トップページへ戻る

<論壇> 全保守会派と共斗して市長を擁護した「日共」議員 2008年10月3日

 下関市議会の兵頭議員の発言問題をめぐる騒動で、「共産党」の看板をかけた議員集団の行動が注目を浴びている。兵頭議員が市民の運動に迷惑をかけたので発言を全面撤回して、市民派議員として江島市政とたたかうというのにたいして、市議会は「日共」議員が先頭に立って全会派が一致し、発言の撤回は承認せず、議会の品位を守るために懲罰すると決めた。
 「日共」近藤、江原議員が弁舌をふるい、それに林派企業丸抱えの門出議員らが呼応し、保守系、公明など全会派が共斗して、市民派議員としてがんばるというものを総攻撃する姿となった。かれらは保守会派の同志であり江島市長の友だちなのだという光景が展開することとなった。
 江島市政にたいして下関市民はダカツの如く嫌っている。下関を食いつぶし略奪し尽くす侵略者だという思いは充満している。これを打倒する力は、全市民的な大衆的運動である。満珠荘署名が市民運動の象徴的な位置を占めているが、この市民運動の先端のところで、「江島市長が六万の署名でも聞かないといっているからあきらめるほかはない」「署名運動とか市役所前の抗議行動をやって議員を怒らせてはならない」「議会の多数をとることに重点をおいた満珠荘の会の役員体制にする」といって、会の分断を図り市民の運動をつぶそうとしたのが「日共」江原議員らであった。
 かれらは日頃、どぶ板の世話役活動に熱心である。市民の相談に乗るといって、住居のこととか、生活保護、その他のことで世話をし、恩義を売って票田をつくり、自分たちの議員生活を確保する。そこで、市当局から特別の便宜を得て票田確保をやる条件は、江島市政の大きな施策に協力し、江島市政の役に立つと認められることである。
 そうして自分の個人的小集団的な利害のために、下関をつぶすような江島市政とたたかわず、全市民の共通利益を売り飛ばすという関係になってあらわれる。保守系は利権のためだから保守系であるが、それをやるのは共産党かということになる。
 かれらは江島市政の基本的な施策にたいして、議場では「反対派」としてあらわれる。議会で多数派をとるには、保守会派議員にたいしても縛り付けるような市民の運動が不可欠である。保守系議員も支持者には弱いのだ。ところがかれらは、市民運動を無力な片隅の運動にし、ねじ曲げ、つぶすことで、保守会派が議会多数派をキープすることを保障する。「自分らは反対したのだが、なにせ保守会派の壁が厚い」といいわけをし、「選挙で保守系を選ぶ市民がバカ」というのが常となる。市民運動をつぶして議会の中だけの多数派工作というのだから、永遠に多数派になることはなく、江島市政は安心することになる。江島市政にたいして市民の反発があるのは当然のことであり、その火消し役として、江島市政にとっては保守系議員には出来ない協力者となる関係である。
 ところがこの独特な協力者の役を果たすには、「江島市政反対派の顔」をして市民を信用させることが必要な条件である。そこで、市民派議員に対して、自民党会派や公明党などと同志的連帯の共斗をやったのでは、かれらの内輪の事情としても失格ということになる。抑えきれぬ感情が走った結果、「江島市政批判派」「保守会派とたたかう格好」を見せなければならないという立場を忘れてしまった。そこらへんが人人が抱く疑問点であり、自民党批判が強くなっても、小林多喜二の「蟹工船」ブームがあっても、かれらの票が増えないし、自民党がくたびれていくのに比例してくたびれていく根拠となっている。
 江島市政の略奪政治を打倒して、まともな下関をつくるには、市民を欺瞞し、市民の運動を抑えつけているさまざまな装置を取り除いて、全市民的な運動を起こすこと以外にない。保守系議員をもいうことを聞かせるような市民の運動をつくれば、江島市長も好き勝手は出来ない。前のあるかぽーと問題ではそうなったのだ。

トップページへ戻る