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市議会を変えた市民の力確信
下関市民の会座談会
              市民団結の大きな喜び     2007年4月6日付

 下関では、安倍首相と直結した江島市政が市民の声に聞く耳を持たず、市民がまともに食っていけないようにしながら、箱物利権事業の暴走劇を繰り広げるなかで、それを押しとどめる市民の力がかつてないうねりになってきた。2月の市議選を経た3月議会では、江島市長や背後勢力が執念で強行に及んだあるかぽーと市有地売却議案を否決に追いこむなど、力を見せつけた。飼い犬議会といわれた市議会が市民の声を聞き、議案を否決したのである。本紙では、民主主義と生活を守る下関市民の会の兵頭典将議員と会員の人たちに集まってもらい、この間の市民運動を取り組んだ経験と教訓、さらに今後の展望などをめぐって語ってもらう座談会をもった。

 参加者
 大田 和子(主婦)
 柿田多加子(主婦)
 堅山キヌ子(主婦)
 徳村  進(兵頭典将後援会長)
 西本 和司(市民の会事務局)
 中村 良子(主婦)
 萩尾 愛子(主婦)
 兵頭 典将(市議会議員)
 本池 妙子(市民の会事務局)
 淀川 寿夫(市民の会事務局)

 司会 市議選が終わり、3月議会ではさっそくあるかぽーと撤回に追いこんだが、この間、市民運動はかなりパワーアップしてきた。みなさんの経験や率直な感想から出してもらいたい。
 兵頭 3月28日、あるかぽーと市有地の売却議案を否決に追いこんだ市民の力は、改めてすごかったと実感する。市議選もその後の議会も、市民の力が議会を動かしていった。新しい段階に入ったのだと思った。「議会のなかで小さくなっているぞ」「呑まれるな」「30万市民の代表として堂堂とやれ!」とか、市民のみなさんや長周新聞、支持者からいわれ続けた。その意味が28日のあるかぽーと議案否決まできて、ストンと認識に落ちた。これからも波瀾万丈だと思うが、チェックを受けながらがんばりたいと思う。
 中村 ゴミ袋値下げの署名もやってきたが、兵頭さんを市政に送り出したのが1番すごかったと思う。あるかぽーとが否決になったのは、議会の傍聴席を満席にしたのが大きかった。市民のみなさんが一生懸命に署名をやったり、私も朝から唐戸で行進もした。28日に否決したときは、人生のなかで1番の幸せを感じた。生きていてよかったと思ったし、すごく感激した。議会があるたびに横断幕をやった。毎日やったかいがあった。半分くらいの議員はびびって裏口から入っていった。市長はどこから入ったのだろうかと思った。市民に顔を見せられない市長というのも珍しい。署名を出すときも絶対に出てこない。
 太田 私は28日に現場にいなかった。中村さんが電話をくれて、“できるんだ!”という思いがジワジワこみ上げてきた。その場にいなかったのが悔しかった。みなさんといっしょに味わいたかった。市民の会に入って1〜2年くらいだが、はじめはあまりに小さな組織で驚いた。これで何ができるのかな? という印象もあった。兵頭さんを市議会に送り出して下関市政の状況をこれまで以上に知っていける。これは大きな収穫ではないでしょうか。1人でも2人でも仲間を増やしていったらもっと強くなる。
 萩尾 私も28日は電話をもらって、仕事場で手を叩いて喜んだ。涙が出るくらい嬉しかった。4年後は兵頭さんだけでなく、もう1人くらい出さないといけない。力が湧いてくる。以前は「市政にかかわっても何もできない」という雰囲気もあったが、みんなが力を合わせれば変えることができる。これは確信になった。
 本池 3月議会では、満珠荘の存続とあるかぽーと売却議案の撤回を求めて、連日のように市役所前で行動がおこなわれた。毎回人数が増えて迫力も増していった。最終本会議では70人くらいの傍聴者が議場を睨みつけていた。すごい圧力だったと思う。満珠荘の利用者の方方や唐戸地域の人人、たくさんの人人と交流もして、気持ちが通い合った。それが力になったと思う。団結が強まって、しっかり腕を組んでやれたと思う。もっともっとやれる。

 動かす事できると実感
 柿田 60歳を過ぎてから市政の運動に関わるようになった。このままジッとながめていてはいけないと思い始めたのがきっかけ。文教厚生委員会の満珠荘視察から、兵頭さんを連れ戻したときに、“ここまでしないといけないの? ひどいな”とも思っていた。しかし、色色考えてみたら、他の議員のように流れにまかせて好き放題にさせていったら、同じようになると思った。そのぐらい市民が主導権を握ってやるのが正しいのだと思い直した。市民からいつも見られていると自覚すれば、他の議員も少しは変わってくるのではないか。26対11の結果が出て“こういうふうになっていくんだ”となおのこと思った。
 堅山 私も市民の会にかかわってまだ日が浅い。給食食器の運動からだった。しかし、あの時、たかが署名であっても動かすことができるのだと嬉しく思った。そしてここまできた。兵頭さんも立派に市議会で活躍されてもっと嬉しく思う。

