トップページへ戻る

産業保護、雇用確保が第一級課題
下関市議選の最大の争点
              公益にかなう行政の助成    2010年9月22日付

 来年1月の下関市議選をめぐって市民の論議が沸騰しはじめている。「このままでは下関はつぶれてしまう。大変なことになってしまう」という実感が市民の大多数意見となっている。ここで「仕方がない」と手をこまねいてあきらめるわけにはいかない。「何とかしなければ」の世論が強い怒りとともに沸騰しはじめている。
 商店に客がいない。飲食店なども閑散としているが、医院にも患者が少ない。保険会社も銀行も客が少ない。市民の消費購買力がないのだ。最大問題は仕事がないし雇用がないことにある。職安は求職者であふれて、年間2万人が新規失業者になっている。新規卒業者には職がなく、学生、生徒たちの将来が描けない。
 市民の所に金が回ってこない。空中をクルクル回って下界に下りてこない。江島、中尾とつづく下関市政は「金融立国」路線で踊り、大型ハコモノの利権事業優先で市外の大手業者に税金を分け取りさせてきた。また「副都心づくり」と称した川中や椋野の区画整理事業やマンション建設など、銀行主導の不動産バブルを経済政策の目玉としてきた。この銀行中心の不動産バブル政治はいまや大破産した。サブプライムローン証券方式の新手の金融技術にのって派手なバブル商売をやった安倍派の新興企業は、数十億円の負債を抱えてバタバタと倒れている。それが連鎖倒産の恐怖となって街中を走っている。
 銀行主役のバブル経済。つまり銀行がもうければ街の経済が活性化するのではなかった。銀行中心をやってきて街はしかばねの山となり下関の経済はパンクする。山銀が地場産業育成にまるで冷淡・冷酷なことは昔から有名である。しかし長年そうしてきた結果、下関・山口県では吸いつく相手がいなくなり、広島や北九州で出稼ぎをする羽目になった。産業をつぶせば、それに寄生する銀行もつぶれる。下関市の市税収入もガタベリとなって市役所倒産は必至となる。市役所はいくら市民の税金がなくなったといっても山銀のように広島や北九州に出稼ぎに行くわけにはいかない。

 経済発展の根幹は産業 下関は水産業が軸

 古今東西、経済の根幹は農漁業、製造業であり、ものをつくる産業が根幹である。下関は水産業が基幹産業となり、それに結びついて造船、鉄工業が発達し、そこで得た現金収入が流通や商業、さまざまなサービス業に回るという経済構造である。銀行とか保険会社などの金融機関はそれに寄生した商売である。銀行主役の経済、つまりバブル経済は本末転倒、主従転倒であり、下関をぶっつぶすゆえんである。
 下関の経済の根幹をなすこれらの水産業、造船、鉄工、農業などの産業とそこで働く人たちは、まるで時代遅れの歴史的遺物のような扱いで、長い間衰退するにまかされてきた。現状が示すことは、産業切り捨てこそが時代錯誤であり、産業をつぶしたら下関全体がつぶれるという現実である。これらの産業を「競争力がない」などといって、つぶれてやむを得ないものと見なす一切の観念を転換させることが迫られている。ここで税金を集める行政、政治が産業保護、産業振興、雇用確保で動かなければ、その行政、政治こそ時代遅れの歴史的遺物といわなければならない。
 ちなみに教育の問題も、このような産業の意義を否定し、親たちの汗して働く生産活動を蔑視して、楽してもうけることを賛美するような官製教育が、学校が荒れ果てる根源である。産業の振興、労働価値説の回復は下関の教育の立て直しの根本問題である。
 下関の農業、水産業、造船、鉄工業など、衰退したとはいえ、歴史的に蓄積された技術、人材などは高い水準にある。下関に水産大学があることは水産業を立て直す上で他にはない有利な条件である。しかし各企業では、若者を雇って技術の継承をする余裕がなく、高齢化して、まもなく産業技術自体が根絶やしになろうとしている。それは下関の立て直しをきわめて困難にする。
 これらの産業を維持し継承することは下関の政治の第一級の課題である。「競争力が弱い」というのなら、税金を投入して助成制度をつくらなければならない。これらの産業では人手が必要とされている。そこに職がない若者を就業させるため助成をすればよいのだ。それは失業対策であり、産業維持のための技術継承であり、下関を守る公益にかなうことである。水産物および水産加工品の需要でいえば、日本民族がいなくならない限りなくなることはない。日本民族はコメとともに魚を食べて発達してきた民族である。
 また下関市は市町村合併で山口県一の農業規模となった。しかし農村では70代、80代が担い手で、あと5年すれば農業の担い手がいなくなる危機的状況である。農家は利益のないなかで、ひたすら国民の食糧供給につくす勤労奉仕状態である。農業のない国は滅びることを意味する。農業を維持することは国策の根幹でなければならない。都市部には職を求める人人があふれている。農村では草取りの労力もない。行政が予算を出し、営農集団の助成なり、公社などつくって若者を雇い、農作業請負や山林整備をやり、農業保護をやらなければならない。それは失業対策事業であり、農業技術継承であり、食糧安保であり、災害防止・国土保全の公益にかなう事業である。ヨーロッパでは、70年代のアメリカの凶作で輸出禁止になったのを契機に、EU予算の半額を使って農業自給体制をつくってきた。日本はアメリカ属国で、食糧管理法などを撤廃してその逆をいった。
 下関市政が何はさておいても予算を投じてやるべきことは、雇用の確保であり、産業の保護である。ここに政治が働くようにすることが緊急課題である。
 「世の中は市場原理であり、自由競争である」「競争に負けたものの退場は自己責任」などという、大がかりな金融詐欺をやってきたアメリカ・ウォール街の言い分を、政治家や御用学者も新聞、テレビも鵜呑みにして蔓延させてきた。その結果、農業も漁業も製造業もつぶして、国全体をつぶしてきた。「負け組の自己責任」といっていたら、その「自己」がつぶれるだけではなく国がつぶれるのだ。農業、漁業、製造業をつぶし、雇用をなくすことは国をつぶすことを意味する。したがって「競争力がないからつぶれるのは仕方がない」という考え方、制度、政治の方が断固として間違っているのであり、国が予算を出して守らなければならないのだ。

