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戦後の文科省教育の破産
大津の中学生自殺巡る座談会
               いじめ蔓延させる教育改革     2012年7月18日付

 大津市で市立中学2年の男子生徒が自殺した問題をめぐって、マスコミが大騒動をするなかで、犯罪者を逮捕し処罰するのが専門の警察が、生徒が通っていた学校と市教委に大挙して押しかけ強制捜査した。これに対して、「これまでにない異常事態」という緊張が学校現場に走っている。それは、生徒の自殺は痛ましいものであるが、警察が入ることで成長途上にある少年を教育する学校の教育機能をつぶし、学校を学校でないものにしてもっとひどい荒廃にたたき込むことが予想されるからである。全国の学校で、いじめはまったくめずらしいものではなくなっている。ひとつの結果としてあらわれた現象をめぐって大騒ぎするのではなく、そのようになってあらわれた原因、すなわち社会的歴史的な根源は何か、対置する解決方向はどういうものであるかを見なければ、結果は人人が願う方向とはまったく別のものになる。これらの問題をめぐって記者座談会をもって論議してみた。
 
 働く親の中に教育の力

  まず経過から出してみたい。
 B 生徒が自宅マンションから飛び降り自殺をしたのは、昨年の10月11日のこと。その後学校は、全校生徒を対象にアンケート調査を2回実施。11月には市教委がアンケート調査の一部を公表し、いじめがあったことを認めつつ「自殺との因果関係は不明」と説明した。また2回目のアンケートでは「自殺の練習といって首をしめる」などの回答があったが、それを書いた生徒に確認すると否定したため、確証が得られず調査をうち切ったと、市教委が最近明らかにしている。
 今年に入って2月24日、自殺した生徒の両親が加害者とされる同級生ら3人とその親、そして市を相手取って合計7700万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。市は当初、争う姿勢を示した。
 これをマスコミがとりあげて騒ぎ始めたのは7月に入ってからだ。今月4日、訴訟を起こした親に取材したとして、「同級生らに自殺の練習をさせられていた」「教員らがいじめを見逃した」と報道。翌5日には、生徒の父親が自殺後3回にわたって「同級生から暴行を受けていた」として警察に被害届を出そうとしたが、大津署から受理を断られていたと報道した。
 市教委に抗議電話やメールが殺到するなか、大津市長・越直美氏(ハーバード大ロー・スクールを修了した弁護士。民主党などの推薦で今年1月、最年少の女性市長となった)が6日と10日に記者会見。これまでの姿勢を一転させて「いじめと自殺の因果関係はある」とし、訴訟で和解の意向を示したうえ、「市教委や学校といった素人が認定したことは信用できない」とのべ自殺問題をめぐって「外部調査委員会」(大学教授、臨床心理士、弁護士などで構成)を立ち上げて再調査すると発表した。9日には、滋賀県庁と自殺した生徒が通っていた中学校に「学校を爆破する」という予告文が届き、同中学校は翌日を休校にした。
 こうしたなかで11日、捜査員25人態勢の滋賀県警が、同級生の暴行容疑で、同中学校と市教委が入る大津市役所を強制捜査した。午後7時30分から約5時間かけて、生徒の担任を含む教師の日誌やノート、生徒指導の関係書類など86点を押収した。個人情報保護の名目で部外秘としていた2回のアンケート原本も任意提出させた。また学校や市教委の幹部数人を聴取した。滋賀県警生活安全部の部長は「自殺を未然に防げなかった原因を徹底的に究明すべき」「市教委や学校などによるいじめへの対応や調査実態の全容も明らかにしていく」とのべ、学校や市教委を警察が指導しとり締まることも明らかにしている。
 
