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下関原爆展に全市的な期待
下関原爆展賛同者会議
               佐世保の小6事件重ね熱意   2004年6月15日付

 「平和な未来のために子どもたちに語りつぐ」を合言葉に、7月6日から福田正義記念館で開催される第5回下関原爆展(主催・下関原爆被害者の会、共催・第5回下関原爆展を成功させる会)の賛同者会議が11日午後6時半から、福田正義記念館で開かれた。賛同者会議には被爆者、戦争体験者、労働者、婦人、教師、文化人、小中高生平和の会の高校生など40人が参加。社会が荒廃をきわめ、原水爆戦争の危険すらおし迫り、次代を担う青少年の教育が切実さをますなかで、市民各界のなかで全市的規模での原爆展が心から歓迎され、大きな期待が高まっていることが交流され、これまで以上に広範な人人の協力を得て大成功させることを確認しあった。

 賛同・協力者も広がる
 賛同者会議は、原爆展パネル「原爆と峠三吉の詩―原子雲の下よりすべての声は訴える」が展示された福田記念館の3階展示会場でおこなわれた。はじめに伊東秀夫・下関原爆被害者の会会長が「下関原爆展事務局が作製したパネルを使った原爆展全国キャラバン隊が北海道まで行っていることに、新鮮な感動と大きな喜びを覚える。今年は下関から広島へと原爆展がつづけてやられるが、わたしたちも平和を願う人人と団結してがんばっていきたい」とあいさつした。
 下関原爆展事務局長の杉山真一氏が、今回の原爆展をとりくむ趣旨と方針について提案した。
 杉山氏は、まず「原水爆が人類史上もっとも残虐でまったく非人道的な大量殺戮(りく)兵器であることを多くの市民、とくに日本を担う青少年に知らせ、“広島長崎をけっしてくり返させない”“ふたたび被爆者をつくらせない”という世論と運動を広げる」ために五年まえから、「平和な未来のために子どもたちに語りつぐ――下関原爆展」を広範な市民の協力と支持のもとに開催してきたこと、これが青少年の平和教育の場、3世代交流の場となり、さらに継続して開催することへの期待が多く出されてきたことを明らかにした。また、「アメリカの新たな核兵器開発やイラクへの自衛隊派遣など、戦争の危機が現実のものとして迫っているなかで、被爆者としても、被爆体験を語りつぐことを社会的使命に、核兵器の廃絶と平和のための運動を命あるかぎりつづけようという思いが募っており、下関原爆被害者の会として総会で、下関原爆展を今年度の大きな柱としてとりくむことを決めた」と報告した。
 また、とりくむうえでは、これまでの原爆展への賛同者・協力者、アンケートで「今後協力したい」と申し出ている人に賛同・協力を呼びかけること、とくに平和教育を重視し、小中高生平和の会、教師や父母、教育関係者と連携してとりくみ、若い世代に体験を語りつぐ3世代交流の場となるよう力を入れることを訴えた。
 杉山氏はさらに、短時日の賛同、協力の呼びかけに、各界各分野から市民142人が積極的にこたえていること、これまでの原爆展運動やパネル寄贈運動の蓄積による市民の信頼は強いものがあり、PTA関係者、地域の自治会関係者、大学教員が一も二もなく賛同、佐世保事件が共通して論議になり、母親や小・中学校の教師が切実な思いで期待を寄せ、小学校でも教室にパネルを置くなどの状況が生まれていること、また大学生のなかからスタッフへの協力の意志が示され、子ども文庫関係者も本の貸し出しや読み聞かせなどでの協力を快諾していることを報告した。  

