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「成績のいい子」の冷酷な殺人
犯罪社会作る小泉構造改革
              社会性破壊する市場原理教育   2005年11月17日付

 静岡県伊豆の国市の県立高校1年の女子生徒が、自分を育てている母親の食事に毒を入れて殺害しようとし、しかも母親が苦しむ姿をまるでモルモットの変化を見るような冷酷さで日記につけインターネットで公開していた事件が、父母や祖父母、教師に深い衝撃を与えている。この女子生徒は小学校から成績優秀で、県内有数の進学校にすすんでからは「将来は化学者になる」と教師のなかで期待されていたという。こうした「成績のいい子」の冷酷で残忍な犯罪がつづいている。オウム真理教の犯罪も「頭のよい集団」のしわざであった。これは社会のどんづまりをあらわすものであるが、とりわけ近年の「教育改革」の重大な問題性を暴露している。

   肉親や同級生でも平気で殺す
 「自分の母親によくあんなことができる」――女子生徒が母親を実験台にし、食べ物に混ぜて劇物のタリウムを飲ませた今回の事件に、多くの人が驚きと怒りを持って語っている。苦しむ母親の病状の推移を克明に記録し、それを公の場であるインターネットに出す。その内容は「全身に発疹が起こり、とくに顔面に症状が強く出ている」「脚の不調を訴えていたけど、ついにほとんど動けなくなってしまった」「母は幻覚を見はじめたらしい。血圧は150前後にまで落ちたが、まだまだだ」など、毒を食べさせたハムスターの実験経過と同じような調子の、冷酷なものであった。彼女はまた、病室の母親の髪の毛がぬけるなどの症状を撮影し、その写真をパソコンに保存していた。
 彼女はいまの学校のなかでは、小学校時代から「成績優秀な生徒」と評価されている。高校は地元で一番の進学校の理数科に合格。とくに化学の知識がずばぬけており、4月の東大教授を招いた講義ではレベルの高い質問を積極的にして「すごい子がいる」と評判になった。教師のあいだでは「将来は化学者」と期待されていたという。その一方で、筆記用具を忘れたときには「(先生に)泣きながら母の話をして、同情を得た。人って案外かんたんにだまされるものなんだなと思った」というような二面性を持ち、同級生からは「爬虫類」とも呼ばれていたという。
 同じ時期、東京で都立工業高校1年の男子が、同じ高校にかよう同級生の女子を彼女の自宅で刺し殺した。この男子生徒は入学以来無遅刻無欠席で、成績も悪くなく、担任からしかられることのほとんどない「学校としてはノーマークの生徒」だった。教師の評価は「最近の子どもにはめずらしく、汗をかくことをいとわない」「部活や掃除などもしっかりやる責任感の強い生徒」であった。それが「高校に入ってから急に冷たくなった」「なにも悪いことはしていないのに」という自己中心の一方的思いこみから、包丁を持って逃げる彼女を30分も追い回し、首や顔など約50カ所も刺して殺すという残忍さであった。

 連続する凶悪事件 「成績優秀」が特徴 
 しかしこうした事件は、いまの社会のなかでは特殊な事件ではない。ここ10年あまり、青少年の凶悪犯罪があまりに連続しているからである。
 人人を震撼させた事件として記憶に新しいのは、1995年5月に神戸で起こった「酒鬼薔薇」事件で、中学3年の男子が顔見知りの小学6年生の男子を殺し、その首を自分のかよう中学校の正門前に置いた。それは「個性重視」「興味・関心第一」の新指導要領で育った世代の犯罪といわれたが、かれらが高校生になったときが「17歳犯罪」の増加であった。
 県下一の進学校に入れずひきこもりとなった17歳の少年が、「学校にうらみをはらす」といって福岡県で西鉄バスを乗っとり、包丁で60歳の婦人を刺し殺したのが2000年5月であった。同じ月には、愛知県で成績優秀な高校3年男子が「人を殺してみたかった」という「興味・関心」から、とおりがかりの民家で60代の主婦を包丁で刺し殺した。
 2003年7月には長崎で、中学1年の男子が4歳の幼児をビルから投げ落として殺した。この男子は学校では五教科がトップクラスで、他方で体育・美術・音楽は苦手で、格斗ゲームやアダルトビデオにはまっていた。昨年六月には佐世保市で、インターネットのチャットのいさかいから、小学6年の女子が同じクラスの女子の頸動脈をカッターナイフで切って死亡させた。
 このように、最近の青少年の凶悪事件の一つの特徴は「頭のいい子の冷酷な犯罪」となっていることである。それは現場の教師のなかでも、自戒をこめて、「学校の荒れた状況のなかで低学力の子の対策に追われ、成績優秀な子はノーマークになっているが、むしろそっちの方が怖い」と語られている。

