トップページへ戻る

 <論壇> 数%の支持率で市長に当選するお化けの選挙  2009年2月2日付

 下関の安倍代理・江島市政は全国先端の市場原理政治を走ってきたことで定評がある。市民が何をいっても聞く耳のない姿勢で突っ走ってきた。街の寂れ方は全国的に突出したものとなった。江島市長について市民のほとんどは嫌いと応える。市民の支持率は確実に数%レベルしかない。数%の支持率で市長選には勝つ。投票日の2日前には全国市長会に出席する予定を組み、出馬表明もしない前から楽勝の気分である。選挙のマジックがあるのだ。こんなことが日本中に広がったのでは日本は民主主義の国ではなく、ファシズムの国ということになる。その意味でも、下関の市長選は全国的な問題とつながっている。
 前回選挙で江島市長は、得票率が19%しかないのに、江島批判票を2分割して当選した。今度は4人の乱立で、反江島票を3分割して1番になるという仕かけである。得票率15〜16%でも当選できる仕かけである。
 今度の選挙では、安倍派から3人が出ているが、本命が現職江島市長であることは明らかである。安倍派から出ている3陣営が、安倍派内の票の奪い合いで激しく競い合っているという形跡はない。安倍氏自身の選挙を控えて、安倍派が3つに分かれて抗争するようなことをするわけがない。1人が本命で2人が当て馬という、1つの目的を実現するための役割分担というので安倍派内が統率されているとみるほかはない。
 現職がさまざまな事業のばらまきで、つまり利益誘導で票を集めるというのは常識である。下関の選挙の特異性はさらに、労働者の組合である連合が昔から安倍派で動くこと「平和の党」「貧乏人の党」という公明党・創価学会がまた伝統的に安倍派で動くことである。とくに創価学会票は2万票に近いといわれ、4万票ほどとみられる江島票の半分に近い。これが江島選挙の基礎票となり、市民の意志が覆される大きな要因になっている。
 今度もだれを支持するという態度は示さずに、ある日突然統一指令の特定候補で動き出す。だれがどの宗教を信仰するかは自由である。しかし統一した指示で、逆らったら「罰が当たる」というような宗教論理で、全市の命運がかかる選挙にかかわる。江島市長の側にとっては便利で、市民にとってはきわめてやっかいな存在なのである。
 もう1つのお化け集団は「日共」集団である。今度、立候補説明会にあらわれて、江島批判票の4分割役をして江島市長を助ける動きを見せている。かれらは表向きは野党の顔で、紳士面をして江島批判票を集めようとする。だが裏の顔は江島与党である。かれらが江島市政とたたかう姿を見たことがない。それどころか市民の運動が起きると、それを内部からつぶして江島市政を助けるという独特の役目を果たしてきた。
 ゴミ袋値下げ署名は、市民が10万人を超えるときに、7000人しか集めることができない。満珠荘署名には反対して、満珠荘の会を乗っ取ろうとして失敗した。かれらが市民の運動の所にあらわれると、党利党略で人を利用するという評価が定着してしまって、みな警戒して寄りつかない。
 江島市政と対抗するのは中尾陣営とみられているが、ここにも内部にスパイや撹乱分子が配置されてつぶしにかかる力が加わる。「本命は江島ではない」とか、ガサねた情報をふきこんだり、政策もなく動きもせぬくせに「前回より票が増えそうだ」とか通の顔をして楽観論をあおる。政策にしても江島市長と代わりばえのしないものをやらせたりし、わざわざ市民に嫌われるような振る舞いをする。とくに江島市長を打ち負かすには、2種類の10万人署名に現れた市民の運動に依拠しなければ勝利などない。そこを分断し、市民運動と切り離すことで、江島選挙を助けるのが「日共」集団の犯罪性である。
 公明党も市議5人、「日共」集団も市議5人。こんなに多い根拠は、下関が江島市政のおかげで寂れに寂れ、生活保護世帯が全国平均の2倍、就学援助も2・5倍、市営住宅要望者も多いというところにある。その便宜をよくはかってもらうために江島市政の大きな施策に協力して恩義を売り、票を稼ぐ関係である。市民が貧乏になればなるほど、かれらの議席が温まる。表で同情顔をして、裏でほくそ笑む。表の顔と裏の顔を持って人を欺くお化けである。それは民主主義を破壊するファシズム勢力ということである。
 こういう部分が連関しあって、数%の支持率の者が市長選をやったら当選するというマジックをつくり出し、市民は何をやっても無駄だ、だれが市長になっても変わらないというあきらめをつくっているのである。選挙は候補者の人気投票などと思っていたら大間違いなのだ。市民をだまし、陥れる、謀略と抑圧構造をはねのけなければならない。お化けは正体がばれたら怖いものではない。この仕かけがいかに大がかりであろうと、その正体が市民のなかで広く暴露され、市民全体の運動となるならば、ひとたまりもなく吹き飛ばすことができる。
 市長選は、江島市政14年によるさんざんな衰退から、下関を活性化させる転換点にするかどうかが問われている。下関の活性化は、市長選の活性化から、市民の政治的精神的な活性化から始まる。下関を落胆とあきらめの街にするわけにはいかない。

トップページへ戻る