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なぜ起きた小6女子殺害事件
佐世保小6殺害事件
             小学生の荒廃が深刻に   2004年6月5日付

 長崎県佐世保市の小学6年生・女子が同じクラスの女子の頸動脈をカッターナイフで切り死亡させた事件は、教師や父母、地域に大きな衝撃を与えている。下関市内でも「うちの娘も小4だが、将来子どもを産み育てることになる女子が殺人事件を起こしたと聞いて、これまで自分なりに持ってきた教育への考え方が白紙になってしまった」(父親)、「ケンカは小学校の子どもの仕事の一つで、成長のこやしだ。それが殺人に結びつくとは、想像外のことだった」(小学校教師)と驚きを持って受けとめられている。「長崎県教委は昨年の中学1年による幼児殺害事件を受けて“心の教育”に力を入れてきた。しかしもう、そんな表面的な対処ではだめだ、ということだ」「事件を起こした子どもだけの責任ではない。こうした事件がなぜ連続して起こるのか、その根源を考えていかないといけない」と共通して語られている。
   
 社会の腐敗とたたかう運動急務
 1日、長崎県佐世保市の市立大久保小学校の給食時間に、6年生の女子が同じクラスの御手洗怜美さんを習熟度別学習などで使う「学習ルーム」に呼び出し、カーテンをしめ、イスに座らせて、うしろから手で目隠しをしカッターナイフで右頸動脈を切って死亡させた。
 2人はもう1人の友だちと3人でチャット(インターネットに接続したパソコンを使っておしゃべりする)に書きこみをして楽しんでいたが、その女子は「御手洗さんに自分の容姿についての悪口を何度か書きこまれて、腹が立った」と動機をのべている。この女子は「器量のいい優等生」と見られていたが、自分のホームページに同級生たちを「うぜー(うっとうしい)クラス」「下品な愚民」「高慢でジコマンなデブス」などと汚い言葉でののしる書きこみがあった。また、同じクラスの男子や女子が殺しあい、自分だけが生き残る、『バトル・ロワイアル』(同名の映画の模倣)という物語を書いていたという。
 父母や教師が心配していることは、今回の事件にとどまらず最近の子どものなかに、家族や他人から注意されたり嫌なことをいわれたとき、自分をふり返るのでなく、カッとなりその相手に見境のない報復を加えるという、“個人主義の凶暴化”ともいえる状況が見られることである。そしてそうした傾向がしだいに低年齢化し、いまでは小学生までがそうなっていることである。
 下関市内のいくつかの小学校で、入学したばかりの1年生が、カッとなって同じクラスの友だちの手の甲を鉛筆で突き刺し、刺された子は病院に行ったということが話題になっている。ある学校では先生も刺され、ショックで学校に来れなくなった。別の学校では、友だちが自分のことを先生に告げ口していると知った一年生が、教師の目の前でその子の顔面を上靴でなぐり、鼻血を出させた。
 これをめぐって、幼稚園の教育方針が「個性をのばそう」というかけ声のもと、チャイムもなく、自分勝手に興味のある好きなことをして遊ぶ、となっていることの弊害だと語られている。また、マスコミの「体罰」報道の抑圧のなかで、教師が「悪いことは悪い」といえず、指導性や誇りを奪われている現状について指摘する声は多い。さらに、体育の日も遠足の日も「子どもが気に入っているから」と、ブランド物の服や厚底靴で来させる、一部の親の「自由放任」についても論議されている。そして学校教育自体が、小学校低学年から少人数指導・能力別学級編成で、相手を思いやる豊かな心を育てる方向とは逆行し、殺伐とした弱肉強食となっているのである。
 下関市内のある産婦人科によると、最近は妊娠中絶の手術やその相談が多いのが小6から中1にかけてで、中学2年、3年になると落ち着くということである。「エロ本をとりあげて注意した」というその対象が小学校低学年――という例は市内でも少なくない。それに加え、小学生むけの化粧品や小学生対象のブティックができ、祖父母が「おれおれ詐欺」まがいに金を巻きあげられているということも話されている。ある小学校では、6年生でクラスの半分、3年生でも3分の1が携帯電話を持っているというが、携帯電話が援助交際につながり児童買春になるというような、子どもを食いものにする商売にたいして、市内でも警鐘が鳴らされるようになったのは最近のことである。
 「われわれの意識をこえたところで、異常な世界ができているようだ」というのが親や教師の実感である。今回の事件は、もはや「事件を起こした子どもの家庭環境」とか「教師の接し方」という範疇(ちゅう)をこえて、いまの危機の時代の反映であり、産物である。アメリカのイラク戦争のように、「人殺しが正義」という「殺人狂時代」となって、人間の正常なものの考え方を破壊している昨今である。この腐敗した日本社会のなかで、子どもたちを物事の判断のできない愚民にし、個人主義をまんえんさせて、いったん戦場につれていかれれば自分を守るために凶暴な殺人兵となるような、そうした意図的な政策が政府の側からやられているのである。
 教師と父母、地域が、どんな子どもに育てるかをめぐって心を割って話しあい、子どもたちに悪影響をもたらす社会の腐敗にたいしては、地域をあげてそれを一掃する運動を起こすことが切実に要求されている。そして、子どもたちの持つ真の力をひき出す魂にふれる教育を、教師、父母、地域が団結して創造していかなければならない。

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