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政治の教育介入で学校が破綻
下関・川中中学校問題
              学校は父母に実情訴え   2008年11月28日付

 今年度に入って対教師暴力や傷害で生徒が何度か警察に逮捕されたりしている下関市の川中中学校で、学校側が「教師の力だけでは限界。学校での生徒の様子を包み隠さず保護者に伝え、学校と家庭が連携しなければ子どもはよくならない」と立て直しに動き出したことが、父母や地域に歓迎されている。しかし問題の解決のためには、なぜ川中中学校がここ数年で急速に荒れた学校になったのか、その原因をはっきりさせなければ事態の根本的な解決に進むことはできない。そのことは、安倍代議士代理の江島市長が下関市教育委員会を指図して、クラスをなくして毎時間教室を移動する教科教室型校舎の計画を大規模校導入の全国的な実験校としてごり押ししてきたことと切り離すことはできない。江島市政は下関で校ある小・中学校を一挙に55校に減らすという全国まれにみる学校統廃合計画も推進中であるが、教育への政治の不当な介入が子どもたちをいかに不幸にするか、川中中の経験を重要な教訓にする必要がある。
 川中中では10月に1年生と3年生の学年懇談会が持たれ、その後1年生の保護者に対して『学年だより』が配布された。そこでは学年懇談会や授業のフリー参観に参加した親たちの率直な意見が掲載されている。
 そこで親たちは、子どもの現状をくわしく、正直に明らかにした学校の姿勢を歓迎するとともに、教師たちの努力をねぎらい、自分たちも「できる限りの協力をしたい」とのべている。そして子どもの現状として、授業中の堂堂とした居眠りやおしゃべり、勝手に席を離れたり、他のクラスから入ってくる、「死ね」「消えろ」などの暴言、弱い者いじめ、服装の乱れや喫煙、金銭トラブルなどをあげ、「子どもたちは“その場が楽しければいい”“その場が嫌なら逃げればいい”と、とても精神的に幼稚で、協調性に欠け自己中心的になりすぎている」「子どもを自由にしすぎている」「2年後には新校舎ができ移動型になるが、きっと大変だと思う」とのべている。
 そして、「親同士のつながりや親と先生方のつながりを増やして、連携して子どもたちの指導を強化したい」「(教師は)信念とプライドをもって指導していただきたい。学校は学問を学ぶだけでなく、集団生活のルールを学ぶ場。善悪の判断がつかない生徒にはそれをわからせる指導をお願いする」「私たち地域の大人も日ごろから連帯し、地域の教育力を高めていくよう見直したい」「子どもたちの仲間意識が高まり、自分たちでよくしていこうと動いてくれることを期待している。そのためにも親子のつながり、親同士のつながり、親と学校のつながりを大切にしたい」「現実を見つめる強い心を育て、なにが正しいのか、今なにをしなければならないのかを判断できる子どもに育てたい」などと、今回のことを契機に子どもの教育のために力をあわせたいと心を込めて訴えている。

 02年から教科教室ゴリ押し 教育の外側から
 こうした授業が成り立たない状況は、もちろん川中中だけではなく、市内や県内の他の中学校でもあらわれている。しかしこの間の経過を見るなら、川中中ではそれが典型的にあらわれているということができる。
 川中中の教科教室計画が突如、下関市教委からおろされたのが6年前の2002年。当時、市教委の担当者は、教科教室の教育理念について「学級を解体して少人数指導をおこなうこと、つまり“ラサールや灘高をめざすコース”、“一般の中学生レベルのコース”、“小学校高学年レベルのコース”などに分け、個性や興味にあった学習ができる」とのべていた。つまり「個性重視」といって、一部の成績のよい子ども以外は切り捨てるというものである。また当時、教科教室の説明の場で県の事務職の役人が「教室は無機質でいいのだ」といい、“学級集団のなかでこそ子どもは育つ”という現場教師の意見を「低レベルな論議」と否定したことがあり、教育についてわからないものが采配を振るうことが心配されていた。
 03年に入ると、現場の教師は連日、教科教室の研修に駆り立てられ、子どもたちとかかわる時間がとれず、部活指導もままならない状態になった。そして、各教科の教師が一人ずつ全国の“先進校”へ視察に行き、その実際から「川中中のような大規模校では難しい」という意見を上げたが、市教委はとりあわず、「子どものためにはホームルームが必要」「校舎に死角が多すぎる」という教師の意見に対しても「予算がない」とはねつけた。また教師のなかから「保護者や地域に知らせるべきではないか」という強い意見も上がったが、教師にはかん口令が敷かれ極秘事項として進められた。その後12月に、用地取得の未解決などで計画はいったん頓挫した。
 しかし04年度の教員人事では、これまで長年にわたって地域や親との関係を積み上げてきた教師たちを、教科教室型に異を唱えたという含みで一度に異動させ、若い臨時採用の教師を多く入れて、生徒指導を困難にさせた。
 そして新学期早早、今度は『毎日新聞』や『朝日新聞』が、部活指導に熱心な教師が生徒や父母たちの信頼のうえで厳しく指導していたことを「体罰」だといって騒いだ。このようなマスコミの教師いじめは他の学校でも経験してきたことだが、それが川中中の教師を萎縮させ、教師の指導性を否定する力になった。この年、3年生を中心に子どもの荒れが顕著になった。

