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戦争の真実語る運動を促進
下関原爆被害者の会が総会
               「原爆と戦争展」を更に全国へ    2007年5月14日付

 下関原爆被害者の会(伊東秀夫会長)は13日午前10時から、下関市立西部公民館で今年度総会を開いた。総会は思想信条・政党政派を超えて被爆体験を語りつぐ使命で団結し、下関から全国へ運動を発展させ、「原爆と戦争展」を通じて戦争体験者の団結の軸となって、平和の力を一段と強めた活動への確信を共有するとともに、長崎市長銃殺事件や六連島軍事訓練など戦争につながる動きがただならぬ状況にあるなかで、さらに広範な人人と協力しあい原水爆禁止、平和運動に貢献していく活動方針を定めた。
 
 戦争体験者結ぶ軸となって
 会場には『第2次世界大戦の真実』のパネルが展示され、総会前からみずからの被爆体験と重ねて真剣に見入る姿が見られた。
 挨拶に立った伊東秀夫会長は冒頭、長崎での市長暗殺事件にふれ、「核兵器廃絶を訴え、アメリカの核政策を公然と批判してきた市長が、選挙運動中に銃殺されるという凶悪なテロ事件」に強く抗議。「事件の背景」の解明を求めて、核兵器廃絶を訴えてきた流れを絶つことに反対する前市長夫人の言葉を引用し、「長崎市民とともに核兵器廃絶のための運動をいっそう強める」決意を明らかにした。
 さらに、「政党政派を超えて多くの人たちと協力してすすめてきた原爆展」が「原爆と戦争展」として、広島、長崎はもとより全国に発展、原爆展の賛同者や体験を語り合う人人との交流を通じて相互理解を深め、平和運動の輪を大きく広げてきたことへの確信をのべた。
 竹田国康・山口県被団協会長が祝辞で、「原爆被害を語り、自分たちのような体験が2度と生まれないことを強く願い全世界に訴えてきた県被団協が結成50周年を迎えた」ことを明らかにし、現在の「憲法が改正され、ふたたび戦争ができる国にしようとする動き」や、アメリカが「使いやすい核兵器」を開発する状況を批判。「原爆被害の実相を語り伝えることは生き残った被爆者の最大の使命、義務だ」と強調した。
 原水爆禁止下関地区実行委員会の吉山宏氏は、「原水爆禁止、平和運動の発展のうえで、被爆者が体験を語る使命を担ってきたことが大きかった」ことを強調。下関から始まった原爆展運動が戦争体験者の新鮮な怒りを発揚し、全国的な平和勢力を大結集させる力となるなかで、長崎市長銃殺事件が起こり、下関では市民になんの説明もなされないまま六連島の軍事訓練や人工島につながる軍事道路が建設されていることを批判し、「軍事都市化に反対して平和な郷土の建設のために奮斗する」ことを明らかにした。
 続いて、重力敬三(「原爆と峠三吉の詩」原爆展を成功させる広島の会会長)、永田良幸(「原爆と峠三吉の詩」原爆展を成功させる長崎の会代表)、永井淳一郎(東京・武蔵野市原爆被爆者の会会長)、比嘉幸子(沖縄原爆展を成功させる会代表)の各氏による下関の活動への熱い期待、連帯と気迫のこもったメッセージが紹介された【別掲】。

