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戦争阻止へ被爆地の力発揮
第10回長崎「原爆と戦争展」
             学校・地域に旺盛に宣伝   2014年5月12日付

 長崎市中央公民館で11日、6月中旬に長崎市民会館で開催される第10回長崎「原爆と戦争展」の主催者会議が開かれ、全市的なとりくみがスタートした。会議には、被爆者、兵役体験者、戦争遺族、主婦、社会人、学生、PTA関係者など一五名が参加し、今年の原爆と戦争展への意気込みや活動内容などについて意見が交わされた。とくに、被爆や戦争の痛烈な体験と重ねて昨今の安倍政治に対する体験者の激しい憤りが語りあわれ、長崎から核兵器廃絶と戦争阻止の大運動を起こしていく意欲が響きあう会となった。
 
 長崎市民会館で6月18日開幕

 初めに、体調不良で出席できなかった原爆展を成功させる長崎の会の吉山昭子会長にかわって河邊聖子副会長があいさつし、続けて、共催する原爆展を成功させる広島の会の重力敬三会長、下関原爆被害者の会の大松妙子会長のメッセージが紹介された。
 重力氏は、「あの人類史上またとない凶悪な兵器が広島と長崎に投下され、今年で69年目になる。暑くなり夏になると、思い出したくない被爆の日が脳裏に浮かび、なんともいえない気持ちになる。何十万人もの尊い命が一瞬にして奪われ、生き残った人もいまだに苦しい生活を送っている。また、あの戦争で320万人もの命を失ったことが、だんだんと頭に蘇る」とし、「なんといってもアメリカは憎い。安倍内閣はそのアメリカの盾となり、憲法を改定しようとしている。私たちは平和運動の同志として、なんといってもこれは阻止しなければならない」と二つの被爆地が手を携えて平和運動を推進することを呼びかけた。
 大松氏は、安倍政府が秘密保護法の制定や憲法解釈の変更で「実際にアメリカの戦争に参加しようとしている」ことを指摘し、「あの戦争の恐怖・悲惨を体験した者として、私たちは戦争の愚かさをしっかり若い世代に受け継ぎ、二度と同じ目に遭わせてはならない」とのべた。「政府は私たちが死んでいなくなるのを待っている。しかし、あの戦争を過去の物語にされないためにも、一日でも長く生きて、戦争を絶対に繰り返させてはならない。真実を伝えなければいけない」とのべて、下関の地でも子どもたちに語り継ぐ活動を展開していく決意をあらわした。
 続いて、長崎の会事務局から今年の原爆と戦争展の概要ととりくみの経過について報告された。
 現在までに、昨年の賛同者のうち約200人に開催趣意書と賛同者記名用紙が送付され、被爆者、戦争体験者、被爆2世、自治会、商店主、老人クラブ、医師、寺、大学教員、学生など現在110人をこえる市民から賛同が寄せられていること、10日からは毎週土日に下関原爆展事務局のスタッフが訪れて、市内でのチラシ配布、ポスター掲示がおこなわれ、市民の強い歓迎を受けていることを報告。
 とくに、被爆・終戦70周年という節目を迎えるなかで、安倍政府による原発の再稼働、秘密保護法の制定や、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使など、多くの人人の平和への思いとは裏腹に、アメリカの要求に従った戦時体制づくりが段階を画して進められていることへの強い憤りが語られ、「戦争を知らない政治家が戦争の反省を覆し、浅はかな考えでまた悲劇をくり返そうとしている」「前の戦争も気がついたときには始まって後戻りできない状況になり、反対すらできなかった。言葉じりだけではなく、どのようにして戦争が始まり、その結果どんな目に遭ったのか実態を知らせることが大切だ」と、凄惨な体験を蘇らせながら戦争をくり返させない世論が高まっていることが強調された。
 また、武力攻撃に対する対処法を定めた国民保護計画をめぐって、政府から「核攻撃に対しては、雨ガッパや手袋を着用して身を守る」とした指針が出されていることに対し、長崎市では故・伊藤一長市長時代に「核兵器の惨害に対して大きな誤解をまねく」として国に見直しを求め今年2月には「核被害を防ぐためには核廃絶しかない」と結論づけて核攻撃を想定した計画を除外しており、稚拙で無責任な認識のまま戦争準備を進める政府への被爆市民の強い反対世論があらわれていることも指摘された。

