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下関活性化の源・高杉と維新
史跡豊富な維新の中心地
               歴史の誇り取り戻しに意欲     2008年5月21日付

 劇団はぐるま座公演『動けば雷電の如く――高杉晋作と明治維新革命』(2幕9場)の全国初演となる下関公演(主催・下関公演実行委員会、後援・東行庵、下関市教育委員会、山口県教育委員会)が来月21日(土)、海峡メッセ下関に決定し、準備が急ピッチで進められている。下関公演への期待はかつてなく大きいものとなっている。このなかで「下関が明治維新の中心舞台であり、維新の史跡がこれほどあるのは全国で下関だけだ」「この下関で高杉晋作や維新の歴史が片隅に追いやられてきたところに下関の衰退の原因がある」「郷土の誇りを取り戻し、それを子どもたちや若い世代に伝え、現在の停滞を打開しようではないか」という論議が、市内の各界各層のなかでほうはいとして巻き起こっている。

 高杉公演、市民の大運動に
 『高杉晋作と奇兵隊』の全面改作にとりくんできたはぐるま座は、『動けば雷電の如く』の台本を発表、17・18の両日には山口市の劇団所在地で、最新の台本による公開舞台稽古をおこなった。
 この新しい台本は大きな反響を呼び起こしている。下関市内では、「農民たちが主人公として描かれているのがよい」「民衆革命であったというのがはっきり出ている。アメリカの外圧によって近代化がなったのではない」という意見、また「萩脱出の場面で、四民平等でない時代の高杉晋作の葛藤を描いているが、これまでこのように描いたものはなかったのではないか。当時、みんな高杉と同じ葛藤があったと思う。そのなかで吉田松陰の草莽崛起を受け継いで高杉が行動した」と感想が語られている。
 「20代の高杉が講和談判で、幕府も恐れるアメリカの戦艦に乗り込んで、彦島の割譲を断固として蹴ったから、日本は植民地にならずにすんだのだ」ということが郷土の誇りとして力を込めて話され、「この台本は現代に響くものだ。今を変えるための高杉だ」と興奮して語る人、「この公演を、萩に持って行かれた高杉史料を取り戻す契機にぜひしたい」と期待を込めて語る人などが多く出ている。
 公開舞台稽古は、参加者に強い感銘を与えた。前作を見た人が、「まるで別物になった」と語り、明治維新革命を勝利させた原動力は農民や町人であり、高杉がそれと結びついて指導性を発揮したことや、『男なら』を歌う場面で高杉がつねに人民とともにあったことが良く出ていると共感が寄せられた。また「歴史の生きた教育として、山口県の子どもたちや若い世代にぜひ見せたい」と共通して話されている。
 そのなかで若い世代が衝撃的な感動を持って受けとめていることが特徴となっている。
 「このような劇を見たのは初めてで、高杉晋作についてもなにも知らなかったが、こんなに魅力的な人がいたのか、もっと高杉について知りたいと思った。近年これほど集中したことがないほど、時間を忘れて、見入ってしまった」という広島の女子学生は、高杉が「主君に忠・親に孝」という封建的な束縛との葛藤をつうじて決起していく場面に自分を重ね、「たんなる劇ではなく、自分の生き方について問われている気がした」「高杉が死んだ27歳のときまでに、自分になにができるだろうか」「社会に役立つ生き方がしたい」と真剣に話している。
 山口市の女子学生も「初めて舞台を見たが、とても迫力があり、圧倒された。高杉晋作が他の奇兵隊幹部からは反感を買いながらも自分の意志を曲げずに行動する姿や、仲間にとても信頼があり、先頭に立っている姿はとてもかっこよかったです。戦のシーンはとてもよかった。農民が、高杉のためなら死ねると必死に戦っている姿は感動して涙が出そうになった」と感想に書いている。
 また、公開稽古2日目の感想交流では、山口市の鍛冶屋の男性(82歳)が曾祖父から伝え聞いている話として次のように語った。「江戸時代は、農民に名字帯刀は許されていなかったが、高杉晋作さんが長さ1尺6寸、柄が片手で握れるほどの刀を考案して農民でも持てるのだとし、山口の鍛冶屋でつくれと指導した。この農兵刀は当時の農民の誇りであり、奇兵隊の身分証明書みたいなものだった。曾祖父の墓は奇兵隊隊士と同じ形にしてある」。台本や舞台を見て奇兵隊・諸隊など維新をなしとげた子孫が発揚され、これまで埋もれていた歴史の真実を次の世代に語り継ぐ動きが始まっている。

