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戦争阻止の全国大交流の場に
長周創刊60周年第2回実行委
               独立・平和実現する力結集    2015年4月20日付

 長周新聞創刊60周年記念祝賀集会の第2回実行委員会が19日、下関市の福田正義記念館で開かれた。第1回実行委員会以降1カ月余り、本紙紙上での創刊60年・戦後70年の総括論議が盛り上がり、記念集会参加の呼びかけが進められるなかで開かれた今回の実行委員会では、記念集会をどのような内容で成功させるかが提案されるとともに、その内容とかかわって「どうやって戦争を阻止するか」をめぐって白熱した論議がおこなわれた。そして、独立した平和な日本をめざす全国大交流の場をみんなの力で大成功させようと一致して確認した。
 はじめに佐藤実行委員長が挨拶に立ち、「長周新聞紙上で、それぞれの生き方を重ねて創刊60周年と戦後70年を総括する読者の総括意見が掲載され、熱のこもった論議が発展している。きょうはこの読者運動の集約点としての5月17日の記念集会をどのような内容で成功させるか、さらに六〇周年を契機にどのような力を全国的に結集していくかを論議していただきたい」とのべた。
 次に事務局より、記念集会参加者の状況と集会の構想について提案があった。
 これまでに参加が確定している人の特徴として、下関市内では下関原爆被害者の会、市民の会のメンバーやともに運動している市民をはじめ、長年長周新聞を購読し、支えてきた読者の参加が次次と決まっている。55周年以後に読者になった人の参加が増えているのが特徴。
安岡沖洋上風力発電建設の反対運動をたたかってきた市民は、広島、長崎、沖縄の発言をぜひ聞きたいと楽しみにしている。古くからの読者は、今後5年、10年を見据えて課題を持って挑んでいくことの大切さを語り、飛躍を促す場として集会を心待ちにしている。毎号の記事に「なぜこんなことが堂堂と書けるのか」と衝撃を受けて購読を始めた読者や、被爆2世で「原爆のことについては他人事と思えない。自分が動かないといけない」という市民、会社経営者など、幅広い参加が見込まれている。「長周新聞をどんなスタッフが担っているのか、来る人がどんなことを話されるのか」と関心を持って参加する人が多いのが特徴である。
 広島や長崎では原爆展を成功させる会の被爆者、被爆2世などの集団参加が決まっている。大阪からは労働運動を担っている労働者が紙面の論点を支持し、「戦争をどうやったら止めることができるのか」「共生社会を目指してともに力を合わせよう」と、戦争阻止を目指す全国的団結の場になることに期待を寄せている。辺野古新基地反対の県民世論が圧倒する沖縄からも参加が決まっている。全県・全国でこの十数年来、「原爆と戦争展」をとりくんできた人人も参加する。
 5月17日(日)午後1時から5時まで、下関市の海峡メッセ下関1階・展示見本市会場でおこなわれる記念祝賀集会は、第1部を記念集会とし、実行委員長挨拶、事務局報告、長周新聞編集局長挨拶、長周新聞60周年の総括報告をおこなう。第2部を祝賀集会とし、乾杯ののち各界代表の挨拶、テーブルスピーチ、劇団はぐるま座の構成詩、長周新聞勤務員の出し物などをおこなう。
 また会場内に展示会場をつくり、長周新聞の創刊前後から現在までの写真パネルやバックナンバーと、書家・道岡香雲の書22点を展示する。参加者への記念品として、道岡香雲の書入りの湯飲み(二種類)と長周新聞手帳を準備する。

