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   <論壇> 解雇は仕方がないで済ませることはできない  2008年11月12日付

 トヨタや日産など毎年何兆円と儲けてきた大企業が、大不況が来たといって何千人もの労働者を路頭に投げ出している。下関でも正社員のほかに期間工、派遣労働者で2500人ほどが働いていた、携帯電話などの液晶板をつくっていた三井金属の子会社エム・シー・エスが、工場閉鎖をほのめかしながら派遣労働者の首切りを発表している。
 数カ月の契約で、その企業の雇用責任も、労働者としての権利もなく、商取引の契約打ち切りという格好で、簡単に労働者が路頭に投げ出される。不況はどの企業も同じで簡単に再就職はできない。労働者がこの社会のなかで生きていくすべを奪われるのだ。
 エム・シー・エスは、携帯電話などの液晶板を製造し、ひところは世界のシェアの半分ほどを生産していたといわれる。三井金属の完全子会社で、都合が悪くなったらいつでも解散し三井の親会社は責任逃れする仕かけであった。その雇用形態は、正社員は少数で、あと期間契約の社員のほか、大多数が雇用責任のない派遣労働者であった。雇用形態の差別による競争をあおり、職場のケンカも多く、長時間の労働で労働者はいつも疲れ果て、ウツ病などの病気も多かったと語られている。そして労働者の犠牲の上に三井資本、その株を転がす連中は儲けに儲けてきたのである。
 このような資本の好き放題な営利追求と労働者の奴隷化、無責任な首切りは、アメリカのいいなりになって、労働規制の緩和を進めてきた自民党政府が保障してきた関係である。とくに株価が上がればよい、株主が儲かればよいという株主資本主義に変え、輸出競争力だけが最高の基準とばかりに、生産する労働者をないがしろにしてきた。
 しかしそれは資本にとって都合がいいばかりではなかった。工場がうまくいかない要因の1つは、製品がまともにできないことだといわれている。安上がりな臨時的な雇いばかりで、技術の継承とか蓄積がなく、また個人バラバラに分断して抑えつけることばかりに熱心で、その結果生産活動の条件であるチームワークも難しくし、不満も大きい状態にしてきたからである。彦島工場が不良品が多いというので大牟田に新工場をつくったが、ここも新人ばかりでまともに動かないから閉鎖すると説明されている。首切りの要因は不況だけではない。三井資本側が、目先の損得ばかりに目を奪われて、労働者を余りにも奴隷扱いにして、自分の儲けの源泉である生産労働をまともに組織できなくしているのである。こんなことをしているから日本の国富をアメリカにいいように巻き上げられるのだ。
 そこの労働者が職を失うことは、その家族の深刻な問題だが、それだけではなく働いている全体の労働者にとって深刻な問題である。残った労働者は過酷な労働が強いられるし、失業者が増えることは、地域全体の働いている労働者の地位を引き下げる。「文句をいうならいつでも替えるものはいる」という関係になる。それ以上に、不労所得で寄生する株主ばかりが威張って、生産労働という社会を活性化させる原動力を破壊し、社会を衰退させる重大な問題である。さらに「国際競争力」「輸出主導型経済」といって、トヨタなど輸出企業が儲けるために、農漁業などさんざんに破壊され日本人の食料生産が破壊され、社会全体が大損害を受けた。
 この問題は、下関の街がどうなるかという問題として全市的に深刻に受け止められている。若い者が働くといえばエム・シー・エスというほど下関は衰退してきた。この下関をさらに衰退させる問題として鋭い関心を集めている。アメリカのつぶれた投資会社は詐欺金融・略奪商法のチャンピオンであるが、三井資本の商法も食い逃げ、使い捨ての略奪型である。さらに下関の江島市政も輪をかけた食いつぶしの略奪政治をつづけてきた。下関の労働者に職がないということについて、したがって下関が衰退するという問題について、市長の責任としてどうするかというのはまったくない。
 いかなる大資本といえども、働く労働者がいなければやっていくことはできない。日本の大資本は、小泉政府の構造改革を通じて、アメリカの詐欺的な金融資本主義に追随し、自国でまともな生産もできなくなっている。もっとも威張っているトヨタをはじめ、どの企業も不良品が多く、重大な労災事故も増えている。自国での生産もまともにできないものが、外国に行ってまともに生産できるわけがない。
 三井金属・エム・シー・エスの首切り問題は、さんざん儲けてきた三井資本に労働者の雇用責任を持たせること、下関の重大な市政問題として江島市政に責任ある対応をとらせること、全国的な政治の問題として労働者派遣法などというデタラメな法律を撤廃し、労働者の権利を回復することなど、大きくはアメリカの破綻した新自由主義による構造改革を撤廃し対米従属を取り除く問題として、全産業、全地域、全国的な労働者とあらゆる階層の共通利益を結びつけた力を結集する必要がある。労働者が生きていけないということは日本社会がつぶれるということであり、仕方がないで済ませるわけにはいかない。労働者がおらずに資本だけが威張っている社会はない。働く者がまともに生活できる社会こそ当たり前である。

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