 商店街や自治会積極的
 現在、下関市内各地の商店の店先や自治会掲示板、学校、公民館などに公演のポスターが貼り出され、自治会が公演チラシの回覧を始めているが、どこでも郷土の誇りを取り戻そうと意欲的に話され、チケットも預かって街中がプレイガイドと化そうとしている。
 そのなかで下関旅館協同組合が公演を全面的にバックアップすることを決定。市内の全組合員にただちにファックスをおろし、フロントにポスターを貼り出したりカウンターにチラシを置いたりして、観光客に勧めている。そこでは「下関といえば明治維新だ。下関の活性化には、日本1の維新の史跡を観光資源として活用することだ」ということが共通して語られている。ある旅館経営者は「全国から来られるお客さんも“明治維新の史跡を見たい”“高杉の地だというので来た”という方が多く、私たちも勉強しつつ応えてきた」とのべ、別の若い経営者は「すぐ近くにすごい史跡があるのに、これまで余り興味を持っていなかったことが恥ずかしい。これを機会に勉強していきたい」とのべている。
 唐戸、長府、シーモールなどの商店街も強い共感がある。「明治維新の史跡があるのは下関だ」「維新の史跡を生かすことが全国にこたえるし地域活性化だ」と、意気ごみ高く語られている。
 唐戸のある商店主は、戦時中に疎開した場所が建坪だけで300坪以上はある大庄屋・吉富藤兵衛の本宅で、正義派の志士をかくまうための隠し部屋があったこと、わざと隣家の火事を起こしてその騒動のあいだに志士を逃した事実を知ったことをのべた。そして「下関でもたくさんの商人が高杉に協力した。殿様ににらまれても、世の中、このままじゃいけんという気持ちだったと思う。今の世の中と同じだ」と強調した。東北から下関に嫁に来た、シーモールのある商店主は「新潟県の小千谷に奇兵隊の墓があるのはなぜかと思っていたが、こっちに来て納得できた。最近、桜山招魂場に行ってびっくり。身分差別がひどい時代、武士も農民も平等に同じ高さの墓を建てるという発想を高杉ができたことがすばらしい」とのべた。

 盛り上がるゆかりの地
 高杉晋作ゆかりの地である市内吉田地区や新地地区も盛り上がっている。『動けば雷電の如く』のポスターを見ると皆顔がほころび、1も2もなく承諾して、手分けをしてポスターを貼り出し、宣伝を開始している。
 吉田地区には奇兵隊の陣屋跡があり、奇兵隊士の子孫も残っている。高杉晋作と奇兵隊士の墓のある東行庵は長年、地元の人たちによって大切に守られてきた。兼務住職の松野實應氏は「東行庵といえば高杉晋作、高杉晋作といえば東行庵。今、高杉史料の返還をとりくんでいる。ぜひ下関から維新の機運を盛り上げたい」と語っている。
 吉田地域の教師や教育関係者のなかでは、最近は吉田の子どものなかにも高杉晋作を知らない子がいることが心配されており、「下関市は教育に金をかけない。金がかかるといって小・中学校の統廃合も進めているが、住民が反対の声を上げていかないといけない。子どもは地域で育てるもので、ここも町民運動会などとりくんでいる。教育も、高杉のように将来を見据えて、力を入れてやっていくべきだ」と話しあわれている。
 新地地区には奇兵隊士を祭った桜山招魂場や、小倉戦争の戦利品・大太鼓が奉納されている厳島神社、白石正一郎邸跡があり、高杉晋作療養の地や終焉の地もある。公演に向けて地域では「高杉晋作がいなかったら、明治維新にはならなかった。農民を軍隊に組織することなど、当時だれも思いつかなかったことだ」「白石正一郎にしても、自分さえよければいいという考えはみじんもない。私財を投げうって国のために尽くすという、そのような人物が今いるだろうか」とあらためて語られている。
 自治会やPTA関係者のなかでは、「30年余り前には子ども会で子どもを連れて史跡めぐりをやっていたが、最近ではそうしたことが薄れてきた。いい機会なので、地域でとりまとめて公演に参加したい」と話されたり、「市の観光行政は、維新の史跡の整備や海峡まつり、馬関まつりなどはJCや商工会議所青年部などに任せて、地道な努力をしていない。箱物優先になっている。下関にはレプリカではない本物があるが、それを生かしきれていない。駐車場やトイレを整備するなど歴史的な遺産を生かす契機に公演をしてほしい」と期待が語られている。
 下関公演の実行委員には、高杉が挙兵した功山寺をはじめ、極楽寺、覚苑寺、本行寺など、幕末に奇兵隊の屯所になったりしたゆかりの寺が多く参加しているのも特徴である。奇兵隊士の墓がある本行寺の藤井日正住職は、維新の史跡をとりあげて維新顕彰による活性化を歓迎している。

