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殺人・腐敗生むメディアの規制を
小6殺害事件にどう対応するか
               全社会的な運動が急務    2004年6月12日
 
 子供弄ぶ意図的な攻撃 人民的な思想強めよう
 長崎県佐世保市の小学6年生女子が同じクラスの女子の頸動脈をカッターナイフで切って死亡させた事件は、それがインターネットのチャット(おしゃべり)のなかで「体重が重い」といわれてカッとなったことが動機であったこととともに、各地の父母、祖父母、教師のなかで大きな衝撃と論議を呼び起こしている。そこでは「大人の想像を超えたところで異常な世界ができている」と驚きが語られるとともに、「これまで“心の教育”と何度もかけ声をかけてきたが、青少年の事件はまたくり返される。なにが根本原因かをつきとめないといけない」「もはや評論をしているだけではだめだ。大人が手を携えて具体的な行動を起こすべきだ」ということがどこでも共通して、切実感をもって話されている。事件ののちに下関や山口県内で語られた子どもの実情をもとに、子どもたちの変化と日本社会の変化を歴史的にもふりかえって、なにが原因なのか、どうすればいいのかを考えてみたい。
   
 社会現象となる殺人事件
 人人が心配しているのは、青少年の殺人事件が連続して起こっていることであり、しかもどんどん低年齢化していることである。
 人人を震撼させた事件としては、1989年の宮崎勤の連続幼女殺人事件があった。同じ時期、女子高校生コンクリートづめ殺人事件もあった。
 背筋の凍る衝撃を与えたのが、1995年5月に神戸で起こった「酒鬼薔薇」事件で、中学3年男子(14歳)が、顔見知りの小学6年生の男子を殺し、その首を自分のかよう中学校の正門前に置いた。かれはホラービデオにはまり、近所の猫の殺害をくり返していた。それは「個性重視」「興味関心第一」の新指導要領で育った世代の犯罪といわれたが、かれらが高校生になったときが「17歳犯罪」の増加であった。
 2000年5月、17歳の少年が福岡県で西鉄高速バスを乗っとり、包丁で60代の婦人を刺し殺した。少年は同級生のいじめにあい、県内1の進学校に入れず、ひきこもりとなってホラー・ビデオや殺人ゲームに熱中し、「出身中学にうらみをはらしたかった」といった。同じ5月には、愛知県で成績優秀の高校3年男子が「人を殺してみたかった」と、とおりがかりの民家で60代の主婦を包丁で刺し殺した。
 2001年6月、大阪の池田小に宅間守が包丁を持って乱入、1、2年生に手あたりしだいに襲いかかり、八人を刺し殺した。かれは自分の人生の失敗を他人に転嫁し「まわりの人間に仕返しがしたかった」とのべた。かれの父親は土井たか子後援会で労働運動活動家であった。
 昨年6月、沖縄で中学生による同級生殺人事件が起こったが、かれのかよう中学校は少人数指導・習熟度別学習をとりくみ成績が地域トップの学校で、早い時期から生徒の2極分化が起こっていた。昨年7月に長崎で起きた、中学1年男子が4歳の幼児を投げ落として殺した事件では、この男子は5教科はトップクラスだが、体育・美術・音楽は苦手で、格斗ゲームやアダルトビデオにはまっていた。
 1990年代以降にこうした事件が連続して起こっている。それは個個の事件の特殊な事情をこえて、社会的な現象であることを示している。
 下関市内のある商店主は「この社会の不条理が青少年に影響しないはずがない」と切り出し、「付近に量販店が進出し、お酒を卸値以下の値段で安売りをして、わたしたち個人商店をつぶしてきた。商売の道義もなにもない。“安ければよい”“もうかればよい”となんでもありで、子どもを食いものにする商売も対象がどんどん低年齢化している。おまけに若者には職がなく、小泉さんは自衛隊を戦場に送る。日本はいったいどうなるのか」と怒りはおさまらない。
 別の商店主も「知りあいの電気店主だが、量販店の進出でたちゆかなくなり泣きつくと、量販店は“殺しはしない。ちゃんと見てやる”と約束した。その後電気店主は土地を売って資金をつくり、量販店の傘下に入ったが、それでもうまくゆかない。それで店員ともども量販店に身売りした。ところがしばらくして“おまえらは勤続年数も少なく退職金は払えない”といって追い出され、その店主は病気で倒れ入院した。義理も人情もすたれ、なにをされるかわからない世の中。子どもの教育にも絶対に影響する」とのべた。
 このように今回の事件は、「親のしつけが悪い」「教師の指導が悪い」というような範疇(ちゅう)をこえて、あまりにも社会現象となっており、グローバル化、自由化の弱肉強食社会をストレートに反映したものだといわざるをえない。
   