 いかなる圧力も屈せず 長崎市長事件重ね
 杉山真一・下関原爆被害者の会事務局長が、昨年度の活動と今年度の方針を報告・提案した。報告は昨年、被爆体験集(第3集)を発行、市内の小中学校に寄贈したことや「のべ17人の被爆者が1200人に体験を語った」こと、「被爆者・被爆2世の実態調査」を進めたことなどを明記。とくに、被爆地長崎と広島での市民原爆展の開催など「下関から始めた運動が戦争に反対する全国的な運動に広がり、市民運動の発展にも結びついてきた」こと、とくに原爆展に「第2次世界大戦の真実」のパネルが加わるなかで、被爆体験だけでなく空襲や戦地の体験が堰を切ったように語られ「原爆展を起点にして賛同・協力、寄贈運動にも参加した市内の自治会、老人会など戦争体験世代をはじめ、各界各層の人人が平和と生活を守る運動をさまざまな分野でとりくんでいる」ことを浮き彫りにした。
 報告ではさらに、伊藤一長・前長崎市長が長崎市民原爆展を開催した下関の被爆者や賛同・協力者に感謝のメッセージを寄せていたことを紹介、「犯人の個人的恨みが動機のようにいわれているが、平和と民主主義に対する許すべからざる暴挙」であると指摘した。今年度の方針として、「被爆者・被爆2世援護の充実をはかる」とともに、六連島で戦時訓練が実施されようとするなかで、「“気がついたときには戦争反対といえないようになっていた”というかつての轍(てつ)を踏まないため、戦地や空襲の体験者と力を合わせ、原爆と戦争の真実を若い世代に語りつぐ体験者の運動を促進する」方向を明確にした。
報告を受けた討議では、昨年の8・6広島集会で発言した升本勝子氏が、「広島や長崎の被爆者とともに600人の参加者に発言」したことや、子どもたちの発表に感動したことを報告。被爆2世の婦人から「2世としてがんばっていきたい。長崎での原爆と戦争展が近く開かれるが、長崎の2世とともに、広めていきたい」と抱負が示された。
 また、会の再建当初から活動を担ってきた副会長の佐野喜久江氏は、福田正義・長周新聞社主幹の没5周年にあたって、「2年ほど前、福田さんの娘さんが当時、広島におられた福田さんからの手紙を“父からの手紙”として紹介されていた記事を読んで、涙が出た。お父さんは被爆した市民のため、人人の幸福のために貢献され、お母さんは下関で真っ黒になって仕事をしながら子どもを育てておられた。私もこれを勉強して手助けをしなければと思った。被爆者の活動は右も左もないから、お世話になった長周新聞の方と手をつないでやっていこうと決意した」と深い思いをにじませて発言した。
 総会は、「六連島での戦時訓練に反対する決議」「上関原子力発電所建設計画の白紙撤回を求める決議」とともに、「いかなる圧力にも屈せず、平和を願う広範な人々と団結」して、「戦地での体験者と共通の思いで結び合い、原爆と戦争の真実を語り継ぐ運動を強め、今度こそ戦争を許さない平和の力を作っていきます」という「総会宣言」【要旨別掲】を採択し、今後の奮斗を誓いあった。
 総会後に開かれた懇親会では、会の運動とともに成長してきた青年たちが「朧月夜」「花を贈ろう」の歌声を、これまでの感謝と激励の気持ちを込めて響かせ、次代に熱い希望を託す被爆者と共通の思いを交流しあった。

 下関原爆被害者の会 総会宣言(要旨)
 アメリカが広島、長崎に人類史上もっとも残虐な大量殺りく兵器である原爆を投下して62年目を迎えます。
 閃光と熱線、そして爆風……。舞い上がる粉塵と業火のなか、人間としてはあまりにも惨い姿で殺された何万もの罪のない人々の苦しみ、無念さを思うとき、「戦争を絶対に繰り返してはならない」「ふたたび広島、長崎を繰り返してはならない」という思いが心の底からこみ上げてきます。
 私たちは、体験に根ざすこうした思いから、平和な未来のために被爆体験を若い世代に語り継ぐ原爆展を8年前から市内各所で開催してきました。原爆展が広島、長崎はじめ全国に広がり、大きな反響と共感を呼んでいることは、私たちのこの思いが多くの国民の共通した願いであることを物語っています。
 原爆展は「原爆と戦争展」に発展し、被爆者だけでなく戦地での体験者が堰を切ったように体験を語り始め、60年間隠されてきた第2次世界大戦の真実があきらかにされています。アメリカが当初から日本を侵略・占領してアジアでの戦争の拠点にしようとしていた事実、そのために全国空襲、沖縄戦、そして原爆と、残虐な皆殺し作戦を冷徹に計画し実行した事実、天皇をはじめとする日本の支配層が国民の立ち上がりを恐れ、負けると分かっていた無謀な戦争を続けて、死ななくてもよかった320万もの犠牲者を作り出し、アメリカに無条件降伏すると手の平を返したようにアメリカに屈従した事実が体験者によって語られています。
 アメリカ政府は、原爆投下の犯罪を謝罪するどころか、何万発もの核を独占し、新型核爆弾の開発と配備を開始し、先制核攻撃を公言し、引きつづき核兵器で世界を脅しています。日本政府は、唯一の被爆国でありながら、アメリカの言いなりで、アメリカの核政策を支持し、在日米軍の再編に協力し、憲法を改悪してアメリカの戦争に日本の国土と若者を差し出す危険な道をすすんでいます。こうしたなかで、原水爆禁止を訴え、アメリカを批判してきた伊藤一長・長崎市長が銃殺されるという凶悪な事件が引き起こされました。
 私たちは、いかなる圧力にも屈せず、平和を願う広範な人々と団結して、原水爆禁止・平和運動の道を邁進します。戦地での体験者と共通の思いで結び合い、原爆と戦争の真実を語り継ぐ運動を強め、今度こそ戦争を許さない平和の力を作っていきます。

