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戦争阻止する揺るぎない力
2015年原水爆禁止8・6広島集会
             体験に根ざし若者が前面に    2015年8月7日付

 原爆投下から70年を迎えた広島で6日、2015年原水爆禁止広島集会(主催/原水爆禁止全国実行委員会)が開かれた。1日から広島県民文化センターでは第14回広島「原爆と戦争展」が開催され、平和公園ではキャラバン隊による街頭「原爆と戦争展」が連日とりくまれてきた。4、5日にかけては広島市内で「アメリカに原爆投下の謝罪を求める署名」がとりくまれ、市街地には宣伝カーが走るなど、広島市民や全国から広島を訪れた人人のなかで強い印象を与える70年目の8・6行動となった。集会には、全国各地で原爆展運動を担ってきた人人や広島市民、原爆展参観者やアピールチラシを見て駆けつけた人人などが、昨年をはるかに上回る規模で結集した。若い世代が多く参加したのも特徴で、全広島を代表する運動として段階を画して発展していることを確信させた。
 2015年原水爆禁止広島集会は、集会参加者全員で原爆犠牲者に黙祷を捧げたのち、事務局の川村なおみ氏が集会の基調報告を提案。その後発言に移り、広島、長崎、下関の被爆者が発言した。
 原爆展を成功させる広島の会の宇都宮満枝氏は、5年生のときに知らぬ間に戦争に巻き込まれ、貧しい生活を強いられてきたあげくの原爆投下であったと語った。祖母と叔母は家の下敷きになって焼け死に、別の叔母も背中にひどいやけどを負い、弟も体の右半分をやけどし、そのケロイドでひどくいじめられ、つらい経験をした。自身は14歳で看護にかり出され、グラウンドに掘られたプールほどの穴で毎日のように遺体が焼かれたことを語った。「この年まで生かされているのは、戦争の愚かさ、原爆の恐ろしさを一人でも多くの方に伝えるようにとの天からの命令だ」と語り、70年を経た今、国民の生命や財産を守る責任があるはずの政府が、独裁者的にこの平和を壊していることへの憤りをのべた。子どもたちに語りに出向くなか、みな100%が戦争反対であるとし、今の若い人へ「すべて他人事とせず“自分事”として情報を得てほしい。人のために自分になにができるのかを考えてほしい」と強く訴えた。
 長崎の被爆者の深松キミ子氏は、11歳で被爆した経験をのべた。友だちの家に遊びに行っているときに被爆し、小さな穴から這い出て家族を探した。家の下敷きになっていた弟を引っ張り出したが腰から下に大やけどを負っており、父親に抱かれ「痛いよー」と泣きながら二時間後に亡くなった。やけどを負いながら翌日帰ってきた兄と姉も10日、11日に続けて亡くなった。半年後には自身の身体にも原爆の影響があらわれ、そのことで学校でいじめられた。「広島、長崎のようなことがあってはいけない。こういう体ではあるが頑張りたい」とのべた。
 下関原爆被害者の会の大松妙子氏は、70年前、一部の者の野望のために幾十万の尊い命が奪われたこと、そのアメリカによる戦後の植民地支配のもとに、安倍政権がアメリカの意のまま、国民を欺いて平和を覆す法整備や原発再稼働に突き進んでいることへの深い怒りをのべた。二一年前に下関原爆被害者の会が設立され、長いあいだ語ることのできなかった思いを語ることができるようになった喜びをのべ、下関から始まった原爆展運動が広島、長崎、沖縄へと広がり発展しており、「原爆被害者の会もその一員であることを誇りに思う」とのべた。そして「私たちは、あの荒廃のなかから立ち上がり、平和を築いて下さった親たち、先輩たちのためにも、平和を覆す者とたたかう」と力を込めた。

