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戦争狂いが企む「教育改革」
現場縛る政治介入の意図
             教育長は政治家任命方式    2015年4月3日付

 自治体の教育行政のトップである教育長は従来、教育委員の互選によって選出されてきた。それがこの春から首長が直接任命する方式へと切り替わり、教育行政を国や自治体首長の配下に置く新たな制度が始まった。教育長の任命権といっても、実質的に教育委員の選任やそのなかから教育長を誰にするかは首長や地方行政の意向が貫かれてきたが、これを法律で定めて、より政治と教育を直結の体制にするものとなっている。安倍政府が集団的自衛権の行使容認、安保法制の改定、憲法改悪など戦後こえられなかった一線を踏みこえて戦時国家づくりへと突き進むなかで、教育の国家統制をあからさまに進める動きがあらわれている。
 
 子供を戦場に送った反省覆す

 安倍首相のお膝元である下関でも、新制度にもとづく教育長選任議案が3月議会に提出され圧倒的多数で可決された。「市長が教育長を任命する」「教育行政への政治介入」といっても、たいして違和感がないのが下関で、早くから教育長は市長がお気に入りの人物を据えてきたし市長を飛びこえて安倍代議士周辺が文科省からキャリア官僚を引っぱってきたりと、「教育委員による互選」などあってないようなものだった。憲法九条のなし崩しではないが、法律が後からついてきたというのが教育関係者たちの正直な実感だ。
 江島市政のもとで、文科省の「モデル事業」として全国最大規模の教科教室型学校の建設が持ち込まれたり、安倍人脈で教育長に天下った文科省キャリア官僚が、「朝鮮への植民地支配はなかった」と主張して大騒ぎを引き起こしたり、全国でも前例がない大規模な学校統廃合計画をぶち上げてみたり、「問題児は警察送り」の文科省路線を先行導入したり、それはもう大変な「教育への介入」であった。嶋倉剛を任命したのは市長でも教育委員でもなく、当時「いずれは彼を政治家に」と目論んでいた安倍代議士周辺だったことはすっかり暴露されている。法律が変わる前から任命権は国会議員が握っているのである。
 その後の波佐間教育長を見ても、中尾市長にとり入ることで地位を確保しているのが隠しようのない事実で、「政治介入」への見境がない。学校に市長を招いて子どもたちに授業をしたり、教育者が市長におべんちゃらばかりしているのである。教育長が自費出版した随筆本の出版記念会(市長主催)になると、公務中の教育委員会職員が公私混同の区別なく準備にあたり、当日の会場の世話までしていたし、壇上の波佐間ファミリーをほめ称えるために各学校の校長たちが金一封包んで駆けつけるなど教育行政の薄汚れた縦割りがあたりまえのようになっている。政治家に見初められた「偉い」教育長を頂点とする主従関係が徹底された結末であった。
 教育長なり教育委員会の現場への介入や統制が強まったのは、とりわけ文科省キャリアが天下ってきてからで、教師の管理統制という面で下関は全国より1歩も2歩も先を行っている。最近では、頭がおかしくなりそうなほど教育委員会から指示メールがおろされ、教師は「他校区で猿が出没」「他県で事件が起きたので校区の危険箇所を調査しろ」等等、どうでもよいような業務に振り回され、子どもたちとかかわる以上に膨大な書類作成に追い回される。そのうち何も考えないで従っている方が楽になり、上目遣いの管理職が増えているのも特徴だ。校長会議の後の飲み会になると、校長たちが列をなして教育長に酒を注ぎに行くのも見慣れた光景となった。他市から赴任した教師が「職員会議で教師から意見が出ない」と驚くが、教育長をトップに「物言えぬ管理職」がつくられ、その下に「物言えぬ教育現場」がつくられてきた。
 教育長の上に君臨するのがまず市長で、その市長の上に君臨するのが安倍事務所、林事務所、ないしは山口銀行である。管理統制によって教師から指導性を奪い、萎縮させてきたのが最大の特徴だ。

 保護者ら立ち上がる 大阪の教育長は辞任へ

 政治介入はなにも下関だけでやられているのではない。首長が任命権者となり、その意のままに教育行政を動かそうとしている典型的な例が、橋下徹の「維新」が暴れている大阪である。最近になって大阪府の中原教育長は辞任に追い込まれた。橋下人脈で登用された中原教育長は、教育方針について意見が違う教育委員に「誰のおかげで教育委員でいられるのか」と脅したり、職員を「精神構造の鑑定を受けろ」と怒鳴って退職に追い込んだりとパワハラをくり返していた。さらに教育現場に対して直接指示を出し、それができなければ「できないのは情熱がないからだ」といって上意下達を徹底していたことが暴露された。
 それに対して、保護者や大阪府民から批判の世論が上がり、133団体・個人3000筆の辞職を求める署名が提出され、大阪府教委の第三者委員会から「教育長として不適切」と報告書が提出されるなかで辞職を表明した。さらに「100マス計算」で名を馳せ登用された陰山英男教育委員長も辞職となった。
 中原教育長は橋下徹が大阪府知事であった2010年、民間人校長として和泉高校校長に登用され、12年3月の卒業式のさい、教頭らに「君が代」を歌っているかどうか教員の口元を監視するよう指示するなどして物議を醸した。その後、大阪維新の会の松井一郎大阪府知事が大阪府初の民間人出身教育長として任命した。やったことは学力テストの結果公表を市町村教委におこなわせ、小一から英語漬け教育をおこない、小3から習熟度別学習を徹底し、府内の10の進学校に成績優秀者を集めて特別エリート進学校をつくるなど、安倍教育改革を先行実施するものだった。ただ、首長に任命された教育長が首長そっくりで「独裁者」のように権限を振り回し、学校現場をかき回したが、最終的には自爆することとなった。
 大阪市では橋下徹が2012年12月に起きた桜宮高校のバスケット部の生徒の自殺にさいして、「教育委員会には任せておけない。首長が陣頭指揮をとる。そういう条例をつくる」と公言し教育への政治介入を率先して実施してきた。そして、市長が実質的に任命した教育長と組んで学力テストを公表したり、民間人校長を幾人も採用してきたが、いまやその校長が川下りで生徒をボートから突き落としたり、母親に対してセクハラしたり、万引きしたり、PTA会費を持ち出しするなど不祥事を次次に起こして辞職者続出となった。
 市長のお眼鏡にかなった「教育者」たちがろくでもない者ばかりだったこと、「教育改革」の行き着く先を早くも暗示するものとなった。教育についてわからない者が、首長なり為政者の意を汲んで教育現場を管理することだけ任されて放り込まれた結末であった。「適格者」であるか否かなど、はじめから選択基準ではなかったことを証明した。