 長崎市民の心意気示したい
 長崎市では3年前に初めて「原爆と峠三吉の詩」の原爆展が開かれ、これまで沈黙していた長崎市民が声を上げ始めました。私自身、人前で初めて自分の体験を語り、その後、8月6日には広島にも出向いて、子どもたちにお話したり、下関や広島の方方と懇談することができ、うれしく思っています。長崎では今年も「原爆と戦争展」が準備され、キャラバン隊による原爆展も始まっています。これも、下関の方方のご援助のお陰と、ただただ頭の下がる思いです。
 また今年からおこなわれている「原爆と戦争展」は、なぜ戦争が起こったのか、なぜ原爆が落とされたのかを考えることであり、非常に意義深いものです。あの原爆の悲惨さが、原爆によって戦争が早く終結したというきれいごとで覆われ、長年の間長崎では、被爆者団体はさまざまあっても本当にひどい目にあった市民が発言する場はありませんでした。この「原爆と戦争展」で戦争の本当の実態が明らかにされ、同じようにこれまで語ることができなかった戦地体験者の方方が運動に参加されていることはとても心強く思います。
 最近では、政府は全国にミサイル配備し、国民には「国民保護計画」といって雨ガッパや傘などで核被害を防げるというようなことを平気でいっている始末です。戦後生まれの政治家には、原爆を生身の体に受けてみなければわからないのでしょうか。私たちには、これからの若い人たち、とくに子どもたちには、二度とあのような目にあわせないためにもなんとしてもありのままの事実を知らせる責任があります。
 長崎では伊藤市長が銃殺されるという痛ましい事件もありましたが、市民の心意気を示すために、6月10日から長崎西洋館でおこなわれる「原爆と戦争展」を大成功させたいと思います。また、みなさんをお手本に長崎の会をつくり上げていきたいと思っております。
 「原爆と峠三吉の詩」原爆展を成功させる長崎の会 代表・永田良幸

 長崎市長銃殺に負けず邁進
 広島の会でも、2月13日から25日まで宇品郵便局と皆実西部集会所で、5月1日から6日までそごう呉店で、原爆と戦争展を開催しました。軍都・呉では盛大にアピールすることができました。
 下関原爆被害者の会総会が有意義かつ盛大にとりおこなわれますよう心からお祈りいたします。
 長崎市長が銃殺されたことは非常に残念で、筆舌に尽しがたい憤りを感じます。私たち同志は、いかなる圧力にも負けず平和運動の達成に邁進していきましょう。
 「原爆と峠三吉の詩」原爆展を成功させる広島の会 会長・重力敬三

 今こそ踏んばる大切な時代
 貴会では、昨年は「原爆と戦争展」をメインテーマとして、被爆者と戦地での戦争体験者がともに悲惨な実相体験と共通の思いで戦争の真実を若い世代に伝える運動を大きく展開されたことをもって、本日総会を開催されることに心からの敬意を表するものです。
 世の中では時間の経過に従って、戦争の体験者の数は減少します。高齢化とともにその速度は急激であり、戦後生まれの世代が圧倒的に多くなってきました。同時に、最近では過去の戦争を美化し、相手が核を持ったらこちらもという戦前の誤った単純思考の傾向の復活が顕著になって、学校教育から憲法理念まで変える動きが出てきました。
 被爆者、戦争体験者の高齢化、急減と反比例した許せない行動です。
 このような重要な時期に貴会の献身的な活動は、わが国のためにはもちろん、世界の平和に貢献する崇高な活動です。
 私ども武蔵野けやき会でも、下関の方方の力強い運動に刺激され、励まされて、東京の地でがんばっています。今年は他の地区とは少し異なった新しい世代に読んでもらえる証言集の作成にとりくんでいるところです。今の時期が踏ん張るべき大切な時代と考えています。
 武蔵野市原爆被爆者の会 会長・永井淳一郎

 沖縄でも戦争展企画に期待
 戦後62年を経て、多くの人人が新たな戦争の危機や社会の荒廃に心を痛め、平和で豊かな日本を望んでいるなかで、体験にもとづいた原爆の真実を明らかにし、若い世代に語り継ぐことがひしひしと求められています。
 沖縄では、6年前から「原爆と峠三吉の詩」パネルによる原爆展を開催し、那覇市や沖縄市、糸満市など、県内各地の公民館、学校、役所、街頭などでおこなわれ、県民から多くの反響を呼んでいます。「沖縄原爆展を成功させる会」は、この活動のなかで結成され、被爆体験、戦争体験を若い世代に語り継ぐことを使命とする活動を進めてきました。
 今回、沖縄の「原爆と戦争展」では、昭和初期の大恐慌から満州事変、日中戦争から太平洋戦争へ、さらに戦後のアメリカの占領をくぐり抜けてきた戦争体験者の証言をもとに、近年発見された資料を集め、新たに作成した貴重な「第2次世界大戦の真実」を展示企画しております。
 この新たな企画が、沖縄県民の希求する恒久平和として、若い世代に語り継がれていくことを願ってやみません。
 沖縄原爆展を成功させる会 代表・比嘉幸子

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