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誘いあい続続訪れる参観者
第8回広島「原爆と戦争展」
             行動申し出る若い世代    2009年8月3日付



  広島市中区袋町の市民交流プラザで開かれている第8回広島「原爆と戦争展」(主催/原爆展を成功させる広島の会、下関原爆被害者の会、原爆展を成功させる長崎の会)が7月31日に開幕し、広島市内の被爆者や戦争体験者をはじめ、全国からも会社員や教師などの現役世代、親子連れ、学生など幅広い参観者がぞくぞくと訪れている。この展示会は、「被爆市民と戦地体験者の思いを結び、若い世代、全国・世界に語り継ごう!」をスローガンに、被爆市民の心底の思いを全国に伝え、戦争を阻止する力強い平和運動の結集をめざす全広島市民の運動として取り組まれてきた。被爆から64年たった今夏、対米従属下の日本社会が貧困からふたたび戦争への道を進むことへの危機感とともに、平和と独立のために行動を求める機運が盛り上がっている。
 会場には、「みんなが貧乏になって戦争になっていった」にはじまる第二次大戦前の状況から、中国、南方戦線、満蒙開拓、全国空襲、沖縄戦の真実、「原爆と峠三吉の詩」など体験者の証言をもとに綴られたパネルとともに、戦後、世界の原水爆禁止運動の源流となった1950年8・6斗争、峠三吉による原爆詩編さん運動、原爆の子の像建立など歴史的な運動をはじめ、下関・広島・長崎を中心に全国で盛り上がる原爆展運動、「被爆地周辺をアメリカの核戦争の基地にする屈辱」「愛宕山に星条旗を立てさせぬ」など現在の米軍再編をめぐる岩国市民の運動を紹介したパネルなど150枚余りが展示されている。
 広島や下関市民から寄せられた230点に及ぶ被爆資料、空襲資料、戦地写真集、体験記などとともに戦後60年間の蓄積された思いが肌で伝わる展示となっている。
 また、美術グループあらくさによる「アメリカは核を持って帰れ!」「日本とアジアを核の戦場にするな」の縦断幕や幟旗も掲示され、会場の雰囲気を盛り上げている。
 初日の開幕式では、原爆展を成功させる広島の会の重力敬三会長が「私たちはいかなる圧力にも屈せず、みんなで力を結集し、平和運動を達成させなければならない」とあいさつ。共催する原爆展を成功させる長崎の会(永田良幸会長)、下関原爆被害者の会(伊東秀夫会長)のメッセージも紹介された。
 つづいて、主催・賛同者を代表して三氏が抱負をのべた。
 被爆者の真木淳治氏は、佐伯区、北広島町、県立大学、呉市、広島大学、修道大学と前半年に各地でおこなってきた原爆と戦争展を振り返り、「非常に若い人たちの関心が高いと実感している。学校関係でも新たに小学校四校、中学校二校で平和学習として体験を語り継ぐ事業を実現することができた」と会員の努力をねぎらった。
 また、「北朝鮮問題に絡んで、敵基地の攻撃や核装備という議論や、また8月6日には核武装の講演会がやられるなど、広島、長崎の思いに水を差す動きも同時に起きている。それだけに今日からの八日間はとりわけ重要であり、全国各地から来場する人たちに、原水爆の製造、使用、貯蔵、持ち込みの禁止を精一杯発信していきたい」と力強くのべた。
 呉市在住で元海軍特殊潜航艇「海龍」の整備員であった上田勲氏は、昨年5月におこなわれた呉そごう百貨店での原爆と戦争展ではじめて体験を語ったことを明かし、「広島、下関の事務局のみなさんが設営からPRまで非常に熱心に働いている姿に心から感銘を受けている。戦争体験者が高齢化しているなかで、原爆と戦争に反対する展示会が続けられ、後世に伝えていかれることが非常に心強い」とのべ、特攻隊経験者として努力を惜しまない決意を語った。
 女子大学生の硲紀子氏は、「大学でこの展示会を見て、19年間も広島に住んでいながら、あまりにも知らないことが多く恥ずかしく感じた。被爆者の心を学び、子どもたちにも伝えていきたい。また、通訳として外国人にも伝えたい」とはつらつと抱負をのべた。