 戦後の大きな分岐点 次代育てる教師の使命

 第2次世界大戦で純粋無垢な子どもたちを戦争の肉弾にかり出した軍国主義教育への痛恨の反省から、戦後「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負う」として、独立性を持たされてきた。もともとは教育委員も選挙で選ばれていたのが、再軍備の動きが強まった1956年に任命制に切り替わって今日に至っている。首長は予算編成や教育委員選任などで教育行政にかかわるが、首長に任命された原則五人による教育委員が、使用する教科書や教員人事、学校での教育内容や方針を合議で決めるとされていた。教育行政は時の権力と一線を画し、民主主義が貫かれなければならないこと、そのために国や自治体首長といった政治の下請機関になってはならないという原則の下に成り立ってきた。
 この度の安倍政府による見直しは、戦後続いてきたこの根本原則を覆し、建前すらもとり払って「教育委員会を首長の付属機関」にするもので、教育の政治支配、政治介入を深めたい為政者側の願望をゴリ押ししたものである。「教育改革」にムキになってきたのが安倍首相やその仲間たち、石原慎太郎、維新の党率いる橋下徹といった面面で、教育者からすると「安倍晋三のような大人になりなさい」「橋下徹のような大人になりなさい」と子どもたちには決していえないような大人たちが勢揃いしているのも特徴である。こうした政治家たちがことさら「教育改革」を叫ぶのは、背後にいる米日独占資本にとって教育を支配すること、子どもたちをとりあげていくことが戦争動員にとって欠かせないからである。低学力で思考力のない従順なる奴隷をつくるのも教育であり、その模範であるアメリカでは行き場を失った貧乏人の子弟たちは軍隊のリクルートに刈りとられて戦地に行かされる。
 現状の教育委員会について、子どもたちの教育のためにまともに機能していると感じている者などいない。教育委員会が国の意をくんだ文科省の指示をそのまま持ち込んで学校現場を監視し、締めつける道具に成り下がっていることはだれもが認めるものとなっている。そのもとでいじめ、自殺、低学力、学級崩壊など教育現場が手がつけられないほど崩壊してきた。ところが文科省教育の破産を棚に上げて、今度はいじめ事件などを契機に「責任の所在があいまいな教育行政システム」等等と問題をすり替え、行き着いた先が「首長が任命する教育長が責任者」で「教育委員会はその諮問機関」とするものだった。
 ゆとり教育をやり、さんざん低学力を生みだしたあげくに「学力テストだ」といって振り回され、一方で「体罰禁止」「勤務評定」といって手足をもがれ、これまでまじめに教育をしてきた良心的な教師たちが、気づいたときにはがんじがらめに縛られている。思考力のない従順なる子どもよりも先に、何も考えずにお上に従う教師づくりが先行してやられている。お上がいうから軍国主義教育をやり、「天皇陛下万歳!」といって死んでいく子どもをつくったのが70年前の痛切な経験で、その地ならしともいえる政治介入と教育への国家統制がはじまっている。「軍事と教育は譲れない」というのは、国民を欺いて戦争にかり出す支配者の合言葉で、戦争狂いほど教育に介入したがるのはそのためである。
 子どもを腐敗した社会に負けるのではなく、たくましい次代の担い手として成長させる教育運動は、教育行政の反動化、教育環境の荒廃とたたかうことと結びつけて発展してきた。自己中心的で敗北的な生き方や、平気で人殺しができる人間ではなく、みなと団結して未来を切り開いていく力を持った子どもに育てていくことを、教育にかかわる者は切望し、反動的な政治とたたかってきた。
 資本主義が行き詰まりを見せ、帝国主義各国による覇権争奪も激しさを増し、為政者の側は戦争を渇望している。武器商人たちは武器輸出3原則を緩和させて世界の武器展覧会に足を運び、「日本製」を誇示している。子どもよりも先に英語漬けにされた自衛隊は、地球の裏側まで米軍の肉弾になって出撃しなければならない状況となった。少子化で頭数が少ないため、遠くない将来に「オマエら死んでこい」といわれるのが子どもたちである。戦争政治が再び教育に介入する状況のなかで、これを打ち負かす全国的な教育運動と世論を強め、子どもたちの未来をかけたたたかいを広げていくことが求められている。その先頭に立つべき教師たちの奮起が待ったなしである。

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