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戦後史の転換点を迎え
独立平和戦線大再編へ
               年頭にあたってのご挨拶      2007年1月1日付

 2007年の新しい年を迎え、読者・支持者のみなさんに謹んでご挨拶を申し上げます。
 昨年1年、戦後60年あまり日本社会を覆ってきた欺瞞のベールがおおいに剥ぎ取られ、戦争と反動、貧困と売国に立ち向かい、平和と民主、繁栄と独立、民族的で人民的な文化の発展を求める巨大な世論が動き始めたということができます。

                         
国際的な情勢で昨年の特徴的な出来事は、ニューヨーク・テロ事件を契機に武力を振り回し強権的な弾圧で各国人民を脅し戦争を仕掛けてきたブッシュ政府が、とうとう上下院の中間選挙でも敗北し、すっかり破たんしたことです。
 ブッシュ政府は、アフガン、イラクへの戦争を仕掛け、朝鮮やイランなどを、「悪の枢軸」などといって、自分に逆らうものは武力でつぶすという強権政治をやってきました。しかし、イラクやアフガンの人民がそれに屈従せずに武器を持って立ち上がり、とうとううち負かすところに追い込みました。威張り散らしていたアメリカの権威は崩壊しました。いかなる強大な武力を持つ帝国主義も、空から爆弾を投げつけて破壊することはできても、解放を求めて立ち上がった人民を占領し支配することはできないというのは、かつての中国やベトナムにつづいて証明された真理です。
 アメリカは新自由主義なるものを掲げて、各国に規制緩和、自由化を強要し、市場の開放を迫ってきました。もっとも先行した中南米で、外資の支配のもとでの極端な貧富の格差や圧政に抗して、あいついで社会主義をめざす反米の左翼政府がうち立てられ、共同体をつくってアメリカに対抗し始めました。アメリカやヨーロッパ各国でも、市場原理改革なるものを進めてきた結果、フランスで巨大な暴動やゼネストが起きるなど、矛盾と斗争が噴出しています。アメリカ国内でも、その「繁栄」なるものは、黒人やヒスパニック移民などの大量の貧困層の犠牲の上に成り立っています。
 16年前、西側からの転覆攻撃による中国天安門事件と東欧政変につづく社会主義ソ連邦の崩壊で、米英仏など西側帝国主義は「社会主義の終えん、資本主義の勝利」を叫びました。アメリカをはじめとする帝国主義は、対抗するものはいなくなったとばかりに、居丈高になって世界を脅しつけてきました。しかし社会主義陣営が崩壊しても、人民は帝国主義に対して勝利を始めました。現代の世界の中心に立ち政治を動かす決定的な力を持っているのは、プロレタリアートと被抑圧民族の側であり、現代は帝国主義が崩壊し労働者階級と被抑圧民族が勝利していく時代、というのは歴史の現実です。
 アメリカは世界中を、金融投機を中心とする大資本の好き勝手な金儲け天国にしようとしてきました。それは、各国の労働者を解雇自由な非正規雇用にし、失業と飢餓的賃金の奴隷状態にすることであり、各民族を隷属の鎖に縛りつけ資源を略奪し、各国の国民経済を破壊することでした。そして教育や医療、社会福祉は金儲けの道具に変え、切って捨ててきました。それは残酷さをあらわすと同時に、支配階級が人民を養うことができなくなったということです。寄生的な金利稼ぎどもが証券投機などで暴利をむさぼって、働くものが食っていけないというのは転倒しており、そんな社会がつづくわけがありません。資本主義はいまやなれの果てとなりました。
 構造改革をごり押しした小泉政府の5年間、日本社会はさんざんに破壊されました。小泉にかわって登場した安倍政府はそれに輪をかけて、アメリカのいいなりになって、教育基本法改定を強行し、憲法改定まで叫んでいます。それは戦争を実際にやろうという危険なものです。一昔前には「中流社会」などといわれていましたが、気づいてみれば、自殺者は毎年3万人を超えつづけ、老人の孤独死や餓死は誰もが心配する状況となり、若者の半数は雇用の保障がない非正規雇用で、働いても食っていける職がなく結婚も子育てもできないという、果てしもなく下層に沈み込む惨憺(たん)たる貧困社会となっています。
 中小業者は、大企業の下請に入って原価の取れない買いたたきでつぶされ、商業者は勤労者の消費購買力の衰退のうえに大型店が野放しで押し寄せて壊滅的な状態になっています。農漁業は、関税引き下げによる安い外国農水産物の輸入拡大や、協同組合解体などによって産業として成り立たないようにされ、食糧自給はますます放棄されています。そのうえに市町村合併による役場の解体、郵便局の統合などで、地方では買い物もできず、生活できないような棄民政策があらわれています。
 不良債権にあえいでいた大銀行はまたたく間に何兆円もの利益を上げるようになり、大企業全体では100兆円にもおよぶ内部留保金をため込んで使い道に困るほどとなっています。そして外資が日本の企業をつぎつぎに買収し、利益を吸い上げる構造となっています。
 規制改革の叫びで、教育や医療、介護、さまざまな社会福祉は、さんざんに切り捨てられています。現役の労働者が夫婦共働きで社会参加している時代に、家事、育児、介護などは社会化しなければ成り立つわけがありません。安倍政府は税制でも大企業・金持ちを優遇し貧乏人には重税を課したり、労働者の無賃残業を法制的に保障するなど、労働者の奴隷化、貧富の格差をさらに拡大しようとしています。
 そのうえに、ものもいえない圧政国家にしています。議会はオール与党の飼い犬のようになって国民の声は届かないようになりました。メディアは国民の批判意見を抹殺して為政者の肩を持つばかりで、平気でウソを振りまく状態です。国民はいつもどこかで監視カメラににらまれ、国民総背番号制で管理され、まるで監獄のなかで暮らしているような状態にあります。
 安倍政府は朝鮮の拉致問題で、強硬に経済制裁や先制攻撃を叫ぶことによって、ブッシュ政府や独占資本集団に見込まれて登場しました。日米同盟最優先といって、アメリカのいいなりになって、米軍再編に3兆円も出し、米軍の下請に自衛隊を組み込み、海外派遣を本来任務にしようとしています。アメリカを守るための集団自衛権を認めるといって憲法改定をやるのだと騒いでいます。そして地方自治体に国民保護計画をつくらせ、原発が爆破されたとか、外国軍隊が侵攻してきたとか、さらにミサイルが飛んできて生物化学兵器や原爆が投下されたと想定した訓練を実施させるに至っています。日本本土が戦場に、しかも原水爆の戦場になるという想定をするところにきています。こうして、「安保」や基地が日本を守るためと信じるものは少なくなり、逆にアメリカを守るために犠牲にされるものだとの世論が圧倒してきました。

