トップページへ戻る

下関原爆展事務局が見解
峠三吉没後50年の会などの抗議に
                峠三吉原爆詩集に関し       2003年8月13日付

 福屋デパートにおける広島市民原爆展の開催をまえにした7月23日、「海賊版・峠三吉原爆詩集について抗議する」という文書が、峠三吉没後50年の会(共同代表・水島裕雅、海老根勲、御庄博実)、広島文学資料保全の会(代表幹事・古浦千穂子)(広島市中区本川2丁目1の29の301 電話082―291―7615)から下関原爆展事務局に送られた。詩集の発行は「峠三吉没後五〇年にあたり、市民グループの詩と思想の継承・文学的再評価を掲げた活動に乗じたもの」で、「一方的な盗用にあたり」「部分的な改ざん、加筆さえおこなうなど原爆詩集の価値を冒涜しており」「直ちに回収し関係者に謝罪を求める」というものであった。これについて下関原爆展事務局は、広島市民原爆展が閉幕するのを待って、つぎのような見解を発表した。
 峠三吉没後50年の会、広島文学資料保全の会から7月23日、下関原爆展事務局にたいして「海賊版・峠三吉原爆詩集に抗議する」という文書が送られました。抗議文は広島の市政記者クラブにも配られ、ホームページにも掲載されたようです。当方には「抗議文」だけが送付されてきましたが、記者クラブには著作権問題についての「声明文」も配られているようです。「抗議文」の中心は、「すべての声は訴える」の詩が「改ざん、加筆、冒涜である」という点にあるようです。「声明文」は「著作権侵害の無法行為だ」という内容です。福屋における広島市民原爆展の準備が大詰めとなるなかで、われわれは非常に困惑しました。福屋における原爆展を成功させることが第一義の任務であり、そのために検討する余裕もなく、また混乱を避けるということで、回答は閉幕後にすることとしました。福屋における市民原爆展は、7000人の入場者があり広島市民の大きな関心を呼ぶものとなり、峠の詩を広島市民に普及することがいかに重要であるかを示すこととなりました。
 ★長年埋もれていた峠の資料を発見され、「すべての声は訴える」の詩を世に出されたことはひじょうに有意義であり、貴会のそのような努力に敬意を表するものです。「すべての声は訴える」の詩についてのわれわれのかかわりは、2000年の第2回下関原爆展で『原爆と峠三吉の詩』のパネルを作成する際、当時下関の東亜大学におられた同会の代表幹事・好村富士彦先生から「宣伝してくれてありがたい」と感謝され、また同パネルを使った下関原爆展の賛同者にも名を連ねていただいたいきさつがあります。
 ★いわゆる「改ざん」問題について。
 今回、中央図書館に保存してある峠が書いた元の原稿を見る機会があり、そこには書き込み部分が相当にあることを知りました。書き込み部分を詩のなかに入れるべきか、註としてあつかうべきかは、編集者の判断を必要とするものが多くありました。われわれは書き込み部分に、詩として生かす方が作者の意図だと思われる箇所が多くあり、また解説的に書かれた部分もできるだけ詩のなかに括弧して入れ込んだ方が作者の意図が伝わりやすい部分があると判断しました。
 またなかには詩にも註にも入っていない原稿の部分もありました。ご指摘の「破防法という」「植民地支配に苦しんできた」などの「改ざん」といわれる部分も、鉛筆かなにかによる少し薄い字ですが確かに書いてあることであり、原稿に書いてないことを勝手に加筆したものは一切ないことは原稿を確認されたら自明のことです。その他「広島の中心地にいる人は体験者がほとんどいない、それはたいていの家が一家全滅しているからだ」という部分が原稿にはあるのに詩のなかにも註のなかにも欠落していました。また原稿で「1950年の官制的なものも平和祭の全面的禁止」とあるのが「官制的なものも」という部分が欠落していました。これらは編集者の判断の相違であり、一方の側は消えてしまえというやり方ではなく、広く大衆的に公開した場で、峠三吉の詩の評価をめぐる文学上の自由な論議として検討されることが発展的なやり方であると思います。
 さらに長周新聞社が発行した『峠三吉評論集』は、峠三吉が「われらの詩」に掲載して以後ほとんど公表されてこなかった詩論、または未発表と見られる1949年からのちに書かれたものなどが収録されています。それらはいうまでもなく峠の詩人としての到達をあらわすもっとも重要な部分です。それが死後50年も公表されずにきたことが、峠にとって良いわけはなく、世に出す意義はきわめて大きいと考えます。この詩論は、多くの人がはじめて目にするもので、酷似した状況にある現在と重ねて、ひじょうに新鮮さをもって受け止められています。われわれの市販ルートに乗せない運動としての普及は限度があり、峠の顕彰のために貴会の方でもっと豊かなものにして大々的に発刊されることが期待されると考えます。
 ★もっともいわれたいことは著作権問題のようです。われわれは著作権は死後50年という理解をしていました。死んだ翌年から起算するという条文については理解がありませんでした。この点でわれわれに非があることは率直に認めるものです。われわれは峠三吉とその遺族の方々には喜んでもらえるという確信で発行しました。その後、峠三吉の遺族の方々にお願いをし、了承をいただきました。青木書店さんからも「運動のためなら」ということでご理解をいただいていました。したがって著作権の問題は解決していることをお知らせします。
 ★われわれは『原爆と峠三吉の詩』のパネルを使用して、これまで全国で千数百回の展示をしてきました。このような活動は平和運動への貢献であり、峠三吉の顕彰への貢献であることは明らかです。そのようなわれわれの活動は、峠の顕彰をかかげる会の方々からは喜ばれ、感謝されることだと思っていたところ、そうではないことにとまどっています。
 この夏広島市内で、「すべての声は訴える」の詩の長周新聞号外が5万部ほど配布され、また福屋での峠記念の原爆展は被爆市民のなかでひじょうに大きな反響を呼びました。峠の詩は、特定の党派をこえて、原爆を受けた広範な広島市民の苦しみ、悲しみ、怒りを代表したものであり、いかに広島市民を激励するものであるかを痛感するとともに、いまこそ峠の詩を広く普及することがいかに重要であるかを学ぶことができました。
 ふたたび原水爆戦争の危険性が迫り、平和運動が弱まっているなかで、平和の力を、とくに広島から強めなければならないという声が強まっています。市民のなかでの平和運動や文学運動を発展させるという大きな目的のために、さまざまな問題はそれに従属させて解決しなければならないと考えます。どうかわれわれの運動にご協力をお願いするものです。
                                       2003年8月8日
  下関原爆展事務局    事務局長 杉山真一
  事務局員担当 竹下一 (山口県下関市中之町5の9)

トップページへ戻る