 米国債購入や銀行救済 金が下に回らぬ根源

 菅政府はギリシャをしのぐ財政危機だと騒いで消費税を上げるといっているが、一方でアメリカ国債を何百兆円も買い込んで貢いでいる。日本の資金はアメリカに巻き上げられる仕掛けになっていることが、金が下に回ってこない根源である。山口県信漁連には自己責任といって組合員にすべてかぶせながら、長期信用銀行のような大銀行には3兆円も公的資金を投入し、10億円でアメリカのヘッジファンドに売り飛ばす。アメリカではGMまでも国有化する時代である。銀行や日本航空やGMを国有化するぐらいなら農業を国有化する方がよほど公益にかなう。資本主義世界は自由競争でも何でもない。人為的、政治的な略奪が支配している。産業保護に財政投入をするのは当たり前のことだ。
 下関でも江島、中尾とつづく安倍、林代理市政のもとで、地元業者排除で市外大手業者の大型ハコモノ利権ぶんどりがつづいてきた。また市外大手の大型店大歓迎政治がつづいて市内の店はつぶれ、生産者は買いたたかれてきた。市の公共事業は市内経済が疲弊したなかでわざわざ市内業者を排除して市外発注をつづけ、市内に金が回らない状態を推奨してきた。下関の市役所ではない異常な政治がつづいてきた。植民地かいらい市政であり自由競争でも何でもない人為的な略奪である。
 昔の大名も、治山治水をよくし、埋め立てをやって田圃を増やすなど、産業を興すことで政治力を強めた。そうやって民百姓が世話になっていると思っているとき政治支配は安定していた。幕末の長州藩も、財政危機のなかから塩、鑞、紙などの産業振興の「三白政策」をやって倒幕・明治維新をやり遂げる財力をえた。産業を食いつぶし民百姓から吸い上げるばかりの、徳川をはじめ諸藩の殿様は自分がつぶれるほかはなかった。

 下関略奪政治の規制へ 市政変える力結集を

 産業保護、雇用確保に政治の向きを変えるには、下関略奪政治を規制しなければならない。下関を略奪している外部大手業者には下関に利益を還元する規制をかけ、産業保護、雇用確保に振り向けるべきである。150億円もかける駅前開発や200億円もかける市役所建て替えなど、市民略奪政治の象徴である。何の役にも立たない人工島に投じた700億円を産業振興に投じていたら街の様相はまったく違っていた。そんな事業は即刻やめて産業保護、雇用確保に回すことが、誰が見ても大事な緊急の課題である。
 これらをやるには下関の政治を変えなければならない。誰もが知っているように、江島、中尾市政とつづく市政は安倍、林代議士の代理市政である。市議会は市民を代表する議員は一人もおらず、自分を代表するだけで、保守系も革新系も飼い猫状態のオール与党となって略奪政治の使用人となっている。市民感覚も感じることができない異星人のようになって汚れている。
 この市政の現状を変える力は市民の大衆的なエネルギーである。議会政治はすべて利権政治である。議員は予算をとって世話をするのが常識である。保守系議員はもちろんだが、「日共」集団なども市民を貧乏にする大きな政治に協力し、貧乏になった結果の生活保護や市営住宅の斡旋などで票を得る貧困ビジネスで養われている。しかし下関の現状は、そんな目先の小さな利権政治をつづけてきた結果、大きな利権政治が街を略奪し、下関の根幹が崩壊するところとなった。ここでは下関を食いつぶし、崩壊させる大きな政治を規制し、下関を立て直す大きな政治を、全市民の共通利益として問題にしなければならない。
 選挙は立候補者が主人公で、有権者は応援団というのは時代遅れもはなはだしい構図である。市民が主人公であり、下関を変える大きな共通利益で大衆的な論議と行動を起こし、市民の各界を代表する議員を送り出すことが求められている。とくに下関の産業を担う働く市民の代表を送り出し、生産者を代表する政治をやるようにすることが切実なものとなっている。働く市民はいつも表の政治の陰に隠れてきた。裏方で、縁の下の力持ちとなっている働く市民が下関を支えている本当の実力者である。この働く市民がその声を表に出し、下関を変えるエネルギーをつくりだすことが市議選の最大の課題である。

 重要な婦人の政治参加 社会の真の実力者

 働く市民のなかでも婦人の力がひじょうに重要である。この間、ゴミ袋値下げ10万人署名運動、給食食器改善運動、満珠荘再開の10万人署名運動など、下関市政を動かしてきた巨大な運動の主力は婦人であった。婦人は職場では男と同じ労働をしても給料は半分も認められない。男に食わせてもらう扱いとなっている。職場でも家庭でもそれを担う主力になっているのに、社会的地位は半人前の扱いである。しかし本当の実力を持っている婦人が、前に出て政治参加の行動を広げ、下関を変える行動をはじめるなら、巨大な力となる。市議選を下関を変える大きな転機としなければならない。

 

トップページへ戻る