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殺人の経営陣を処罰せよ
JR大事故問題
            危険承知の殺人ダイヤ   2005年5月5日付

JR宝塚線で起きた脱線事故は、無惨な姿で命を奪われた107人の乗客、運転士などの犠牲者を悼む深い悲しみと悔しさをともなって「乗客の安全」などクソ食らえでもうけ一本やりで突っ走ってきたJR経営陣への憤激を呼び起こしている。「いつ事故が起きるかわからない」と大事故を心配していたJR労働者の意見を抹殺し、スピード超過や急ブレーキをかけなければ、間にあわない過密ダイヤを強要し、数十秒でも遅れれば、自殺者が出るほどの懲罰を加えてきた。労働者の発言力を強めることが求められている。

   
 心配する運転士の声抹殺
 大惨事はJR経営陣が主張してきた「置き石」などが原因ではなかった。線路に残された電車の残骸にはスピード超過や急ブレーキをかけた跡が残り、23歳の運転士はブレーキのレバーを握りしめたまま、血だらけの無惨な姿で発見された。それは「運転士個人の失敗」ですまされる問題ではなく「明日はわが身」という切実感を持って、JR運転士や家族はとらえるものとなった。
 JR宝塚線は大阪沿線の住宅開発の進行とあわせ、速度アップや増発がくり返されたドル箱路線であった。「以前は単線で1時間に2、3本」といわれた宝塚駅の1日の発着本数はJR発足時(1987年)の117本から、現行は3倍以上の397本となった。早朝のラッシュ時は3分に1本の間隔で列車を走らせる過密度。ラッシュ時の快速は停車時間が35秒から50秒程度で時間遅れが常態化していた。
 さらに事故が起きたカーブも8年まえに半径600bの比較的緩やかなものから、半径300bの急カーブに変えた。それは京都府南部の学研都市と兵庫県を直結する「東西線」と宝塚線を尼崎駅で強引に接続するためだった。
 そして03年12月の「ダイヤ改正」では宝塚〜尼崎間(17・8`)に快速の停車駅(1駅ふやすと乗り降りとスピードの減速で60秒はかかる)をふやした。所要時間は17分のまま変更せず時速100`だった直線区間の制限速度を120`に引きあげた。以前は直線を時速100`で走り惰性で速度を落としてカーブを曲がっていたといわれる。それをカーブ直前で急ブレーキを踏まなければダイヤどおりに到着できないようにしたのである。
 そしてこのスピードアップとコスト削減のために車体も頑丈な鋼鉄製から、つぶれやすく軽いステンレスやアルミ製列車を導入した。側面からの衝撃への対策は「想定外」としてなにもとっていなかった。
 さらに走行中の電車に自動的にブレーキをかける自動列車停止装置(ATS)はもっとも古いタイプ。運転士が赤信号を見落としたり、車止めに衝突しそうになったときしか自動的にブレーキはかからず、カーブでの速度超過も防げないものしか配備していなかった。運転士が「直線も曲線もすべて制限速度いっぱいの机上の計算でダイヤを決める。雨が降ったり、ギリギリにかけこむ乗客を待っていたときなどは想定していない。ダイヤどおりになる方がむずかしい」と語るように、最初から実現困難なダイヤを「私鉄との競争」「お客様のニーズ」と叫んで強要してきた。
 とくに宝塚線は本線に接続する線である。西鉄バス労働者のなかでも「接続路線に間にあわなかったら乗客は電車を1本遅らせないといけない。どうしても間にあわせたいと思うのは運転士にとって普通の感覚。このプレッシャーは懲罰が怖いからというだけにとどまらない」と語られている。ダイヤ自体が「乗客や運転士の安全」を無視した「コスト優先」の殺人ダイヤだった。

