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初めて見る原爆展示に衝撃
               仙台の街頭展に黒山の人    2004年5月22日付
 
 原爆展全国キャラバン隊第1班は19日、宮城県仙台市JR仙台駅西口で街頭原爆展をおこなった。東北各県からの通勤客が押し寄せるように行きかう仙台駅での原爆展は圧倒的な注目度で、原爆展は1日中黒山の人が絶えることのない盛況ぶりとなった。60年まともに原爆の被害を知らされてこなかった東北地方の人人にとって原爆展は強い関心を集め、老年、若年を問わずほとんどの参観者が「これほどの悲惨さとは知らなかった」と涙をぬぐいながら衝撃を語っていった。年配者からは仙台空襲や戦争体験が語られ、学生たちもすすんで「アメリカに謝罪を求める」アピール署名に応じ、署名数は1日で229人、カンパは5万3340円が寄せられた。書籍はパネル冊子71冊、峠三吉原爆詩集12冊などが求められた。
 70代の婦人は、「わたしが高等科2年の昭和20年7月9日、仙台空襲にあいましたが、夜、石油をまいてから焼夷弾を落とされ、全市が丸焼けになったんです。朝になると真黒の遺体があちこちに散乱していました。他人事ではありません」と激しく語り、孫に見せるため冊子を購入していった。
 別の婦人は、「東京空襲で焼け出され、2年後に帰った仙台も焼け野原だった。市電の環状線のなかが滅茶苦茶にやられた。原爆と同じみな殺しで1000人近く亡くなった。アメリカはほんとうにひどいことをする。イラクでも同じですよ」といって署名、カンパを寄せた。
 署名をしたあと「なにかメッセージを書かせてくれ」といった年配男性は、「原爆の使用は戦争に名を借りた大量殺人犯罪! 北朝鮮など他国に原爆の廃止を求める前に米は自国の廃絶から始めるべき! 唯一被害にあった日本からこの運動を発信すべき!」と紙に記した。さらに、「わたしは小学校のとき仙台空襲にあったが原爆は度をこえている。アメリカはイラクでやられてあたりまえだよ。アメリカ中心の世界はもう終わりだ。“アメリカのおかげ”なんていっていたらダメだ。日本丸ごと変な国になってしまう。わたしは平和の推進力になるのはやはり日本だと思います」と力をこめて話した。
 40代の主婦は、「子どもにも原爆の絵本を読ませました。原爆のことは日本人として知らないといけません。他の国には核保有をするなといって自分の国はいったいなにをしたのか!だからたたかっているイラクの人は偉いですよ。その一方、ポチになってアメリカさんのおかげですといっているけどどこの国の人かと疑います。広島に行きたいと思っていたところだったのでとてもうれしい」と笑顔でパネル冊子を求めていった。
 50代の会社員は黙って署名をし、「悲惨ですよ…」と言葉をつまらせながら「アメリカが正義だというのはでたらめです。イラクで追い出されるのはあたりまえだし、これを見たら“原爆を落とされた日本がなぜ協力するのか”というイラクの人のいい分がよくわかりますよ」と話し、カンパを寄せていった。
 大学生や高校生などの若い世代が真剣な表情で食い入るように参観する姿が目をひき、年配者などが「若い人が関心を持っている」「時代が変わってきた」と感心していた。
 哲学を専攻している20代の学生は、「アメリカは恥ずかしげもなく虐殺を正当化できる国だと素人の自分にもわかります。帝国主義というのは昔のことではなく“自由”とか“民主主義”を名のって形を変えてつづいているんだと教授とも話になります。アメリカのいう自由というのはヒットラーとつうじる独裁です。民主主義という言葉を大安売りして侵略をくり返している。大学も法人化されていいたいこともいえなくなっていると思う。卒業後も大学での研究をつづけたいと思っているが研究者が部屋にこもっているだけじゃなく原爆展のように地に足をつけていかないとダメだと思う」と思いを語り、署名を記した。
 兄が海上自衛隊でイラクに派遣されている29歳の女性は大粒の涙をためて、「祖父が海軍で戦死して遺骨も帰らず祖母は悲しんだ。原爆の被害者と同じようにいまだに祖母の苦しみはつづいています。政府がいいなりになって自衛隊を派遣したのがいけない。小泉さんは自分の息子をイラクに送ればいい」と訴え、協力を申し出た。
 弘前市から来た予備校生は、「わたしたちは少しのことで弱音を吐くが、これを見て自分の考えている世界はちっぽけだと痛感しました。当時よりものは恵まれているかもしれないが、ひ弱い自分が情けないです」とショックをかくしきれない様子で語り、「弘前ではこういう展示は見たことがない。ぜひ来てください」と訴えていった。
 青森や岩手、福島など東北地方全域からの通勤、通学者も多く、「キャラバン隊」の幟を見て、地元でぜひやってほしいと声をかけて情報を提供する人もあとを絶たなかった。

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