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市民運動を強めることに展望
下関市議会議員議選挙
               落選争いの引き算選挙     2011年1月10日付

  1月23日に告示を迎える下関市議選まで2週間と迫っている。この間、市民のなかでは街の経済が疲弊しきっていることや雇用がなく息子、娘たちや若者に行き場がないこと、農漁業、製造業をはじめ産業の衰退ぶりが深刻な問題として語られ、この立て直しを求める世論が大きく高まっている。14年来の江島市政さらに引き継いだ中尾市政とオール与党市議会のもとで、下関食いつぶしの略奪政治を継続させて街をつぶしてしまうか、それを規制し、市民の力を束ねて産業を振興させ、市民生活を守り、立て直しに道を切り開くかが、鋭い争点になっている。安倍、林代議士のもとで全国でも稀なる新自由主義市政が実行され、市長も市議会議員も個人ビジネスとなって、市民のため、下関のためという公益も公共性もくそ食らえとなってきた。この現状を変える力はどこにあるか。選挙戦の現状とあわせて考えてみた。
 選挙が近づくなかで、「これまで経験したことがないほど静か」といわれてきた前哨戦にも動きがあらわれ始めた。年末年始には複数の候補者が民家にチラシをポスティングしたり、雨のなかで辻立ちしたり、参拝客目当てに神社の前で演説したりのパフォーマンスを繰り広げる様子が語られてきた。新聞折り込みで「期日前投票できます」と訴える候補者もあり、汚い顔をした顔写真のしおりが出回る。魚市場の初競りには候補者たちがたくさん姿を見せ、船主たちは「選挙の時だけ顔を出す…」とあきれた。
 一般の有権者のところでは、年末年始に至るまで、選挙が近づいているのに候補が回ってくるわけでもなく、また候補者そのものへの期待が乏しいこともあわさって、シラケた空気が覆ってきた。「いつ選挙があるのですか?」と尋ねる市民も少なくない。水面下に潜伏したまま候補者の姿は見えず、「誰に投票するか?」となると、冷めきった状況が進行してきた。住民のところでは一月になっても、「誰も何もいってこない。異常なほど静かだ」の声も多い。候補者の表向きのパフォーマンスはやっているが、住民への浸透はまだまだ低レベルで、空中戦の様相となっている。
 大きな特徴は、地元の会合や出向いた先先で、どの候補も「住民に対してどうして横柄になったのか」「仕事を何もしないではないか」「自分をお願いしますばかりで、下関をどうしたいのか」「満珠荘の10万人もの署名を無視して市民の市議会ではないのか」「1000万円の給料は多すぎる」などと有権者からきつい追及を受けたり、怒られているという話がめだっている。住民のなかに浸透しない、静かというなかには、どの候補者も住民の怒りを恐れているというのが第一の特徴となっている。
 「示し合わせたように候補が動かない」といわれるなかには、もう一面で、候補者の立候補段階で少数に絞り込む力が働き、落選数が絞られ、あまり市民のところを刺激しないでサッと選挙をやって、現存議席を確保するというような、選挙のコントロールが働いている。豊田、菊川、豊北町など旧郡部3町では、安倍派の新人・現職が1人だけで票田を独占する状態となり、「出たい」者も出馬させない力が働いた。ベテラン組でもまだ出たい議員たちが引退となった(現職八人の引退)。出たい新人も制限され、出るのは安倍派・林派の少人数の新人だけとなった。明らかに自民党のコントロールのもとで、「少人数選挙」の構図となっている。
 今回の選挙から4議席減の34議席に定数が削減される。このなかで立候補者は新人を含めて43〜45人前後と見られている。59人が38議席を争った前回選挙と比較しても激減。落選するのは9〜10人程度となる。このなかで「落選候補はだれか」が各陣営では大きな関心で、ざっとあげても14〜15人の名前が軽くあげられている。落選者が決まれば、あとは自動的に当選するという、「引き算型選挙」である。
 自民党安倍・林派をはじめ保守系議員の嫌われ方はひどい。公明党も「クリーンな政党」のポスターだが、汚れ議員が評判になった。かつて下関市議会で幅を効かせていた企業代表の連合も落ちぶれ、JR西日本社員の山下(社民党)のほか、神戸製鋼社員の菅原だけとなった。「日共」市議団もこの4年間で満珠荘問題をはじめ市民運動つぶしのイカサマぶりが暴露され、支持者は減っているのに票は増やさなければならないと必死の様を隠さない。選挙は、前回よりも当選ラインが引き上げられ、3000票近く必要という計算になる。これは投票率が同じという計算であり、選挙不活性で投票率が下がれば嫌われた落選候補も当選ラインが下がってホッとする関係となっている。
 各政治勢力の自力での票掘り起こしは低調であった。その成績ぶりを見て、安倍、林事務所などの組織動員割り振りの腕の見せ所になると思われる。今回選挙から三菱が企業候補の擁立をやめ、JR西日本も企業として全面バックアップしてきた定宗氏にかわる候補者はいない。その他に銀行票、諸団体、宗教団体など、動員できる管轄票を割り振って紐付き議員を確保する。
 直前まで各候補が動かず、ほぼ決まったような調子で動いている異様さは、あまり市民世論を焚きつけないようにして投票率を下げ、組織票の有効度を上げて、現有の飼い猫議員の数を確保しようという意図が見える。しかし各組織票も、社長は動員できても従業員まで動員できるかどうかわからない。非正規雇用が多く、下請も買いたたかれて、世話になっているという実感がない。某事務所の当落予想もハズレてばかりなのだというのも語られている。
 このような選挙コントロールの下で、そういう仕掛けを施した勢力を震え上がらせる選挙にできないものか、市民は切望している。