 極端な2極化進む 「興味・関心」教育のもとで
 90年代以降の「個性重視」「興味・関心第一」という文部省の新指導要領のもとで、小学校から子どもに個別に対応していく体制になり、できる子はどんどんつぎのステップにすすみ(教科書にも全員がやらなくてよい「発展学習」が記されている)、集団のなかで教えあう、できる子ができない子に教えるということがなくなった。「昔は成績のいい子はクラスのなかでリーダーの役割をはたしたが、いまは孤立する場合が多い」という。そのなかで、「友だち同士で、まちがったことをしたら注意する、困っているものがいたら援助してやる――そうした力が5、6年ぐらいになると急速にひっこんでしまう」と心配されている。
 中学校で文化祭での劇や合唱をやるときも、子どもたちがのってこないし、みんなで一つのものをつくりあげていくことが薄れてきている。「提出物を出した」「授業中手をあげた」などがすべて点数化され「授業中、生徒にちょっと手を貸してくれというと、“それをしたら何点か”“点にならないのならやらない”という」「先生の前だけはいい顔をする二面的な子どもがふえた」という。
 そうした子どもたちが入学してくる高校では、20年、30年と教壇に立ってきたベテラン教師のなかで、「最近は生徒の考え方が変わってきている」ことが悩みとなっている。進学校の教師たちは、最近の生徒の状況をつぎのように語っている。
 ◆社会自体が「勝ち組」「負け組」に二極化するなかで、生徒のなかでも二極化がすすみ、自分の進学のために長時間勉強する生徒と、勉強を投げていっさいやらない生徒に分かれている。
 ◆小学校から「興味・関心」で育ってきて、与えられたことをこなすことしかできず、自分でものごとを判断して行動することができない。
 ◆クラスを見ても、一人一人がオタク化し、それぞれが車やゲームなど一つのことのスペシャリストだが、クラスのリーダーになるものがおらず、集団を束ねることができない。集団でなにかをすることがむずかしい。
 ◆少数の仲間にはやさしいが、仲間以外は人とみなさない。女子生徒が電車のなかで化粧をするだけでなく着替えもする。周囲の大人を人間と見ていない。
 ◆公務員試験に一発でパスした優秀な生徒だが、都道府県名を知らないなど、基本的な知識がない。小学校のころから「好きなところだけ勉強すればいい」とやってきて、その弊害が出ている。
 ◆東大を卒業した優秀な生徒だが、会社のミーティングで提案されたことに「それは知っています」「それも知っています」というばかりで、問題についての自分の意見を問われているのに答えることができない。知識はたくさん持っているが、それを役立てるという考え方が育っていない。