 教育界でも強まる期待
 PTA関係者は「郷土の歴史の事実そのものが子どもたちに教えられていない。なぜ明治維新が起こったのか、それは下関からどうやって始まったのか、それは士農工商を廃止して四民平等の社会にしたが、そうしたことが教えられていない。今回の劇はそれを教えるよい機会でありぜひ取り組みたい」とのべている。
 市内のある小学校教師も「社会科では小学校6年生の2学期で、明治維新を教える。しかし郷土の歴史の副読本がそろっている他の市町村に比べても、下関では維新の歴史や市内の史跡を教える手頃で統一した学習資料がなく、各学校のとりくみはバラバラだ。下関の子どもなのだから、卒業までに郷土の誇りを教えて卒業させてやりたい」とのべている。ある教育関係者は、教育の荒廃がいわれるなかで、「自分さえよければよいというのでなく、世のため人のために頑張った祖先の歴史を子どもたちに見せたい」と宣伝を引き受けた。
 下関市大や水産大学校の教官も「せっかく全国から下関に来て4年間学ぶのだから、そういうものに触れさせて帰したい。今回の公演は学生に見せたい」といっている。
 欧米列強の侵略に反対して日本民族の独立を守り、徳川幕藩体制を打倒して近代統一国家をうち立てた明治維新革命で、下関は全国最大の拠点であった。文久3(1863)年の馬関攘夷戦争と奇兵隊結成から、翌元治元年の高杉の功山寺決起、そして小倉戦争という維新革命のハイライトは、おもに下関を舞台におこなわれており、その歴史の証言者である史跡が市内各地に現存しているのである。わずか140年前、高杉晋作とともに父祖たちが武器を持って立ち上がり、幾多の犠牲のうえにそれをなしとげたことは、今日でも下関の人人の最大の誇りであるし、なによりもこの荒廃した社会のなかで、次代を担う若い世代にその精神を受け継がせたいとだれもが願っている。
 ところが、近年「明治維新は高杉や奇兵隊などの側からでなく、敗者の側からも見なければならない」「ペリーがやってきて開港を迫ったことが日本の近代化の出発点となった」というような俗論が、マスコミや「進歩的」な知識人によってはびこってきた。そして吉田の東行記念館から高杉晋作史料の萩への持ち出しまでおこなわれた。こうして明治維新の誇りがさんざんに踏みにじられ、ないがしろにされているようなところに、下関の今日の衰退の原因の1つがある。
 市内の商店街関係者は、「市内の商店街は沈滞ムードが覆っているが、かつて下関の商人は、進取の気概を持って高杉とともに進んでいった。今、これを取り戻すことが必要だ。下関の経済の活性化をおこなうためにはまず精神的な活性化が必要だ」と力を込めて語った。
 近づく劇団はぐるま座公演『動けば雷電の如く』を郷土の誇りを取り戻す契機にするため、大きな市民運動に発展させていくことが切望されている。

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