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<論壇>推進票から反対票に200票動けば中電お手上げに  2007年9月24日付

 上関町の町長選挙は意味深い様相となっている。推進派の柏原陣営、反対派の山戸陣営ともに動きが乏しい。上から見れば「まるで低調」といわれている。推進派には「相手が山戸なら7割から8割の得票だ。動かなくても楽勝だ」というものがいる。議員連中になると、「いざ」と思うがこれまでのようには人が動かず、勝手の違いにとまどいを隠せない。「反対派」議員連中は、自分が議員を辞めて立候補する羽目にならなかったことに安堵している様子で、これもさっぱり動かない。よく見ると、「反対派」は上が動かないが、推進派は下が動かない。陣営同士の空中戦は低調だが、町民のなかの地上戦はあまり目につかない形でかつてなく活性化している。
 町長選挙は推進派、反対派の票が6対4できた。反対票の4割は、誰が候補に出ても変わらなかった。自分たちの意志表示であり、候補の人気投票などとは見なしていないのである。そこに推進派に投票してきた人が今度、200人から300人、反対の側に投票するなら拮抗状態となる。中電の職員も町民になりすまして投票するというインチキがあり、今度は鹿島など外部の土建屋も不正転入よろしく加わってくると見られ、それらを差し引いたら逆転を意味することになる。「反対派はつぶれた」という前提で現在の詳細調査をやっているが、票差が4割をこえ、拮抗状態になるなら、中電が巻き返すことは不可能になったことを意味する。土地や漁業権の問題などまだ未解決の問題があるうえに、地震対応の見直しとなると、手続きはいくつもの山があり、とても乗り切ることは不可能になる。
 町民のなかで「町民派の第3の候補が出れば勝つのに」という思いは大きい。これは現状の政治構造のなかでは、相当に勇気のいる行動となる。それを妨害する力は推進派、「反対派」の上層からも、中電の企業、親類、地域、友人ルートからも、金力、権力の攻撃を跳ね返すことが必要となる。これらの力に対してうち負かす力は、町民の大衆的な力の結集で支えるしかない。町民にとって、どこからか救世主が現れてくれることを待っていても出てはこない。町民自らが主人公になって、権力、金力をうち負かす世論と運動をつくらなければ、新鮮な町民派政治勢力をつくることはできない関係にある。それが動き始めるなら第3の候補を押し立て、勝利することができる情勢にある。
 しかし、第3の候補があらわれず、柏原対山戸となっても、中電の原発計画を頓挫させることはできる。1987年の片山対河本の町長選挙で、拮抗状態に押し戻したら中電は頓挫した。それを巻き返すのに、山戸貞夫氏を祝島に送り込み、平井知事が前面に出て、体制立て直しに大ごととなった。今や町内の反対派の仮面をかぶって町民を欺瞞する推進派を見い出すことはできない。町民はさまざまな経験をし、中電側も手を使い尽くしたのである。
 山戸孝氏の立候補は、無投票と決めてかかっていたのを、覆したものである。それは「反対の会」幹部の側からは仕方のない立候補となったもので、町民の下からの力が主導的な力を発揮し始めたことを確信させるものとなった。同時に「出すのは出すが、出すのなら人が嫌がって、票が集まらないようにする」というのがもう一つの側面である。
 山戸氏が「一流の田舎を」などといって、いかにも町民を愚弄したような振る舞いを始めていることに非難は強い。「頭が高く横着なのだ」との声もあり、「30そこそこで町についてわからぬ者が町長はできない」という批判もある。それ以上に「加納派ではないか」との意見もある。とくに推進派をやめて原発を終わりにしようと願う人人にとって、これまでのいきさつがあって、個人的な感情として、とても支持できないというものがある。
 「反対派」が人の嫌うことをやって推進派を助けるというのは、上関の25年の町民を苦しめた仕掛けである。その「反対派」の実権派というのは原発を持って来た加納派であり、推進のために反対派の仮面をかぶって、町民を分断し、反対の力を押しつぶして推進を助けてきたという関係である。今度の町長選挙は、この破たんした古い仕掛けの縮図的で最後的な登場といえる。これを町民がうち破ったら、町民団結の正常化ができるのである。
 選挙は候補者が主人公で、町民はその応援団で、どっちに隷属するかというものではない。選挙は候補者の選挙ではなく、町民の選挙である。町民が町の主人公として自分たちの意志を表すことに第一義的な意義がある。いわば得票率勝負であり、住民投票なのだ。これは国策をバックにした中電およびその下請の、正面の推進派と仮面をかぶった「反対派」連携による、町を売り飛ばすことに対する町民大衆のたたかいである。中電の意図は、山戸氏が嫌われることによって現職柏原氏が守られることである。選挙はこれらの選挙構造に対する町民の選挙となる。山戸票が増えて柏原票が減ることは、ニセ「反対派」が支持されたことを意味するどころか、逆にかれらの意図に反した町民の意志を示すことになる。それは中電にとって困ることであり、仮面をかぶった「反対派」すなわち推進派の破たんを意味することになる。
 祝島の推進派とされてきた人人のなかでは、山戸氏では個人的感情が許さないという当然の感情がある。それがニセ「反対派」の意図であり、それに反することをやるのが、かれらと背後で操る売町勢力、中電を困らせることである。選挙は候補者のための選挙ではなく、町民のための選挙である。推進派にされて攻撃された人と、同じく反対のためだといって苦労をなめさせられてきた婦人・住民たちが、2つの顔をした共通の敵によって同じように苦労してきたのである。今度は、これらの分断されてきた住民同士が、共通の敵に対して、お互いに信頼を回復し、団結することに大きな意義がある。そこに25年をこえた本当の喜びと希望が見い出せることは明らかである。
 町長選は、上関町で25年町民を苦しめてきた謀略的な政治構造が、今や町民の力によって崩壊させることができるところへきたといえる。それは中電をお手上げにさせ、全国をひじょうに励ますことになる。

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