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生産振興で地域守る全国課題
震災復興巡る記者座談会
              東北突破口の一次産業潰し    2012年5月25日付

 東日本大震災から1年2カ月以上が経過した。本紙は震災後、東北の被災地に出向いて現地取材にあたってきた。今回、第八波の取材をつうじてつかんだ現地の状況とあわせて、復興をめぐってなにが問題となっているか、だれと団結してだれとたたかっていけば打開の展望があるのか、全国的な共通問題とも重ねて、記者座談会を持って論議してみた。
 
 復興に動く漁業の現場 都市部では異常な規制

 司会 まず被災地の実情から出してもらいたい。
 A 今回は岩手と宮城の沿岸を中心に取材した。1年たって瓦礫撤去はだいぶ進み、数カ所に山積みにされたのを分別する作業が進められていた。あとは広大な更地が各所に広がっている印象だった。
 岩手と宮城で歴然とした差が出ているのが特徴で、露骨に宮城県の復興が遅いのを痛感した。この違いについて宮城県側の被災者たちは「岩手がうらやましい」と口口に話していた。
 震災対応について見てみると、復興予算は去年段階で3次補正まで決まり、10年間で23兆円といった数字が出されている。しかし1年経ってみて予算として執行されているのは微微たるもので、カネがなかなか下りてこないために足踏みをよぎなくされていた。瓦礫撤去もだが港の復旧も急がなければ船もつけられないが、新年度になってようやく岸壁復旧関連の測量設計の業務が発注され始めた程度であったり、予算手続きの都合で遅れている実際があった。
 岩手の重茂や田老地区、宮城県内でも牡鹿半島の小渕浜など漁業生産の現場は勢いよく復興に向かって動き出しているところがある。そのなかで、後背地の住宅政策が明らかに遅れている。都市部でもいまだに建築規制・居住制限で住めず、都市計画を練っている段階だ。住民はその間仕事もなく山側の仮設に追いやられて、展望が見いだせない状況が続いている。
 岩手県側では浸水地であってもビルを修理したり、住民が歩き回っている土地が多かったが宮城県側では土木業者以外の姿がなく閑散とした土地も多かった。壊滅した漁村では人っ子一人おらず死んだようになっている場所も少なくない。漁港集約の関係で後回しになっているしその一つである牡鹿半島の桃浦地区は村井知事が進める漁業権民間開放・企業化の候補地としてあげられていた。水面下で進められていることを県漁協の役員が教えてくれた。宮城県の浜では、震災後に漁業関連施設の復旧としてあてがわれたのは、せいぜいビニール製のテント小屋や市場が建っているくらいで、新船が一隻も届いていない浜も多かった。「書類上の手続きはすべて終了しているのだが、あとは生産体制が整うのを待つしかない」と語られていた。
 一方で岩手県に行くと、漁協が強い宮古市の重茂地区では、機械も船も自分たちで購入して設備もしっかりした本格的なものを整備していた。サケやアワビの孵化場まで建設に着手していた。ワカメ、昆布を塩蔵ボイルする施設も仮設ではなくて、かなりしっかりした建物を元の場所に建設して稼働していた。下関の南風泊の水産加工場ほどもある大きさの加工施設だ。漁期に間に合わせるために、漁協が行政ともかけあって補助金も費やされるし、新船も300隻届いていた。共同化で乗り切る形が見事に機能していた。
 ただ、一歩陸側に行くとなにも動いておらずシーンとした静けさがある。その差がなんなのだろうかと思わざるを得ない。また、活況を呈している浜があるかと思えば、死んだようになっている浜もある。この違いもなんなのだろうかと思った。協同組合の存在意義を考えさせられた。田老、重茂を回ってみて岩手県では協同組合運動の歴史的な伝統が息づいていることを感じた。宮城県は、震災前に県一漁協合併で浜の協同組合が解体されてしまったが、その違いが大きい。なにをするにも浜が単独で動けず、そのための資金的な自由度も失った状態だった。
  水産加工業はどうだろうか。
  自己資本があった企業が自力で動き出しているのと、一方では震災前から経営が厳しい状況も普遍的にあって、二重ローンが多少緩和されたり補助金がつくとはいえ、新たに投資して会社を起こす体力・気力が出てこない企業も多いといわれていた。三陸の水産加工は国内でも大きなシェアを占めてきたが、震災前から安い単価で量販店なり大手水産会社との取引関係があった。「借金はあってもカネはない」という企業は動き出せない感じだった。そのうえに仙台湾など宮城県の海域からは100ベクレル超えのマダラ、スズキ、ヒラメなどが水揚げされたといって出荷規制がやられ、立ち上がろうと頑張ってきた矢先に“第二の津波”に襲われていた。各浜で検査をしているが、大丈夫な魚まで風評被害で敬遠され、最終的に量販店が三陸切りをして輸入シフトになることが懸念されていた。
 