 子どもを守る運動に 切実な共感広がる
 出席者の自己紹介では、被爆者の決意とともに、戦争体験者、地域原爆展や職場での原爆展をとりくんできた人人、小学校の教師やゴミ袋の値下げ運動にかかわった婦人、中・高校生などからそれぞれ原爆展への賛同・協力を呼びかけるなかでの市民の反響や原爆展にとりくむ思いが出された。
 成功させる会の権藤博志氏(近松ミニ劇場)は、「日本が右傾化し、労働者はリストラで苦しんでいる。一番大事なのは平和だ。市民にアピールしていきたい」とのべた。
 下関原爆被害者の会の石川幸子氏は「今回の福田記念館は場所がいいし、期待している。楽しみです。若い人たちもよろしく」と、子どもたちにむけて訴えた。
 原爆展事務局の婦人は、とくに若い母親がパネル冊子を見て佐世保事件が論議になり、「子どもを教育しておかなければならない。被爆者の体験を聞きたい。被爆者の人たちががんばっているので、協力したい。わたしはだいそれたことはできないが、友だちに声をかけたりすることはできる。受付をやらせてほしい」と語るなど、自分のこととして積極的に原爆展を成功させようとしている様子を紹介した。
 小学校の教師は、「地域のお年寄りの話を聞く催しをやってきたが、みんなかわいいねとほめていただいた。子どもたちは手紙のなかで、“敬語をうまく使えないのでよろしく”と書いており、捨てたものではないと思った。地域のお年寄りや被爆者から戦争体験を学ぶ学習をやっていきたい。戦争体験を聞く機会がますますへっていく。被爆者の方には学校の方にも被爆体験を話しに来てほしい」と訴えた。
 また、学校やPTA関係者と論議してきた出席者からは、「肉親、親戚が広島で被爆した校長が、少年時代にそのすさまじい体験を聞いたことが衝撃であったことを話してくれた。そばにいた先生とも日本がでたらめになっているという論議になり、カンパもしてくれた。峠三吉の評論や詩にはそのような論議を起こす力がある」「佐世保事件とかかわって“家庭、親、学校、地域が一体となって子どもの教育のためにかかわれる場がほしい”と、PTA関係者が積極的に協力し、役員に原爆展の賛同人になることを誘っている」などの状況が報告された。
 市民の会の兵頭典将氏は「学校が機械警備になり、校務技士がなくなるなど、教育の場ではなくなっていくことへの危惧(ぐ)は強い。宿直代行者のなかでも孫がきちっと成長してほしいという願いは強い。とりくみのなかで、地域から子どもを守っていくような運動にしたい」とのべた。
 原水禁下関地区実行委員会の吉山氏は「労働者はパネル冊子を親しみこめてめくって話す。みんなで原爆展を広げていく。政党政派関係なく全市民わけへだてなくとりくむ運動を起こしていきたい」と発言した。
 原爆展で作品を展示、発表する小中高生平和の会の高校生は、最近85人が参加する平和教室で、「被爆者の山田侑子さんと川宿田さんの話を聞いた」ことを報告。「毎回平和教室で、被爆者の会の方にお世話になっている。わたしたちの感想交流会にも残って聞いてくださり、緊張して発表しあった」と感謝の気持ちをあらわし、「平和の旅までに二カ月を切ったが、近く平和教室を開き、シーモール前で街頭宣伝も予定している。原爆展のなかでも200人の旅にむけてがんばります」と発言した。これを受けて、被爆者の佐野喜久江氏が「みなさんの熱心さに励まされて、お話をしている。涙の方が先に出ます」と感動をあらわした。
 同じく山田侑子氏は「最近、テレビで長崎被爆直後、10歳の子どもが赤ちゃんを抱いて立っている米兵が写した写真を放送していた。死んだ赤ちゃんを焼くための行列に出ていたところだった。このテレビを見ていた人がいた。関心が高くなっている。行きつけの美容院や病院にも行って、ポスターをはらせてもらうなどできるかぎりのことをしていきたい」とのべた。
 また、被爆者の地域の新聞販売所が原爆展広告の新聞折りこみの協力を快諾するなどの状況も報告され、いまからも大胆に賛同・協力者を組織し、斬新(ざんしん)な運動を起こし、原爆展を大きく成功させることを決意しあった。

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