 各地の取組の報告 職場地域の人人と共に

 ここで、「広島に学ぶ小中高生平和の旅」の小中高生約100人が登壇し構成詩を発表。前日から広島に来て被爆者に学んだ感想や学校での活動を報告し、命をかけて思いを託す被爆者に学び、活動をさらに強めていく決意を堂堂と発表した。
 北九州の小学校教師の林田正人氏は、教師の使命に立って「教え子を再び戦場に送らない」教育が今こそ求められていると明らかにし、文科省の進める「自分さえよければいい」という個人主義の教育ではなく、「みんなのために」頑張る子どもを育てる教育を、子どもたちの平和な未来のために巻き起こしていく決意をのべた。
 沖縄のパート労働者の比嘉利津子氏は、米軍基地撤去の世論が圧倒する沖縄県民の息吹を紹介。沖縄県内各地でとりくんだ「原爆と戦争展」や、職場での署名活動を通じて出された、県民の米日政府に対する深い怒りや思いに学んだ経験を報告した。
 続いて、米軍基地のある岩国から森脇政保氏が発言。岩国でも米軍基地増強が急ピッチで進み、厚木基地の空母艦載機部隊の移転、米国本国以外では初めてとなるF35B10機を配備するなど、戦争を想定した動きが進んでいることをのべ、このなかで戦争体験に根ざした積年の怒りが岩国市民のなかでも噴き上がっている状況を伝えた。それは、原爆と戦争展運動のなかでも強くあらわれており、基地撤去と同時に沖縄との連帯を市民が強く求めているとし、安保関連法案に反対する大きなうねりと合流し、各界各層の人人と団結した運動を広げていく決意をのべた。
 「原爆と戦争展」を成功させる岡山の会の中井淳氏は、岡山大学で教授や学生の協力のもとで原爆と戦争展を開催してきたこと、その後各地の原爆と戦争展も学生や市民の協力で成功させてきた経験を報告した。
 ここで、原爆と戦争展運動にかかわる若い世代が登壇して発言した。
 広島の大学生の上田葵氏は、広島大学内でおこなわれた「原爆と戦争展」をきっかけに、同展の運営にかかわるようになったとのべた。さらに、そこに来た参観者の声を聞き、平和のために務める活動をしていきたいという思いを強くしたとのべた。
 広島の高校生である宮本栞菜氏は、昨年夏に演劇部に劇団はぐるま座が『峠三吉・原爆展物語』の宣伝に来たことをきっかけに原爆と戦争展を訪れ、その内容に驚き、広島に住んでいながら知らなかった事実に衝撃を受けた。『峠三吉・原爆展物語』に勇気をもらい、語り部になって多くの人人に被爆者の思いや体験を伝えていきたいという思いを強め、そのために今行動に移しているとのべた。まだまだ県外では戦争や原爆のことが知られていないと知り、「できる限り被爆体験を聞き、後世へ伝えていきたい」と発言した。
 長周新聞社勤務員として原爆展キャラバン隊のスタッフを担ってきた鈴木彰氏は、年間を通じて平和公園で街頭「原爆と戦争展」を開催してきたことを報告した。そのなかでつかんだ、若い世代をはじめとする人人の思いや問題意識を紹介した。漠然とした戦争反対ではなく、どうしたら戦争を止めることができるのか真剣に考える若者が増えていること、とりわけ2月の「イスラム国」人質問題や安保関連法案が審議入りした夏場にかけて、人人の意識が鋭さを増し、論議が白熱している状況を伝えた。また、安保関連法案に反対する行動が盛り上がるなかで、東京・国会前行動に長周新聞社として号外を携えて行ったこと、強行採決が予想される9月に首都圏で街頭原爆展を開催することを報告。人人のなかに根を張って戦争阻止の世論と運動を強めていく決意をのべた。
 発言の最後に、劇団はぐるま座の富田浩史氏が、『峠三吉・原爆展物語』のとりくみを紹介。観劇した大学生、高校生が「自分たちもなにかしたい」と意識を高め運動の担い手として行動していることを話した。また九州・沖縄で公演し、11月に下関で公演が予定されている『礒永秀雄の詩と童話』も、現状を変えていく力にしようととりくみに熱がこもっていることを報告。文化の力で戦争を止めようと大きな期待が高まっているとのべた。
 集会の最後に広島大学の学生によって集会宣言が読み上げられ、市街へデモ行進にくり出した。

 峠三吉を群読し行進 沿道の市民温かい支持

 デモ行進では、平和の旅の子どもたちが先頭にたち、峠三吉の「序」「八月六日」を元気よく群読しながら行進。「広島・長崎の新鮮な怒りと戦争の真実を、若い世代に、全国・世界に伝えよう!」「アメリカは原爆投下を謝罪せよ!」「原水爆の製造・貯蔵・使用を禁止!」「安保関連法案反対!」「自衛隊を米軍の下請軍隊にするな!」「中国・朝鮮・アジア近隣諸国と敵対でなく友好を!」のスローガンに、沿道の市民からは温かい支持が送られた。沿道で手を振ったり拍手を送る婦人や親子連れ、スマホやカメラで撮影する若い世代など幅広い層の注目を集めた。
 デモ行進に向かって、「集団的自衛権反対!」と叫ぶ中学生、「アメリカに対してこんなにはっきりいうデモは初めて見た」「今の国会はおかしい。もっとも再教育が必要なのは国会議員だ」「安倍首相は今日の平和式典によく来れたものだ」など、安保法制の強行採決に怒る市民から声がかけられたり、デモと一緒に歩く人の姿も見られた。アピールチラシを積極的に受けとる沿道の市民が多かったのも特徴だった。全広島を代表する運動勢力として大きな存在感を示す8・6行動となった。さらなる奮斗を誓い合って参加者は全国に散らばった。

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