 復興特需を狙う国 巨大計画ばかりで足止め ODAと同じ

 C 
地震後に国が力を入れたのは大企業のサプライチェーン復旧だった。大企業要求にはスピーディに応えた。あとやったことといえば瓦礫撤去でゼネコンが乗り込んだり、「創造的復興」といってコンサルタント会社が復興の青写真作りをしたことだった。復興特区を創設して、新規企業には法人税免除とか、雇用補助金を出すというのも決めていった。肝心な沿岸部は更地のまま、仙台界隈の大衡村とか、あまり震災で影響のなかった工業団地への企業誘致に熱を上げたり、優先順位が狂っている。外来資本が乗り込んで、国の復興予算を使って瓦礫処理をつかみどりするだけでなく、過剰な巨大堤防を計画したりしている。
 A 気仙沼は巨大堤防をつくるか否かでもめていた。どこに堤防をつくるのかも含めて議論が宙に浮き、復興全体が足止めを食っている感じだった。「堤防はいらないから、避難タワーなどをつくって逃げられるようにする方が現実的だし、海が見える気仙沼でないとダメだ」という意見が市民のなかには多かった。当初「海と共に生きる」と復興の狼煙を上げて出発した気仙沼市では、その後県が巨大堤防をつくる方向に導いて、それが明らかに障害になっている。説明会で話が堤防に及ぶと県担当者が説明を始めるのだと語られていた。基礎自治体と県との齟齬(そご)もあるし、住民の望まないゼネコン特需創出がその他まで待ったをかけるのでは話にならない。
 岩手県の陸前高田市でも12bも高さがある巨大堤防をつくるといって、それで街作りが塩漬けになったのではたまらないといわれていた。宮古市は割合復旧が早いといわれ、9割の事業所が再開していたが、ここでも閉伊川の河口堰に巨大水門をつくる計画が浮上していた。「意味あるのか?」と住民たちは口口に話していた。
  国がやっているのは復興特需。ODA(政府開発援助)方式だ。パシフィックコンサルタントのようなODAに長けている大企業が乗り込み、新興国でやるのと同じように開発の青写真を描いて現地自治体に提示しその公共投資をゼネコンが食い散らかしていく。植民地開発方式。外来資本の都合のためという政治が明確に動いている。
  現地の自治体には技術系の職員が少なすぎるが、人材不足にも増して業務量がすさまじいことになっている。それだけでもアップアップしているなかで、仕事だけ見たら手慣れているコンサルがプラン作成する方がはるかに早いしポンと提示していく格好だ。しかも復興の青写真なのに、国土交通省が基礎自治体を飛び越えて随意契約で発注するというのも不可解な方法だ。あっちもこっちもパシコンが作成した復興プランだらけで、「スマートシティ」とか似たような街作りの絵が示されていた。三陸沿岸の集落を金太郎飴にするつもりかと思えるほどだ。
 
