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広島平和公園原爆展
青年労働者が集団で参観
             方向模索し真剣な姿     2003年10月14日付

 下関原爆展事務局が毎週おこなっている「原爆と峠三吉の詩」街頭原爆展が12日も広島市平和公園の元安川河畔でおこなわれた。この日は、全国各地から参観者が多かったが、なかでも労組や労働者が集団で参観する姿がめだった。
 名古屋から30人のグループで来ていた全逓労組の組合員たちは、「平和学習の一環として広島に来ました」と語り、パネルを見はじめた。若い組合員は、言葉少なく「峠三吉の詩がいい、胸にグッときました」と峠三吉原爆詩集を買い求め、他の組合員もつぎつぎにパネル冊子を求めた。ある組合員は、「こんなことが許されたらいけんです」とアメリカ政府に謝罪を求める署名にむかった。そして1950年にアメリカの戒厳令状態で切り開かれた原水禁運動が中国地方の労働者を中心に果敢にたたかわれ、朝鮮戦争での核使用を阻止した歴史があることに興味を示し、「自分も平和の問題で活動している」と『原水禁・平和運動論』を求めた。労働者がなにをすべきか模索しながら広島を訪れていることをうかがわせた。
 東京から来た4人の働く青年たちは、パネルを前にときには目を覆い、涙をぬぐいながら「悲惨すぎます。こんなの悲惨すぎて見ちゃおれんですよ」とあふれる感情を抑えるように語った。時間をおいて「もう一度、見ておきたい」と4人であらわれ自分たちの目にパネルを焼きつけ、署名していった。
 北九州から来た土木関係で働く青年や、名古屋から来た若い男女も「時代が時代とはいえ、あまりにもひどすぎます。話には聞いてきましたが、このような写真を目にしたのははじめてでした」と衝撃のあまりすぐには言葉にならなかった。
 栃木から広島にバイクの集まりで来ていた夫婦は、夫人は涙がとまらず、夫がカンパを寄せた。そして夫人は「パネルと峠三吉さんの詩の感想をホームページで出しますから、ぜひ読んでください。この本はバイク仲間にも見せますから」と詩集とパネル冊子を持ち帰った。

 鋭く共鳴する全国の参観者
 大阪から修学旅行の下見に来ていた小学校教師は、「峠三吉さんの詩を探していた」と広島に来るまえに峠三吉の詩を生徒全員でいえるようにさせたいこと、子どもたちにはどのような詩がわかりやすいかなど質問し、事前学習で子どもたちにA2判パネルを見せるためにパネルを貸してほしいと申し出た。兵庫県の小学校教師も同じようにパネルを貸してもらえるなら、学校で検討してみたいと話していた。
 浜松から友人2人で広島を訪れていた70代の婦人たちは、浜松空襲を受けたことを語り出した。アメリカの艦砲射撃がひどく、機銃掃射で頭を撃ちぬかれそうだったこと、ある妊婦が機銃掃射で撃たれ、赤ちゃんが出て死んでしまったことなどを原爆の経験と重ねながら思い起こしていた。そして現在の子どもたちが甘やかされ王子様のようにあつかわれていることを憂いながら、もっとこのような経験を伝えないといけないと思いを新たにしていた。
 パネルを1枚1枚押さえながら見ていた市内西区の70代の男性は、20代のころ、「若人の会」でみんなで「墓標」を朗読していたことを思い出したと「君たちはかたまって立っている……」と口ずさみながら、峠の詩が好きな人が多かったと話した。昭和28年に中国から引き揚げ広島を見たとき、原爆ドームからずっと先まで全部見えていたこと、教科書ではじめて、「お母さんがお乳を飲ませる写真とおにぎりを持つ子どもの写真を見たことが印象に残っている」と、峠の詩を読んでいた時代を懐かしそうに話していた。

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