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下関から日本変える拠点
福田正義顕彰会第4回総会
              人民に奉仕する運動に確信    2012年10月8日付

 福田正義顕彰会の第4回総会が7日、下関市の福田記念館で開催され、市内をはじめ全国各地から約70人が参加した。総会は前回総会後の2年間の発展と到達を共有。東日本大震災と福島原発事故を契機にした戦後社会を見直し、独立・平和の日本の実現を目指す世論が高まるもとで、原爆展運動を軸にした原水爆禁止運動、文化・芸術運動、下関市の市民運動、教育運動など各分野で全国を席巻する質をもつ運動を喚起し、福田記念館が独立・平和・繁栄の日本を実現する運動の発信源として役割を果たしていることが浮き彫りにされた。「人民に奉仕する福田路線を実行していけば、必ず日本を変えていける」「明治維新発祥の地・下関から日本を立て直す運動を発信しよう」と熱く語りあわれ福田型の運動を全国に広げていく明るく展望に満ちた総会となった。
 総会の冒頭、福田顕彰会の黒川謙治会長が挨拶。「戦後67年たった日本は大震災をへてとんでもない状態になっている。しかし人民は平和で豊かな日本をつくる世論を強めている。このなかで記念館が運動の発信源として役割を果たし、人民に奉仕する組織が各地で発展している。総会で到達と教訓をはっきりさせ、さらに新しい運動を発信する拠点として役割を果たせるようにしよう」と活発な討議を呼びかけた。
 続いて同記念館の福田槐治館長が「福田記念館は福田正義個人の顕彰ではなく、人人の生活と斗争に役立つように努力し、直接福田正義を知らなかった人がその精神と事業に感動し、記念館を活用し運動を発展させてきた。総会を期して顕彰運動の発展に寄与できるよう記念館の運営を高めることだ」と挨拶し、活動の発展を期待した。
 次に事務局から第4回総会への報告(案)を提案。「04年5月に福田記念館が各界各層1000人以上の拠金と資料提供による幾千万大衆の事業として建設されて今年で8年目を迎える。この間、記念館の運営事業は福田正義の業績を顕彰する事業を核とする多目的施設として、多くの経験を積みながら充実発展してきた。図書資料室の蔵書数は今総会を前にして4万冊を突破し、質量ともに専門図書館としての権威を打ち立てている」と指摘。記念館運営の概要、参観と活用状況、図書資料の収集、よい映画をみる会の活動、福田正義顕彰会の活動、財政の運営などにわたって報告した。

 報告もとに活発な論議 医師や被爆者先頭に

 この報告案にもとづき活発に論議がおこなわれた。口火を切った川崎市の医師は、福田正義と親しかった故頴原俊一氏のもとで福田精神を医療や介護に具体化してきたことにふれ「今の世の中は政治を見てもなにがなにかわからない。このなかで輝くものが必要な時代だ。悪臭のするようななかに身を置きながら、本当にその現実のなかで人人の輝くものを結集して大きくしていく時代と思う。表面では見えないが人人のなかでは動いている。今後、福田さんや頴原さんの精神を生かして、介護や医療のなかで広めて次の世代に伝えていきたい」とのべた。「政治も分岐が起きるなかで、若い人が国会前で行動している。日本の将来を考えながら動いていることを見据え、その力を束ねていくのが福田さんの精神だ。文章を読むだけでなく力を集めることを日本でやるときだ」と力を込めた。
 高齢をおして参加した原爆展を成功させる広島の会の男性被爆者は、労働組合の先輩が福田正義と親しかったことを思い起こしながら「福田さんの肖像を見ているとほのぼのとして実際に会ったのではないかと錯覚する」と切り出した。峠三吉の原爆と戦争展運動を10年間続け、福島原発事故以後、子どもたちの質問が鋭さを増すなか、「広島はなにも知らされなかったけど福島も恐れて逃げていては復興できない」と現在と結びつけながら話していることをのべた。50年8・6斗争が被爆体験を語らせない重圧をとりはらったことに感謝の気持ちを込めながら「戦争はおとぎ話ではないという思いで体験を語っている。年年高齢で亡くなっていくが、今のうちにたくさんの人に被爆体験を聞いてほしい。私たちは体験したことを正直に次世代に伝えることが使命だ」と気迫を込めて発言した。
 下関原爆被害者の会の被爆者は、市内の小学校に出向き、みずからの被爆体験を語っていると報告。原爆展運動が広がっていることに喜びを表明した。「なんでも手伝えることは手伝っていく」とのべた。