 大衆運動の急速な発展 沖縄から発言も

 続いて参加者の論議に移った。
呼びかけ人である下関市の海原氏は、「前回の55周年に比べて、下関市議選、安岡風力発電、沖縄問題などいろいろな運動が起こっており、長周新聞の他の新聞社にできない役割への期待が大きい。周囲でもぜひ参加したいという人が増えている。とくに全国から来られることを楽しみにしている。あと1カ月となったが、60周年にふさわしい集会にしたい」と発言した。
 高杉晋作の碑前祭実行委員長・清水氏は、「約10年前、下関の新地地区ではぐるま座の高杉晋作の劇をやったとき、長周新聞と知りあった。来年は高杉東行の150回忌になるが、半世紀以上にわたって地域で碑前祭をおこなってきた。長周新聞は高杉晋作と明治維新について常に熱心にとりくんでいる。きょうは少しでもお手伝いできればと思って参加した」とのべた。
 被爆者からの発言が続いた。
原爆展を成功させる広島の会の上田氏は、「生まれたときから戦争中で、原爆でひどい目にあい、母と弟を亡くした。今、世の中が大変なことになっている。戦後、日本を一生懸命復興させてきた老人が厄介者扱いされている。貧富の差がものすごく厳しい。安倍さんに任せていたら生きていけない。みなさんと一緒にたたかっていきたい。若い人たちに、戦争でどんなことが起きたのか、広く知ってもらい私たちの二の舞いをさせないように頑張っていきたい」と発言した。
 下関原爆被害者の会会長の大松氏は、「紙面の総括意見を見て、愚かな戦争ゆえの苦難の道は人それぞれだが、平和への願いはみなさん同じだと思った。70年間の平和を覆すことを許すことはできない。安倍総理は、海外に金をバラまく前に福島を救う方が先だ。アメリカの手下になり、日本全土を荒廃させ、たくさんの米軍基地を存在させて、日本人としての誇りはないのかと思う。長周新聞は三大新聞が伝えない、市民の切なる問題をとりあげてもらっているが、それが大きく平和への団結の道につながるものと思う」と発言し、加えて「私は90歳になるが、今体験を伝えないと、たんなる物語にされたら悔しいじゃないですか」とのべた。
 名古屋工業大学名誉教授の牧氏は、「工学系の研究者としての風力発電についての意見を掲載してもらったことが、長周新聞と知りあうきっかけだった。風力発電についてはさまざまな欺瞞的な宣伝がおこなわれているが、深刻な環境破壊、人間破壊につながるものだ」とのべた。
 そして、「沖縄の方にお聞きしたい。私たち日本人は沖縄県民の心を本当に理解しているだろうかという思いが強い。沖縄は米軍基地に苦しめられているとともに、本土からの差別によって二重に苦しめられていると思うが、どうか」と問いかけた。
 これに答えて沖縄から参加した40代男性は、「僕は本土復帰の翌年の生まれだが、小学校の学芸会で日本軍が悪者だという劇をやらされるなど、“日本軍悪玉教育”を受けてきた。船乗りの祖父は戦時中、家族を連れてパラオに避難していたが、アメリカがフィリピンと同じようにパラオも占領しようと狙っていたという。そのアメリカが“私たちは人民解放軍だ”“琉球民族を解放するために琉球政府をつくらせた”といった。しかし戦後におこなわれたのは基地による支配だった。それに対して1971年にゼネストがたたかわれ、1972年の本土復帰となったが、それによっても米軍基地はなくならなかった。今沖縄では、“日本人に差別されている”という意識から、“本当にそうなのか”という意識に変わりつつある。とくに若者が意識を持ち始めた。琉球民族と日本民族が手をとりあってアジアの平和を守っていくのがわれわれの使命だと思う」と力強くのべた。
 続いて岩国基地の拡張反対連絡会議の森脇氏は、「アメリカと日本政府は岩国を極東最大の米軍基地にしようとしており、5月の日米親善デーにははじめて米軍と自衛隊が共同で航空ショーをやる予定にしている。そのなかで開かれている“原爆と戦争展”では、アメリカの手下になって戦争政治を進める安倍政府への怒りが強く、戦争のない独立した平和で繁栄した日本にするために、既存政党に頼るのではなく、政党政派をこえて力をあわせる大きな運動がほしいということを、10人中9人がいう。長周新聞の根本精神はそういう大きな団結をつくり出す源だ」とのべた。
 退職教師の古田氏は、「一番根本は、戦争をするか、しないかだ」と切り出した。
 「明治のはじめから第2次大戦まで、戦争をする側と戦争をしたくない側が、“人を殺す戦争だけはやめよう”と話しあいで解決したというようなことはなかった。長周新聞の読者が考えているように、一般市民が身体を投げ出して戦争を止める以外、理屈を並べ、第2次大戦でどれだけ死んだかを挙げて“戦争は絶対しません”といったところで話は成り立たない。また、今アメリカとキューバが国交を結ぶための交渉をやっているが、これまで資本主義と社会主義の国が話しあってうまくいくことはできなかった。今、大きな社会の変わり目、人間の考え方の大きな変わり目に来ていると思う」。
 「教育も、これまでは競争して生徒や教師をふるいにかけるものだったが、みんなのために勉強してみんなが豊かになるようにという教育に変わってきた。金持ちと労働者が対立する仕組みをやめて、みんながケンカをせず楽しく生活できる世の中にするかどうか。個人も国家も大きく変化する時代であり、今まで通りにはいかない。たいへんな決意と努力が必要だと思っている」と発言した。
 これを受けて4人の小学校教師から、「今の発言で、教育者としての使命をひしひしと感じる。目の前の子どもたちが戦争の兵隊となって殺されていくのか、そうではなくて働く人の資質、被爆者や戦争体験者の思いを身につけて、平和の担い手として世の中をつくっていくのかのせめぎあいだ。二年間体育重視で鍛えた子どもたちが、被爆者の方たちの思いを受け継いで、行動に立ち上がっていくという決意に満ちて卒業していった。福田路線で育った子どもたちは、戦争反対の大きな力になっていくし、そういう力は子どもたちのなかに満ちあふれていると思う。そのためにも教師が学校の窓から見ていく視野の狭さを克服しなければならない」。
「“学力向上、差別選別教育は戦争への道。みんなのために力をあわせ、みんなで幸せになる社会をつくっていく”ということが、多くの教師や親と共有できるところにきている。集会参加も前向きに検討する人が多いので、もっと力強く広げていきたい」「みんなのために頑張る子どもを育てたいと、多くの教師が思っている。被爆者の方と子どもたちを結びつける教育を広げるのも私たちの使命だ。そういう教師の団結を広げて、みんなと一緒に戦争を阻止したい」と、教師の社会的使命をめぐって発言があった。
 これに対して「記念集会の意見発表では、人間を育てるにはどうしたらいいかを教師が発言したらよい。社会はもうけだけで成り立っているのではない。それが長周新聞が発展する一つの大きな柱ではないか」との発言があった。