 市政の向き転換へ熱気 市民の怒り充満

 市民のなかでは、現有議員や中尾市政にたいする強烈な怒りがあらわれている。登場した顔ぶれを見ながら、態度を決めていくすう勢が強まっている。その怒りは、「公」の仕事に就いているにもかかわらず、下関をどうしたいのかが何もなく、市民のために何も考えていないこと、もっぱら自分のための議員商売になっていることである。「借金があるから議員をやめるわけにいかない」「飯が食えないから出馬する」などと平然と口にする者までいることに驚く市民も多い。議員の常識は市民の非常識になっている。報酬1000万円で飼われた職業議員の実態や「入れたくないと思う候補が多すぎる」と論議になってきた。
 このなかで、「放置していたら下関はつぶれるではないか」という思いが語られ、どうすれば現状を打開することができるか、市政の向きを転換させることができるのか、熱気を帯びた論議が発展してきた。
 「商店に客がいない」「仕事がなく雇用がないから買い物をしない」「経営責任といって農業や林業、漁業をつぶしたら日本社会がつぶれる」「製造業も海外移転で空洞化するが、若者に職がなければ子どもも養えず社会が滅ぶではないか」「技術継承もとぎれていく」「競争力とか市場原理というが、産業が社会の基盤であり、それをつぶす制度や政治の方が絶対に間違っている」「産業とそれを担う労働力が社会を支える根幹であり、産業振興、雇用確保を何が何でもやらなければならない」などが熱く語られてきた。
 下関では自民党政府から民主党政府に引き継がれた市場原理、新自由主義改革の政治が、安倍晋三元首相、林芳正代議士の代理市政を続けてきた江島、中尾市政を実行者として推進され、全国先端の寂れ方をしてきた。
 地域を活性化させるのは金融機関が儲けることではなく、産業であり体を使って働く者であり、農林業、水産業、造船、鉄工などの産業が基幹となって、現金収入が循環することで下関の街を栄えさせてきた。ところが近年の市場原理政治は、これらの産業を競争力がないからつぶれるのは当然といって切り捨ててきた。また、市外発注や大型店誘致を繰り返して現金収入を大都市に巻き上げさせ、商業や建設業なども衰退するにまかせた。異常なるダンピング政策によって、首つりや倒産に追い込まれた企業はおびただしいものがある。
 そしてやったことは、教育や医療、介護、社会福祉など公的な責任の放棄であり、毎年のように予算カットを繰り返し、保育料値上げ、水道料値上げ、満珠荘のような老人福祉切り捨てと民間企業への売り飛ばしなどが強行されていった。市が所有する施設の民間業者への委託、すなわち売り飛ばしも拍車がかかった。そして市役所の1年契約の月13万円ほどの嘱託職員が900人にもなっている。市立大学や中央病院の独法化など、公共性や社会性を恥も外聞もなく放り投げて突っ走ってきた。産業破壊、雇用切り捨てが市税収入もないようにし、市役所の機能が崩壊しているのである。
 一方では大型箱物利権をはじめとした市外発注が繰り返され、大型店を誘致して現金が市外に流れ出すのとセットで街全体が寂れた。人工島に750億円、今後はさらに駅前開発に150億円、新庁舎関連に200億円、博物館、長府浄水場の施設更新にも必要以上の250億円を投入するといって水道料の値上げになった。人工島・関連道路などでドブに捨てた1000億円近くが街の振興の為に使われていたら、どれだけ下関の様相は変わっていたかである。
 産業振興や教育、社会福祉に金を使うのではなく、中央から箱物利権を引っ張ってきて特定の代議士紐付きの市外業者に斡旋して一部の者が利益を得る。あるいは駅前開発、それにともなうマンション・バブルなど、需要がないなかでの銀行主導の不動産バブル奨励であった。川中、伊倉など新下関駅前の開発や区画整理など、必要以上の市街地開発や箱物を行政にやらせて儲けてきたのが山口銀行であった。また商店をなぎ倒し、生産者を買いたたき、無責任に撤退して買い物難民をつくる大型店乱立が、「開発」や遊休地利権とセットで奨励された。
 人為的な略奪政治によって下関は寂れてきた。下関の産業をつぶし市民経済が寂れた結果、貸出先がなくなった山口銀行は北九州や広島に出稼ぎに行くことになり、市役所は税金収入が減って倒産の道をたどり、毎年のように市税収入が10億円単位で激減。それを補うといって5年間で60億円もの取り立てや差押えをやってきた。
 怒りの世論によって安倍代理の江島市政がたたきつぶされると、「満珠荘を存続させる」「市役所建て替え撤回」「市外発注を改める」などといって中尾市長が登場し、へっちゃらで公約を破棄。市政トップの首がかわっても、まったく同じことをやり始めることへの怒りが充満することとなった。選挙で公然と嘘をつく、民主党・菅直人よりも先んじて下関では公約裏切りの政治が実行されてきた。
 市長が安倍・林代理、山口銀行の代理人になり、市議会が飼い猫状態で市民を代表するものがいない。昨年12月、人口の3分の1にあたる満珠荘存続を求める10万人署名を屁とも思わないで踏みにじっていく姿が、市民の声を聞き市民のために働く意志のない暴走政治を象徴するものとして、市民の怒りに火をつけた。