 先陣切る石原都政 差別選別の「教育改革」
 臨教審以来の教育改革をつうじて、自己中心的で社会性を喪失した人間が育っているのである。
 もう一つ、高校の教師たちが共通して語っていることは、石原東京都政の教育改革が全国の先陣を切り、その後それを各県に導入しているが、その東京で青少年の凶悪犯罪が連続して起こってきたことである。
 以前は東京よりも地方の小都市での犯罪が心配されていた。ところが今回の同級生殺人事件だけでなく、6月には板橋区で「おとなしいまじめな問題のない生徒」とみなされていた都立高校1年生が両親を殺害する事件が起こっている。かれは父親を鉄アレイで、母親を包丁で殺したあと、証拠隠滅をはかるために電熱器にタイマーをセットしガスを充満させて自宅を爆破した。しかも「父親が“おれより頭が悪い”とバカにした」「母親は仕事がつらそうで、いつも“死にたい”といっていたのでいっしょに殺した」という屁理屈がついている。7月には墨田区で、2人の高校生が「ストレスを発散しよう」とホームレスを襲い、殺害した。
 「市場原理の導入」をかかげた学区の自由化・学校自由選択制と、学力テスト、外部評価制度を全国ではじめて小学校で導入したのは、東京都の品川区教育委員会である(2000年)。2003年からは学力テストの中学校ごとの平均点と、卒業した小学校別の成績を、学校名をふくめてホームページで公開し競争をあおった。その結果学校のランクづけがすすみ、上位の学校に子どもが集中し、文京区のある中学校は昨年度の入学者がゼロになった。石原都政はまた、高校の大規模な統廃合と「特色のある学校づくり」という名のランクづけをすすめ、都立の四大学も廃止してアメリカ式の「産業界に奉仕する新しい大学」を新設した。教員評価制度と給与によるランクづけも全国ではじめて実施し、「出席率0%」「平均点0点」という数値目標を出させて教師同士を競争させ、バラバラにしている。
 この際限のない差別・選別、ランクづけの教育政策が、いま悲惨な結果をもたらしはじめているとみなされている。石原のいう「愛国心」は大インチキであり、それが全国で実施されるなら日本の教育が崩壊することは火をみるよりも明らかである。

 人民的な団結に力 教育の破壊とたたかう道
 あいつぐ異常な青少年犯罪が、いまの弱肉強食の腐敗した社会の反映であることはうたがいない。もうけがあがりさえすれば、株価が高くなりさえすれば、他の企業を破産させまたは買収し、労働者を路頭に迷わせようが、またその事業が人間生活を破壊し社会に害毒をまき散らすものであろうが、それは知ったことではないというアメリカ式市場原理主義が、日本社会にまんえんしている。
 小泉内閣の構造改革の教育版である。そこでは、社会的な規範や公共性というもの、人として守るべきモラルや、汗水流して働く労働者や勤労人民の気分・感情を学ぶ場をどんどんなくしている。そして、自分の思いや利益が第一で、相手がどんなに苦しもうが社会にどんな弊害をもたらそうが平気というような人間を育てようとしている。こうした青年は、米軍指揮下で新たな原水爆戦争を準備している小泉政府の都合のいい道具になる以外にない。
 今回の事件で高1の女子生徒は、自分の親を殺そうとし、それによって自分の人生も破たんさせてしまった。これは社会的に見ても、ホリエモンのような株の買い占めで企業をゆすり、暴利をあげるようなことがもてはやされ、勝ち組とされている。このもうけの基盤は生産労働であるが、それに寄生して食いつぶす。その結果そういう寄生虫も死んでいくというのと同じである。
 学校が生徒全体の集団で成り立ち教職員のチームワークで成り立っているように、この社会そのものも労働者・勤労人民の共同した労働と生活で成り立っている。社会に寄生して暴利をむさぼる連中と違って、社会の一員として自分がおり、人人がいるから自分がいるというのが、人民生活の基本である。
 このような現状を打開するには、親たちである労働者、勤労人民が、犯罪的な小泉政府の構造改革とたたかって人民的な団結と社会進歩のイデオロギーを勝利させなければならない。そのたたかいの一環として教師が、犯罪的な教育改革の方向とたたかって人民的モラル、社会性をもった子どもたちを育てることである。

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