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戦争はなぜ起きたか  福田 正義 著   
           1983年 子どもたちに語る


   この『戦争はなぜ起きたか』の文章は「戦争について小学生に
  わかりやすく話してほしい」という依頼にもとづいて福田正義長周
  新聞社主幹が子どもたちに話した内容です。
                                      

           発行・長周新聞社 B6判 14頁 150円  

  戦争の問題を考えるうえで重要なこと (一部抜粋)
 戦争の問題を考える場合、 大局的な観点に立って考えることがたいせつです。 人人の直接的な戦争体験はひじょうに貴重なものではありますが、 個個のそうした体験は部分的・感性的なものです。 これを大局的な観点と結びつけて理性化し、 戦争はだれがなんのためにひき起こし、 だれが犠牲になるのかということを明確にしなければ、 どのように戦争に反対するのかもはっきりしません。
 たとえば、 十数年まえに 「靖国神社法案」 の問題が起きたとき、 これに反対するために、 多くの人人の戦争体験を調べるということで、 戦争遺族の人たちのなかに入って、 どんなに深刻な戦争体験をしているかということをひじょうによく調べました。 これは、 大きな成果をあげました。 だが、 その戦争体験の問題も、 それがいかに悲惨で苦しかったかということだけにとどめておいたのでは、 その人民大衆の深刻な経験をよりどころにして、 戦争の本質をはっきりさせ、 帝国主義ブルジョアジーが仕組む戦争に反対するという理性的な認識に高めることはできません。 戦争がいかに悲惨で苦しいものかということは、 支配階級もけっこうマスコミを使ってやっています。 しかし、 それだけでは戦争を起こすものと、 それに反対しているものとの区別がつきません。 人民大衆の戦争体験を大局的な観点と結びつけて理性化しなければ、 戦争に反対する力を真に強大なものにしていくことはできません。

  どんな戦争かをはっきりさせる
 1945 (昭和20) 年に日本が負けた戦争はどんな戦争で、 その性質はどんなものであったかをはっきりさせることがたいせつです。 その戦争によって、 日本の人民大衆はどういう目にあったか、 このことを知らないと、 その当時の日本がどのようであったかということを知ることはできません。 1945五年に日本は戦争に負けた  その日本というのはどういう日本であったのか。 つまり、 日本のなかではだれが戦争をやり、 だれが戦争の犠牲になったのか、 だれが戦争をひき起こしそれを指導したのか、 その結果、 だれが殺されたり爆弾を落とされたり、 家財道具を焼かれたりしたのか、 ということを知らなければなりません。
 そのためには、 戦争、 戦争というが、 その戦争はどうして起こるかを考えなければなりません。 戦争は、 個人個人のあいだのけんかのように国と国とのあいだでなにかいいあいをはじめ、 それがだんだんひどくなって一方が他方をなぐる、 そうすると他の方も相手をなぐり返すということから、 だんだん争いが大きくなって戦争へ発展するというものではありません。

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