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戦争情勢対峙し熱帯びる原爆展
広島市安佐北区高陽
             世代こえた真剣な交流   2014年3月19日付

 広島市安佐北区のフジグラン高陽・2階文化ホールで14日から16日まで、高陽「原爆と戦争展」(主催/原爆展を成功させる広島の会)がおこなわれた。近隣の小学校から子ども達が団体で訪れたのをはじめ、年配者や親子連れ、小中学生など3日間で380人が来場。熱心にパネルを参観して、運営に携わる広島の会の被爆者から体験を聞いた。戦争政治に対する切迫した思いを語る年配者や親世代が多く、会場では世代をこえて真剣な交流がおこなわれた。
 
 学生たちは地域に戸別宣伝

 準備の過程では、周辺の8つの小学校、4つの中学校や連合町内会、商工会でもチラシやポスターが配られ、フジグランも独自に広告に情報を掲載。また、4日間にわたって被爆二世や学生たちが周辺の住宅地にチラシやポスターをもって戸別宣伝に回るなど地域と結びつきながら精力的にとりくまれた。
 展示がはじまると、毎日、広島の会の被爆者が数人ずつ会場に詰めて体験を語り、学生や被爆二世など若い世代も受付や呼び込みのチラシまきに参加するなど、世代をこえた協力で運営を支えた。
 14日には、近隣の真亀小学校6年生約50人が教師に引率されて来場。4つのグループに分かれて被爆者4人から説明を受けながらパネルを見て回った。教師たちも戦争や原爆、原発問題に至るパネルについて熱を込めて説明していた。
 最後に集まった子どもたちを前に、男性被爆者は、「このような実際にあったことを見て、話を聞いてもらうことが大切。69年前の現実です。いま国会ではアメリカが攻撃を受けたら日本も戦争に参加するようなことが論議され、変な方向に進んでいて心配だが、もう絶対にこんなことがおこらないように私たちも頑張りたい。日本の将来を築いていくのはみなさんだ。この国の平和のためにみんなの思いが集まれば大きな力になり、よい方向へ向かっていける」と思いを投げかけた。
 担当教師も「食べ物からエネルギーに至るまで、いまよりずっと厳しい時代を努力して日本を築いてこられた人たち、被爆者の方たちがつくってくれた国だから、みんながよい日本をつくってほしい。今の若い人は自分勝手な思いで殺人事件を起こすことなどが残念がられているが、みんなで力を合わせていくことが大切。もうすぐ卒業だが、ここで学んだことを生かしてほしい」とのべた。
 子どもたちは、「戦争は二度としてはいけないものだと思った。大人になってもこのような思いを忘れずに伝えていきたい」「被爆した人の苦しさや悲しさを知ることができ大変勉強になりました。とくに、やけどをしてすごく苦しいのに生きている人の気持ちなど考えると心が痛くなりました」などの感想を丁寧に記していた。
 引率した教師の一人は、「この地域は中心部から離れているので原爆資料館にいく交通費などを工面するのも大変な事情がある。共働き家庭も多いので、学校として連れてこられる場所でやってもらってありがたい。いま学力も格差がついて競争を煽るだけでは子どもが成長しない。このように被爆者の方の話や、地域と連携していくなかで、ものの善悪や感謝の気持ちを教えることができる。教科書だけでなく、現実に密着した教育を学校側からアクションを起こしていきたい」と話した。
 別の教師も「東海村、原発、放射能など、子どもたちに日頃から伝えたいと思っていたことについて、教師として説明ができる非常にいい機会になった。ぜひ学校での展示も考えたい」と今後への期待をのべた。
 また、夫や義兄が義勇隊として建物疎開に出たまま帰らなかった旧川内村出身の婦人が親子で訪れたり、満州事変で耳を負傷した夫が陸軍省から見舞い代わりに送られた絵を「見てほしい」と持参する婦人、日赤看護学生として被爆者の治療にあたった同期生の集団など、体験者も多く訪れて会場では交流が広がった。
 初日に訪れた82歳の男性は、当時、三篠にあった工場に学徒動員で出勤中に被爆し、潰れた建物の下で助かったことを明かし、「必死で助けを求める人を助けることができず、逃げることしかできなかったことが忘れられない」とのべた。
 アンケートには「戦時中の事を思い出し、二度とくり返さぬよう戦争に反対します。私は直接被爆者の一人として原発に反対します。日本国民のためにも原爆と戦争展を続けていきたい」と記入し、広島の会の男性被爆者と語り合うなかで広島の会への入会を申し出た。
 昭和20年9月に家族で広島に移り住んだ婦人は、「姉が軍用車両にはねられて足を切断したが、当時は500円の見舞金が出ただけだった。戦後は学校でもケロイドの人やヤケドで指がくっついたままの先生がいて生の話を聞いてきた。これほどの人人が一瞬にして焼き殺されたのに、いまも戦争の真実が伝えられていない。アメリカにこびて、アジアで敵を増やすような考え方はもう変えていかないといけない」と話した。
 50代の母親は、「大切に育てられた若者が戦地に送られ、餓死や病死で虫のように殺されていく姿はあまりにむごい。いま中国や朝鮮ともめるような政治がされているが、絶対にくり返してはいけない共通の歴史として若い人たちが学ばないといけない。私は父から被爆体験を聞いてきたが、いまは学校も商業化して大学も就職予備校になっていて若い人が戦争の実際を知らされていない。憲法九条や集団的自衛権の問題も、言葉遊びの世界ではなく、戦争の現実の姿とあわせて論議されるべきだと思う」と話した。
 