 異常な警察の介入 学校関係者も憤り 教育改革の結末

  これを報道した本紙の反響はどうだろうか。
  学校関係者はみな、警察が強制捜査に入ったことに驚いていた。いじめ自体どっちの生徒が白か黒かといいきれないものだが、それを「いじめた同級生が犯人」と決めつける刑事事件にし、警察が校長室や職員室にまで入って、まさかという資料も押収していく。これでは当事校は生徒と教師の信頼関係がぐちゃぐちゃになり、学校が崩壊して教育ができなくなると心配していた。
 D 市内の多くの教師は「これまでにないケースだ」「これはかなり大きな問題だ」と深刻に受けとめている。また深刻であると同時に、本紙の「教育潰す警察の学校介入 より荒廃を招く学校いじめ」という論調を見て「はじめてこんな視点の主張を見た」と喜んでいる教師も多かった。
  ある教師は「いじめは今、全国の学校で起こっている。それに対して学校は、担任や生徒指導を中心に集団であたり、関係する生徒や親と何度となく話し合い、今回の学校のような事態にまで至らないようにどこでも必死でとりくんでいる」という。同時に「そこに警察を入れるのは論外。アメリカ式の監視カメラ、金属探知器……という最近の流れは日本の学校教育とは相容れない」とのべた。ただ、最近ストーカー事件でマスコミが警察をたたくことと連動して、生徒や親が警察に通報して教師が知らないうちに警察が学校にとり調べに入るという事例が増えていると危惧(ぐ)していた。
  ある教師は、「大津のような事態に至ったのは、学校が崩壊していたというのは事実だ。しかしうちの学校でも、教師が忙しさに追われてバラバラになり、子どもについて認識を共有し結束して当たることができていない。また親同士の結びつきが薄れ、訴訟社会化の風潮のなかで、白黒つけることができない教育の場で“白黒つけてくれ”という声が出たりする。今の体制ではもう限界。根本的に考え直さないといけない」と切実に語った。
 別の教師は「今回の事件は教育改革の結末だ」という。「ゆとり教育や選択授業など、学校の実情にあわないものをいろいろ下ろしてきて現場を右往左往させ、九九や分数ができない子どもを放置して、うまくいかなければ現場の責任にする。そして生徒をしかっても“体罰”といい、教師の手足を縛ってなにもできないようにしたうえで、“学校はなにもしていない”といって警察が入ってくる。マスコミの意図性を感じる。文科省の職員を大津に派遣しているが、元をつくった者が行ってどうするのか」とのべた。
  ある退職教師は、今回の警察の強制捜査について「日本の教育の崩壊だ」と見ている。この間、教育現場ではなにか問題が起こったとしても「いじめはない」というふうに対応しろといわれて、ことなかれ主義の構造がつくられている。またこの事態に至るまでの過程で、以前から教師と子どもが本気になって向き合うというものがなかったのではないかと見ている。以前なら子どもが悪さをすると教師は本気でしかって、なぐってでも教育し、成長してから「あのとき先生に怒られてよかった」というような交流もあったが、今はそれがない。またそのように熱心に向きあおうとする教師は採用されないようになっていると指摘する。
 また今回のような警察による強制捜査は歴史的に見てもなかったことであり、「警察の介入は絶対にあってはならない、水と油の関係だ」とのべていた。下関市の荒れた中学校で暴れる生徒40人ぐらいを警察が大勢来てとり締まったことと重ねて、「生徒を暴力団扱いし、教育ではなく刑事罰として対処していることが問題だ」と。「学校が学校でなくなって日本の教育は危機的な状況であり、教育力をとり戻さないといけない。日本の国力の崩壊をあらわしている」と受けとめていた。

 警察の捜査こそいじめ 処罰しても解決せず

  今回の事態は日本の戦後教育の歴史的な崩壊を示している。警察は犯罪者をとり締まり逮捕し処罰するのが専門で、少年を育てる意思も能力もないし、少年の将来を絶つしかない。学校は少年たちを次世代の社会の担い手に育てるものだ。育つ過程ではさまざまな失敗や過ちをくり返していく。今回、生徒の自殺は痛ましいものだが、他の生徒のいじめが原因だとしても、いじめた彼らを処罰したからといって学校からいじめも自殺もなくならずかえってひどくなる。そうなる問題の根源を見ないといけない。
  退職教師が「警察の強制捜査こそとり締まらないといけない。あれこそ最大のいじめだ」といっていた。マスコミがあれだけ騒いだら学校現場は修復が少少じゃない、子どもは教師を信頼できないだろう、と。そして戦時中、学校は配属将校が中心になって教育がなくなったことを語った。「当時は軍事教練が基本で、ゲートルを巻くのが下手だったらいくら成績がよくても進学できなかった。今の事態は軍国主義と一緒だ」とのべていた。「昔配属将校、今警察」だ。マスコミがあれだけ騒いで、警察庁、文科省が乗り込んでやる異常事態だが、学校を警察監視下に置き軍隊規律のような統制下に置くのが、上の命令に忠実な兵隊づくりを意図しているということも大げさな想定ではない。
 
 大騒ぎのマスコミ 世論動員し学校絞め殺す 戦争動員の手法

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 マスコミの問題がある。結果としてあらわれた部分の問題をとりあげて大騒ぎするばかりで、問題を解決するどころか、なにがなんだかわからないようにして大混乱させている。北朝鮮の拉致問題にせよ尖閣諸島問題にせよ、排外キャンペーンをやっているが、こういうマスコミの「大本営報道」によって世論を動員して学校を絞め殺すやり方は、戦争動員の手法と同じだ。
 そういう特定の相手を攻撃するように煽動するというのは、ファシズム的なやり方であり、戦争動員のパターンに似ている。マスコミそのものが教育的でないし、マスコミの学校いじめ、教師いじめだ。原発報道や消費税報道を見ても、マスコミは国民の生命や生活を守る気はさらさらなく、アメリカや財界の代弁者となっている。
  小泉内閣が誕生したときも、「自民党をぶっ壊す」と叫んだ小泉改革をマスコミが、「守旧勢力」叩きをしながら大騒ぎして持ち上げ、世論を動員してやった。そのときはいいことのように思っていたら結果は最悪だったと、ある人がいっていた。それと騒ぎ方が似ている、と。
 