 国を潰す政治との対決 産業振興・公益軸に

 下関をつぶすか、立て直すか、略奪政治を許すか、産業振興・雇用確保と市民生活擁護かが選挙の最大争点となっている。全国的、世界的な普遍性をもって、下関で典型的にあらわれている政治を転換させることが、待ったなしになっている。
 産業がつぶれれば、国も地域もつぶれる。なにがなんでも保護しなければならないものである。ところが国政を見ても「このご時世なのだから海外移転しなければ」という政治がTPP導入となり、農漁業の壊滅や製造業の海外移転や外国人労働者の受け入れとなってあらわれ、国民がどうなろうが資本だけ生き延びるといって、真っ向から国民との対決になっている。民族的な基盤を捨て、外国を飛び回るばかりの根のない資本が持つわけがない。
 社会が成り立たなければ利潤追求の源泉は枯渇し、社会がパンクしてしまうのは当然の原理である。産業をつぶす市場原理主義の方を改めなければ、国も地方も発展の展望はない。一部の者の好き勝手な利益追求の自由か、公共性・社会性かが鋭い対立になっている。
 市民のことはどうでもよく自分の損得しか考えないろくでもない議員がはびこり、安倍、林代議士の支配の下で略奪政治が暴走する。これはどうしようもないのか。これを突き破る展望を開くかどうかがこの市議選の最大関心となっている。
 市議会を市民を代表するものにしなければならない。しかし金力、権力総動員の選挙構図のなかで市民代表が議会で多数をとることはあり得ない。現有議員はみな飼われているが、議会を通じて政治が変わることはないのだ。市政、市議会を動かす原動力は、市民の直接の世論と運動であり、それしかない。
 選挙となれば、「地域の代表」「企業の代表」「団体の代表」という形で、つまり個別利害の奪い合いという形でおこなわれてきた。要するに議会政治とは大小の利権政治なのだ。そして大きな略奪政治は横行して下関はつぶれ、全市民が困る状態になった。産業を保護し、雇用を確保するという課題は、直接の農漁業者、製造業者、労働者だけの問題ではない。商店や下関全体を成り立たせるための共通の問題である。個別利害優先ではなく、全市民共通の大きな利益で団結し、それを破壊する大きな略奪政治とたたかうという方向で市民の力を結集しなければ、下関はつぶされるという現実が明らかとなっている。
 市民の力を下関を変えるものにするには、「日共」集団のインチキを大いに暴露することが不可欠である。かれらは、「下関をこうする」という政策チラシを必死に配っている。ところが実態は、公明党と争って生活保護や市営住宅の斡旋などのどぶ板世話の恩義で票を集め、議席を温めるというものである。その小さな利権を分けてもらうために大きな略奪政治を容認する。とくに最大の障害となる大衆的な運動を分裂させ、つぶすことで当局に恩を売る。選挙の「政策」は、票を集めるためであり、「保守系が議会多数派なのでできなかった」で終わりなのだ。
 この選挙で市民のなかでの下関をどうするか、市議会選挙をどうするかの論議が発展している。選挙という市民全体の政治的な関心が高まる時期に、市民の力を結びつけ、選挙にどういう投票行動をするかだけではなく、選挙後も市政、市議会に圧力を加えていく力をどれだけ結集するかが、下関市政を変える最大の力となる。
 そして、そのような市民を代表し、市民運動と結びついて、議会活動をする議員を送り込むことが、市民を結びつけ、市民運動を強め、市政を変えていく力になる。そのような議員が一人送り込まれることは大きな変化となる。

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