 各界各層に論議広げる 集会大結集を

 市民の会の会員からも連続して発言があり、「全国で子どもの悲惨な事件が多いが、そういう人民教育が日本中に広まっていったら、アメリカいいなりの戦争政治を阻止していけると思う。安倍さんをいいと思っている人はいないが、どうやって戦争を阻止するかだ。私は柳井での祝島の人たちの行動に参加した。原発の問題も、北バイパスも、軍事のために医療・介護や年金が削られる問題も、全部一つにつながっている」と出された。
 原水禁全国実行委員会の川村氏は、最近垢田地区で開催した「原爆と戦争展」で子どもや若い親世代の反響がこれまでになく大きかったことを報告するとともに、「根本精神を貫いて、可能な限り大衆の要求に応え、連続して号外を配布している長周新聞の活動に学んでいる。読者の総括意見もすごく盛り上がり、魂をひとくぐりして、長周新聞とともに切り開いていこうとしていることが手にとるようにわかる。私も頑張っていきたい」とのべた。
 さらに元サンデン労働者から、組合主義や企業主義とたたかって1969年、佐藤訪米阻止の政治ストライキをやり抜いた経験が出されるとともに、「最近、大阪の労働者が戦争反対、全米軍基地撤去の政治課題を掲げて250台のトラックデモをたたかった。労働者が先頭に立ち、勤労人民と一つになって、“安保”斗争を再現できると確信を持った。記念集会をその出発点にするために皆さんとともに奮斗したい」とのべた。
 下関の鉄鋼労働者は、「80代の戦争体験者が“気づいたら戦争だった”といわれる。しかし、戦前は長周新聞はなかったが今はある。上関でも風力でも、新しい動きがすぐに全市全県に伝えられ、市民の力でそれをはね返してきた。この力をもっと広げて、今度こそ戦争を阻止する運動を広げていかねばならないと思う。福田さんが、日本が再び戦争をしないためには、日本軍国主義の戦争犯罪をしっかりあばいていくことと、平和と民主主義の装いを持ったアメリカが日本を支配して再び戦争をしようとしていることをしっかりあばき出さなければならないといわれている。戦争を阻止するために、誰が敵で誰が味方かをしっかり見据えて、全国的に大結集する運動をつくりたい」と発言した。
 終始白熱した、またそれぞれがいいたいことをいう雰囲気のなかで進められた第2回実行委員会は、残り1カ月の全体の奮斗で記念集会の大きな成功を勝ちとろうと確認され、散会した。

 

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