 過酷な差別・選別 教育制度の根がいじめ構造 教師縛り上げ

  学校のいじめが増えているが、それは第一に文科省が強権的に進めてきた教育改革そのものがいじめの構造となっている。「個性重視」「興味関心」といって子どもの好きなようにさせろと教師の指導性を否定し、教師が悪さをする子どもをしかったらマスコミをあげて「体罰禁止」「子どもの人権」と騒ぎ、教育をできないようにしてきた。そしてその結果子どもが好き勝手をして荒れ学校が崩壊すると、今度は「教育していない」といって教師をたたく。これは完全な教師いじめ、学校いじめだ。
 1980年代の中曽根臨教審で戦後教育の原則であった教育の機会均等主義を否定し、自由競争、差別、選別、ランク付けをひどいものにした。そして90年代には「個性重視」「興味と関心」だ。保育園は自由保育でまるでサルの子を好き放題に野放しするような状態にした。そして「勉強できないのも個性」などといって放置させた。九九も分数も漢字もわからないまま授業に出て、毎日拷問を受けているようなたくさんの子を生んだ。「勉強できないのも個性」というが、実際は点数での過酷な差別・選別だ。
 しかもできる子とできない子とのひどい格差は、塾に行けるか行けないかが別れ道で、経済的な貧富の差で決まるというものだ。
 点数をよくとるが自己中心で冷酷な子と、九九もわからなくて学校に出てくる意味もなく暴れている子ができている。暴れて殴る子がいじめなら、できない子をバカにする点数のいい子もまたいじめだ。どっちがどっちをいじめたとは簡単にはいえない。教育制度の根幹がいじめの構造になっているのだ。
  また「プライバシー」といって、教師が家庭訪問しても親の職業を聞いてはいけないとされ、教師と親を切り離してきた。親の仕事や家庭生活がわからなければ子どもが理解できるわけがない。そういうなかで教師のなかに事なかれ主義も蔓延してきたし、子どもはそれを見抜いて、「山の田ナイフ事件」のように、子どもをしかる大人を子どもが警察に通報して「通り魔事件」といってマスコミがとりあげる。これは子どもの側からの警察を使った大人いじめだ。
  ある生徒指導の教師が、男子グループが女子をいじめていたのを見とがめて、追いかけていってしかると、その後しかられた生徒が警察に通報して、「不審者に追いかけられた」というメールが市内中に流されたこともあった。「子どもの人権」といい「児童虐待」というなかで、子どものなかでは警察を利用するのが常識のようにもなっている。大津の事件でも、警察の強制捜査直前の8日間で、市教委に抗議の電話が3200件、抗議メールが5100件きたという。山口県でも県教委などへの通報はすごい数らしい。
 
 いじめ社会に根源 攻撃的ないじめを量産 搾取者の思想

  ある教師は「今の世の中、いじめだらけ」だという。「日産のゴーン社長は何億円という給料をもらっているけど、それももうからなくなったら工場を閉鎖し、下請・孫請から一つの町をつぶしたうえに成り立っている。人の生活は知ったことではないというもので、それこそ最大のいじめではないか。そうした社会に出て行くのだから、それに負けない子どもに育てなくては」といってきた。
  いじめの根源は、この社会そのものが自由競争のいじめの構造になっていることだ。子どもの親たちは工場が海外に移転してもうけるために簡単に首を切られ、一家が路頭に迷う。これだけ失業や倒産が多いのに消費税は上げ、法人税は下げて、高速道路や新幹線のゼネコン需要の公共投資を拡大する。福島事故の収束もないのに原発を再稼働して人人を命の危険にさらす。日本社会のどこを見てもアメリカ金融資本と財界を代弁する政府による庶民いじめ、労働者いじめ、年寄りいじめが蔓延している。いじめの親方は政府や財界であり、アメリカの金融機関だ。子どもたちはそういうのを毎日見ている。
 社会と学校を支配するいじめの構造が子どもたちの意識に反映して、全国のどこの学校でもいじめが広がっているのだ。つまりひどい搾取と抑圧のいじめのなかで、いじめる搾取者、抑圧者の思想が反映しているのだ。その根源を解決しなければ、いじめは広がるばかりだろう。イデオロギー上は戦後教育の基調となってきた享楽主義、退廃主義、拝金主義などであらわれるブルジョア的な個人主義思想が攻撃的ないじめになってあらわれている。アメリカの植民地的隷属下に置かれた戦後日本社会の根本的な構造そのものがいじめを量産しているのだ。
 