 沿岸は電気も来ず むきつけの農漁業破壊 特にひどい宮城

 B まさにショック・ドクトリンだ。それとの対決で生産振興から被災地ががんばっている。むきつけに第一次産業破壊の線があらわれている。次から次へとダメージが加わって、原状復旧をやろうとしない。港の復旧もだが沿岸部には電気もきていない。
 A 中心部しか電柱は復旧していないから、浜では木に延長コードをぶら下げて簡易電柱のような形で引っ張ったり、建設現場で使う非常用電源を回して電力を確保したり、四苦八苦していた。電気一本を引っ張ってくるにも、例えば協業化の制度を利用した場合に申請して、その後「やっぱり一人抜けた」となると再び膨大な手続きをやり直しさせられたり、煩雑な手続きにも困っている。「やっと電気がくる!」と待ちわびていたのに、東北電力の担当者が来て、「これでは書類が通らない」といって突き返された経験も聞いた。被災者が立ち上がっていくために援助する、手助けするという行政対応になっていない。細かいことで足を引っ張られている。
  宮城がひどい話になっている。「創造的復興」といってなにも創造しないしむしろ破壊だ。東北では仙台が東京の出先機関の集積地みたいになっている。大企業の影響が強い。宮城県の復興会議メンバーは東京人だらけで、岩手県は県下の各種団体の代表で構成しているのとも違いが大きい。
  宮城と岩手の違いは現地に出向いた知識人も多くが発言している。生産現場の共同体が復活するよう力を入れているのが岩手で、宮城は「創造的復興」を掲げて原状復旧が進まないことを問題にしている。
  下関水産大学の教授の友人で、東京海洋大学の若手研究者がかなり発言しているが岩手の浜を歩いて回ったら漁師が共同で頑張っていること、これは連帯経済だと表現していた。宮城県側ではネオリベラリズムつまり新自由主義による漁港集約等が障害になっていると指摘していた。創造的復興が障害なのだ。
 B 津波で沿岸がやられているのだから漁業の復興が中心だ。そのことによって地域コミュニティーの立て直しが進む。それなのにぶっつぶす政治が上からやられて漁港は放置。しまいにはベクレル騒ぎまできた。100ベクレルを食べたら大変だというが、それで三陸の水産業が壊滅したら、日本人は餓死する道だ。食糧危機の方がよっぽどこわい。
 
 ベクレル規制襲う 生産意欲もそぐ対応

  宮城はベクレル・ショックが襲っていた。4月からそれまでの500ベクレルという規制値を100ベクレルにしたおかげで、水産市場でも緊迫してみなが報道に警戒していた。一文でも掲載されたら風評が広がってしまうから弱り果てている。現金収入の道が閉ざされてしまう。米国では1200ベクレル、EUは1250ベクレルだが、世界一厳しい基準だ。口に入れる食料の50%が100ベクレルだとして1年の体内被曝量が1_シーベルトを超えない計算なのだという。
  ベクレルの基準を厳しくしていくことについても、研究者のなかでは、生産振興の側から放射能問題を考えるのか、それを切り捨てる側からかかわるのかで大きく違ってくることが問題になっている。福島原発周辺の農業についてもすでにヨウ素は消え、セシウムが作物に含まれているといって出荷停止があいついでいるが、ここで次の春に向けて田畑を耕し、種をまくかが決定的だったという。2011年の収穫のときにセシウムがかなり軽減されていたようだが、それは作物が吸収していないことをあらわした。土が吸収して作物にセシウムが行くのを阻んでいたのが明らかになった。有機農業などして土地が良いところほど作物にセシウムがいかないことが科学的な根拠を持って明らかになったと研究者が喜んで発表している。今後の推移については注視しなければならないが、とにかく耕して収穫するという過程を通らなければわからないことだ。
  ほとんど作物が吸収せず土が吸収する。ひっかき混ぜた方がセシウムが中にもぐって作物に出てこない。だから「ヒマワリが放射能除去に役に立たなかった」というが、吸収しなかったという結果は良かったこととして歓迎すればいい。ヒマワリの種は、食べられることが証明された。それを「ヒマワリが吸収せず残念だ」といっている。
  奮斗している側を激励しながら解決に向かうのか、「なにもするな!」とストップをかけて生産意欲を削いでいくのか、まったく対応は違ってくる。作物が吸収していたとすれば東電に買いとらせればよいのだ。耕作していたら軽減していくし、原爆を投げつけられた広島や長崎でもそのようにしてやってきた。原爆投下後に獲れた野菜や魚介類を食して広島や長崎の人間は戦後も生きてきた。
  広島、長崎はどうだったのかという経験はもっと広く知られないといけない。ベクレルショックに頭を抱えていた関係者に、被爆地でははるかにすさまじい被爆量だったにもかかわらず、市民は原爆投下後も井戸の水を飲み、野菜やヨモギを食べ、広島城のお堀のカエルを食べたりしたことや、戦後六七年たってもそんな80代の人たちが生きていると伝えると、ハッとする感じだった。福島でも同じだ。