 下関変える力が見えた
 徳村 学校の機械警備の問題からいっしょにやってきた。あの時安倍事務所にも頼みに行ったが、「市長決裁が下りて議会も承認したものだから無理だ」と腰を折られたような気持ちだった。何をいってもダメなんだと。結局5年間で3校ずつの15校が廃止。この3月で小月小学校、豊浦小学校、文関小学校で宿直が終わりになった。市民運動が束にならないと宿直代行員30数人の力だけでは動かせないと痛感した。時を同じくして、食器の問題や学校の教育費の問題なども取り組んだ。
 私は現役でバリバリ働いていた頃、組合で鉢巻きを締めて先頭に立っていたわけではない。しかし当時、三池争議や宇部興産の争議のときには動員がかかって応援に行ったこともある。古い労働者の運動の神髄というのか、私の中にも貧乏人を幸せにしないといけない、企業ばかり儲けたらいけないという思いが残っている。貧乏育ちだったからかもしれない。「みんなでやらないとダメなんだ」というのは、そういうところからきていると思う。
 近年は署名運動もかなりやってきた。給食食器や教育費の問題はお母さんたちがすごく積極的だった。食器が入れ替わるとき、当時の中学校3年生の最後の1食を新しい食器で食べさせてあげることができた。これは学校給食の栄養士さんたちが心配してくれたものだった。彼女たちも子持ちだから、親心にはすごく感動した。梶栗駅問題にもよくあらわれているが、下関では上からの横暴な手口というのが目に余る。そういうなかで長周新聞が号外を配って真実を訴えてきた。そして聞く耳を立てて市民が行動をはじめていった。市議選では38人中の15番で兵頭さんが当選したが、市民のみなさんの気持ちが乗り移った結果だと思う。
 あるかぽーとでは、唐戸地区を歩いても、「がんばって」「ありがとうね」と声をかけてくる人が多かった。議場ではもっと大きな声で万歳をしたかった。いろんな議員さんがいるが、江島市政を批判しながら当選したら与党の自民会派に入ったり、どっちを向いているやらわからない。水風呂よりも“気持ちの良い温泉”に入りたいといってなびいていく。そこに裏話や金の話までが飛び交っていくのが常だ。議員全員に心を入れ替えて市政にとりくんでもらいたいわけだが、そこは市民がジッと見て1人1人をチェックしていくこと、何かあれば「月刊下関」(市民の会会報)に載せたり、長周新聞に取り上げてもらいたい。そうしないと、元の木阿弥になる。新市庁舎などそんなに急いでつくる必要はない。文化会館の建て替えもまた同じことをやろうとしているから論外だ。江島市政の暴走を止めさせるのは、まだまだいまからが正念場であろうし、運動が途絶えないようにがんばっていきたい。常に気持ちを新鮮にしてやりたい。
 淀川 私はあるかぽーと売却議案否決の瞬間がいまでも目に浮かぶ。議場の雰囲気そのものを市民が握っているようだった。みんなの運動が議会を揺り動かしていると実感した。下関を変えていく力が見えた。
 西本 僕は1階ロビーのモニターを見ていた。みなとまち開発の社長が傍聴していたようだ。否決の瞬間“ヤッター”といったのだけど藤井社長が肩を落として去っていく姿が印象的だった。市民の力の強さを感じた。市民の会は2000年時点では、どうなるのかと不安もあったが、1人よがりで市民の側に立っていなかったところから転換して今日にいたった。1人1人は何もできないけど、束ねてそれを代表した時の強さだと思う。