 存在感増す原爆展運動 真実語り継ぐ場に

 論議のなかでは、現在の世相について被爆者や戦争体験者から激しい問題意識が語られ、被爆と戦争に対する怒りを共有して戦争情勢に立ち向かう世論を喚起していく必要性が強調して語りあわれた。
 17歳で被爆した男性被爆者は、「原爆をふり返ると同時に、最近の政治思想が非常に危険であることが、被爆者として、戦後復興に関わった人間として無視できない。安倍政府が今にでも戦争に突っ込んでいくような姿勢で、重要な法整備を国民の手の届かないところで次次につくっていく。かつての大政翼賛会の暴走と指導者の過った判断で勃発した満州事変、シナ事変もしかり、ナチスのヒットラーを見ても、一人の政治家の思想が全国民の運命を握っているといっても過言ではない。これを抹殺しなければ全国民の生命は守れない。70年前よりもむしろ今が新しい日本の危機だと思う。ウクライナ問題や南洋における中国との衝突など世界的にもきな臭さが漂っており、戦争は過去の話ではない。この原爆と戦争展を契機にして、戦争政治がいかに国民生活を破壊するものであるか認識してもらう場にしてもらいたい」と力強くのべた。
 引揚者で社協理事の婦人は、「直接の被爆体験はないが、戦後長らく長崎に住んできた者として、必ずしも原爆の実相をすべての市民がよく理解しているとは思えない。このような事実は絶対に風化させてはいけないし、日本中、世界にもっと伝えていく必要がある。私は昭和30年に広島でおこなわれた第1回原水爆禁止世界大会に参加したことからずっとこの問題に関心を持ち続けてきたが、長崎人として原爆の犯罪性を伝えて原爆のない社会を実現する運動のために力になりたい」と決意を語った。
 父親が戦病死した遺族の婦人は、被爆当時、浦上川に山積みの遺体を目の当たりにしたことを明かし、「ビルマ戦線から帰った父親がマラリアを発病して苦しみながら亡くなり、戦争や原爆について見るのも聞くのも嫌だったが、原爆展を初めて見て、あのときの思いが蘇った。政治家がいかに説明しようと一番に犠牲になるのは庶民だ。父のない戦後の生活ではいじめや差別にもあった。戦争は人の心までボロボロにした。本当にあったことを伝えていくためなら自分にもなにかできると思って参加した」とのべた。
 82歳の男性被爆者は、城山小学校2回生で当時、鳴滝町にあった長崎中学に通っていたこと、電車の中で被爆したことを明かした。「突然ピカーッと来て、驚いて電車を降り、友人と2人で自宅のある城山を目指したが、駅前まで来るとボンボンと炎が上がって戻れない。三菱製鋼所では、直視できないほど無惨に焼けただれた人が“助けてくれー”と叫んでいるが、手の施しようがなかった。そこからの道は累累とした死体が重なって通れないので、死体が流れる川伝いに家まで帰った」と当時の体験を語った。
 さらに、「爆心地から500bの城山の自宅は全焼。姉2人はすでに白骨になっていた。母は虫の息で生きていたが、内臓をやられていたのか血を吐いていた。救護所になった新興善小学校から父親が校長をしていた片淵青年学校に連れて行った8月15日、終戦を告げる玉音放送が流れている最中に息を引き取った。姉2人を殺された怒りから、最後には“そこにアメリカ兵がいる。私が仇を取る!”と狂ったように叫んでいた。敗戦を知らぬまま逝ったことがせめてもの慰めだったと感じている。生き残った同級生からこの原爆展をすすめられて参加したが、最近の安倍、自民党の動きはいかにも戦争を肯定して、その方向へ進もうとしている。また戦争が起きれば日本は壊滅だ。アメリカは原爆も水爆も持っていて、自分のやったことを棚上げしている。おとなしくしていたらダメだ」と声高に語った。