 教育立て直す力拡大 「皆のため」の思想が流れ 父母の側へ

 C 
しかし子どもたちの意識にあらわれている現在の流れは、人に攻撃的な自己中心思想ではなく、「みんなが助け合って」「みんなのために」という働く勤労父母のまっとうな思想が大きなものとなっている。東日本大震災という極限の場を経験して、被災地でも全国でも「連帯と団結の共同体精神」思想が前面に登場しているし、そのイデオロギーが子どもたちに強く反映している。働く労働者、勤労生産者のなかに流れている、社会のため人のために役立つものを、みんなが協力しあって生産し、協力しあって生活するという、学校の外にある人民的な思想が大きな流れになっている。ここに学校を立て直し、子どもたちを力のある未来社会の担い手に育てる力がある。
  下関のある被爆者は、修学旅行前の事前学習で学校を訪れて被爆体験を語った経験から「子どもたちは自分たちの話を真剣に聞くし、悪さをする子は一人もいない。そして一生懸命書いた感想文を届けてくれる。そういう面を伸ばしていけばよいと思う。その子どもたちになにが正しいか、まちがっているかを教えるのが先生の役割ではないか。“鍛えたらいけない”では教育になるわけがない」と話していた。
  学校のなかでは「最近の子どもたちは手がつけられない」という。それをマスコミがはやし立てて、とうとう警察が入って、学校を学校でないものにするところまできた。しかし被爆者、戦争体験者たちはそうは見ていない。「最近の子どもたちは見込みがある」「以前の子どもはまともに話を聞いてくれなかったが、今はよく聞くし、伝えたいことをとらえてくれる。日本も捨てたものではない」と口をそろえていう。
  本紙でも何度か紹介した山口県上宇部小の体育実践はひじょうな新鮮さを持って共感を広げている。教師が自分のクラスだけをどうするかではなく、学年の教師みんなが一つになって、6年生全員が逆上がりや7分間持久縄跳びを達成させた。それは自分ができたら人のことは知らないではなく、できた子はできない子ができるまで援助する。どんなに手の皮がズルズルになっても努力して鍛える。そしてその達成感がみんなの自信になる。そのことに父母や地域が大きな感動を寄せて支援した。そして全県的にも大きな共感が生まれた。それは「鍛えてはいけない」、自分中心の自由競争である文科省教育の枠をこえて、子どもの親たち、働く人たちの思想を貫くことで子どもたちが発動されたものだった。上宇部小は以前は山口県では有名な荒れた学校といわれていた。働く親たちとは異質な学校のありようが子どもたちを荒れさせていたといえる。教師が働く親たちの真実の側に立ったら様相が一変するということだ。
 C 教育を立て直すのは全国の教師だ。教師が学校の枠内、つまり破産しきった教育改革の枠内で子どもを見ていたのではまったく理解できない。学校の外側から、つまり被爆者や戦争体験者、働く勤労父母たちの側から見たら見えてくる。高学歴のインテリが偉いし働く親たちは愚かと思っている部分も多いが、実際は逆であり、働く親たち、その祖父母、曽祖父母の方のなかに、社会を進歩させる真実性があることが理解できるかどうかが分かれ目だ。
  今回、警察が学校に強制捜査に入ったということは、戦後の政府・文科省の教育が完全に破産したということだ。とうとう学校を死滅させることへきた。それは、かつての戦争の痛ましい反省から生まれた教育基本法の精神をくつがえして、不当な支配に教育を服させようとするものであり、子どもたちを日本社会の将来の担い手として育てる教育をつぶすものとしてあらわれている。まさに“昔配属将校が支配した学校、今警察が支配する学校”にするものだ。それは戦争のための兵隊づくりだということについて、それが戦争の痛ましい教訓だったことを軽軽しく見てはならない。今回の警察の学校介入は、教育の軍国主義支配、子どもたちを戦場に送る意図があると見るべきだ。
 その一方で学校教育の立て直しの力は確実に大きくなっている。繰り返しだが、その力は文科省の方ではなくて、働く人民のなかにある。教師が密室のような学校を飛び出して、働く親たち、地域の年寄りたちのなかに入り、その生活、歴史的な経験、そのまっとうな考え方を学びとらなければならない。そして教師自身が、勤労父母たちの願いである戦争を押しとどめ、植民地的隷属から脱却して平和で豊かな社会をつくり出すという願い、そのような世の中の立て直しを教育からやろうという高い志に立つことが、展望のあふれる教育をうち立てる道だ。

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