 全県全国でも注目・悲観的な議員ではなく 市民の力が圧倒
 編集局 長周新聞では最近、下関のことを扱った問題が多いが、全県、全国でも下関の運動がすごく注目されている。提案された議案が否決されるというので、すごいことだといわれる。「議案が否決されたら、港湾局長などは切腹ものだ」「市長の不信任に匹敵する」、ともいわれる。どうしてここまで動かせるようになったかだ。ハラハラドキドキの連続だったと思うが。
 全員 確かにハラハラドキドキだったね(笑)。
 本池 江島市政刷新の市民集会にむけた準備会議では、県議とか「日共」の江原議員とかが、いかに難しいかをずっとしゃべっていた。みなさんが「変えることができたんだ」とバシバシ意見を発表されて、議員さんの弱腰ではなく、“やるぞっ!”の力が上回ったのがよかった。すごく悲観的で市民にあきらめさせるような言動ばかりするので、驚いた人も多かった。
 萩尾 私はあの会議の帰りしな、議員から「あんなに市長を追いつめたら、逆にいじめられるから、うまい具合にいってあげて」といわれた。
 中村 それにしても、議場の満席がよかった。メモする真似でもいい。みんなが議場で圧力をかけないと。「あのおばさんたちがまた来た…」というくらい(笑)。
 萩尾 監視しないといけないという思いを強くした。
 徳村 議会は顔が見えないのがいけない。後ろ向きで禿頭が見えるだけ。秘密会に鍵をかけて、多勢に無勢で押し切っていくやり方だ。もっと見える形にするべきだ。コソコソせずに市民のまえで堂堂とやれ! と思う。そうすればもっと真剣になるはずだ。
 太田 北海道・夕張の存在も大きかった。「あのようになったらたいへん」、という思いがあった。連日マスコミでもやっていたが、何もかもが変わってしまって、私たち下関市民から見ても教訓的だった。

 全議員を縛った市民・与党も野党も 様変わりの監視の目
 編集局 議員にたいする圧力を市民がかけまくった。公明党だろうが保守系だろうが野党系であろうが。このさきがけになったのが兵頭議員の「満珠荘視察事件」ではないか。視察を連れ戻されたということは、議会の権威というかメンツと市民の側がぶつかっていたわけで、単純に兵頭議員1人の問題ではなかった。市議会を安倍派・林派・江島市長側がとるのか市民の側がとるのかの奪い合いだったと思う。最後にはすべての議員が市民に縛られた。兵頭だけと思っていたら、議員全員の問題になった。
 議員連中は選挙でしこたま市民から絞られた。多くの議員があるかぽーと反対をいった。しかし当選したら議会は議会といういつもの調子でいこうとした。当選したら好き勝手というわけだ。だが今度は、選挙が終わった後の議会が始まってから、市民の議員に対する縛り付けがやられるようになった。これは様変わりだったと思う。
 太田 兵頭さんには可哀想だが、あれがあったからみんなも目を向けた。
 兵頭 いま考えると、あるかぽーと否決もその流れだったと思う。
 徳村 あの時「午後の公務を放棄するのか!」といったのが「市民派」といっていた田辺議員だった。
 兵頭 「日共」の檜垣議員などは委員会視察ボイコットについて「もっとやったら懲罰だ!」といって大喜びでチラシを配った。兵頭が世界に誇る海峡を守る会の事務局をやるのがけしからんというのもあった。
 柿田 自民党ははじめから味方とは思っていないが、共産党というと、弱い者の味方という建前もあるわけで、私は「市民の味方のような顔をして、たちが悪いですね」と抗議した。
 編集局 兵頭が公務放棄だといったり、不穏当発言とかで議長から注意されたりがあった。この流れは、市民なんて選挙の時だけで、選挙が終わったら市長が強いし、議会のしきたりはすごいのだというものだ。議会というのは市民のものではないというのが常識になっている。議会は市民から選ばれたものだし、その責任があるというのがないのだ。なかでも革新系といわれる議員の頼りなさやインチキがよく見えた。あるかぽーとでも、自分たちしか反対はおらず、保守系はまったくダメだという前提で、「難しい、無理だ、あきらめるのが利口なのだ」とばかりいっていた。問題は市民が主人公だし、与党だろうと野党だろうと圧力をかけたらいうことを聞くわけだ。
 市民の会は少人数だという意見があったが、市民のなかで孤立していないし、圧倒的な多数だと思う。兵頭支持は3000票だけというものではない。投票は他の候補にしていても、数万が共感し支持している。頭数だけ多い組織というのが票読みできなかった。自分らの小さい利害だけを求めている団体というのは、少少頭数がいても少数派だ。30万市民を代表する立場を貫くならば、すそ野は広いし、はるかに強い。