 市民が次次と賛同者に

 開幕と同時に、広島市内や全国から被爆者、戦争体験者、親子連れ、学生などの参観者がぞくぞくと入場。受付や呼び込みなどを山口県のスタッフとともに広島市内の学生たちが担い、参観者への体験の語り継ぎや会場案内などを被爆者、戦争体験者が連日にわたっておこなっている。
 体験世代が誘い合って訪れる姿や、長時間にわたって被爆者の話に聞き入る若い世代が多く、被爆体験や戦後60年経って荒れ果てた日本社会の現状について忌憚なく思いを語り合い、世代を超えて交流を深めている。
 中区在住の82歳の男性は、広陵中学3年のときに吉島にあった紡績工場に動員され、飛行機エンジンのオイルポンプをつくっていたときに被爆したことを語り、「工場はぺしゃんこに押し潰され、鉄柱だけが残っていた。すさまじい雲が立ち上り、市内からは火が燃えさかっていた。福屋デパート内にあった軍需管理部に報告にいくために伝馬船をこいで御幸橋のたもと付近まできたとき、ふたたびB29が低空飛行で偵察にやって来た。生きた心地がせず、川土手に隠れたが、川には木片などと一緒に腹をパンパンに膨らませた死体が連なるように海に流れ出していた。あの光景が忘れられず、何度も夢に見た」と話した。その後、母は子宮ガンで亡くなり、世話になった恩師も終戦間際に硫黄島に送られて玉砕したことを明かした。
 「最近、オバマ大統領が持ち上げられているが、アメリカが“原爆を使用した国”として、まず自国から核兵器を廃棄するというのなら話がわかるが、自分は核を持ちながら“核廃絶”というのが不思議でたまらない。日本には中国や朝鮮を侵略したことを非難するが、自分がやったことは正当化しつづけている。このままでは日本はアメリカの防波堤にされる。長いものにはまかれろという時代はもう終わらせなければいけない」と語り、賛同協力を申し出た。
 夫婦で訪れた被爆婦人は、南竹屋町の自宅で下敷きとなり、叔母に助け出された経験を語り、「母は腕に大火傷を負ってケロイドになり、夏でも包帯をぐるぐる巻きにしていたので、周囲からは“入れ墨があるのか”といわれていた。叔母一家は、20年後に、白血病、乳ガンで半年間に3人が立て続けに死んだ。叔母に生かされた私がなにかしなければいけない」と広島の会の婦人と語り合い、協力を申し出た。
 家族を連れてきた引揚者の男性は、「戦前の日本軍国主義は、あからさまに“国のために死ね”と教え込んできたが、アメリカは戦後60年かけて巧妙に日本人を教育してきた。そして小泉、竹中などのアメリカ人のような日本人が生まれている。表向きは非核三原則などといってノーベル平和賞をもらった佐藤栄作が“核の持ち込み”をアメリカと密約していた。公文書が明らかになっても外務省は未だに“ない、ない”答弁に終始している姿が象徴的だ。六〇年安保斗争をたたかった7、80代の中には、いまも“国の独立のためなら命をかける”という気持ちがある。GHQのレッドパージなどで労働運動は壊されてきたが、これからは若い人たちがそういう運動を受け継いでほしい」と切実な思いを託した。
 そして、「米軍再編をめぐって岩国も攻防戦がつづいているが、広島市民も歯がゆい思いで見守ってきた。総選挙では、戦後政治を牛耳ってきた自民党の牙城である中国地方の人たちがどこまで目覚めて行動するかが、日本の運命を左右すると思う」と語り、賛同者となった。
 「毎年きている」という70代の男性は、アジア人入国者の生活相談ボランティアをしていることを明かし、「この展示には隠されてきたアメリカの日本占領の目的がはっきり書かれているが、これをもっと強調してほしい。フィリピンでも、米軍の爆撃で全滅した部落や環境が一変した地域があり、日本人と同じ目にあっている。日本政府がアジア諸国には敵対的で、アメリカには卑屈という構図は必ず第二次大戦の二の舞いを招く。誇りある日本人として戦争問題に向き合い、力を合わせないといけない」と語って賛同者となった。自営する会社の掲示板に原爆と戦争展の案内を載せることを約していった。

 全国から真剣な参観者

 「被爆地の声を学びたい」と全国からくる若い世代の真剣さも目立っており、長時間に渡って被爆者と交流している。
 京都府から夫婦で訪れた30代の男性医師は、「手にとって資料を見ることができ、体験者の思いや、原爆で失われたものの大きさを痛いほど感じた。いくらアメリカが“戦争を終えるためだった”と正当化しようと、取り返しのつかない犯罪であることに変わりない。原爆投下は、ソ連との勢力争い以外の何ものでもなく、日本にとっては新しい苦しみのはじまりでしかない」と怒りを口にした。
 「今また、ナショナリズムを刺激して若者を戦場に駆り立てる動きがあるが、こういう祖父母の体験を見ればそんな空言は吹き飛ぶ。それだけに教育のなかで、戦争の体験を教えることが意図的に断ち切られてきたことは大問題だと思う。医療でも、診療点数が削減され、病気になっても医者にかからずに我慢する人が増えているが、金融危機を理由にして国民皆保険制度もアメリカにならって解消することになりかねない。総選挙で政治の流れを変えないといけない」と語った。
 家族を連れて大阪から訪れた父親は、男性被爆者から体験を聞き、「すべてガラスケースに入っている資料館と比べても身近に感じ、アメリカに対しても遠慮せず、遠回しな表現がないのがわかりやすい。日本軍が中国でやった悪事はあちこちで目にするが、アメリカ軍が終戦間際に大空襲を繰り返していたことや、日本人皆殺し作戦をとっていたことははじめて知った。私自身、これまでの戦争の見方がまるで変わった」と衝撃を語っていた。
 同じく被爆者の話を聞いていた非常勤講師をしている女性は、「広島で生まれ育って平和教育を受けてきたが、“昔の話”としか考えていなかった。だが、最近の国際情勢を見たとき広島の人間としてなにかしなければと思ってきた。被爆者の方も“原爆は昔のことではなく、これから起こること”と自分の使命として運動されている姿はすごいと思う。自分も参加したい」と申し出た。
 「自分も行動したい」と積極的に申し出る参観者は後を絶たず、若い世代を中心に3日間で新たに88人が賛同者として名前を連ねている。
 また今秋、修学旅行で広島を訪れる滋賀、大阪、山口県などの小学校教師たちも真剣に展示を見て、被爆者と交流を深め「事前学習でパネルを見せたい」「ぜひ今年も子どもたちに話してほしい」と協力を求めていった。

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