 重石取り払い進む勇気 教育現場から次次に

 ついで上宇部小学校の教師が挙手して意見をのべた。「多岐にわたる記念館の活用状況、存在意義の発展に驚いている。報告に“人民に奉仕する思想で統率され刻苦奮斗する福田型の活動家集団が求められている”とあるが、そういう子どもたちが生き生きと育っていることを報告したい」とのべた。一心不乱に奮斗する教師集団の姿、七段ピラミッドで観客に見えない土台の子が頑張る姿などが地域で強い共感を呼んだこと、その実践をまとめたパンフレットが全国で1200冊普及されていることにふれた。広島や下関の被爆者の生き方を学び成長していることに支持が集まっていると強調。「この方向が福田路線だ。福田路線は必勝不敗であることをみずからの体で検証し、ますます発展する趨勢を体で感じる。この間人民教育同盟が路線斗争をへて発展してきたが、それは下関に福田記念館があり、長周新聞があり、教育同盟があったからだ。そのうえにはぐるま座が下関に移転したことは喜ばしい。福田記念館を中心に下関から教育で世の中を変えるため奮斗したい」と結んだ。
 北九州市の小学校教師は「福田精神でいけば多くの人に喜ばれる。たくさんの先生が上宇部小のパンフを“こんなふうにしたかった”と歓迎し実行に移している。教師には“体罰はいけない”など重い重石があるが、上宇部の実践はそれをとり除き変えていけることを示してくれた。福田さんはなぜ戦争が止められなかったかに始まり、すべて人人の重い重石をとり除いてきた。原爆のことも語れない重圧をとり払う運動だ。多くの人がそういう重石をとり払い踏み出していく勇気を、福田顕彰会が母体になって広げている。みんなのためという精神、そのためには何者も恐れない勇気を教えてくれている。顕彰運動を広げることが戦争を止めることだし、それを多くの人とやっていきたい」とのべた。
 小中高生平和の会の教師は「記念館が下関に存在する意義の大きさを感じた。広島の原水禁運動も、下関の被爆者の運動、市民の会の運動、教育運動、明治維新発祥の地であると同時に、これから日本を変えていく発祥の地だ。ここにはぐるま座が移転し、すべての運動が一つになってこれから世の中を変えていく拠点になった。そのなかで小中高生平和の会の運動が日本の将来を担う青少年を育成する運動になっている。福田記念館が拠点だし、ここに立ち戻って新しい運動をやっていけば発展する」と強調した。小中高生平和の会のリーダーである高校生は「平和の会も次代を担っていくということでみんな頑張っている。被爆者の思いに学び、返す活動を記念館を活用して頑張りたい」と表明した。

 下関移転を歓迎し熱気 劇団はぐるま座巡り

 下関市内の元中学校PTA連合会長は「福田さんの教育論を紹介してきたが、福田さんが唱えてきたことが今になってだんだんわかってきた。5月の没10周年記念集会に全国から訪れていたが、顕彰運動をみなさんで力を合わせ長く続けることが一番だ。『動けば雷電の如く』も『原爆展物語』も福田路線にそって記念館を発信源として全国に広げていったと思う。今からいろんな面で顕彰をしていきたい」とのべ、『雷電』下関公演、劇団はぐるま座60周年記念集会を福田さんの精神で成功させることを呼びかけた。
 ここで劇団はぐるま座団員が発言。『雷電』公演が全国で反響を呼び下関公演をとりくんでいることにふれ「福田さんが下関に来ないかといっていた意味、それを拒否していた誤った路線との違いが5年間の再建斗争をへてはっきりしてきた。下関を拠点に全国に発信していく。下関に根ざすとともに、全国に発信する下関の位置に立ってもっと学び、劇団創立精神をとり戻して役割を果たしたい」とのべた。
 別の劇団員が「劇団再建の突破口となったのが『雷電』だが、これは福田さんの書いた“高杉から学ぶもの”にそって作られたし、その後の『原爆展物語』も被爆者に学び全国で私心のない運動をつくっていくなかで生まれた作品だ。この福田さんの精神・路線で描かれた内容とそこにもとづく普及活動が感動を与えている。この活動を通じて人人の切実な要求から離れて片隅でやるのか、多くの人と結びついていくのか純化が求められてきた。礒永秀雄詩祭、福田没10周年集会に劇を見た人が全国から参加したが、これで全国結びついていけば日本が変えられると確信を語っていた」と紹介。「下関に移転していよいよ本史に入っていく」と強調した。
 漫画に携わる劇団員は「福田さんから一度直接指導を受けたが、そのとき“敵がどんなに強大に見えても人民は必ず勝利する。人民が勝利する必然性と敵が滅ぶ必然性をリアルな現実から描き出したとき人民は立ち上がっていく”といわれた。そのことを再建斗争のなかでやってきた。『雷電』も『原爆展物語』も作品を人人に普及していったら人民が立ち上がり、行動を変え地域を変えている。これを理性化して創造・普及活動をやっていきたい」とのべた。また「聞く耳は持っています」という長周新聞に掲載した漫画がツイッターで流れたり、国会前抗議行動のプラカードに使われたことを紹介。「行動に駆り立て実際に役立つ活動をやっていきたい。はぐるま座の下関移転について日本の延安にきたといわれるが、ここで日本の様相を一新するため頑張りたい」とのべた。
 劇団はぐるま座60周年記念集会の中心を担っている退職教師は、原発ゼロの閣議決定見送り、オスプレイ配備強行、領土問題をめぐる騒ぎにふれ「すべてアメリカのいいなり、属国というのが見破られ、課題は日本の独立だという意識が広がっている。この今の時期だからこそ福田さんの路線が光り輝いている。これでないと再び戦争に行く状況を打ち破ることはできない。民族の子を育てようという福田さんの路線が教育の面で大きな力を発揮している。教育、文化の面で先頭に立っているが、そのためにもはぐるま座60周年を成功させ新しい独立した平和な日本をつくるため頑張りたい」とのべた。
 こうしたなかで市内の電気店を営んでいた男性が「大型店ができて店をたたんだが苦労ばかりだ」と発言。司会から、閉店時には記念館にガラス製ショーケースの寄贈を受けたことが紹介された。