 諸運動合流で勢い・全市民の利益を代表
 柿田 みんな関心を持ってきた。何党を支持しようが、どうであろうが、みんなが力を合わせていける。声をかけていた友達が二八日の傍聴に来てくれた。すごく嬉しかった。みんなが関心を持って動きが広がることに感激する。最近はまわりの人人のなかでも市政が話題になりはじめた。
 兵頭 選挙後に街頭でも市政報告をやってきたが、商店の人たちからも「議会の中がようやく見えるようになった。あきらめずに、私らもどんどん意見していこうと思う」といわれた。みんなが議会の中がわかるように、目となり耳となり、手足となり口となる活動をやらないといけないと思う。あるかぽーと勝利で、どんどんたたかっていこうと意欲が出てきている。
 編集局 さまざまな市民の運動が合流していったことで馬力も上がってきたのではないか。あるかぽーとが勝利したら満珠荘のグループも大喜びだった。市民集会では梶栗駅問題、六連島の戦時訓練や人工島問題などもひとつながりの問題として合流した。唐戸の人たちは第2の夕張にするな! とやった。自分たちだけの利害の問題ではなく、全市民の利益を代表するという運動になった。
 兵頭 下関では箱物が満載で財政が食い潰され、一方では商工業が衰退して市民生活も厳しい実情がある。この間の力相撲の教訓は大きい。市議選で当選して“万歳”で終わっていたら大間違いで、新しい段階に進んだし、その飛躍を迫られたわけだ。
 中村 議員は○期やったと威張るが、何期やってもいままで何をやって誰のために働いたのかがすべて。市民のために働いていないのなら、5期やってもその20年は眠っていただけになる。
 太田 それがいえるようになった。この間の活動をつうじて。
 中村 1年坊主でも市民のために働いた(笑)。
 萩尾 みんなが和気あいあいでやれて、明るく輪が広がっていくのが嬉しい。事務所にも中村さんみたいなチェックマンが必要。愛の鞭も必要。
 編集局 市民運動の代表を市議会に送ることがいかに大切だったかがよくわかる。全体の様相が変わった。それ以前の議会には、そういう議員はいなかった。満珠荘のノコノコ事件でも、長周新聞は兵頭議員への批判意見を書いたが、誰であってもいけないことはいけないと批判するということだ。それより程度の悪い議員についてはさらに徹底的に書くということだ。仲間だったら何をしても擁護するというのはだめだ。それはまたこれまでさんざん悪いことをしてきた者でも、いいことをしたときはほめるという関係だ。馴れ合いではなくてそういう関係でいけば、ずっと市民派でやっていけると思う。
 太田 長周新聞がなければわれわれだけではあれだけの運動はできなかった。若い人たちのがんばりもすごかった。寒い時も雪の日もバイクで動き回って私たちの方が元気をもらった。ものすごいパワーだった。

 市民の力大結集へ・市政良くする力発揮
 司会 今後の抱負などを。
 兵頭 大多数の市民、とくに事務所に来られるみなさんから市民感覚を学んでいくのが議員活動の基礎だと思う。市民生活全般についても知らないことが多い。市の財政や行政運営についてもわからないことをわかるようにして、役割をもっと果たしていきたい。
 3月議会が終わって直面しているのは、満珠荘の早期再開でみんなの思いを実現していくことがあるし、六連島の実動訓練などにも戦争体験者の怒りは強い。どのようにして全市民的な運動にしていくかだ。文化会館建て替えの再入札には再び安倍首相縁故企業の三菱商事中国支社がエントリーするようだ。犬猫安楽死施設やペンギンハウスは予算案が通過したが、市民はいらないといっている。箱物利権事業をやめさせないといけないし、下関を第2の夕張にしてはならない。
 徳村 選挙で郡部を回ったとき、「合併させられた」という思いがあちこちで語られていた。豊浦4町にも行って、議会報告をしないといけない。もっと知らせていかないといけない。選挙のときだけ頭を下げて、あとは知らん顔というのではいけない。市民の会は、下関全体に声をかけて、いっしょに運動を取り組んでいかないといけない。
 中村 私は市民の会の会員をもっと増やさないといけないと思う。いざというときの力が違う。
 堅山 私も市民の会を増やしたい。もっとたくさん。みなさんと協力してがんばりたい。
 太田 私利私欲でなく、純粋に団結してやっていけること、それをやって力を広げていけたらと思う。
 柿田 「月刊下関」や長周新聞を読んでもらって、いろんな人とかかわりを広げたい。そうすれば知らないことも知ることができる。読めばみんないっしょの思いだと思う。私利私欲の人はそんなに多いわけではないし、みんなと力を合わせてやっていけたらと思う。
 本池 市民の思いを代表して兵頭さんも最終本会議でやった。議会のなかで堂堂と市民の代表としてがんばることと、外では30万人市民のなかで力を広げていくことが大切だと思う。事務所には毎日たくさんの人が来られる。江島市政を変えるために、もっともっと強くなっていきたい。
 編集局 下関でやられていることは全国から見て普遍性がある。安倍首相の地元で市民が市をよくする力を発揮していることが全国を激励している。江島市政の全体としての方向は、箱物利権をやって、ワザとでも財政をパンクさせ、北九州に身売りして自治権をなくし、人工島をめぐる大規模な都市改造で軍港・軍都にする方向だ。そんな方向ではなくて、下関の発展というのは、水産、造船・鉄工などの産業だし、商業、貿易などが発展の原動力だと思う。何をやっつけて下関をどのようによくするのかをもっと鮮明にしていきたいと思う。
 司会 それでは今日はこのへんで。

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