 親の知らぬ無法世界 メディアが子供を食い物
 しかも多くの父母や教師が、携帯電話やインターネットという新しい情報機器の普及にともなって「大人の知らない世界ができており、そこに子どもたちがはまっている」と語っている。
 今回の事件はチャットでのケンカが発端といわれるが、下関市内のいくつかの中学校では、友だち同士が、面とむかってはできないが、インターネットのメールの交換でケンカをしてエスカレート。「カッとなったら抑えられない」ことが問題になっている。小学5年生女子の友だち同士で、「死んでしまえ!」とか「猫の首を切ったマンガ」をメールで送り、親が驚いて教師に相談に来たことも話題になっている。「面とむかってケンカすれば、相手の表情もわかり相手を思いやる気持ちも芽生えるし、実際になぐれば痛いこともわかる。そしてケンカが成長のこやしになる。ところが相手がいない画面上では、自分の嫌な思いを全部はき出してセーブがきかず、そうした感情に慣れてしまう」と心配する声は多い。
 また下関市内のある主婦は、知りあいの小学校6年生の男子がインターネットのポルノサイト(小・中学生女子のヌードなども流されている)にはまってしまい、インターネットカフェに入り浸りとなったあげく、低学年の女子にいたずらをする。注意すると「家が燃えてしまえ」と口答えをする。ところが親は、その子が学校の授業でインターネットを使いこなすのがうまいことから、ほうびとして高価な機械を買い与え、子どもの行動には気づかなかった、と語った。
 同じく2人の中学生の息子を持つ母親は、「息子がはまっているサイトをのぞくと、NHKの『みんなの歌』をもじってウサギや犬のかわいいキャラクターがうたったり踊ったりするが、ときどき相手を投げ飛ばしたり、ナイフでブスッと刺して血が噴き出るものだった。それを中学生が笑いあって見ているのも不気味だし、どんどん刺激のあるものを求めていく。インターネット上は無法地帯となって、子どもを腐らせている」とのべた。
 さらに、市内の別の母親は、「小学生女子を対象にした化粧品やブランドものの服の売りこみがすごい。子どもが興味本位に携帯電話をいじると、悪質な業者が“一重まぶたを二重にするグッズ”“まつげを長くするグッズ”などの情報をつぎつぎに流し、そこに接続しただけで請求がきて、いろんなところで金銭トラブルになっている」と警鐘を鳴らす。
 市内の児童福祉関係者のなかでは「小・中学生が服や化粧品に興味を持っても、自分では買えないし、親は買ってくれない。すると万引きか援助交際かに短絡的にすすむ場合がある」「30代から50代の社会的な地位もある大人が、下着を買うことからセックスまで、1万円から数万円で彼女らを買っていく。その対象が中学生から最近は小学生という場合もある」と話されている。産婦人科の医者は、妊娠中絶やその相談が小学6年生から中学1年生で多くなっていることを心配している。まだ十分判断力も身についていない小学生までを食いものにしていることが、どこでも憤りをもって語られた。
   