 海軍出身で80代の男性建築士は、爆心地近くに住んでいて毎日のように修学旅行生の姿を見ているため「原爆については365日向きあっている」とのべ、「数年前に原爆落下中心地につくられた母子像は母親がきらきらと艶やかなスカートを履いて亡くなった子どもを抱いている。だが、当時の母親はモンペを履いて生きるか死ぬかの状況であり、あの像を見た子どもたちが誤った時代認識を持つことを危惧している」とのべた。
 西洋館での原爆展に行き、「この会は非常に大事だと感じた。だんだん体験者が高齢化するなかで、年寄りがいなくなって若い者だけになれば記憶は薄れてしまう。それではいけない。逆に増大して“このままではいけない!”という流れが強まっていくようにこの会が中心になってほしい。修学旅行生は数年の間に何倍にもなっている。あの若者たちが戦争に反対して、平和の大切さに気がつくようこの会が普及・発展していくことを望んでいる」と熱を込めて語った。
 昨年からスタッフとして参加している男子大学生は、大学で核兵器や沖縄問題の授業を今年から受けるようになったことに触れ、「戦争について考える機会があれば友だち同士でも論議するようになる。このような展示会があることで話をする機会が増え、体験者の思いを伝えることができる。学生はネットを使っているが、掲示板では中国や韓国を罵倒するコメントばかりで何が本当のことかわからない。こうして直に学べる場は貴重だ」とのべ、宣伝活動にも参加する意欲をのべた。
 PTA役員の男性は、「被爆2世として両親や親戚から当時の悲惨な状況を聞いてきたが、今後の日本も戦争へ引きずり込まれないとも限らない情勢にある。また、福島の風評被害の問題もあり、長崎でも子どもたちの間では自殺やいじめの問題が表面化している。ぜひ悲惨な状況の中でも諦めずに戦後社会を築いてこられた体験を伝えてもらいたい」とのべた。
 体験者からは、米軍機から執拗な機銃掃射を受けたことや、原爆投下後に上陸した米軍が市内の主要な施設を軒並み接収していき、学校のグラウンドも米軍車両で埋め尽くされた経験とともに、「被爆者は奇形児が生まれるとか、病気がうつるといわれるので被爆したことはずっと隠すほかはなかった」「困ったときに助けあう精神がなければ困難は乗りこえられない。今は個人主義でバラバラにされている。これでは戦争反対にはならないし、みんなが力を合わせることを教えなければいけない」と論議された。
 また、「米軍は艦砲射撃や空爆など物量に頼って徹底的に廃虚にしておいて、へっぴり腰で上陸してきた。今の日米安保も、まず日本の兵隊を危険地帯に行かせて、安全になってから自分たちが出てくる関係だ」と語られ、憲法改定や集団的自衛権の行使によって日本の若者を再びアメリカの安上がりな鉄砲玉として使おうとしていることへの怒りが相次いで語られた。
 開幕に向けて各地で宣伝活動を旺盛に展開していくこと、学校や教育関係者にも直接出向いて集団参観を呼びかけたり、親世代にも積極的に運動に関わってもらうように働きかける意欲や、毎週末の宣伝活動にも学生たちが参加していくことなどが確認された。参加者はそれぞれポスターやチラシを持ち帰り、一カ月後の開幕に向けて市内世論を盛り上げていくことを誓いあって散会した。

 第10回長崎「原爆と戦争展」の要項
 日時 6月18日(水)〜23日(月) 午前10時〜午後7時(最終日は5時)まで
 会場 長崎市民会館・展示ホール(地下1階)
 展示内容 パネル「第2次世界大戦の真実」「原爆と峠三吉の詩」「全国空襲の記録」「沖縄戦の真実」、長崎市内の被爆遺構と慰霊碑の紹介、長崎復興の記録、被爆資料、体験記、(関連企画)東日本大震災・福島原発事故特集、被爆・戦争体験を語るコーナー
 主催 原爆展を成功させる長崎の会 下関原爆展事務局(下関原爆被害者の会、原爆展を成功させる広島の会)
 後援 長崎県、長崎市
 入場無料

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