 検証もせず原発再稼働 日本使う米国の意図

  長崎でもあの近海で獲れるイワシを毎日のように食べていた。原発がもう一つの大きな問題だ。あれだけの爆発事故を起こして収束もしていない、検証もできず対応策もないのに再稼働といっている。だれがさせているのかというとアメリカだ。寺島実郎が月刊誌『世界』で「日米同盟の核の傘を離脱する気がなければ脱原発などできないのをわかっているのか」といった調子で書いていたが、要するに核の傘の産物なのだ。原子力については日本を使って世界中に広げようというのがアメリカの政策だ。米国原子力メーカーのWHやGEといった企業が東芝や日立の子会社のような格好をしながら、実際は向こうが本体で日本が世界中に広げるために出ていかなければならない役回りになっている。自国ではやらないことを日本という植民地にやらせる。
 そもそもの始まりが原爆投下から平和利用の線で原発になり、地震列島に54基もつくった。それで日本を盾に戦争をしようとする。郷土を廃虚にしても構わぬという政治との対決がいる。これほどの原発災害を引き起こしておきながら、野田らが突っ走るのはアメリカが指図しているからだ。これと対決しなければ破滅ということだ。
 東北全体でいえばTPP体制をこの際作れという意向が明らかに動いている。そのための特区構想で、一次産業をつぶしても構わぬという明確な政治が貫かれている。しかしこれは東北だけの話ではなくて、全国的にも共通する。
 はぐるま座が全国公演しているが、あちこちで町づくり運動が活発化している。口蹄疫で壊滅的な打撃を受けた宮崎県の川南町にしても、岡山県の早島にしろ、下から立ち上がる機運がすごい。TPP路線で地方破壊・農漁業破壊をやりまくる政治が横行しているが、下から地域の共同体を機能させて産業や地域を盛り立ててたたかう行動が広がっている。その共通性がどこにもある。
 東北が典型的にあらわしているが、全国的普遍性を持ったアメリカの大収奪体制との対決、それに従って国をつぶしてしまう売国政府との対決が迫られている。地域や生産点を基礎に生産を興し、地域を守るたたかいを全国的な共同斗争として強大な力にしなければ政府はいうことを聞かない。
 下関の疲弊状況も、津波は来ていないのに、津波に襲われたような状況がある。陸の津波が日本中を襲っている。TPPの津波であるし、新自由主義の津波だ。しかし岩手県の沿岸が示しているように、たたかう力は共同のなかにある。それこそ田老町漁協の合い言葉ではないが“連帯と団結”だ。地域で生活する人間が共同で助けあってやっていく、そこにパワーがある。もともと田老も重茂も三陸のリアス式海岸に囲まれた貧困地域だ。土地はないし、海しかない。だから貧しかった。それが協同組合化によって集団化で力を合わせることによって、いろんなことができるようになった。そして豊かになった。
 