                         
 再び戦争を始めるという情勢に至って、人人の世論は大きな転換をとげています。ここまできた日本社会の出発点となった第二次大戦はいかなるものであったか、戦争体験者を中心に大きな問題意識となっています。
かつての戦争では、親類のなかで戦死者がいないところはないという犠牲を受けました。320万人が戦死し、なかでもほとんどが非戦斗員である原爆や空襲による犠牲が100万人におよびました。戦地の戦死者は、ほとんどが餓死や病死という、まともな戦争とはいえないものでした。戦死者の大多数は、東条内閣が倒壊し敗戦は必至となったあとの一年間で生まれています。どうしてこんな戦争をやったのか。負けるとわかっていながらなぜやめなかったのか、これは黙ってすませることのできない問題です。
 日本の朝鮮、中国、アジアに対する戦争は侵略戦争であり、まぎれもなく不正義の戦争でした。それは財界の要求のために天皇を頭とする絶対主義支配権力が日本人民を抑圧・搾取しアジアの民族を犠牲にしてひき起こしたものです。それに対する中国をはじめとする人民の戦争は外国の侵略に反対し民族独立をめざす正義の戦争でした。中国侵略の行きづまりのなかから始まった日米戦争は、どちらの側からも植民地を奪いあう強盗同士の戦争でした。アメリカの戦争目的は、日本の中国・アジア侵略を懲らしめるためというものではまったくなく、中国・アジアの植民地を日本から奪い取るためであり、さらに日本を単独で占領し属国にするという明確な計画を持ってのぞんだ戦争でした。
 負けるとわかっていた最後の1年で200数10万人が無惨に殺されました。武器も食糧もなく戦斗能力のない兵士を皆殺しにし、原爆などで数10万人を瞬時に焼き殺すもので、ナチスや天皇制軍隊をはるかに上回る大虐殺行為です。それはアメリカの側からは、日本占領に抵抗する力をつぶすという目的以外にありません。天皇をはじめとする日本の支配層は、敗戦にともなって人民にうち倒されるよりも、米英に降伏し守られて自分たちの地位を温存しようとしていました。日本の人民が戦地でも内地でもさんざんに殺された方が、反抗の力をつぶすうえで都合がよかったという関係です。
 イラクでもアフガンでも外国の占領には人民が抵抗しているのに、アメリカの日本占領と現在に至る支配が比較的スムーズに進んだのは、天皇や財界などの支配階級が、日本の国家機構をあげてアメリカの占領に協力し、民族的な利益のすべてを売り飛ばしてきたからにほかなりません。その基本的な構造が現在までつづき、アメリカにさんざんに食いつぶされ、再びアメリカの国益のための戦争の犠牲にさせるような事態になっています。これは民族的な屈辱でなくてなんでしょうか。

