トップページへ戻る

セウォル号沈没事故が示す教訓
乗客の安全ないがしろの市場原理
               他人事で済まぬ日本社会の実態    2014年4月23日付

 韓国の珍島沖で旅客船「セウォル号」が沈没し、乗客270人以上が行方不明になるという大惨事が起こった。過積載だったことが事故原因としてあげられ、固定されていなかった積み荷が崩れ、バランスを失って急旋回したことや、25歳の三等航海士に操舵させていたこと、乗客を救助しなければならないはずの船長や船員は我先に逃げ出して助かったことなど、通常では考えられないような事実が次から次へと明るみに出ている。90年代末に通貨危機を経験した韓国では、その後IMFが乗り込んで市場原理改革を徹底し、金融資本が経済活動の頂点に君臨したもとで各種の規制緩和が実行されてきた。非正規雇用大国と呼ばれるほど階級格差は拡大し、過当競争によって低運賃や低賃金がはびこり、それが労働のモラルすら崩壊させていること、今回のような過積載・海難事故もそうした社会的構造と切り離すことはできない問題であることを浮き彫りにしている。
 
 契約社員だった雇われ船長

 急旋回した原因は過積載だったことが、その後の関係者の証言から明るみになっている。「舵を切って荷崩れした」というのは二次的なもので、既に傾いて航行していたという目撃証言も出てきている。「セウォル号」は燃料が下層に積まれており、航行して燃料消費すればなおさら傾きやすい構造であることや、復元力がなく、しかも傾いた状態だった事から少し舵を切っただけでいっきに急旋回した事などを専門家は指摘している。
 ひどすぎたのが事故対応で、船長や船員の船乗りとしての資質の劣化も暴露した。乗客には「動かないように」と指示しながら、みずからは逃げ出すというあり得ない対応となった。救命ボートを出したり、最後まで乗客の生命を守るために身を挺するという、船乗りとしての社会的使命感や責任感が乏しい姿をさらした。
 本来なら傾いている船を停船して復元しなければならないのに、アンカーを打って船体を立て直すわけでもなく、そのまま航行していたり、韓国沿岸では有数の難所を未熟な三等航海士に操船させていたり、最終的にはひっくり返ることを判断して乗客を救出しなければならないのに、その対応も後手後手だったことなど、航海や船舶の知識についてどれほど持ち合わせていたのか疑われるような事実ばかりが露呈した。
 過積載について、船舶会社がみずから発表している数値だけ見ても、事故当時の「セウォル号」には乗用車124台、1dトラック22台、2・5d以上の貨物車34台、貨物1157dなど合計3608dの車両や貨物が積まれていたとされている。さらに、50d以上する大型トレーラー(20dの鉄製タンクを搭載)を3台積んでいたことも、救助された運転手の証言から明らかになっている。乗客数は定員の半分だったが、船会社の自己申告による車両数だけでも30台超過していた。こうした過積載の取締はおこなわれておらず、海運会社の判断に委ねられていることも明らかになった。
 一回の航海で大量の人員や貨物を運べば、企業経営にとって利益効率は上がる。船長や船員たちの航海のプロとしてのモラル崩壊もさることながら、船会社の経営体質や責任、体制についても究明が避けられない。

 過半数が短期契約社員 技術軽視が横行

 船長は1年契約の契約社員で、給料は日本円に換算して26万円(同業他社の6〜7割)だったこと、本来の「セウォル号」船長は休暇中だったことも明らかになった。韓国最大級の旅客船2隻を運行している船会社だったが、経営が悪化して正規社員を減らし、船長も契約社員の非正規雇用に切り換えていたとされている。「セウォル号」の全乗務員のうち半数以上が6カ月から1年の契約社員で、船長、航海士、操舵手、機関士ら運行に重大な責任を負う船舶職15人のうち9人が契約社員だった。船舶運航の統制にもかかわる問題で、契約社員の船長が無謀な過積載を断れない関係だったことも容易に想像がつく。厳しい労働条件のもとで労働者としての誇りや責任感、使命感が抜き去られ、ムリな航行に甘んじて最後は自分だけが逃げる。労働の荒廃や船員モラルの崩壊についても重要な問題を投げかけている。船員なら船員の労働者としての誇りを回復しなければ安全も何も守れないことを突きつけている。
 「セウォル号」は94年に日本で建造された中古フェリーを2012年に購入し、改造したうえで使用していた。船齢は20年で、いかに経営効率を求めた会社経営がやられていたかをあらわしている。韓国は造船大国で、釜山港は世界最大のコンテナ港として知られる。造船大国でありながら、その船舶運航を取り巻く環境は運賃のダンピング競争にさらされ、過積載でもしなければ経営がやれないほど過当競争が強まっていたこと、規制が撤廃されて非正規雇用がはびこり、技術軽視が横行していたことも、今回の海難事故の背景にある。