 歴史的怒りが蓄積 明治以後、東京の食い物 戦時動員でも

  田老もそうだが、あの地域は山が海岸にせり出しているリアス海岸独特の地形で、道路も山側の高い位置を走っている。低地が少ない。田老から少し北に走ると閉伊一揆の拠点だった田野畑村だが、そういう伝統があると思う。田老や宮古の貧民たちも呼応して一揆に参加しているが、宮古から閉伊川沿いの旧道をつたって盛岡まで攻め上った。
 B 岩手県は宮沢賢治や石川啄木を輩出した土地だが、そういう雰囲気を感じる場所だ。インテリの発言も積極的になっている。農文協が「脱原発の大儀」を出版しているが、資本主義が始まって以来、東北は東京のために収奪されてきた関係を明らかにしていた。今始まったことではない。食糧の供給基地であるし、人材の供給基地、水力・電力の供給基地として収奪されてきた歴史的な怒りが渦巻いている。
 それは明治維新以来の恨みだ。元勲どもが東北制裁をやり始め、会津などは青森県のむつの辺に追い出された。明治政府に逆らったといって、ろくにものが作れないような辺鄙な場所に追いやられた。それで難儀した。東北は明治以後、植民地的な隷属構造にされ、東京のために食い物にされた。今始まったことではない。昭和恐慌でも、飢饉や娘の身売りが問題になったが、ちょうど昭和三陸津波でやられたところに、復興の計画をするがあの当時も東京の都合で進めた。おかげでみなが餓死したりした。
  冷害もあった。米のモノカルチャー化で基幹産業を農業だけにしてしまって、しかも東京の食糧生産をまかなうために植民地的な手法で進めた。そこに津波がきた。あと戦時動員でも人的供給基地にされた。貧乏にして戦争に駆り立てる典型的なやり方だ。明治以来の恨みだから長州への恨みが重なる。
 A 「長州は敵だ」という人が福島にも宮城にも、岩手の重茂にもいた。福島では東京電力に対する歴史的な怒りが蓄積している。震災後、埼玉県の廃校になった旧高校校舎に大熊町の人人が押し込められていたが、「東京のために犠牲になってきたんだ」「だれが東京のために電気をつくってやってきたと思っているんだ」と口口に話していた。電力関係で働いてきたけれど、同時に原発事故によって故郷を追われた。複雑な心境だった。
 東電は震災後に賠償その他のお詫び行脚で宮城、岩手にいたるまで社員が担当地区を割り振って歩き回っている。出荷規制などの補償対応で社員を東北に送り込んでいた。宮城県の牡鹿半島で漁協関係者が話していたが、東電社員が緊張の面持ちで訪問してきた時に「まぁ、私らがここで責めても、あなたら社員個人が爆発させた訳じゃないからなぁ…」と声をかけると、涙目になって「すいません…」と繰り返していたという。福島では県民の怒りがすごいから、「アパートすら借りられないんです…」と漏らしていたという。歴史的にもだし、今現在もとんでもない目に遭わされている。
  資本主義でろくなことがなかったというのがある。自分たちの力でやるというのが協同組合に依拠する根拠ではないか。

 日本収奪と対抗する力 生産基礎に全国連帯

  対抗する力は“連帯と団結”しかないというのが、田老や重茂を見ていて実感する。パワフルだし明るい。働いて立ち上がっていく大切さというのが、宮城県でも語られていたが、働かないで補償金や補助金漬けになったら人間が腐るといわれていた。最小限で必要不可欠な生産体制を築くための資金は必要だが、過大なカネが入ると骨病みになって人間がダメになってしまうと強調されていた。
 被災地だからこそわかる心境だと思う。やはり生産が基礎であるし、地域の被災者が中心になって動くことが要なんだと。そこに外側の応援がいる。
  主人公は地元の人間であるのに、仮設に閉じこもっていてはなにも進まない。口ばかり開けて待っていたり、文句ばかりいっているのでは、そのうち生産意欲は薄れて、地域そのものが死んでいくといわれていた。そうではなくて、自力で地域みんなで立ち上がり始めたところは強い。
  「被害者面していたって、自分たち自身が立ち上がれなくなる」と語られていた。震災に直面してみんな大変だけれども、そこが分かれ道になっていた。
  生産者には生命力があるし、負けてたまるかの開拓魂がある。宮崎県の川南町だって共通だ。生産者の強みだ。自力復興。主として自力でやる。それを応援するために、瓦礫撤去や嵩上げなどがやられないといけない。
  重茂や田老、宮城県の小渕浜にしても、元気のいい浜ではワカメ漁に間に合わせることを基準にして加工場の建設や資材調達のメドをつけ、生産活動に規定されて復興が進められている。何月までに作ると決めたら、なにがなんでも間に合わせるために動く。それに比べて、行政的なかかわりを見てみたら考え方が根本的に違っていて、「予算が認められないから動かない」「補正予算が通らないと動かない」「書類が不備だから動かない」というものだ。お上頼みをやってもお上は下下のことをまったく知らず、机上の空論ばかりで平時の対応をする。手続きが書類だらけで、ファイルが膨大になっていると漁協関係者は頭にきていた。「非常時だろうが!」「役人のバカ野郎!」と。
 B 国のまひだ。なんたって現場のことがわからない奴が政治や行政をやっている。そして現場の行政は人員不足になっている。特にこの間は自治体合併をしたのも災いして自治体職員は減らされ、なおさら機能まひになった。そして経験したことがない津波被害に遭遇してうろたえてしまっている。地方自治体は対応できるわけがない。そこにドンと交付金を与えて自由に使えとか、応援職員を全国からもっと多数寄こすとかすればいいのに、対応が乏しい。おまけにその地の大衆を動かそうとしないからなにも動かない。
 TPP、日米同盟による日本収奪の一環としての東北収奪でこれは日本全国の共通課題だ。全地域を拠点にして全国連帯で大政治斗争をしなければいうことを聞くものではない。安保斗争が待ったなしの課題になっている。日本を壊滅させる政治家や官僚、大企業、御用学者にいたるまでみな役に立たないなかで、人民の側はどう進んでいくかだ。
 