 アンケートより

 ▼戦争絶対反対、命がけで再発防止に全国民が立ち上がるべき。平和ほどありがたいものはない。のど元過ぎれば…は絶対にあってはならない。この不幸を次の世代に告げることが必要。核兵器廃絶が平和への出発点だと思う。(76歳・男性)
 ▼小学校(国民学校)から高校までずっと戦争で戦争とともに歩いて参りました。ここの展示のような目にも(原爆以外)たくさん経験しました。見るのがとても辛くて…夫も夫の兄も弟も出征しました。夫だけ右耳を負傷して帰還しました。兄と弟は戦死です。片耳の負傷だけでは日本国は補償してくれませんでした。生涯片耳は治療し続けました。戦争は悪です。(83歳・女性)
 ▼戦争に出動しなかったことは年齢的にも幸せだったと思います。当時は国民学校5年生、被爆者が避難してこられ講堂で手当てをされ亡くなっていかれる姿をまのあたりにしました。私のすることは避難者が寝ておられる身体にハエが群がっているのをうちわで扇いであげるしかありまん。血・膿・泥が床に流れて汚れているのを掃除したことを憶えております。板にクギを打って先を1a出して、講堂の床の板と板の間の泥を出して雑巾をかけて掃除しておりました。それを2週間続けて2学期から授業を受けました。被爆した父の帰りを迎えに市内に行きました。(79歳・女性)
 ▼農業の人達、当時、大変な時代であったため、戦争へ皆が傾いていった様子がわかりました。知らぬ間に戦争の方向に行くことのない様、皆が注意することが大切と思いました。(71歳・男性)
 ▼第2次大戦は最初から負けることは判断できたはずだと思う。軍幹部のおごりが国民を苦しめた。戦犯は当然です。今日の展示で広島だけ空襲を受けたのではなく、ほとんどの大都市が被害にあったのを初めて知りました。これだけやられてもなぜ「降伏」しなかったのだろうと。(69歳・男性)
 ▼日米安保のあり方を考える。昔はソ連の防波堤、今は中国の防波堤にされている日本。昔も今もアメリカは自国の利益で動いている。他国を犠牲にしている。(61歳・女性)
 ▼原爆ドーム、資料館、子どもが怖がるから(被爆)人形を撤去?私はしっかり平和学習を学生のころ勉強してよかったと思います。今の子どもたちはかわいそう。真実を知らせず、事実に目を背け、いい子の子どもになっている。どうか目を背けず、もう一度、しっかり平和学習を一からしてほしい。真実のことだから。事実おこったことだから。目をそらさないでほしい。(51歳・女性)
 ▼主人の家族が二葉の里で被爆して、兄弟が74歳、70歳で病気に悩んでいます。東北の原発3年過ぎてもなんの解決もなく、広島の復興はみんなの力で、いい都市ができました。今東北の方々に何か協力したい。
 この原爆展資料が豊富で勉強になりました。若い人の参加がほしいですよね。とくに高校生に声かけをお願いします。(女性)
 ▼有無も言わさず戦争に行かされた兵士、飢餓で遠い戦地で亡くなった兵士達、人の命をなんと軽んじていた軍部や政府! 戦争というものの理不尽さはこれ以上ない。無差別に殺された市民たち…戦争というものは人を虫ケラのように簡単に命を奪ってしまう。兵士も市民も哀れでならない。国家権力が間違った方向に行くと一番末端の市民が犠牲になる。二度と戦争をしてはいけない。核を使用してはならないと思う。(50代・女性)
 ▼私も若い世代として、戦争の悲惨さを伝えていかなければならないと強く感じました。私の祖父は戦争を経験しているので話を聞いたことがあります。しかし、今日の展示を見て、まだまだ知らないことがたくさんあると実感しました。ケロイドやハエが人にたかってくる写真など、やはり絵や漫画よりも写真の方が心に響くものがあると感じました。私は教師として、これからの子どもたちに戦争の恐ろしさを伝えていきます。そして、このような展示があればぜひ経験させたいです。(24歳・女性教師)


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