 バスやJRで事故頻発 共通する日本社会

 市場原理で安全規制を撤廃することがいかに犯罪的なものであるかを「セウォル号」沈没事故は示した。同時に、それは韓国に限った話ではなく、共通の土壌を抱えている日本社会にとっても、決して他人事といえる代物ではない。
 隣国で海難事故が騒がれている折に、日本国内ではまた高速バス事故が引き起こされた。乗客を乗せた高速バスの事故や無謀運転が「またか…」と思うほどくり返される。今回、名神高速で事故を起こしたバスは、運転していたのが社長本人で、従業員を雇う経済力もなく非正規雇用で回したり本人みずからがハンドルを握るなどし、過去に何度も行政指導が加えられていたことも明らかになっている。
 2000年に規制緩和されて以後、バス業界は大きく変貌し、旅行会社が格安運賃で運行させる新規参入組が急増した。下請のバス会社は消耗する車体の整備にもカネをかけられず、安売り競争のもとで安全を犠牲にし、非正規雇用の運転手を酷使してきた。過当競争にさらされ、労働現場が安全を確保できないところまで追い詰められている関係は、韓国の産業構造とも共通している。
 107人が亡くなったJR尼崎線脱線事故では、経営効率を追い求めるJR西日本の殺人経営が問題になった。JR北海道では列車の整備不良や歪んだレールが問題になった。国鉄分割民営化から30年がたって鉄道事業がまるで私企業化されてしまい、かたや都会のドル箱路線を持っているJRが不動産商売にまで手を染めるなど急成長を遂げながら、一方では鉄道管理の能力すら疑われる事態に行き着いた。国労が解体されるなど労働運動の力が弱まるなかで、鉄道輸送を担うJR職員は半減。「鉄道員(ぽっぽや)」の誇りは線路の安全を守ることにあるのに、強烈な人減らしがやられ、保線を担う現場の仕事はみな下請や孫請を酷使する外注化が進むなど、利潤追求と安全担保が共存できず大きな矛盾になってきた。
 鉄道だけでなく航空、トラックやバスなどの輸送手段、高速道路にいたるまで、安心して乗っていたら知らぬ間に死んでいたという事故が他人事ではない。NEXCO中日本が管理する中央自動車道では笹子トンネルの天井が崩落し、9人が犠牲となる前代未聞の事故も起きた。原発は「安全神話」を自慢していたのに爆発し、放射能をばらまいて収拾がつかない。各地のコンビナートで爆発事故が絶えないのも、労働現場の人員削減を原因にしたものが大半を占めている。公共性を否定し、社会にとって有益であるか、安全であるかを二の次にして、反社会的な企業利益だけを追い求めていく新自由主義改革路線の犯罪性をあらわしている。
 「小さな政府」路線、すなわち新自由主義改革によって公共性のある自治体業務や施設の管理運営も軒並み民間開放し、企業の利潤追求や競争性に委ねる動きも活発になっている。人件費カットでワーキングプア状態はますます広がり、公共性と切り離れた企業管理のもとで過重労働が横行し、労働者も素人化する関係となっている。

 労働の誇り回復が急務 社会潰す資本原理

 極端な安全無視、効率経営がめだち始めたのは、90年代以後の規制緩和と小泉構造改革がおこなわれてからで、カネもうけ一本槍で社会的有用性や役割など否定して、ひたすら利潤を追い求める企業経営、自由競争に火がついた結果にほかならない。労働者に対して過酷な合理化を実施し、社会の役に立つという労働本来の目的を否定し、労働者の誇りをじゅうりんしてきたことに最大の特徴がある。「社会のため」「安全のため」につくられた規制を「企業のもうけのため」に破壊し、あるいは民営化して横暴に振る舞う。その産業資本の上には金融資本が君臨し、株主の利益のために尻を叩いてきた。老朽原発を稼働させればさせるほど利益効率は上がり、老朽列車や線路を使い回すことで目先の支出を抑え、非正規雇用にすることで人件費を抑え、労働現場には技術力の劣化をもたらした。労働の役割を否定した結果、考えられないような事故が頻発し、さまざまな分野で社会の崩壊状況があらわれるようになった。
 市場原理がはびこる社会では、もっぱら金融資本がもうけるために社会に対して構造改革を迫り、その阻害物となる規制を緩和させたり、撤廃していく。搾取が徹底されるのとセットで労働現場では安全がないがしろにされている。大企業天国というが要するに金融資本天国で、資本主義社会はいつの間にか物作りで成長するのではなくて、金融で成長するのだ! という詐欺経済に変貌した。
 企業利益、もっといえば金融資本や株主の利益のために社会を犠牲にする構造を転換させなければ、第二、第三の尼崎脱線事故や「セウォル号」沈没事故はくり返される。強力な労働運動を復活させ、「社会のため」に労働者みずからが力を発揮すること、強欲な資本原理を規制して、労働の誇りを回復することが待ったなしの課題になっている。

トップページへ戻る