 技術継承もさせぬ体制 若手増やし人件費削減
 しかもそのような過密ダイヤに経験の浅い若い運転士をつぎつぎに乗せた。JR西日本では「民営化」以後、早期退職制度で1995年以後だけで1万人以上の労働者を削減。経験豊富なベテラン運転士を「給料が高い」といって削減しつづけたうえ、何年も新規採用をせず技術の継承性も断ち切っていった。現在JR西日本の社員構成は40〜44歳の運転士は1000人以上いるが、30歳から39歳までは50人以下。25歳から29歳が900人以上と奇形的な構成。ベテラン運転士は「コンスタントに数人ずつ雇えば技術も伝わっていた。でも最近は人が少ないからいるときに雇い、短期(以前の3分の2)の教育期間で過密な電車に乗せる。それに国鉄時代を知る運転士と違うし体力もあることが災いし、いまの過密ダイヤが普通と思わされている。それを後輩に伝えさせるからますます危険になる」と指摘した。
 そして若い運転士には過密ダイヤと長い拘束時間を強要し、わずか四時間程度の睡眠時間しか与えず、ベテラン労働者には肩たたきをやり退職に追いこんでいった。JR宝塚線を運転していた若い運転士も午後11時ごろまで働き、事故当日は6時ごろに起床し、6時48分からハンドルを握っていた。JRは技術継承もじゅうぶんにしないまま、国鉄時では考えられないほどの超過密ダイヤを、睡眠不足の若手運転士に「安全基準を満たしている」と欺いて強要してきたのである。
 しかもこの非人間的なダイヤを守らなければ、徹底的に懲罰を加えた。
 赤信号を見落としたり、駅と反対側の戸をあけたり、停止位置がずれると、乗務員手当(1カ月約8万円)をカットし、草むしりをさせたり、駅で「わたしはミスをしました」とあいさつをさせるなど精神的苦痛を与える「日勤教育」を科す。JR西日本では01年に3日間の日勤教育を受けた44歳の運転士が終了した翌日に首つり自殺した。教育を受けた理由は京都駅の出発時刻が50秒遅れたというものだった。上司の監視下で反省のレポートを書かされたり、トイレに単独で行くことも禁じられ、うつ病になったり、「今度やれば運転士をやめる」と決意書を書かされる運転士もいる。
 しかも、ラッシュ時の運転中にJR内の監視要員が乗客に化け「裏面添乗」して運転士を見はる。時刻表や赤信号を確認するときに手を挙げて確認するが「その手が曲がっていた」などのいいがかりで「日勤教育」に回す。こうして「民営化」以後、JR西日本で自殺した運転士は十数人にのぼっている。
   
 JR経営陣に激怒 詰め寄る遺族たち
 こうしたなか事故の被害にあった遺族は激しい憤りを表明している。とくにJR西日本の会長が事故現場や、遺族宅を訪れたときは「わびて済むのか」「命を返せ」「営利ばかりで起きた事故だ」「妹をなぜ奪ったのか」「遺体は人の姿ではなかった。棺桶の中を見てほしい」「なぜこんな目にあわなければいけないのか」とつめ寄る状態だった。
 事故現場となったマンション「エフュージョン尼崎」(約130人)も四月末に開かれた住人の会合で「大勢の人が亡くなった場所ではもう暮らせない」と憤りが広がっている。遺族や住民の激しい抗議は「乗客の安全」をないがしろにし営利ばかり追求してきたJR経営陣への憤りであり、JR労働者やその家族と共通の思いであった。

 どこの労働現場も同じ 怒り語る運輸労働者
 この実感は他の運輸産業の労働者も共通の思いである。「どこも同じ。JRの運転士もその家族もいいたいことはたくさんあるはずだ」と語り出した九州の港湾労働者は「これまでの生産基準は低いところを基準にしていた。それが最近はすごく器用なものがいるとその最高基準が最低ラインとなり“あいつができるのにどうしておまえはできないのか”といい出す」とのべた。そして「労基法にコンテナ作業は2時間たつと1回休憩とある。でも実際は2時間たつと別の作業に移るだけで休憩はない。そして2時間たつとまたコンテナ作業だ」と語った。「新人教育も以前は1人ついて仕事を教えていた。いまはだれもつけず“仕事を止めてはいけない”という。だから仕事をしながら教える現状」と語った。
 第一交通運転手も「タクシーの中で寝て、1日中タクシーで生活する。人間らしい生活をさせろといいたい。労基署や運輸局など政府が見て見ぬふりをしていることが許せない。よく“車内で休める”と会社はいうが、いつ人が乗るかわからないなかでどうやって寝るのか」と語った。共通して語られることはJRだけでなく、労働者のおかれている実態が営利優先で労働者の意見がまったくとおらない奴隷状態におかれていることである。
 とくにそれは米ソ二極構造崩壊後の社会主義崩壊以後すさまじいものとなった。JRは「規制緩和」「自由化」の先がけとして1987年に「民営化」し、営利優先で安全運行などクソ食らえという反社会的な道を突っ走ってきた。そして「交通機関のなかでは安全」と信頼の高かった鉄道の安全基準、ダイヤ、制限速度などを改悪して、人減らしをすすめた。経緯をよく知らない若手運転士を「安全運行となる方がめずらしい」ほどの過密ダイヤにつかせ、ミスが出れば非人間的な懲罰を加える体制をつくってきたのはJRである。

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