 悪質メディアや市教委介入 自殺問題後も荒廃
 こうして市内の教師が心配するなかで、翌05年4月、学校内で女子生徒による痛ましい自殺事件が起こった。この事件に対して、子どもも教師も真剣に向きあい、本音の論議を通じて学校を立て直すきっかけにすることが求められていたし、またそのことが不幸にも亡くなった生徒に対する供養でもあった。ところが県教委、市教委は「なにごともなかったかのようにするのが子どもたちの心のケアになる」「時間がたつことが解決する」などといって、教師の指導を否定し、カウンセラーを派遣して問題にフタをする無責任ぶりをあらわした。松田教育長(当時)が「眼鏡がなかったから遺書が読めなかった」などと平気で発言し、「教育長をやめさせろ」の世論が高まったのもこの時期である。また教師に「保護者に質問されても、個人的には見解をいってはいけない。校長が窓口である」とかん口令を敷き、教師と父母との本音の論議を妨害した。
 このとき『読売新聞』が正義ぶって、執ように「いじめの犯人捜し」「教師の責任」を煽りたて、実際には学校現場を興味本位でかきまぜた。同校の生徒や教師を追いかけ回し、問題の解決を困難にさせたのである。こうして父母も教師もうかつにものがいえない状態がつくられた。その結果、学校は「子ども天国」状態になり、生徒たちは「先生が友だちみたい」「雰囲気的に先生が生徒にビクついている感じがする」などといい、また生徒が教師に頭突きをしてケガをさせるという事件も起きた。
 そして教科教室計画が出されてから5年目の昨年、計画は再び動きはじめた。地域に対するはじめての説明会が持たれ、そこで父母や教師が「子どもにとってよくない」と導入に反対し、計画の白紙撤回を求める署名は短期間で1万人となった。しかし松田教育長は「決定事項」といって川中中の教師に釘を刺し、教師をカヤの外において自由にものがいえないようにした。父母、地域の関心が高まり、教師が父母、地域と力をあわせて川中中の子どもの教育を立て直していく絶好の機会であったが、地域と切り離してそれをつぶしたのである。こうしたことが今年になってからの生徒の一層の荒れにつながっている。
 教科教室型導入と同時に進行した以上の経過を経て、学校と父母、地域の協力関係を破壊し、教師の指導力を破壊してきた。