 大統一戦線形成へ 既存潮流は別世界 大衆のたたかう力充満

  御用学者についていうと原子力学会はもちろんだが、地震学でもイカサマをやってきたことが暴露された。震災で2万人近くが死者・行方不明者になったが、そのうち9割が津波で亡くなった。このなかで気象庁が出す津波警報のいい加減さも問題になっている。科学水準としては津波がどれだけの波高で襲ってくるのかわかる水準にあるのに、実際には津波計が貧弱でまともなものを設置していないという。
 P波とS波があるなかで、P波が来た段階で津波警報を出すようなのだが、とにかく最大の警報を気象庁が出す。実際には100分の1かもしれないのに、100と出して、警報では5bといっていてもわずかな波しか来なかったりといった事例が続いた。オオカミ少年のようなものでみなが信頼しなくなっていた。十勝沖地震でも避難したのは六%だったといわれたが、「どうせ津波は来ない」と逆に安心してしまって、たくさんの死者が出ることにもつながった。
 50分も津波が来るまで時間があったのにやられてしまったことに、良心的な学者は心を痛めている。だから本気で対策するのなら津波計をきっちり設置するべきだと主張を始めている。地震対策、災害対策を公正無私にやるのではなく、すべて企業側の都合や金銭がからんで進められてきたなかでの津波災害であるし、原発災害はその典型だ。
 あと東日本大震災と原発事故を経験して、植民地支配された日本の姿が見えてきたことを多くの知識人が発言している。西川長夫なんかは、「核の傘の下の原発という点に最も植民地主義が典型的にあらわれている」と指摘している。広島や長崎の原爆の廃虚と、今の津波や原発事故の廃虚が重なった姿としてある。『脱原発の大義』を読んでも、今のグローバリズムの創造的復興もだが、原発がもっとも地域破壊の元凶なのだと暴露している。経済的には電源三法交付金で飼い慣らし、産業振興にはならずに地元の一次産業をつぶす。雇用も原発労働に奪ってしまう。地域を丸ごと麻薬中毒にしてしまう。これこそ植民地主義だと。東京一極集中と地方生活との矛盾を巡る典型的な例として考えられている。
  知識人の世界も様相が変わってきた。安保反対の大統一戦線の形成が待ったなしだ。たたかう力は大衆のなかに充満している。それと、いわゆる「脱原発」「反原発」を掲げてきた既存の多くの潮流が別世界だというのが浮き彫りになっている。
  新宿で出版社をしている男性で、全国の地域興しなどを取材して雑誌を出している人と連絡が取れたのだが、福島を復興させるのは一次産業からであるし、それがわからないのが反原発の流れで、「放射能は怖い」ばかりいって逃げることしかないこと、肝心なところが抜け落ちていると問題にしていた。
  山口県では豊北に続いて上関でも原発建設を阻止し、とうとう一基もつくらせなかったが祝島の山戸のような投機的な潮流とは一線を画してきた。生産振興、漁業振興を掲げた反対であるし、それは農漁民をはじめ大多数の住民を基本にした力だ。全国的には生産点を基礎にした原発反対の世論が連帯して広がっている。それが本当の力だ。
 東北も原発も日本全国共通した問題だ。口蹄疫災害やTPPとたたかって町の復興を目指している宮崎県も、農漁業破壊・地方生活破壊に立ち向かって町おこしを頑張っているいろんなところも、また工場閉鎖で首を切られたり、まともに生活できない非正規雇用の労働者もみな共通している。その根源は日米同盟、日米安保条約だしTPP路線だ。つまり戦後から続くアメリカの支配だし、売国反動派の支配だ。それと対決する全国的な団結をなにがなんでもつくっていかなければ、日本はつぶれるということだ。

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