 本当に力あるのは市民 下関の市民運動から

 ここで下関市民の会のメンバーが「福田さんは最初知らなかったが、ゴミ袋の運動をするようになり、はぐるま座や被爆者の会と知りあい、福田さんの精神でやられていることがわかってきた。市民の会も人民に奉仕する思想が求められていると強く感じる。署名も市民の会がやっているとなるとそれだけで信用してくれるところまできた。福田さんの精神をしっかり受け継ぎ市民運動をやっていかないといけないと思っている」とのべた。
 別の会員も「“30万市民のために”と運動を継続している。そこに立ち戻れたのが福田さんの教えだし、顕彰会ができ記念館ができ、そこからあらゆる運動が発展してきたなかで市民の会も立ち戻ってやってこれた」「昨年の市議選は市民の声を市議会に届ける役を果たす者を作ろうということだったが、その後ずっと市民の力をどう見るかが問われてきた。議会のなかでいい負かそうとしてもそんなことはできない仕組みがある。でもたくさんの市民を代表する立場を実行し、議会の中のことを市民に返す循環をしていけば市民の大きな世論が動き、市議会や議員に影響を及ぼし状況を一変させることを経験してきた。本当に力を持っているのは市民だ。商店は厳しく、職もないなかで安倍・林代理市政を許さない力を強め役割を果たせるようにしたい」とのべた。
 長周新聞勤務員は8・6集会のあと「下関から原爆展運動が始まったことを誇りにしないといけないと多くの人にいわれた。学生運動の経験者が、広島の学生たちが被爆者に学び、外国の人とも結びついていることに未来を感じるといわれた」と報告。『雷電』下関公演の反響が4年前と様変わりになり、百姓や町人が日本を変えたという維新の誇りが現状を変える力になっていることも紹介した。
 岩国から参加した男性はオスプレイ反対や基地撤去斗争の発展の原動力が原爆展運動にあるとのべ、下関の運動に学び頑張るとのべた。
 山陽小野田から参加した退職教師は16歳のとき松江で玉音放送を聞き、日頃、精神訓話をして威張っていた連隊長が土下座をする状況に直面するなか、世の中を変える決心をして教師になり、はぐるま座と出会ったことにふれた。戦後「民主主義」の欺瞞的な犯罪性を指摘し、「民主主義も人民の側か、資本主義の側か二種類ある。自分は人民に奉仕するということを福田さんに教わった。人民の民主主義でいかないといけない。その立場を鮮明にして今度は本当に世の中を変える。そうなりたい」と発言した。
 大阪から参加した教師は、上宇部小の鉄棒実践パンフが勤務先の学校で歓迎され普及が広がっていること、守口市での原爆展物語公演以後もはぐるま座60周年にむけたとりくみをすすめていることを報告し「記念館を拠点に大阪でも頑張る」とのべた。
 最後に元サンデン労働者の男性は、記念館が全国の運動の中軸として日本を変えるところにきた確信にたって「今年は60年、70年安保斗争をたたかったサンデン労働者が記念館で学習会をもち、職場生産点でやっていけるように貢献したいと考えている」とのべた。戦後67年たって日米安保によるアメリカの支配が強まり戦争の足音が高まるなかで、首相官邸前行動や沖縄のオスプレイ反対集会など、たたかいが安保の支配を断ち切るために発展していることにふれて「このようなときこそ人民に奉仕することに徹して福田路線をしっかり握って奮斗したい。記念館の活動はますます重要になる。ともに頑張ろう」と結んだ。
 最後に原爆展を成功させる広島の会の中心を担う男性被爆者が発言。広島で第11回原爆と戦争展が成功したことを報告し、「広島の会も下関から始まった。発展したのは長周新聞をはじめ、はぐるま座など下関の運動のおかげだ。暑いときにポスターやチラシをもって汗を流して宣伝してくれ、私たちにできないことをしてくれた。この場を借りてお礼をいいたい。後から入った若い人たちにも下関から始まったことを伝えたい」とのべた。
 熱のこもる討議をへて、事務局から提案された新役員と議案が満場の拍手で承認された。最後に総会の大きな勝利を確認し今後の奮斗を誓いあって閉会した。

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