トップページへ戻る

戦争阻止する出発点
創刊55周年記念祝賀集会
             統一戦線の力に確信   2010年5月17日付

 長周新聞創刊55周年記念祝賀集会が16日、下関市の海峡メッセで開催された。沖縄や広島、長崎はじめ全国の読者・支持者ら500人が参加。創刊55周年・戦後65年の総括運動の高揚を反映し会場は熱気に溢れた。現状変革の意欲と人民運動の勝利への確信が語り合われるなかで、全国の参加者が団結を固め、貧困も失業も戦争もない新しい日本社会を切り開く出発点として、創刊60周年・戦後70年にむけた各地域、戦線分野での奮斗を誓う集いとなった。
 会場には長周新聞の55年の歩みを紹介する64枚のパネルや、創刊号からのバックナンバー、出版書籍のほか、書家の道岡香雲氏が往年の新年号に寄せた22点の書が展示され、早くから会場を訪れた人人の熱心な参観が目立った。
 谷村芳宏(防府市・小学校教師)、川森大輔(劇団はぐるま座)、斎藤さやか(劇団はぐるま座)の3氏の司会で始まった集会では、初めに安村直行・実行委員会事務局長が集会参加者の構成を報告。2月21日に実行委員会が発足した後、55周年に寄せる読者の投稿は80人にのぼったことなどを紹介した。
 主催者を代表して挨拶に立った柳田明実行委員長は「創刊55周年の年は日本からアメリカの基地を立ち退かせ、独立を勝ち取り、日本と世界の平和と繁栄のたたかいに貢献し、飛躍する年にしよう」と呼びかけた。
 続いて、長周新聞社の森谷浩章編集長が総括報告をおこなった。「5年後の創刊60周年、戦後70年を展望したとき、情勢の急激な発展は疑いない。今度こそ戦争を阻止して、失業も貧困もない自由な社会をつくるたたかいに挑まなければならない。紙面における各戦線の課題とともに活動を全国に広げ、読者を日本中に広げて政治勢力を結集する」とのべた。その後、柳田実行委員長が登壇し、森谷編集長に読者を代表して記念品(腕章50本)を贈呈した。
 下関の本行寺住職・藤井日正氏が「いかなる権威にも屈しない勤労人民・大衆の言論機関、長周新聞の創刊五五周年を祝し、さらに本日御参会の同志のみなさんのご健勝を祝して乾杯!」と気合いのみなぎる音頭で乾杯した後、第二部に移った。
 日本共産党(左派)中央委員会の本田和人氏が来賓挨拶した後、かつて下関で児童画教育を本紙とともに取り組んだ豊関児童美術展審査員有志からの祝電や、詩人・礒永秀雄の子息である礒永天志氏、新潟県の柏崎刈羽原発に反対する地元3団体共同代表の矢部忠夫氏、埼玉大学名誉教授・鎌倉孝夫氏からのメッセージが披露された。
 安村事務局長が集会参加者への記念品と会場装飾について説明した後、テーブルスピーチに移った。
 長周新聞の古くからの読者で下関原爆被害者の会の伊東秀夫会長は「劇団はぐるま座の劇のなかにある“あと10年頑張ったら日本が相当に変わりますよ”の台詞にあるように、私たちの運動が日本を変えていることに確信を持って、被爆体験を語り継いでいきたい」とのべた。
 山口県甲飛会名誉会長の安岡謙治氏は、戦地をくぐってきた体験を語り、「沖縄の人人が基地撤去を求めて立ち上がっているが、長周新聞の力を借りて日本全国で大きな力にしてほしい」と語った。
 下関市吉田・東行庵世話人会の斉藤淳四郎氏は、明治維新革命を切り開いた高杉晋作が眠る東行庵を140年間守り、奇兵隊士らの霊を弔ってきた誇りをのべた。
 広島市の被爆者で原爆詩人・峠三吉の親族にあたる下田禮子氏は、峠が官憲に睨まれながら開いていた「われら詩の会」にも参加していたことを振り返り今後の原爆展運動の発展に期待を寄せた。
 ここで、劇団はぐるま座が寸劇「長周新聞創刊五五周年を熱烈に祝賀する――新しい時代精神を! 『峠三吉・原爆展物語』より」を上演。『原爆展物語』を創造する過程の教訓や、リアリズム演劇の力に対する確信がいきいきと演じられた。