 氾濫する悪質な映像 「表現の自由」掲げ批判抑圧
 しかも「自分たち親世代が育った時代とくらべても格段に、人を平気で殺す映像があふれている」「金もうけのためにはなんでもありの、これらの製作者の倫理観を疑う」とだれもが思っている。これに対しては「表現の自由」がかかげられ、その批判が社会的な運動になることを押さえつけている。
 教師がいつも悔しい思いをするのは、子どもに愛情をもって「悪いことは悪い」と真正面から指導しようとするとき、マスコミから「体罰」「子どもの人権」とたたかれ、ごく一部の親から「訴える」といわれ「プライバシーの侵害」といわれることへのちゅうちょから、子どもをまともに育てようとする力が抑えられてしまうことである。そのうえ教育課程自体が、美術・音楽・体育が削られ情操教育はおぼつかない。
 勤労父母は社会のきびしい現実に子どもとともに立ちむかっている。しかし、インターネットの世界はよくわからないし、とくに比較的裕福な家庭のなかでは「成績がよくなれば」と奨励する傾向もある。精神科医や児童心理学者が「無条件に子どもの味方」「100%子どもに寄り添って」と“子どもの人権”“子どものいいなり”の「自由と民主」の「子ども天国」を増長させる。
 警察も「インターネットは匿名性を売りにして広がっており、個人のプライバシーといわれると介入できない」「今回のような殺人事件になれば動けるが、表面に出ないものは把握できない」という。
 こうして一方では青少年のまわりを俗悪な内容のテレビ、ビデオ、映画、マンガ、雑誌からインターネットや携帯電話がとりかこみ、青少年に直接襲いかかっている。他方で子どもたちをまともに育てようとする教師や親や地域の努力は大きな力によって抑えられる。そこに、子どもたちの人民的で健全な思想を破壊していくことが、きわめて意図的な政策・攻撃としてやられているという事実を見ないわけにはいかない。それが90年代以降きわめて強まった。
 それは社会の大きな構造的変化と関連している。1990年代の社会主義崩壊と「自由・民主・人権」のイデオロギーのもと、アメリカが主導するITと金融中心のグローバル化、規制緩和によって弱肉強食の社会風潮が強まった。「個性」や「自由」といってやってきた教育が「子ども天国」となり破たんしている。アメリカは、石油泥棒のための人殺しを「正義」といい、それを日本の総理大臣が「アメリカの大義」といってほめそやす。このような売国政治は、子どもをまともに育てることにならないのは当然である。
   
 地域的な教育運動へ 戦争体験の継承など
 こうした日本と子どもの現状について、原因を解明すると同時に、なんとかしたいという声は充満している。
 教師や教育関係者のなかでは「原因をつきとめ、みんなで手をたずさえて立ちむかうべきだ」「評論をしている段階ではなく、具体的な行動を起こそう」という機運は高まっている。
 今回の事件は、教室内の人殺しを描いた映画『バトル・ロワイアル』の直接の影響である。「子どもが悪い」「親、教師が悪い」というが、意図的に殺人や腐敗をあおっている悪質メディアについて、いつの間にか慣れっこになっているのでなく、それをやめさせるための全社会的な行動を起こすことが不可欠である。
 そして、勤労父母、戦争をくぐり戦後のきびしい社会をたたかってきた祖父母など、地域をあげて、メディアの腐敗攻撃とたたかい、この社会の現実、人と人との関係、すなわち人民的な精神を教える社会的な運動が不可欠である。
 被爆者、戦争体験者が、戦後60年近くわが子にも語ってこなかった被爆体験や戦後の苦労を、思い出すのもつらい体験を、未来を担う子どもたちのためにとはじめて語り、それが子どもたちの魂を揺り動かしている。被爆者の「人の痛みのわかる子になってほしい」「みんなの手で平和を守ってほしい」という訴えを子どもたちは真剣に受けとめ、自分の生活を変えている。教師が学校の狭い枠からぬけ出て、勤労父母や地域のお年寄りと団結して子どもの人民的な思想を育てる地域を巻きこんだ教育運動を起こし、健全な思想が社会的に圧倒し腐敗文化が一掃されることは、父母も地域も心から望んでいることである。

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