 個性重視教育のなれの果て 江島市政は今も推進
 こうして学校はますます無味乾燥で、子どもたちにとってまったくおもしろくない学校になった。学校は勉強だけでなく、クラスを基礎にした友だち関係や部活できたえられることなどが喜びであり、成長の糧である。ところが教科教室型学校は、クラスを解体してよりどころをなくしたうえ、成績で競争させ、「個性に応じて」といって落ちこぼれるのも自己責任というもの。今、子ども間の学力格差は小学校低学年から開いており、それは親の収入の格差に左右されているのが実際だ。さらに学校間格差までテストの成績であおられている。だからそんな学校は、大多数の子どもにとってはまったくおもしろくないのは当然である。
 同時に、指導する力が教育委員会からもメディアからもたたかれて抑えつけられ、子ども天国で好き放題に振る舞う状態となった。「学校の動物園化、サファリ化」という教師もいる。
 文科省は、教育の機会均等を否定し、競争と自己責任の「自由、民主、人権」の個性重視教育をすすめてきた。そして近年では、東京などから始まった学校選択制や中高一貫校などをつくってきた。教科教室型学校は、この個性重視教育路線の先端にある。クラスがなくて子どもたちはバラバラで、自由に教室を移動し、子どもたちの徳育などはどうでも良く、勉強ができるかどうかだけが基準で、教師も生徒指導などしなくて良いなどというものである。川中中ではまだ教科教室に移転してはいないが、そういう教科教室型の理念が教育委員会の方から推進され、教科教室型校舎ができあがる前に破たんした関係となっている。
 そして江島市長は現在建設中の教科教室型校舎の真ん前に、イズミを中心とする巨大ショッピングモールをつくるという、信じがたい計画をすすめている。他の自治体であれば文教地区への進出に規制をかけるところ、江島市政は逆に土地の用途変更をして規制を取っ払いイズミを招き入れようとしている。父母や教師の意見を無視し、わざとでも川中中を学校崩壊に追い込もうとしているとしか思えない。
 また、やろうとしているのが77の小中学校を55にする統廃合である。これも子どもの教育にとってどうなるかという視点はまるでなく、予算削減だけが意図であることを隠さない。ペンギンハウスには22億円もつぎ込むが、下関の学校のトイレは壊れても修理されず、机やイスはボロボロ、トイレットペーパー代やコピー代まで父母負担にするなど、教育予算の削減は目に余るものがある。そのうえ、見かねた自治会関係者などが運動会に寄付を持って行こうとすると、市教委が各学校に受け取り禁止の通達をおろし、地域の人人は「地域と学校を切り離す気だ」と怒っている。教育の外側の政治から教育への非常識な介入、破壊がやられているのである。

 教師と父母・地域の団結へ 学校立直しの力
 全国初の「大規模校による教科教室型学校」をつくるのは、全国前例のない大規模な統廃合とも同じで、安倍元首相の代理である江島市長が全国的な教育行政上の手柄にしようと教育の外側から介入して押しつけたものである。安倍代議士は首相当時、教育基本法改定を強行した。そして「教育再生」を唱え、学校を自由選択にして学校同士を競争させ、多くの子どもが選んだ学校だけに予算を潤沢に配分するという、教育の機会均等を破壊するバウチャー制を主張した。しかしこの新自由主義教育改革は、アメリカやイギリスで大失敗しただけでなく日本でも「子どもを地域から切り離すな」という世論が噴出して頓挫している。
 戦後教育基本法は、教育は直接に国民に責任を持つとして、教育委員会は行政とは独立したものだというのが原則とされてきた。これが覆され、松田前教育長は教育現場には無責任でひたすら市長のヒラメをやってきたとだれもが認める状態で、今度は安倍氏の人脈で、下関の教育を全然知らない文科省の課長である嶋倉氏が教育長に天下った。
 こうして、政治が教育委員会を指図し、教育に介入したこと、それをマスコミが支えて突っ走ってきたことが、川中中の教育をメチャクチャに破壊したのである。川中中の教育を立て直すためには、根本的な原因である政治の不当な介入をないようにすること、なによりも教師が自由で創造的な教育活動ができ、教師の指導性を発揮できるようにすること、そのためにも子どもたちを育てている父母、地域の人人と協力し団結することが不可欠である。
 子どもたちから見れば、非正規雇用が増え、人間がいつでもモノのように切り捨てられる、将来展望のない世の中である。その末期的な社会のなかで、この悪環境に負けないほどに、たくましく豊かな心を持った子どもを育てることが、現代の教育者の使命である。
 そのためには教師が、新自由主義の競争原理でなく、父母、地域と力をあわせて勤労人民のモラルを身につけた子どもに育てることである。江島市政の教育への不当な介入をやめさせ、教師が自由にものがいえ、教師の指導性を発揮できるようにしなければならず、そのことによって子どもの精神を解放する努力がされなければならない。
 下関市の中学校の荒れは、川中中だけではない。同じ原因が全市の教育を破壊している。川中中の問題を、下関全体の子どもたちを大切にし、育てていくための市民、教師の大論議にしていくことが求められている。

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