 劇団はぐるま座を代表して近藤伸子氏は、『原爆展物語』の創造・普及に取り組むなかで、「大衆の中から大衆の中へ」の路線を具体的に学んだこと、「日本を変える力ある運動をつくるために劇団員全員が団結し邁進する」と決意をのべた。
 在日本朝鮮下関商工会顧問の厳潤徹氏の挨拶の後、下関原爆被害者の会を故・吉本幸子会長とともに再建してきた石川幸子副会長、原爆展を成功させる広島の会の重力敬三会長、同じく同会の高橋匡副会長、同会の石津ユキエ氏と発言が続いた。この日に90歳の誕生日を迎えた重力氏が「平和日本を実現するためにがんばろう! アメリカの占領政策をうち破ろう!」と力強くのべると、会場から大きな拍手が沸いた。
 全国各地から十数人ずつ祝賀集会に結集した人人の姿も目立った。原爆展を成功させる長崎の会副会長の吉山昭子氏は、原爆の凄惨な体験を振り返りながら、「私たちが戦前、戦中、戦後の苦労のなかで培ったものは思いやりの心と優しさだ。平和教育がいかに大切か、戦争が悲惨かを今後も話し続けていきたい」とのべた。
 同じく原爆展を成功させる長崎の会の河邊聖子氏も自身の被爆体験を語った。「長周新聞が一生懸命しているように、この国を変えるためにがんばって、アメリカにはお引き取り願おう」と訴えた。
 沖縄から参加した15人を代表して挨拶に立った屋宜恒一氏(沖縄市民生委員児童委員協議会会長)は、2004年に長周新聞社と劇団はぐるま座が沖縄に訪れ、島内の隅々で原爆展を開催した活動で沖縄戦がなんだったか、真実を初めて認識したとのべ「秋に『原爆展物語』が沖縄に来る予定なので、大成功させる」と語った。原水禁沖縄県実行委員会の源河朝陽氏、被爆者の比嘉幸子氏、サイパン戦を経験した和宇慶朝太氏らが一言ずつ挨拶した。
 基地の街・岩国からは、退職教師の村岡シエ子氏、岩国基地の沖合拡張反対連絡会議の森脇政保氏が発言に立った。村岡氏は民主党が裏切っていくなかで、基地撤去を求める市民の思いはさらに大きなものになっていることをのべ、「長周新聞は助産婦であり、人民をつなぐ鎖です。考える葦としてわたしもがんばりたい」とのべた。
 その後、劇団はぐるま座団員が壇上に上り、礒永秀雄が長周新聞創刊20周年に寄せた詩作品である「新しい火の山に想う」を朗読した。
 つづいて、28年にわたって上関原発計画とたたかってきた上関町祝島の有志から届いたメッセージが現地担当記者から読み上げられた。
 その後発言した下関市中学校PTA連合会会長の海原三勇氏は「60周年に向け邁進してもらいたい。私たち読者の使命は自分の周りから一人でも多くの人に長周新聞を広げていくことだと思う」とのべた。
 下関で老人休養ホーム・満珠荘の早期再開を求める10万人署名をとり組んできた利用者の会世話人代表の松崎恵美子氏、ゴミ袋値下げ10万人署名を取り組んだ下関市民の会の柿田多加子氏、同市民の会で活動している若い母親の中村真央氏と発言が続いた。
 鹿児島県姶良市から参加した有馬昭人氏、名古屋で原爆展運動を続けている矢神繁氏、宇部市・小学校教師の佐藤公治氏と発言が続いたのち、下関の山電労働者として、60年「安保」時期に福田主幹の指導のもとで労働運動を担った吉田晋一郎氏が発言。「私鉄の三池」といわれた大斗争をたたかうなかで経済主義を克服し、佐藤訪米阻止の政治ストライキに決起した経験を昨日のことのように振り返った。「いまだに日米“安保”によって支配されている。日本社会を担う労働者階級が日本の未来を担う斗争に決起することを願ってやまない」とのべた。
 集会は終盤になるにつれ、会場の熱気が高まった。劇団はぐるま座の富田浩史氏のスピーチのあと、長周新聞社勤務員が舞台に上がり、「花を贈ろう」を合唱。さらに劇団はぐるま座団員が同志として登壇し、長周新聞社勤務員と共に「民族独立行動隊」を合唱した。最後に会場全員で「がんばろう」を声高らかに歌い、今後の奮斗を決意しあった。

トップページへ戻る