                         三
 日本人民の独立と平和を求める反米愛国のたたかいは昨年、生命力を持った発展を始めました。それは1960年の安保反対斗争のような大政治斗争が爆発することを予感させるものです。
 7年前に始まった峠三吉の原爆展は、広島、長崎で被爆市民の確固とした運動となり、その運動のなかで第2次大戦の真実のパネルが完成し、衝撃的な反響を呼ぶところとなりました。原爆反対は戦争反対のたたかいに発展してきました。昨年の8・6広島集会はおりからの朝鮮のミサイル問題をめぐって制裁騒ぎが演じられるなか、「アメリカは核を持って帰れ」のスローガンが全広島市民、全国、世界の人人のなかで圧倒的な存在感を持って受け入れられました。
 米軍再編は全国的な問題となりましたが、岩国では戦争と戦後の体験から、米軍が日本を守るわけがなく逆に米軍の戦争のために日本が防波堤になる関係だとの世論が圧倒し、住民投票も市長選も勝利し、全国の米軍再編反対をリードする突出した位置を占めています。25五年におよぶ上関原発に反対する斗争も、この国策は島に人が住めないようにし、原水爆戦争をひき寄せるものだとの世論が強まり、岩国、広島と結びついて最後的な決着をつけるところへきています。
 生活擁護のたたかいが、強い怒りをともなって発展し始めました。山口県漁民の、協同組合を解体し漁業を無力にする県1合併に反対するたたかいは、規制緩和に反対するすべての人人を励ますものとなりました。安倍総理の代理である下関江島市政の、大型利権事業のための市民生活切り捨てと下関の食いつぶしに反対する市民の運動も強力な力を発揮し始めました。安倍実兄企業である三菱商事グループへの10億円高い落札による文化会館建て替え問題は、市民の憤激の世論によりあわてて取り消す羽目となりました。海峡沿いの埋め立て地を安倍・江島縁故企業に2束3文で売り飛ばし大型店を誘致する計画も、商店主の頑強なたたかいで頓挫させました。その根底にあるのは、10年で600人もの自殺者が出、若者は将来展望がなく、老人は生きていけないような、貧困政策への怒りです。
 この間、メディアに袋だたきにされ、教育を教育でないようにさせる「改革」に苦しんできた教師が、「いじめ自殺」問題などを契機に、発言を強めてきました。やられているのは教育の破壊であり、大多数の低学力をつくり、下層の労働力、そして肉弾にするものであり、子どもたちのためという教育者の使命感がよみがえっています。
 文化運動は昨年、礒永秀雄の没30周年詩祭が広い層の参加で大きな反響を呼びました。商業主義が大きな顔をしてはびこるなかで、多くの大衆とともに、戦争に反対し日本社会の進歩と発展に役立つ文化が広範な人人のなかで渇望されていることを証明しました。
 新しい年は、アメリカに従属して戦争に進むことを阻止しうる全国的な斗争を大きく発展させることが重要な課題です。それは失業や貧困に反対し、ファッショ的な抑圧に反対する広範なたたかいを基礎として力強いものとなります。このなかでなによりも、生産を代表する労働者の運動を起こすこと、労働者を中心にして各階級人民の統一戦線を発展させることが勝利の方向です。
 戦争をひき起こす敵とたたかう人民の隊列を強めるためには、革新づらをした裏切者潮流とたたかわなければなりません。「共産党」の看板をかけた修正主義潮流は、「安保」も天皇も自衛隊も認め、朝鮮制裁を叫び、アメリカのインチキな民主主義を崇拝して、戦争協力者の姿を暴露しています。その基本は、大衆をべっ視しアメリカを尊敬するものです。
政治を変える主人公は人民大衆ですが、しかし大衆は個個バラバラであり、そのままでは権力を持った敵に勝利することはできません。大衆と深く結びつき、大衆を全国的に結びつけ、戦争を引き起こす敵とたたかいぬく、新鮮な政治勢力を結集し、役割を果たすことが重要な課題です。そのような政治勢力は、一切の私心を捨て、人民に奉仕する精神に徹して、大衆の生活と斗争に学び、大衆の先頭に立っていかなる敵とも正面からたたかいぬく、そのような精神を堅持するものでなければなりません。
 長周新聞を創刊した福田正義主幹の逝去から五年が過ぎました。この間の新聞事業が発展したのは、福田主幹の精神を堅持したことによるものです。今年前半年、福田主幹の没5周年に際しての大衆的な論議をし、大飛躍の糧としたいと考えます。失業も貧困も戦争もない自由な社会の実現のために、決意を新たにして奮斗努力するものです。
                                     2007年元旦

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