山戸氏のための選挙ではない。町民が山戸氏の思惑の枠内でふるまう必要はまったくなく、町民の原発撤回の要求を実行させるために山戸氏を従えて使う関係である。
 町長選挙は、推進派候補と山戸氏のだれが利権を握るかをめぐる争いにするわけにはいかない。それは原発を持ちこんできた中電、国、県という金力、権力にたいする県民、全国人民と利益を共有する町民のあいだの命運をかけた対決である。
 とりわけ原発は「大規模破壊兵器」である原水爆の材料となるプルトニウムを製造する軍事施設であり、戦時には標的となり、全土を廃虚にしかねないものである。アメリカのいいなりになってイラクや朝鮮との戦争に参戦するなかで、補償金で命を売るバカはいないし、原発どころではないし、原水爆戦争をひき寄せる原発はいいかげん撤回しなければならないというのが全町民の一致した要求である。
 それはまた、中電、国の金力と権力にぶら下がって、町民の利益をないがしろにした腐敗した売町利権政治にたいして、町民が主人公になって、人情と協力の町民関係をとりもどし、上関町の地に着いた生産による振興と、老人や子どもが安心して暮らせる町をつくるたたかいである。大きくはアメリカのいいなりになって日本を植民地状態にする売国政治に反対して独立と民主、平和、繁栄を求める全人民的な課題と結びついている。
 選挙は、原発の白紙撤回を実現することで、中電の介入を排し、政治局面の転換をつくり、町民の自由な発言と、町の再建を担う新しいリーダーをつくり出す大きな契機としなければならない。

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